文系・理系という区分


■自分のTwitterへのツイートを転載します。どうして、日本は、文系と理系に分けられているのか。この読売新聞の記事の中で、隠岐さや香さんは、その辺りの事情を説明されています。この記事では、学部は幅広く、大学院で専門分野へという主張のようです。ただ、私が取り組んでいる環境問題についてみれば、大学院でも幅広い教育が必要なように思います。最近では、文理融合という考え方もありますが、教育が文系・理系に分離していることが前提になっています。仕方がありません。研究者自身もそのように研究者として育ってきているからです。

■ただし、文理融合を本気で考えるのならば、○○学の立場からコレコレができるというより、○○学の立場だけだとコレコレしかができないという、欠如感や不完全感の方が重要になってくると思います。文理融合を進める上で、個別科学の「狭い土俵」のなかに自己のポジショナリティを求めることは建設的でないと思います。「狭い土俵」を超えて、異分野の研究者と当該の問題に関してきちんと対話ができることが重要だと思います(そもそも当該の問題とは何か、同じものなのか…ということも重要)。私自身、環境問題に取り組む人々を養成しようと思うのであれば、そもそも文系とか理系とか、そういう区分に関係のない教育が必要だと痛切に感じています。おそらく、自分たちのやっていることこそが新しい教育なのだと自負している大学の関係者も居られるでしょうが(広報をみる限り…)、私自身にはあまりピンときません。ただ、知を寄せ集めるだけではダメだと思います。知の間に対話がなければなりません。

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