「近江会」

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▪︎昨日は、教授会のあと、学部懇親会「近江会」が開催されました。「近江会」は、5月・12月・3月の年3回開催されます。今回の会場は、京都にある「フォーチュンガーデン」でした。大変雰囲気のある建物でした。というのも、このビルは、もともと、「関西建築界の父」と呼ばれた武田五一の設計による島津製作所のビルだったからです。しかも、雰囲気に加えて、お料理も美味しくいただくことができました。幹事の皆さんに感謝したいと思います。

20150305kyoto1.jpg▪︎昨日は、定年退職される3人の先生方(コミュニティマネジメント学科)の送別会でもありました。3人の先生方には、お一人お一人にご挨拶をさせていただきました。学部の運営にいろいろご尽力いただき、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。お3人の先生方は、ご退職後もそれぞれに素敵な目標をお持ちです。前向きに、楽しみながら、目標をもって…素敵なことですね。

▪︎ところで、研究科長をしているため、「近江会」では最後の挨拶をすることになっています。宴会の開始時には、学部長が素面できちんと真面目に挨拶をされるのですが、最後の私の挨拶はすでに宴会のアルコールで出来上がった状態ですので、毎回、かなり「くだけた感じ」の挨拶で許していただいています(これは仕方がありません…)。昨晩は、鶴田浩二さんの「傷だらけの人生」の歌謡曲の話しから挨拶を始めました。

▪︎1970年の昭和の歌謡曲に「傷だらけの人生」があります。俳優である鶴田浩二さんがリリースしたシングルです。1970年といっても、お若い方たちはわかりませんね。大阪万国博覧会が開催された年です。万国博覧会以外にも、いろんな出来事がありました。 日本航空機よど号ハイジャック事件がおきました。第64回臨時国会(公害国会)が招集され、 初の公害メーデーも実施されました。大学のなかでは学生運動が停滞し、いわゆる内ゲバを繰り広げるような状況になっていました。まあ、そのような時代に、鶴田浩二さんの「傷だらけの人生」はリリースされたのです。「傷だらけの人生」の冒頭、鶴田さんは歌うまえに台詞を語ります。大変有名ですが、1番の台詞の最後は「今の世の中、右も左も真っ暗闇じゃござんせんか」です。

20150305kyoto2.jpg▪︎鶴田さんの「傷だらけの人生」は大ヒットしました。その歌詞は、当時の世相といいますか、人ひどの気持ちを反映していたのかもしれません。とはいえ、1970年を過ぎても日本の社会はそれなりに安定していました。その1970年から45年が過ぎました。現在、超高齢社会、人口減少社会、自治体の消滅…明るい未来が語られることはありません。18歳人口も、2018年から急減します。18歳人口は、戦後2回目のピークだった1992年の60%までに減少しているそうです。しかも、大学の数は増えています。全体の入学定員は増加が続いています。大学は厳しい大学間競争のなかでもがき苦しんでいます。18歳人口が減少することはわかっていたことではありますが、いよいよ本当に「右も左も真っ暗闇じゃござんせんか」のなかでの生き残りをかけて闘う時代に突入してしまいました。私が勤務する社会学部でも学部改組を行いますが、これは学部改革の第一歩でしかありません。また、学部単体の改革だけで、これからの競争を生き残れるとも思えません。「この大学での学ぶことの魅力はここだ!!」ということを、大学全体としてアピールできなければ生き残れないと思います。もちろん、こういうことはこれまでも繰り返し言われてきました。しかし、大学という組織は大変保守的な組織です。なかなか社会の環境の変化に適応できません。環境の変化に適応できない組織は滅んでいきます。しかし、教職員が死に物狂いの努力をしたときに、「右も左も真っ暗闇じゃござんせんか」状態のなかでも、「前方」には小さいけれども確かな灯りが見えてくるのではないかと思うのです。そして、「うちが潰れることはないやろう」、「自分が退職するまでは大丈夫やろう」という考え方がもしあるとすれば、それはかなり困ったことだなと思うのです。

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