「『医療・福祉・宗教』は、どうやって地域社会でタッグチームを作って死んでいく人を支えるのか」というテーマの呑み会

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▪️昨晩は、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」でした。あれ、月曜日も「利やん」やん。はい、そうです。あれ、飲み会3日連日やん。はい、そうです。でも、元気ですよ。昨晩は、滋賀県社会福祉協議会の副会長の谷口郁美さん、そして尼崎市にある浄土真宗本願寺派・西正寺住職の中平了悟さんとの飲み会でした。このお二人とは、「人が死んでいく時に、『医療・福祉・宗教』は、どうやって地域社会でタッグチームを作って死んでいく人を支えるのか」…というテーマで集まっていただきました〜。人の最期を支える地域社会の仕組みですね。でも、そのテーマまで辿り着けず、そもそも「信仰」って現代社会でどういう意味で存在できるんや…みたいな話になりました。

▪️昨晩のメインスピーカーは、当然のことですが、中平さんです。楽しく、またいろいろ考えるひとときになりました。その上で思いついたのは、個人的には「信仰カフェ」が必要だなということです。現代社会において宗教的な信仰とは、どのような経験なのか、どのような実践なのか、その辺りのことについての考えを、宗教の違いを超えて、仏教であれば宗派の違いを超えて、宗教家の皆さんからお話をお聞きしたいです。その上で、フロアの皆さんも自由に自分の意見を言うことのできるような場ができればと思います。本当は、龍谷大学の宗教部なんかが、そういう場を作ってくださるととてもありがたいのですが、ぶつぶついっても仕方がありません。それはともかく、昨日は、呑み会だったので、きちんと記録は残していませんし、記憶がアルコールで曖昧になってしまっていますが、動画に録画しておきたかったですね。

特別展「法然と極楽浄土」

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▪️この特別展「法然と極楽浄土」、東京、京都、九州の国立博物館を順番に巡回していくようです。京都国立博物館は、10/8~12/1。公式サイトには、以下の見所が掲載されていました。

・鎌倉仏教の一大宗派である浄土宗の美術と歴史を、鎌倉時代から江戸時代まで通覧する史上初の展覧会です。

・開宗850年の大きな節目を契機に、浄土宗各派の協力を得て至宝が集まる決定的な展覧会です。

・重要文化財「選択本願念仏集(廬山寺本)」「七箇条制誡」など宗祖・法然にちなむ貴重な資料をはじめとする、国宝・重要文化財を多数含む文化財が一堂に集結します。

・国宝「綴織當麻曼陀羅」「阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)」をはじめとする浄土教美術の名品や、「仏涅槃像」などスケールの大きな優品など、浄土宗ゆかりの多彩な文化財をご覧いただけます。

・戦争、天災、疫病などと向き合い、人々の救済を目指した法然やその継承者たちの姿は、現代の転換期を生きる私たちに生きるヒントを与えてくれることでしょう。

「くらべてみた 浄土の教え」

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▪️おお!! このイベントの講師のうち、井上さんは社会学部の同僚、岩田さんは念仏に関するちょっとしたワークショップで知り合いになりました。これ、ぜひ参加したいと思います。できれば、神戸まで行きたいのですが、当日は、大学の評議会があります。これ、出席することが義務付けられています。評議会が終わって神戸にいくこともできるかもしれませんが、評議会の終了時間、いつになるのかわかりません。仕方ありません、オンラインで参加します。

▪️この講座に関連していえば、大学でこういった「仏教初心者講座」をやっていただきたいんですよね。学生、教職員、全ての龍大関係者を対象にした講座です。もし実現するとすれば、宗教部にお願いすることになるのでしょうか。

童謡「しゃぼん玉」の歌詞の意味

▪️短歌が好きです。自分で創作をしているわけではないのですが、NHKの短歌の番組等を時々拝見しています。下に貼り付けたものは、以前、この番組で講師をされていた歌人の佐々木頼綱さんのツイートです。7月1日は「童謡の日」だったのですが、童謡に関するツイートです。童謡「しゃぼん玉」は、誰もがよく知る童謡ですが、この歌詞の意味が「生まれてすぐに亡くなった子どもへの鎮魂歌」だという話は全く知りませんでした。そういうことを知ってしまうと、この童謡、めちゃくちゃ悲しいです。「生まれてすぐに 壊れて消えた」。

「わたしのかえり方 『葬』のかたち」(朝日新聞GLOB)

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20230221kaerikata3.jpg ■ 「わたしのかえり方 『葬』のかたち」(朝日新聞GLOB)という新聞記事を読みました。「かえり方」はひらがなになっています。「かえる」というひらがなを漢字に変換したとすると、おそらくは「帰る」か「還る」になるのかなと思います。どこに「帰る」「還る」のか、この記事の内容からすると「自然」に「帰る」「還る」のです。記事は、米国(2つ)、日本、タイでの取材記事に加えて、2人のインタビュー記事から構成されていました。

■冒頭は、アメリカの「還元葬」の記事です。「[米国]最新のエコ葬を選ぶ人たち ゆっくり、優しく自然にかえりたい」です。ワシントン州シアトルの葬儀社「リコンポーズ」が取り上げられていました。この会社は、筒形の装置の中で遺体が微生物によってゆっくり分解されていくサービスを提供しています。人工的に熱を加えたり内部をかき混ぜたりはせず、微生物の力で自然な形で土に還ると記事には書かれています。1ヶ月ほどで柔らかな土と骨だけの状態になります。遺骨は骨とはわからない状態にすることが定められているため、機械で細かくするとのことです。この「還元葬」は、今のところ、コロラド州、オレゴン州、バーモント州、カリフォルニア州、そしてニューヨーク州でしか認められていないようですが、以前から気になっていました。最初、この還元葬のことを知った時はは、ちょっとびっくりしました。というのも、遺体を肥料にしていくわけですから。でも、今はとても興味深いなあと思っています。

■昔は、自分が死んだ死後のことを、それぞれの方の宗教の考え方に基づいてイメージしていました。宗教によって違うとは思いますが、日本においては、死んだあとは子孫にきちんと祀られ続けたいと考えた人が多かったのではないかと思います。しかし、社会が変化していく中で、多くの人びとは、次第にそのようなイメージにリアリティを感じられなくなってきました。死後のイメージが空白になってしまっている、底が抜けてしまっているかのようです。「死後のイメージなんて…。そんなことは、いわゆる迷信でしかない」と思う人も多いかと思います。でも、本当にそうでしょうか。私は、人が最期の時を迎えた時、その方の存在を意味的に支えるセーフティーネットが必要なのではないかと思っています。私は、このような底が抜けてしまっている状況に不安を感じる方で、なおかつ環境問題や自然環境に関心のある方たちにとっては、「還元葬」はピッタリなのかもしれないな…と思っています。土に還っていく、自然に還っていくというイメージは、世界を成立させている基本的な原理である物質循環に我が身を委ねていくことであります。現代社会において、このような科学的な考え方(厳密には科学的な装いをもった考え方かもしれませんが)ともつながるこのような死後のイメージは、結果として、意味のセーフティーネットとして機能するのではないかと思っています。記事の中では、アメリカの葬儀に関わる情報発信をしている女性へのインタビューの中で、次のようなことも書かれていました。

産業化や都市化が進み、テクノロジーに囲まれ、自然と切り離されてしまった人々の反応です。たとえ信じる宗教はなくても、何か大きな存在の一部であるという感覚を、人々は求めている。

死に際して、自然と深く繋がりたいというのは、人類に共通するうちなる欲求のように思います。命あるものはみな、いつかは死を迎える。死を見つめることは、人間もまた大きな自然との循環の一部だと確認することなのです。

■しかし、この「還元葬」には、もうひとつ、さらに興味深い点があります。人が死を迎えて土に還るまでに時間が必要だということです。記事にはこのようなことが書かれていました。

この国の葬送は(とにかく手早く済ませることを求める)マクドナルドのハンバーガーのようになってしまった。人が亡くなると、遺体はすぐに葬儀屋が連れて行き、遺灰の包みが届けられる。この新しい葬送には、家族や友人らが「参加する」ことが重要だと感じる。

■アメリカでは、日本のように火葬場で遺族が骨を拾うという習慣はないようですね。葬送儀礼がサービス産業化され、効率的に利益をあげることが経営上の目標となってしまったために、死者と遺族との関係をもう一度築き直す時間が失われてしまったのです。ところが、この「還元葬」は、結果として、そのような失われた時間を取り戻しているのです。記事には、このような記述もあります。

同社では、装置の中で分解が進む約1ヶ月の間、家族や友人の訪問を歓迎する。開業間もないころ、妻の葬儀を終えた男性が2杯のコービーを手に突然やってきたのがきっかけだった。「妻に会いにきたんだ」と、1杯を装置の上に供えた。まったく想定外の出来事だった。

■この「還元葬」、はたして日本では認められるのでしょうか、また普及するのでしょうか。そのあたりは、よくわかりません。ただし、自然葬ということであれば、すでに様々な「かえり方」を実践されている方達がいらっしゃいます。この記事の中でも、遺骨を核にして真珠を養殖する「真珠葬」。養殖で成長した真珠を樹木葬のひとつでしょうが、春には桜が咲き誇るエリアに桜を墓標がわりにした「桜葬」。その「桜葬」はNPOが経営しており会員制です。また、記事では「散骨」のことも書かれていました。それぞれに、どうしてそのような葬法を「選択」したのか、そこに至るまでの経験についても書かれていました。「家の墓」から自由になって、それぞれの生前の生き方にあった「かえり方」をみつけようとしているのでしょう。自由に死んでいくことを大切にしようとする人たちが増えているわけですね。では、私自身は、「わたしのかえり方」をどのように見つけるのか、真剣に考えないといけないと思っています。

往生浄土

20221118oujoujoudo.jpeg ■ 昨日は朝一番で深草キャンパスへ。まあ、朝一番とはいっても、普通、社会人の始業時間って8時半か9時ですから、朝一番と気張るほどのことはないのですが…。9時から1時間程、自分が担当している大学の仕事のことや大学の将来のことで、大学の幹部や研究部長と共に懇談しました。ところが、その次の予定は15時15分から、4講時に留学生を対象にした授業になるので、なんと5時間ほど時間が空いてしまうことになりました。いったん自宅に帰って出直してくるのも面倒だし、深草キャンパスで時間を過ごすことにしました。深草に自分の研究室はありませんが、パソコンやiPadを持ってきているので、まあ仕事はどこでもできます。

■とはいえ、すぐに仕事に取り掛かるのもなあ…というわけで、一番新しい建物の成就館の上の階を見学したり、大学の講堂である顕真館にも入ってみました。いろいろ気づきがあります。2025年からは、このキャンパスで定年退職までの3年を過ごすことになります。社会学部が、瀬田キャンパスから深草キャンパスに移転するからです。現在、古い学生会館のある場所に、新しい校舎が建設され、私たち社会学部はその校舎に入る予定です。

■昨日の昼食は、深草キャンパスの東門前の「新華」でとりました。深草キャンパスの周辺は、中国人の方が経営する食堂が多いのですが、こちらもそうです。お店に入ると、お店の奥さんから「ひさしぶりですね」といって迎えてくれました。覚えていてくださったんですね。以前、研究部長をしているときに、時々、この「新華」を利用していました。その「新華」を出てキャンパスに戻るとき、東門の掲示板に写真の掲示物が貼ってありました。「往生浄土」と大きく書かれています。その下には、小さなじで「往生浄土」の説明が書いてありました。

「往生」とは、本辛い、阿弥陀如来の浄土に往き生まれることです。
日時用的に使われるような、途中で行きづまっ他まま身動きが取れなくなることではありません。
阿弥陀如来の本願には、「あらゆる人々に南無阿弥陀仏を信じさせ、称えさせて、浄土に往生せしめよう」と誓われています。
浄土真宗の往生は、この阿弥陀如来の本願のはたらきに夜往生です。
親鸞聖人は、如来のはたらきにより新人ほ得て念仏する人は今この人生において、「必ず仏に成るべき身」(現生正定聚)となり、命終わった時には浄土に生まれて必ずさとりに至る(往生即成仏)と示されています。
わたしたちにとって大事なことは、この人生において如来のはたらきをうけいれること、つまり、信心を得て念仏する身にならせていただくことです。
それはそのままおうじょうする身とならせていただくことなのです。
阿弥陀如来の本願に気がついた人は、それぞれの人生を大切に歩むことができます。

本願寺出版社発行『親鸞様の教えって何?』より

■「往生浄土」。一般的に使われる意味と、本来の仏教的な意味とでは大きな違いがありますね。だから漫才師の大木こだまさんのギャグ「往生しまっせ」も、「(さあ、これから)浄土に往き生まれ(ますよ)」という違う意味になるわけです。素敵です、「往生しまっせ」。

高橋卓志先生のご入院

■高橋卓志先生のfacebookへご投稿をシェアいたします。高橋先生、また入院されました。ご自身の状況を非常に丁寧に説明されています。ありがとうございます。闘病されている方達のご投稿は、いずれ我が身にやってくるかもしれないことを自ら教えてくださっているかのようで、本当にありがたいことだと思っています。

■今回の高橋先生のご投稿では、特に、以下のところがぐっときました。

お節介な(冗)内藤先生は「髙橋さん、臨床にお坊さんは要らない?」と再びスルッと聞いてきた。
要らない(まっひらごめんだ)‥‥とくに宗教的に不完全でありながら完全だと思い込み、余命を生きる人々のためだと言いながら自己満足を求める臨床宗教師や看取り師なんかはね‥‥そう言えば、ぼくもそれをやっていた、ということになる。ホントに申し訳なく思う。

■先生は、しぶとく生きてくださるとのことなので、2回目の快気祝いをお約束いたしました。1回目は、私の方で提案させていただき、鰻重でお祝いをさせていただきました。次回の快気祝いですが、「今度の快気祝いは、わたくしが」とお返事をいただいています。楽しみです。先生、なんとしても、しぶとく生きてください。

このブログに投稿した高橋卓志先生関連の投稿はこちらになります。

朽木の河原仏

■2011年の春に卒業した坂本昂弘くんのルーツは、現在の高島市朽木にあります。その坂本くんの叔父様である坂本Kyojiさんがfacebookに投稿されました。お名前がローマ字になっているのは、漢字を存じ上げないからです。すみません。今度、お会いしたらお聞きしておきます。坂本くんや坂本家のことについては、こちらをお読みいただければと思います。スマホやタブレットでは、おそらくご覧いただけないかと思います。坂本さんは公開されておられますので、リンクを貼り付けておきます

朽木古屋「六斎念仏踊り」の復活

■坂本家は今も朽木にある先祖伝来のお宅を大切に維持されて、お盆の行事もなさっておられます。そのようなお盆の行事のひとつがこの河原仏です。こうやって、各家の男たちが川辺で精霊送りのための河原仏を作ることになっているのです。雨が降ったら、石を積んだだけの河原仏は流されていくことになります。

■以下は、「朽木古屋の六斎念仏踊り 滋賀県選択無形民俗文化財」というタイトルのついた動画です。この動画には、以下の説明が付けられています。この動画の最後に、河原仏を作っている様子をご覧いただけます。

「滋賀県高島市、朽木古屋地区にて受け継がれてきた念仏踊り。かつては集落のそれぞれの家を廻って踊られていたものの、過疎化によって2012年を境に途絶えた。2016年、途絶えていたこの芸能を、武田力、タカハシ’タカカーン’セイジなど7名のアーティストが習い、地元の高齢者とともに復活させた。
翌15日朝には河原に六地蔵を設える「河原仏」という儀式が行われる。」

高橋卓志先生の「糞坊主考 最終回」

■先日、7月22日の投稿になりますが、お世話になった高橋卓志先生の快気祝いをさせていただことを報告いたしました。その後、高橋先生はfacebookに「糞坊主考 最終回」をご投稿されました。以下が、そのご投稿です。闘病記です。タイトルに最終回とありますが、2021年11月10日 の第1回目「糞坊主考 ①」から、その後8回に渡って投稿され、今回が最終回になります。その他にも、番外編が2つあります。私自身、一連の投稿を拝読して、いろいろ考えることになりました。

■そのようなこともあり、高橋先生には「この『糞坊主考』のご経験をべースに、ぜひ1冊、本を書いてください」とお願いをしてあります。先生は、ニコニコ笑っておられましたが、本当に実現したら良いなと思っています。この最終回を拝読してわかりましたが、「あちらの世界」に行く手前で「こちらの世界」に戻ってこられたご経験から、ご自身の人生にとって大切なことと、どうでもよいことの境目がはっきり見えてこられたのだろうと推察いたしました。普通の人は、なかなかそういうふうにはできません。

■パソコン上では、埋め込んだリンクをクリックすることができますが、スマートフォンやタブレットではご覧いただけないようです。そのため、「糞坊主考 最終回」については、別途、リンクを貼り付けておきます。
「糞坊主考 最終回」

「糞坊主考 ①」
「糞坊主考 ②」
「糞坊主考 ③」
「糞坊主考 ④」
「糞坊主考 ⑤」
「糞坊主考 ⑥」
「糞坊主考 ⑦」
「糞坊主考 ⑧」
「糞坊主考番外編
「糞坊主考番外編②」
「糞坊主考 最終回」

『ステージ4の緩和ケア医が実践する がんを悪化させない試み』 ( 山崎 章郎、新潮選書)

20220726yamazakifumio.jpg ■先日お会いした高橋卓志先生からいただいた書籍です。筆者は、在宅での緩和ケアに取り組まれている医師の山崎章郎です。山崎章郎さんが、ステージ4であることがわかったのは、2018年の夏のことになります。そこからご自身が体験したことをもとに、話は進んでいきます。山﨑さんが選択した治療…というか、残された人生の生き方とは、ご本人も書いておられますが、多くの医師からは評価されないことのように思います。でも、人の人生を根本から考える時、大切なことは、余命の物理的な時間の長さではないと思うのです。残された日々を大切に生きて、人生を完全燃焼させていくことでしょう。それが、家族のような周囲の方達にとっても大切なことだと思うのです。もし、そう思われるよう出したら、この本は役に立つかもしれない。

■Facebookに、この本のことを投稿したら、職場の若い職員さんがすぐに購入して読み始めたと言ってくださいました。私の拙い紹介でもお役に立てたようで、嬉しかったです。その方も、ご家族を癌で亡くされているとのことでした。私の父親も、肺癌で亡くなりました。平均年齢まで生きて、最後は、抗がん剤治療で苦しみました。父親自身の選択ではありましたが、こういった治療が父にとって本当に良かったのかどうか、私にはよくわかりません。私が父の看病をしながら思ったことは、自分がどのように死んでいくのか、どのように余命を完全燃焼させるのか、若いうちからきちんと考えて、周りの家族にそのことを伝えておくことが大切だ…ということです。自分の父親にはそれができていませんでした。いわゆる終活というやつですね。終活は、早めに始める必要があるということを、結果としてですが、父は私に説明してくれたのだと思います。

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