孤独死現場処理業者

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▪︎Facebookで教えていただいた記事です。記事のタイトルは「世界でもっとも物悲しい仕事として海外で報じられている「日本の孤独死現場清掃処理業者」。アパートで孤独死した85歳の男性。死後1ヶ月後に発見されたといいます。記事中には「隣人は老人の不在には気がつかなかったという。家賃は銀行口座からの引き落としで、家族が訪問することもなかった。ようやく遺体が発見されたのは、下の階の住人から変な臭いがすると苦情があったからだ」とあります。朝起きて、この記事のことを知りました。世の中には、こういうお仕事をされている方達がおられること。それが仕事として成立していること。こういう方達がいて救われる方達が多数おられること。そもそも、救われるってどういうことなのか…などと、いろいろ考えました。
孤独死現場処理業者

▪︎阪神淡路大震災以降、孤独死という言葉をたびたび聞くようになりました。NHKスペシャル『無縁社会~“無縁死” 3万2千人の衝撃~』により「無縁社会」という言葉が広がるとともに、一層、この「孤独死」や「無縁死」という言葉が広まっていったように思います。あくまで個人的な印象ですが…。いろんな書籍が出ています。比較的最近のものを、amazonでざっと拾ってみました。

『孤独死のリアル』 (結城康博、講談社現代新書)
『孤独死なんてあたりまえだ』(持丸文雄、文芸社)
『孤独死の作法』 (市川愛、ベスト新書)
『孤独死の看取り』(嶋守さやか、新評論)
『孤独死―被災地で考える人間の復興』(額田勲、岩波書店)
『ひとりで死んでも孤独じゃない―「自立死」先進国アメリカ』(矢部 武、新潮新書)
『孤独死を防ぐ―支援の実際と政策の動向』(中沢卓実・結城 康博、ミネルヴァ書房 )
『孤独死のすすめ』(新谷忠彦、幻冬舎ルネッサンス新書)
『しがみつかない死に方』(香山リカ、角川oneテーマ21)
『人はひとりで死ぬ―「無縁社会」を生きるために』(島田裕巳、NHK出版新書)
『無縁社会から有縁社会へ』(島薗進 他、水曜社)

▪︎私はこれらの本を読んでいるわけではありません。本の内容の紹介やカスタマーレビューを読んで推測しただけなのですが、「孤独死」や「無縁死」をどのようにとらえるのか、その前提となっている考え方に違いがみられるように思います。極論すれば、ひとつは、「孤独死」や「無縁死」を否定的なこととして捉え、そのような「死」をいかに防いでいけばよいのかという立場。もうひとつは、「孤独死」や「無縁死」を否定的なことだという考え方に疑問を提示し、「孤独死」や「無縁死」を生み出した社会構造や親密圏の変化や、その趨勢を前提に、むしろ「孤独死」や「無縁死」をどのように社会に受け止めていくのかという立場です。お断りをしておきますが、あくまで推測です。「孤独死」や「無縁死」、非常に重要な問題だと常々思っています。「孤独死」・「無縁死」した人に関わった人たちは様々なことを思い、それを語ることができます。しかし、「孤独死」・「無縁死」をした人たち自身は語ることができません。「孤独死」・「無縁死」とは、どのような経験なのでしょうか(経験と呼ぶことに問題があるかもしれません…)。そもそも、「孤独死」や「無縁死」だけでなく、「死」という現象は誰のものなのでしょうか。はたして「死」は個人に帰属するのでしょうか。難しい問題ですが、多くの人びとと、考えていかなくてはいけない問題のように思います。

【追記】▪︎NHKスペシャル『無縁社会~“無縁死” 3万2千人の衝撃~』の取材にあたったNHK記者・池田誠一さんの講演会の内容が、以下で紹介されています。引用は、最後の部分です。

取材を続けていく中で「家族のつながりが薄れている」という事実が浮き彫りになった。今、この日本で何が起きているのか。どうなっているのか。処方せんのようなものがあるのか。取材を続けているものの、いまだに分からないままだ。

介護保険制度がスタートして10年以上が経過した。しかし身内に困った人がいても「介護保険を利用すればいいでしょう」「あなたたちにお任せします」などといって、行政にすべてを委ねる人が増えてきているのではないだろうか。

救急病院のソーシャルワーカーとして、30年ほど務めている人はこのように言っていた。「10年ほど前であれば、身内に厄介扱いされている人がいても、『しょうがないわね』と言って引き受けてくれる人がいた。しかし今ではそうした人がほとんどいなくなった」と。

NHK記者が語る、“無縁社会”の正体

過疎地域での在宅看取り

20150322asahihito.png ▪︎昨日の朝日新聞の「ひと」の欄は、「東條環樹さん 過疎地域で在宅看取りを広める診療所医師」でした。自治医科大学を卒業されたあと、2001年、医師5年目で、広島県の北西部の山間地域(北広島市)にある公立診療所の所長に就任されました。そして、「直前に勤めた総合病院では『家に帰りたい』と望む患者たちに何もできなかった」ことから、在宅ケアに取り組まれました。

▪︎こんなことが書かれていました。

たとえば、昨年3月、70歳代の女性が「がんの夫を家に連れて帰りたい」と相談に北。吹雪の山道を車で走り、入院先の主治医と話しあった。夫婦は1年近く自宅で穏やかに暮らすことができた。

管による栄養補給や排尿をなるべく避けるケアに変えた。食事を楽しみ、外出もしてもらう。「その人らしい生活」を大切にしたら、患者は生き生きとした。医療を控えれば最期が早まることもある。「後悔しない選択はなにか」。患者、家族と話し合いを重ね、介護職らとその選択に寄り添う。

▪︎この記事を読みながら、亡くなった父親のことを考えました。父は、肺がんで病院で亡くなりました。常に自宅に帰りたがっていました。しかし、本人の希望通りにしたくても、そのような父の希望を支えてもらえる仕組みがありませんでした。以前のエントリーにも書いたと思いますが、(1)身体の苦痛の軽減、(2)最期を迎えるまでの生活の質の維持、そして(3)自分が死んでいくことについて肯定的な意味や死生観によって支えられ、前向きに死を通過していくことのイメージをもつことができる…、この3つの条件が人の最期には必要なように思います。この3つの条件は、相互に連関しあっているようにも思います。ということで、「ひと」に登場された東條環樹さんの記事に注目していたのでした。東條さんは、地域社会のなかにどのような人の最期を支えるネットワーク(それは相補的な関係…)をつくろうとされているのか、とても気になりました。

▪︎東條環樹さんは、facebookも公開されています。

自転車事故のこと

20150319jitensha.png ▪︎Facebookを通して、たまたま右のような記事を読みました。「母親驚愕「息子の自転車事故の賠償金9500万円」の“明細”は…」という産経新聞の記事です。事故当時小学校5年生だった少年(15)が乗った自転車と歩行者との衝突事故をめぐる損害賠償訴訟で、被害者は意識不明のままであり、裁判所は母親に9500万円の損害賠償を命じたという記事です。この記事についてfacebookでシェアしたところ、複数の方達からコメントをいただきました。ありがとうございました。

▪︎ある方は、記憶の範囲と断っておられましたが、死亡事故では以前から2000万〜5000万円程度の判例が一般的だとのことです。自転車でも車でも、原因は関係なく、「判断基準は死亡あるいはけが・後遺症など被害の程度と、事故原因の過失の程度」などによるとのことです。また、亡くなった方が若い方だと、死亡事故の被害者が学生さんだったら、就職して退職までに得られたはずの収入が請求されので高額になるのではとのことでした。なぜ、このような事故がとても気になったかというと、私が勤務している龍谷大学瀬田キャンパスは丘陵地にあり、多くの学生たちが自転車で通学しているからです。また、大学側は、近くの自治会の方達からもたびたび交通マナーが良くないことについて厳しくお叱りを受けてきました。このような事故が起きてしまってからでは遅い、そのように思ったからです。

▪︎お隣の立命館大学のBKC(びわ湖草津キャンパス)では、1億円以上の加害者賠償をカバーできる任意保険への加入を義務づけているとのことです。学生の自転車が主婦を死亡させる不幸な事故が起きてしまったことが背景にあるようです。では、我が龍谷大学瀬田キャンパスはどうかというと、以下の通りです。

日々約2,000人を超える学生が自転車・バイクにより通学しています。 自転車・バイク通学をされる皆さんが、安全運転意識の向上、事故防止、盗難防止、放置車両の減少など、通学中に起こる様々なトラブルを回避する観点から、自転車・バイク登録制度を実施しています。

制度の概要
①学内に駐輪する自転車・バイクは必ず登録申請し、交付を受けて、所定の登録シールを利用車両に貼付する必要があります。
※登録シールのない車両には「告知書」の貼付や撤去を行う場合があります。
②登録は無料。一度登録すれば卒業・修了まで有効です。
③登録受付は生協ショップSMYLEサービスカウンターで随時行っています。
登録に必要な条件について

1) 自転車・バイク防犯登録への加入
2) 前照灯の設置
3) 防犯対策(鍵)がなされていること

これ以外に自転車・バイク保険に加入することを推奨します

▪︎これも学外の方にご指摘いただきましたが、瀬田キャンパスでは「推奨」であって、立命館のBKCのように義務付けているわけではないようです。心配です。まずは、交通マナーの向上に一層取り組まねばなりませんが、同時に、何か事故が起きたときのために、私の個人的な意見としては、自転車・バイク保険への加入を義務付けたほうがよいと思います。4月から担当する全学の仕事の範疇には入らない課題なのですが、関係者にお願いをしておこうと思います。このような話題は、このブログには書く予定ではありませんでしたが、自分の備忘録としてエントリーしておこうと思います。

壁を破れば世界が変わり、認識が変わる。つまり、自分が変わる…

20150311mizuno.png ▪︎facebookで興味深いインターネットの記事をみつけました。龍谷大学の他学部で教員をされている方の投稿にリンクが張り付けられている記事でした。この先生は、いつもこれから社会人になっていく学生の成長に関して、様々な情報を積極的に発信されておられます。そのような情報の多くに共感するとともに、私自身、いろいろ学ばせていただいています。今日も、興味深い記事をfacebookにリンクされていました。「水野さんから学んだこと それは教室に座って講義を受けるだけでは絶対に学ぶことのできない学問の本質」( 47NEWS > スポーツ > 週刊TURNOVER > 特集 > 企画特集 > )という3月7日の記事です。日本代表ヘッドコーチ・森清之さんが、ご自身が指導を受けた水野弥一さん(元・京都大学アメリカンフットボール部監督)について書かれた文章です。

水野さんから学んだこと それは教室に座って講義を受けるだけでは絶対に学ぶことのできない学問の本質

▪︎以下は、記事からの引用です。

自分の弱さを認め、それを克服していこうと必死にもがいていると、ふと何かの拍子に自分自身の心から自由になれる。もしくは、そんな錯覚に陥る瞬間がある。これこそが真の自由で、この経験は何にも代えがたい。

壁を破れば世界が変わり、認識が変わる。つまり、自分が変わる。いわゆる「そうなってみて初めてそれが分かる」ということである。最も重要なのは、頭で考えることでも知識を増やすことでもなく、壁を破るために今の自分を捨てて、先の見えない未来に身を投じる勇気と覚悟なのだと学んだ。学んで成長したあとにしか自分のしたことの意味が分からないのだから…

▪︎私もその通りだと思います。これはスポーツに限ったことではありません。仕事を行う上でも同様の経験が必要だと思います。壁を破るのは、自分自身です。短期的なコスト・ベネフィットだけを計算しているようでは壁は越えられません。たとえば、卒論の調査や研究においても、「やり方がよくわからないので、教えてください」という人がやってきます。「卒論が義務付けられているので、仕方がないので、できるだけ楽に卒論が書けるやり方を教えてください」と言ってきているのではありません(このような学生は問題外です…)。「自分なりに考えたんですけども」という話しが頭につきます。まじめです。でも、まだ本気にはなっていません。自分の身体と頭を使って自分のなかにある壁を突破しないことには、お話しにならないのです。「できるだけ楽に卒論が書けるやり方」を教えろとはいっていませんが、「できるだけ効率的に卒論が書けるやり方」を知りたがっているのです。水野さんは、森さんたちに、「頭で考えるから分からへんのや。だから京大生はアカン」とよくおっしゃったそうですが、そのことと似ているかもしれません。私も、20歳代の院生のころに、指導教員から同じようなことを言われました。なかなか難しいことですが、もし一度でも経験してみることができれば、それはその後の大きな自分の宝になるはずです。

Türk Hava Yolları | Hayal Edince (Dream)


▪︎トルコ航空のCM宣伝のようです。子役の演技がとても素晴らしく、何度も、この動画をみてしまいました。最後、旅客機が着陸した先に見える高い山はなんという山なんでしょうね。おそらくは、アララット山(アウリ・ダウ山)ではないでしょうか。「旧約聖書」に出てくるノアの方舟伝説の山として有名らしいですね。この動画の山、実際のところ、どうなんだろう…。

コンゴの「サプール(Sapeurs)」


▪︎かっこいい…。コンゴの「サプール」と呼ばれる男性たち。「サップ」(Sape)を楽しむ人たちという意味です。では、「サップ」とはなにかというと、「Société des ambianceurs et des personnes élégantes」(おしゃれでエレガントな人びとの協会)というフランス語の頭文字をとったものなのだそうです。詳しくは、以下のコラムをご覧ください。

【コラム】世界で最も貧しい国の男たちが全力でオシャレする理由

▪︎このコラムのなかにある、「サプールとしての衣装を身に付けた彼らは表現者であり、エンターテイナーであり、そして平和の象徴でもあるのだ」という部分にグッときました。動画は、ビール会社ギネスの動画です。誰しもが注目する「サプール」の魅力を宣伝に使っているのですね。こういうナレーションが出てきます。かっこいいです。

“In Life, we cannot always choose what you do. But you can, always choose Who you are.”
“I am the master of my fate, I am the captain of my soul.”

▪︎写真集もあるようですが、Amazonで調べたところ、古書ですが7万円以上もします…。とても、手が出ません。それだけ、人気があるのですね。

【追記】(2020.06.14)■ひさしぶりに、この投稿を自分で確認すると、動画のリンクが切れていました。新しい動画を埋め込んでおきます。これもビール会社ギネスの動画です。

学生の皆さん、選挙に行きましょう!!

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■学生の皆さん、選挙に行きましょう。社会学者の北田暁大さんが、わかりやすい記事を書いておられます。記事のなかの見出しを拾いだしてみると、以下の通りです。

・【総選挙2014】「選挙なんか行っても無駄」じゃないいくつかの理由~この一票で変える、のではなく、「この一票で変わる」と思える社会を作り出すために
・わたしは切実に「若い人に投票に行ってほしい」と願っている
・結果はどうでもいい。「選択」する自由を行使して、政治家が若者の票を気にせざるをえないような投票率を達成してほしい
・重要なのは、若者が「選択する人たち」として認識されること、恐れられること
・自律としての自由 舐められっぱなしじゃ腹も立つ
・人生のなかでは、政治以外の領域でも、どうしようもなくアホらしい選択肢しかないのに選択を迫られるということがままある
・舐められたらやりかえせ

【総選挙2014】「選挙なんか行っても無駄」じゃないいくつかの理由~この一票で変える、のではなく、「この一票で変わる」と思える社会を作り出すために

リトルヘブン38号「豊後の高原トマトに世界一の夢託す 7軒で守る観世音講 上座は年の順」

20141128littleheaven.png ■芥川仁さんから、季刊新聞「リトルヘブン」の最新号の連絡が入りました。

「リトルヘブン」38号は、大分県九重町栗原作草(ここのえまち くりばる さくそう)で、夏秋トマトと高原ホウレン草を作る農家が、晩秋を迎えての仕事ぶりと暮らし一端を取材させていただきました。

柔道でオリンピックを目指し、有名高校へ進学した若者は、練習中のケガが原因で夢が破れてしまいます。しかし、ふる里に帰った彼は、心機一転、新規就農者として、迷い悩みながらも新たな夢を目指します。

リトルヘブン38号「豊後の高原トマトに世界一の夢託す 7軒で守る観世音講 上座は年の順」

福岡の醤油メーカーのCM


■「1月9日に行われた第一回「福岡マラソン2014」の中継内で、1日限定で放映された『ニビシ醤油』のCMがネットなどで話題となってい」るそうです。この「福岡のニュース」の記事によると、以下の通り。

このCMを手がけたのは、JR九州の九州新幹線全線開業「祝!九州縦断ウェーブ」の田中嗣久氏で、撮影は、映画「桐島、部活やめるってよ」や「私の男」の近藤龍人氏。
ドイツにサッカー留学して半年の息子。世界の壁、自分の無力さを感じはじめた頃。それでも、自分のために生活を切りつめ、留学費用を捻出してくれている母に弱音なんか吐けない。
だけど、離れていても、何も聞かなくても、母は、なんとなくそんな息子の様子を感じとる。そして、母がとった行動とは…

赦しと癒し

20141120yurushi.png■朝の通勤時にiPhoneでニュースを読んでいました。こういう記事に出会いました。「イスラム国「許したい」、米援助活動家の殺害に両親が心情吐露」(2014年11月18日 10:44 発信地:ワシントンD.C./米国)。「シリアで拉致されイスラム教スンニ派(Sunni)過激派組織『イスラム国(Islamic State、IS)』に殺害された米国人援助活動家、ピーター・カッシグ(Peter Kassig)さん(26)の両親が17日、記者会見し、わが子の命を奪ったイスラム国の戦闘員たちを『許す』努力をしたいと表明した」という記事です。記事中では、「許す」となっていますが、個人的なは「赦す」という文字かなとも思っています。それはともかく、この記事を読んで、通勤途中ではありますが、涙が流れました。

「私たち家族に(息子の死を)悼み、涙を流し、そして許し、癒やされていくための時間とプライバシーを下さい」
「息子のために、この夕日に祈って下さい。また、シリアで、イラクで、そして世界中で自らの意思に反して捕らわれの身となっている人たちのためにも祈って下さい」
「息子は、暗闇に打ちのめされるよりも、善良さを、自分自身を、他人を信じることを選びました。1人の人間が違いを生み出すこともできるのです」
「私たちの心はたたきのめされましたが、傷はいずれ癒えるでしょう。世界は破壊されましたが、いつか修復されるでしょう」

■記事は、こちらです。イスラム国「許したい」、米援助活動家の殺害に両親が心情吐露

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