朽木村古屋の坂本家のこと
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■先週の金曜日、ゼミの卒業生である坂本昂弘くん(脇田ゼミ6期生)、そして坂本くんの叔父さまと一緒に呑むことになりました。少しその背景を説明しておきます。昨年の夏、大学の先輩でもある写真家・辻村 耕司さんのご紹介で、朽木古屋(高島市)の「六斎念仏踊り」を拝見することができました。そして、坂本くんと再会し、坂本くんのご一家ともお話しをすることができました。詳しいことは、以下のエントリーをご覧いただきたいのですが、いよいよ坂本家三代の皆さんにお話しを伺うことになりそうです。
■場所は、当然のことながら、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」。酒を楽しみながら、叔父さまから古屋での山村の暮らしや、一家で山を降りてからも、家や家産として山を守るために古屋に通い続けて来たことなど、いろいろお聞かせいただきました。坂本くんも、普段、親戚が集まっても、自分のルーツについて詳しい話しを聞くこともなかったらしく、叔父さまの話しを真剣に聞いていました。
■坂本家の皆さんにお話しを伺う準備として、朽木が高島市に合併される以前の1974年に発行された『朽木村史』と、高島史に合併されてから、2010年に発行された『朽木村史』の2つを入手して朽木のことについて勉強をはじめました。良い仕事ができるように頑張りたいと思います。
西前研究室の新歓コンパ
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■先週の木曜日の晩(4月13日)のことになりますが、京都大学大学院・地球環境学堂・学舎・三才学林の西前出(さいぜん・いずる)先生の研究室の新歓コンパにご招待いただきました。私は龍谷大学に勤務していますし、出身も関西学院大学ですが、どういうわけかこちらの研究室の「飲み会」に、よくお誘いいただきます。昨年から、新歓コンパや忘年会にご招待いただいています。この研究室出身の淺野悟史さんが、私が参加している総合地球環境学研究所のプロジェクトで研究員をしていることから、西前研究室とのおつきあいが始まりました。
■西前研究室には、ベトナム、インド、インドネシア、サモア、カンボジアから留学生がやってきています。確か、イギリスからの留学生もいたように思います。日本人の院生も、必ずアジアの農村地域の調査に出かけて行きます。地域資源計画論がご専門の西前先生は、まだ40歳代前半かと思います。お若いのですが、外部から研究費をきちんと確保して、院生たちをフィールドに送り出す研究室の運営手腕、いつも凄いな〜と感心しています。
■この日は、ベトナムから留学されている女性の4歳のお嬢さんとも仲良くなりました。日本の保育園に通っているので、関西弁がペラペラです。調子に乗って悪ふざけをしたいたら、泣いちゃいました。お店のサービスでリンゴ飴をもらって、食べようとされたので、「おじさんも欲しいな〜」と言うと、隠して、代わりに別の煎餅をくれるのです。優しいのですが、煎餅で誤魔化しておこうという作戦です。お母さんの影に隠れてリンゴ飴を食べているのを見つけて、「あっ!! おじさんも欲しいな〜」と繰り返しつつ、一段声のトーンを落として「お腹の中のリンゴ飴を食べてしまおう」と、「赤ずきんちゃん」の狼のようにいうと、しっかりしているようでもまだ4歳、びっくりされて泣き始めてしまったというわけです。ごめんなさいね。
李広志先生(寧波大学外語学院日本語学科)のブログ
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■先月、中国浙江省寧波市にある寧波大学外語学院日本語学科を訪問しました。その時のことは、「寧波大学外語学院(中国・浙江省・寧波市」(3月27日)として投稿しました。そのエントリーにも書きましたが、急遽、日本語学科の教員で友人でもある李広志先生の授業で講演をすることになりました。その時のことを、李先生ご自身も中国のミニブログに投稿されており、先日、メールでお知らせくださいました。李先生が使っておられるのは、中国最大のSNSであるWeibo(微博)です。
■私は中国語ができませんが、ネットの翻訳機能を使って理解すると、およそ次のような内容のようです。
龍谷大学の脇田健一教授が来訪されました。そして、学生達のために一回だけですが、すばらしい講義をしてくれました。彼自身は社会学の教授です。高齢社会、老人の貧困の問題、子供、医療、女性、精神の幸福などの問題を講座の中で取り上げました。10年前に、私たちは、脇田教授と力を合わせて東アジアと寧波地区の葬儀と埋葬の風習に関して研究したことがあります。彼は学生に対して、言語を一つの道具であり、その道具を活かして専門性を身につけてはどうかと勧めました。言い換えれば、言語は包丁であり、専門性は食材です。
■やはりネットの翻訳機能だとわかりにくいですね。最後のところですが、日本語を勉強している学生たちに、その語学力を活かして、日本に留学して語学とは別の専門性を身につけるようにしてはどうか…ということを勧めたのです。その際、語学=道具=包丁と、専門性=食材という比喩を使ったので、その時のことを説明されているのだと思います。よく切れる包丁を持つことを最終的な目標にするのではなくて、そのよく切れる包丁を使って食材を切ったり刻んだりする事ができるようになることが大切なのでは…ということでしょうか。
木瀬部屋千秋楽祝賀会
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■昨年のことになりますが、龍谷大学に勤務する教職員の皆さんのなかでも、関西学院大学出身者の皆さんと職場の同窓会を結成しました。「龍谷大学新月会」といいます。この職場の同窓会で、親しくさせていただいた文学部の東豊先生とは、大相撲の宇良関を一緒に応援してきました。というのも、宇良関も関西学院大学のご出身だからです。ということで、東先生からお誘いを受けて、我らが母校の関取・宇良関を応援するために、「木瀬部屋千秋楽祝賀会」に参加させていただきました。場所は、大阪中之島にあるANAクラウンプラザホテル大阪です。
■トップの写真は、祝賀会の冒頭で、木瀬部屋の親方(木村瀬平さん、元幕内・肥後ノ海)が挨拶をされているところです。親方の後ろに並んでおられるのは、1列目ですが、左から部屋頭の宇良、德勝龍、臥牙丸、英乃海の関取の皆さんです。東先生と応援している宇良関は、この春場所では、前頭十二枚目、8勝7敗で勝ち越しをされました。次の場所ではさらに番付をあげていかれることでしょう。宇良関は、身長173cm、 体重は128kgです。今の大相撲のなかでは小兵の関取になりますが、多くの皆さんを魅了するのは、小さな身体で土俵際で粘って勝ちにつなげる勝負強さでしょうか。大相撲に入門したときは、レスリングの経験を活かした居反りや足取りなどの珍しい技に注目が集まりましたが、入門後、身体を大きくしてからは、少し相撲のスタイルも違ってきているように思います。前に出て、下から相手を押すことを大切にしているように思うのですが…。もちろん、素人の感想にしかすぎないのですが。
■文学部の東先生と一緒に応援しているわけですが、意外なことに、近いところに宇良関のファンがいました。義父母です。小さな身体で技を繰り出すこと、顔が可愛らしく、インタビューもハキハキしていて大好きなのだそうです。デビューした時からのファンで、宇良関の取り組みだけは、必ずテレビで観戦するとのことでした。また、友人である東京在住の建築家・玉井一匡さんも宇良関のファンでした。玉井さんも、「今場所は、前にでる正攻法を身につけてようとしている」との分析をされていました。同感です。四股も現在の力士の中では一番との評価です。身体や関節が柔軟ですからね。それから、「時間いっぱいの時に、呼び出しが手渡そうとする手拭いを必ず要らないと断って頭を下げるところ」にも、宇良関の人柄を感じておられました。これまた同感です。私が社会学部の「大津エンパワねっと」で担当した学生(卒業生)が、宇良関と小中学校が同級生だったとのことで、人柄もすごく良い青年だと教えてくれました。祝賀会のステージでインタビューを受け、たくさんの懸賞金を獲得したけれど、どう使うのかと質問された時、「プライベートなので答えられません」と言ったことも印象に残りました。人気が出てきても、そのこととは関係なく、あくまでクールに、ご自身の相撲を取り続けようとされる意思のようなものを感じました。私も含めて、みなさんは、宇良関のこのような「まっすぐ」なところに惹かれているのだと思います。
■この日は、NHKで長らく相撲中継のアナウンサーをされ、現在は東京相撲記者クラブ会友として活躍されている杉山邦博さんが、祝賀会の司会進行をされていました。実際に杉山さんにお会いすることができて、これまた大変嬉しかったです。現在は、86歳なのだそうです。とてもそのようにはみえません。溌剌とされていました。この日は、木瀬部屋の祝賀会ではありますが、横綱稀勢の里が、左肩付近を負傷したにもかかわらず、逆転優勝して横綱としての責任を果たしたことを大絶賛されていました。
■ところで、この日は、東先生からのアドバイスがあり、色紙を用意していました。宇良関の周りには、一緒に写真を撮ってもらおうと多くの人びとが集まっていました。宇良関は大変だな〜と思いつつ、私自身も、色紙を持ってその人の集まりの中に加わってしまいました。写真と色紙を大切にします。単なるミーハーなんですが、とっても嬉しかったです。力士は、通常では考えられないような身体能力を持った方達です。この祝賀会には、木瀬部屋の力士がずらりと揃われましたが、その存在感に圧倒されました。そのような巨漢の力士たちの中で、果敢に相撲をとる小柄な宇良関の姿は、多くの皆さんに感動を与えていると思います。今後も、躍進していっていただきたいです。来場所の番付は、幕内の中でも上の方になろうかと思います。上位になればなるほど、強い力士と対戦しなくてはいけません。柔軟な身体や関節でできるだけ怪我をしないように、頑張っていただきたいと思います。これからも、宇良関を応援してまいります。
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研究部の送別会でのサプライズ
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■一昨日の晩、研究部瀬田の送別会が開催されました。田村さん、寺田さん、遠藤さん。ありがとうございました‼︎ 田村さんは勤続40年を超える大ベテラン。研究部瀬田の柔らかな雰囲気のムードメーカーでもいらっしゃいました。その田村さんと名コンビ⁈の寺田さんは8年間勤務されました。独特のユーモアのセンスが光っておられました。新しい職場で頑張ってください。遠藤さんは3年間。いつも、いろいろ気を使っていただきました。
■私は、研究部長として、ご退職される皆さんに感謝し、御礼を申し上げる立場なんですが、私ももうじき研究部長としての任期を終えるということで、「サプライズ」の花束をいただきました。いやほんまに、ビックリですよ〜‼︎ 事務部長の田辺さんからも身に余るスピーチをいただきました。大変パワフルな田辺事務部長のおかげで、私のようなものでも2年間教員部長を務めることができました。ありがとうございました。ところで、こうやって花束をいただきましたが、本当に研究部長として大学に貢献できたのかな…自分でもよくわかりません。できる限りの努力をしたつもりですが、どうでしょう…。その辺りのことについては、研究部長の2年間を静かに振り返って反省しなければなりません。任期は3月末までですので。
■研究部瀬田の皆さんには、私の勤務する社会学部が瀬田キャンパスにあることから、普段から楽しく接していただきました。お昼の弁当を一緒に食べたり、おしゃべりをしたり。私のようなアラ還のおじさんに暖かく接していただき、本当にありがとうございました。ええと…社会学部担当の石坂さんには、締め切り間際の研究費の支出の手続きをお願いし、申し訳ありませんでした。来年度は、ご迷惑をおかけしないようにいたします。
■職場ではありましたが、独特の素敵な雰囲気にあふれていました。それは、職員の皆さんを優しく上手にまとめておられる田中雅子課長のお人柄、そして広い視野の中でテキパキと困難な案件に対応し挑戦される、田中課長の管理職としての能力の高さがあってのことだと思っています。あっ…雅子課長!! いつの間にか、私の頭に角を生やしてくれてますねw。さて、退職まではあと10年ありますが、退職する時の気持ちってこんな感じなのかな…と、職場で花束をいただくときに、ちょっと想像することができました。4月からは、気分を一新して、研究に専念し、限られた1年間を有効に活用させていただこうと思います。
琵琶湖博物館の「同窓会」
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■私は、1991年の4月から1996年の3月まで、滋賀県庁職員として、滋賀県草津市の下物半島にある滋賀県立琵琶湖博物館の開設準備に取り組んでいました。1996年4月から1998年3月までは、博物館の主任学芸員として勤務しました。昨晩は、博物館づくりに一緒に取り組んだ方達との「同窓会」でした。職場で「同窓会」というのも、なんだか変な感じですが、気持ちとしてはやはり「同窓会」なんです。場所は、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」です。昨日は、川那部浩哉さん(元滋賀県立琵琶湖博物館館長、元日本生態学会長)、嘉田由紀子さん(私の直接の上司、元滋賀県知事)、田口宇一郎さん(元琵琶湖博物館副館長、元滋賀県副知事)、西岡伸夫さん(元琵琶湖博物館副館長)を始めとする当時の事務職員、学芸職員だった皆さんがお集まり下さいました。琵琶湖博物館の現副館長である高橋啓一さんと私以外は、基本的に60歳以上の方達です。その高橋さんも、もうじきご退職だそうです。というわけで、58歳の私が最年少になりました。
■昨年の3月に仙台で開催された日本生態学会の懇親会の場で、川那部浩哉さんとお会いしたことが、昨晩の「同窓会」を企画することになった直接のきっかけでした。川那部さんに、田口さんや「利やん」のことをお話ししたところ(田口さんとは「利やん」でよくお会いします)、「それは行ってみないとあかんな」とおっしゃったことが、事の始まりでした。皆さんのご協力のもとで、連絡を取り合い、なんとか開催することができました。昨日、お集まりくださった中では、館長を務められた川那部さんが、最年長でした。85歳です。とてもお元気です。老人ホームに入っている自分の母親と同い年とはとても思えません。開館当時、琵琶湖博物館の企画調整課の課員として川那部さんに必死なって仕えました。その時に、いろいろ学ばせていただきました。そのようなこともあり、昨晩は、川那部さんのお元気なご様子を拝見できてとても嬉しく思いました。
■「同窓会」では、皆さんにひとことずつ近況をお話しいただくことにしましたが、ひとことずつ…では終わるはずもなく、人の話しを聞かずにどんどん突っ込みは入れるは、なんだかんだで収拾がつかなくなりそうになりましたが、それでも皆さんの近況を知ることができました。よくこれで、あの博物館を開館させることができたなぁ…と思わないわけではありませんが、逆に、「今から思えば…」の限定付きですが、このような方達と一緒だったからこそ、当時としてはかなりユニークな博物館を開設させることができたのかもしれません。面白い経験ができました。
■この場におられる方達との「ご縁」のなかで、琵琶湖や琵琶湖流域で仕事をすることになり、今でもそれがずっと続いています。博物館を開設する中で、組織の中での仕事の進め方についても学びました。今も、龍谷大学で仕事をする上での土台になっています。それぞれの方との出会いや、一緒に仕事をさせていただいた経験が、私の人生に大きく影響を与えています。そのような出会いや経験が、「人生の転轍機」になっていることに気がつきます。人生は、不思議なものですね…。大騒ぎの同窓会の片隅で、静かにそう思いました。
■よく知られていることですが、文芸評論家の亀井勝一郎は「人生は邂逅の連続である」と言っています。私はそのことを、大学浪人をしている時に、現代国語の問題で知りました。まだ人生の経験がないものですから、「人生は邂逅の連続である」と言われても心の底から実感することはできなかったと思います。むしろ、自分の人生は自分の力で切り開いていく…そのようなイメージの方が強かったのではないでしょうか。還暦近くになって過去を振り返ったとき、やっと「人生は邂逅の連続である」という事柄の意味を少しは実感できるようになったのではないか…そのように思うわけです。
■長い人生では、様々な辛い悲しい出来事があり、自分の置かれた状況にも不満を持ってしまいます。ひどい目にも会うわけですし、人を恨むこともあります。しかし、その時々を超えて、大きな視野で過去を振り返った時に、その中に浮かび上がってくる「一筋の意味」を見出すことができるかどうか、そこが大切かなと思っています。「一筋の意味」と言っても、それは単に過去を合理化して正当化しているだけでしょう…と言われればそれまでなのですが、その「一筋の意味」を見出すことができるかどうかが、その人の「人生の幸せ」と深く関係しているように思います。様々な人との偶然の出会いとは、その時々の自分に都合の良い出会いだけではありません。嫌な出会いもあるでしょう。そのような全ての偶然の出会い=「ご縁」が連鎖することの中で、そのような「一筋の意味」が紡がれているわけです。そのことに気がついたとき、何か不思議な気持ちになります。そして自分が何か超越した存在に生かされているような気持ちにもなります。そのことに深く感謝することができるようになったとき、「人生の幸せ」は深まりを増していくのだと思います。過去を否定して、切り捨てることだけでは「人生の幸福」は深まらないと思います。
2016年度「卒業論文報告会」
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■昨日は、ゼミの「卒論報告会」でした。午前中から、1人15分の持ち時間の中で報告を行いました。報告10分、質疑応答・講評が5分という目安でしょうか。今回、卒論を提出できなかった1名をのぞき、全員が報告を行いました。これは、口述試問でもあります。卒論を提出したあと、ゼミで手作りの卒業論文集を作成しました。昨日は、A41枚表裏のレジュメと、この卒業論文集を使って報告をしてもらいました。
■私のゼミでは、全員、質的な調査にもとづいて卒業論文を執筆することになっています。これは、「ゼミの約束」です。カリキュラムの中にある社会調査実習という授業を履修している/していないに関わらず、全員が質的な調査に取り組みます。テーマ、具体的にどこで調査を行うのかは、面談のなかで相談しながら決定しますが、「本人」の主体性が重要になります。私自身は、ゼミ生の調査には同行しません。あくまで、ゼミ生の後方からの指導に徹します。もちろん、調査の進め方については、随時、アドバイスや指導をします。インタビューをお願いする時の手紙やメールの添削、電話の掛け方…等々まで指導します。そのような事までも含めて、卒論提出するまでに必要な一連のプロセスが、ゼミ生が成長していく機会になればと思っているのです。龍谷大学に赴任してから13年経ちます。今回の学生たちが12期生になりますが、全ての学年で同様の指導を行ってきました。
■最近、指導をしていて思うことは、なかなか調査に取り掛かることができない…ということです。「知らない人に連絡をして、話しを聞かせていただく」ということは、ゼミ生からすると初めての経験ですし、緊張して尻込みしてしまうことは仕方のないことです。社会調査実習という授業もありますが、基本的に教員が全て段取りをした上での調査ですし、集団での調査になります。しかし、卒論の調査は、私の指導はあるものの、全て1人で行わなければなりません。実習ではなく本番です。そこが辛いのかもしれません。
■取り掛かる時期が遅いと、調査期間が短くなります。調査期間が短いと、当然のことながら深い調査ができません。調査の中で意味のある「発見」ができません。極端なことを言えば、聞いてきた話しをまとめるだけ…になってしまいます。調査に出かける前は、ぼやっとした「課題のようなもの…」を頭の中に入れていますが、そのような「課題のようなもの…」は、調査からの「発見」(findings)にもとづき、どんどん修正していく必要があります。インタビューの中で、「なぜ?」・「どのように?」…と次々に聞きたい質問が頭に浮かんでこなければなりません。そして、インタビューを繰り返す中で、「課題のようなもの…」を、学問的に「意味のある課題」に修正し鍛え上げていかなければなりません(もちろん、大学の図書館で文献も読み込んでいかなければなりませんが)。調査を進めていく中で、課題を焦点化していくわけですね。調査期間が短いと、この作業ができません。「発見」があるから研究は面白いわけですが、その前に単なるレポートのような薄っぺらな内容のもので提出しなければなりません。このことを繰り返しゼミ生たちに言ってきましたが、なかなか…現実は厳しいです。
■ゼミ生の指導については、年間延べ100人以上、多い時は延べ135人と面談をしてきました。これは記録をとったものだけですから、実際はもっと多いと思います。しかし、昨年度と今年度の2年間は、研究部長で多忙であったため、面談に十分な時間が取れませんでした。ゼミ生たちに発破をかけて、お尻を叩いて調査に向かわせることがあまりできませんでした。また、ゼミ生を呼び出しして指導するようなこともできませんでした。そのため今年の面談回数は、例年の2/3ほどに減ってしまいました。この辺り、苦労しました。
■とはいえ、昨日は全員が報告を終えることができました。報告会の後は、JR瀬田駅前の居酒屋で打ち上げをやりました。これで、全てが終了しました。後は、卒業式だけですね。苦労して卒論に取り組んだ様々な経験は、きっと役立つはずです。ところで、私自身は、ずっと「卒論発表会」と言ってきたつもりでしたが、トップの黒板のように「報告会」になっていました。今年度、2016年度に限り「報告会」で良しとしておきます。
2回目の「就活メイクセミナー」
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■2011年の春に卒業した、脇田ゼミOGである岩田麻希さんからLINEにメッセージが入りました。何が大変なのかと思いしたが、昨年に引き続き、今年も母校・龍谷大学で「就活メイクアップセミナー」を開催できるようになったとの連絡でした。彼女は化粧品会社のメイクの専門家です。他大学で「就活メイクアップセミナー」を担当しているという話しを聞き、それならば母校でもやってみたらと、少しだけお手伝いをして、昨年、母校での「就活メイクアップセミナー」が実現しました。彼女はLINEのメッセージで、「龍谷大学に恩返しできるように頑張ってきます‼︎」と気合を伝えてくれました。昨年の実績が評価されたようですね。素晴らしい〜。しかし、報告が直前なんだよね〜。もう少し早く知らせてね、岩田さん(このあたりは、学生時代とかわっていないな…)。
岩田さんからの情報です。
会場は、深草キャンパス22号館105教室
2/3(金)16時〜17時半
2/8(水)16時〜17時半
2/9(木)14時15分〜15時45分
■トップの写真は、今年の「就活メイクセミナー」の様子です。みなさん、とても集中しているような…そんな感じが伝わってきます。
「ハリハリ鍋を食べながら 鯨について語り、遊ぶ会」
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■昨日は、夕方まで自宅で仕事をしていました。来年度からの国内長期研究員にそなえて、少しずつ研究中心のモードに暮らしや意識をシフトチェンジさせています。もちろん、研究部の仕事は3月末まで頑張りますが、春からに備えて少しずつ準備を進めているのです。そういうわけで夕方まで自宅の書斎で仕事をしていましたが、夕方からは雪のなか、大阪に出かけることにしました(雪が降っているのは滋賀だけですが・・・)。
■出かけた先は、大阪市天王寺区にある應典院という浄土宗の寺院です。寺院とはいってもお葬式はしません。應典院のwebサイトでは、次のように説明されています。「かつてお寺が持っていた地域の教育文化の振興に関する活動に特化した寺院として計画され、〈気づき、学び、遊び〉をコンセプトとした地域ネットワーク型寺院として1997年に再建されました」。このwebサイトをご覧になればよくわかると思いますが、様々な方たちがこの寺院に出入りして魅力的な活動をされています。以前から、應典院のことはよく聞いていたので、一度訪問したいと思っていましたが、今回やっ行くことができました。應典院を訪問したのは、あの「まわしよみ新聞」の発案者であり、「大阪あそ歩」のプロデューサーとしても知られる陸奥賢さんが、應典院で企画された催しに参加しようと思ったからです。「ハリハリ鍋を食べながら 鯨について語り、遊ぶ会」という催しです。生のリアルな陸奥賢さんにお会いできて、しかも鯨の「ハリハリ鍋」を味わえる。なかなか豪華な企画です。以下は、陸奥さんのプロフィールです。
【プロフィール 400文字バージョン]】
観光家/コモンズ・デザイナー/社会実験者。1978年大阪生まれ。2007年に堺を舞台にしたコミュニティ・ツーリズム企画で地域活性化ビジネスプラン「SAKAI賞」を受賞。2008年10月に大阪コミュニティ・ツーリズム推進連絡協議会「大阪あそ歩」のプロデューサーに就任。大阪市内だけで300以上のまち歩きコースを有する「日本最大のまち歩きプロジェクト」となり、『大阪あそ歩まち歩きマップ集』は約2万部を売るロングセラーに。2012年9月にはコミュニティ・ツーリズム事業としては日本初の「観光庁長官表彰」を受賞。2013年1月に大阪あそ歩プロデューサーを辞任し、現在は観光、メディア、まちづくりに関するプロデューサーとして活動中。「大阪七墓巡り復活プロジェクト」「まわしよみ新聞」「直観讀みブックマーカー」「当事者研究スゴロク」などを手掛ける。應典院寺町倶楽部専門委員。著書に『まわしよみ新聞のすゝめ』。
■陸奥さんは、チーム「いきものがかり」の皆さん(よくわかりません…私には謎…)と一緒に、蚕、鯰、狸、亀など「異類」に関するプロジェクトを手掛けてこられました。今回の「異類」は鯨です。鯨を食べること=命をいただくことを通して、鯨の歴史・文化・物語を見つめ直す。鯨肉を使った「ハリハリ鍋」を味わうことで、鯨の命を自分の命につなげていく・・・そのような企画のように思いました。もっとも、陸奥さんの発想からすれば、きっちりとした企画や計画を組み上げるのではなく、むしろ良い意味でスカスカの状態をつくり、そのスカスカの空間で参加した方達が面白い相互作用を展開し、当初は予想していなかった面白い出来事が創発的に生成してくる…そんなことを期待されているに違いないと思っているのですが、実際のところはどうなんでしょうね~。
■当日は、冒頭のイントロダクションの後、應典院のなかにある十一面観音を祀った祭壇の前で、参加者の皆さんと浄土宗に則った法要を営みました。法要(鯨の供養)にあたっては、秋田光軌さん(浄土宗應典院主幹・應典院寺町倶楽部事務局長)が導師をお務めになりました。龍谷大学では浄土真宗の法要が営まれますが、「浄土宗と浄土真宗とでは同じ浄土教系だけどやはり差異があるなあ」と、仏教に関して素人ではありますが、そのようなことを感じました。まあ、それはともかく、こうやって「ハリハリ鍋」をいただくにあたって法要を営むと、「命」をいただいているという感覚が身体のなかで増幅されていきます。美味しい食事ができるという意味よりも、鯨の命を自分の命の一部に組み込んでいくということの有難さを感じるわけです。私の単なる主観的に思いなのかもしれませんが…。
■トップの写真は、その鯨です。奥の白い肉、これはセミクジラの皮です。手間の2皿は、ナガスクジラの肉です。左は、サシが入っていますね。これはナガスクジラの顎の肉です。鹿の子と呼ぶそうです。法要にあたっては、鯨に戒名が与えられました。セミクジラとナガスクジラだから最低でも2頭の鯨ということになるのですが、戒名は1つです。陸奥さんと秋田さんが一緒に考えられました。「鯨誉大光」。この戒名のもとで、法要を営みました。十一面観音の祭壇の下の方をご覧ください。ここには、鯨のハリハリ鍋がお供えしてあります。
■法要の後は、陸奥さんから鯨に関するお話しを伺いながら、鯨の「ハリハリ鍋」を美味しくいただきました。「ハリハリ鍋」とは、鯨肉と水菜を使った鍋料理です。ハリハリとは、水菜の食感を表現していると言われています。関西では、昔、この「ハリハリ鍋」を家庭料理としてよく食べました。今回の「ハリハリ鍋」は、陸奥さんのお友達で、浄土真宗の僧侶で調理師の免許をお持ちの方が、北海道日高産の上等の昆布で出汁をとり、その昆布出汁をベースに鯨と水菜を炊いてあります。非常に上品な味に仕上がっていて、驚きました。鯨の個性的な出汁が強いと思ってしまいますが、昆布と鯨の出汁が見事にマッチしていました。私が幼い頃に自宅で食べたものはとはかなり違います。おそらく昔は、冷凍の技術や鮮度の問題もあり、肉の劣化が早いため、もう少し濃い甘辛い出汁でごまかして食べていたような気がします。記憶が曖昧ですが…。今回のものは、それはと全然違います。
■「ハリハリ鍋」のことを調べてみると、冷凍技術と輸送技術が発達した明治期以降に、庶民の味として親しまれるようになったようです。もう少し、日本の近代、捕鯨技術、流通、食文化、その辺りの関係についてきちんと勉強をしたいと思いました。この「ハリハリ鍋」とは別に、炊き込みご飯もご用意していただいていました。これも美味しかった!! 私のテーブルは比較的年齢の高い方たちが座っていたことから(私が年齢が一番上だったような)、こどもの頃に食べた鯨の話しで盛り上がりました。
■食事の後は、陸奥さんが考案された「直観讀みブックマーカー」を楽しみました。あらかじめ、タイトルに鯨が入った本がたくさん用意されており、その本を使って遊ぶゲームです。今回の「直観讀みブックマーカー」のやり方がやっとわかりました。このゲームを通して、コミュニケーションが生まれることがポイントなのですね。また、本を通して、知らない人と、まだ見ぬ方との「ご縁」も生まれるところも重要かな。この「直観讀みブックマーカー」については、また別途ご紹介したいと思います。
【関連エントリー】鯨のベーコン