「岩手の幸福に関する指標」

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■何度もこのブログで書いてきましたが、私は以前、岩手県立大学総合政策学部に勤務していました。6年間という短い機関でしたが、岩手に暮らしていたのです。多くの方達と友達や知り合いになることができました。昨日、そのような岩手で知り合いなった方のお一人のfacebookを拝見しました。三陸の沿岸地域で「幸福について考えるワークショップ」というのを開催したという投稿でした。県内外から移住してきて1~2年の皆さんが集まってのワークショップだったようです。「どのようなことにしあわせを感じているか」を見つめ直すことを通じて、自分や周りの人がよりしあわせに暮らせるためにできることを考えてみることがこのワークショップの目的だったようです。具体的な中身はわからないのですが、移住した地域のことを褒めすぎるのでもなく、またその反対でもなく、そういう方達の意見を大切にしながら、この地域に暮らす幸福ってなんだろうと一緒に考えることができたようです(半分は、私の想像ですが)。そうなんですよね、しあわせ/幸せ/幸福は、人と人の間に存在するのです。外からやってきた人たちには、そういう地域固有の幸せに気がつくアドバンテージがあるように思います。

■このワークショップのことをきっかけに、いろいろ調べてみると、「岩手の幸福に関する指標」という研究会の報告書がネット上で見つかりました。この研究会のメンバーの中に知り合いが3人おられました。岩手県立大学、それから岩手大学に勤務する社会学者の皆さんです。この研究会の目的ですが、この岩手県長のサイトでは、以下のように説明されています。

岩手県では、県政の推進に当たり、物質的なゆたかさに加え、岩手ならではの生活や人のつながりといったゆたかさにも着目していくことが重要と考え、「岩手の幸福に関する指標」の研究に着手しました。
平成28年4月に有識者で構成される「岩手の幸福に関する指標」研究会を設置し、専門的観点から調査・研究を行いました。

■この研究会の目的が「物質的なゆたかさに加え、岩手ならではの生活や人のつながりといったゆたかさにも着目していくこと」であると知り、私が岩手に暮らしていた頃のことを思い出しました。その頃、岩手県は「がんばらない宣言」をしていた。「頑張らない」とは何事かとの批判もあったようですが、私個人は、「岩手は岩手に暮らす人びと自身の『幸福の物差し』を見つけていきますよ、岩手を遅れているからと外から煽る『幸福の物差し』はいりませんから」という宣言のように感じました。簡単に言えば、「脱・東京一極集中」ということでしょうか。その「がんばらない宣言」と、この研究会「岩手の幸福に関する指標」はつながっているのか、つながっていないのか…その辺りのことはよくわからないのですが、それはともかく、少し時間とって読んでみたいと思います。

報告書(本体) (PDF 2.7MB)
報告書(別冊) (PDF 6.6MB)
概要版 (PDF 338.3KB)
各種データ集 (PDF 1.5MB)

【追記】■この研究会のアドバイザーを務めた広井良典さんのメッセージを以下のリンクから読むことができます。「幸せはローカルから」という発想、幸福度指標が「幸福が十分及んでいない領域や課題を発見」や「地域のポジティブな価値や強みを見つけていく契機になる」という点については、とても共感できるように思います。

 私はささやかながら東京都荒川区など日本の自治体での幸福度に関する政策に多少の関わりを持たせていただいていますが、ブータンのいわゆるGNHを含め、諸外国における幸福度指標の策定や関連政策が、基本的には国ないし中央政府が主導する形で展開しているのに対し、日本の場合は、先駆的な意識をもった自治体が自ら独自の幸福度指標を策定するという点が特徴的と思われます。まさに「幸せはローカルから」ということであり、今回の岩手における試みは、(グローバル化の先の)ローカライゼーションという新たな時代の流れを先取りするものと言えます。
 実際には、幸福度指標の策定は、①関連の調査を実施することを通じ、幸福が十分及んでいない領域や課題を発見し、政策の優先順位づけにつなげるという役割と、②そもそも自分たちの地域の豊かさや幸福とは何かを考えるプロセスを含め、地域のポジティブな価値や強みを見つけていく契機になる、という役割を持っていると考えられます。今回の岩手県での研究会では、県民意識調査等の丹念な調査・分析やワークショップの実施を通じこれら①②が意義深い形で実現しましたが、同時にこれは、ゴールというより今後の新たな政策展開に向けてのスタートラインに立ったということでもあるでしょう。たとえば30歳代などで生活満足度が相対的に低く、幸福の判断において家計の状況を重視する傾向が高いことは、将来世代を含む「地域の持続可能性」という視点を含め、若い世代への政策的支援が重要課題であることを示唆していると言えます。

広井教授がアドバイザーを務めた『「岩手の幸福に関する指標」研究会』の最終報告書が公表されました(京都大学 こころの未来研究センター)

Paul McCartney en Pub Philharmonics - VideoLyric


■こういうことが起きたら、素敵だな〜。ポール・マッカートニーは79歳。こういう年代を超えて人びとを夢中にさせるアーティストって、日本だと誰になるのでしょうね。

「龍谷大学まちラボfan」の活動に参加しました。

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■昨日の午前中、大津市立仰木の里小学校の菜園に出かけました。仰木の里小学校は、湖西の丘陵地にある仰木の里という大きな新興住宅地の中にあります。昨日は、学生団体「龍谷大学まちラボfan」の皆さん、地域のボランティアの皆さん、そして校長先生も参加されて、学校菜園(畑)の雑草取りに取り組まれました。ということで、微力ながら私もお手伝いをさせていただきました。この活動は、学生の皆さんが、地域の皆さんや学校と相談して始めた「エディブルスクールヤード」の活動です。「龍谷大学まちラボfan」の活動については、こちらをお読みください。こちらの公式サイトの中の「活動成果と提案企画」をお読みください。
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■もともとこのグループの活動は、大津市役所から龍谷大学への委託事業「学生まちづくりラボ」として始まりました。そして、この委託事業が終わった後も、学生団体として、活動を継続しています。委託事業が始まった当初は、市役所、大学や私たち教職員もサポートに努めていましたが、その後は、自立・自律して活動されています。私は、たま〜に相談に乗る程度です。素晴らしいと思います。学生団体として成長されました。

■単位や成績が出るわけでもなく、何かの資格が取得できるわけでもありません。地域のみなさんと一緒に目標を共有して、活動すること自体を、そのような活動で地域が少しずつ変化していくことを、楽しんでおられるのではないかと思います。今後も、活動のお手伝いができればと思っています。

第1回目のワクチン接種

20210730moon.jpg ■昨日、第1回目のワクチン接種(ファイザー)を行いました。9:45から近くの病院で打ってもらいました。チクリとするだけで、あっという間でした。接種後、15分だけ病院で様子を見て帰宅しました。しばらくの間はなんともありませんでしたが、午後から、多くの皆さんが経験されたように、ワウチンを打った左腕の付け根あたりが筋肉痛のように痛くなってきました。人によっては、四十肩とか五十肩に近いと表現されていますが、私はどちらにもなったことがないのでよくわかりません。念のために、ちょっと横になりましたが、寝返りを打って左を下にすると痛みを感じました。今朝は腕の付け根にまだ痛みが残っていましたが、発熱や頭痛等、その他の副反応は出ませんでした。今のところですけど。

■このようなことをfacebookに投稿すると、多くの皆さんが関心を持っておられるせいか、いろいろアドバイスや経験談をいただくことができました。報道でも言われていますが、2回目の方が副反応がひどいようですね。発熱、悪寒、頭痛、倦怠感、関節痛…。ある人は、2回目を接種する際には、できる限り、次の日は休める体制を作るべきだと言っておられました。そうですよね。私の場合は、2回目は来月の半ばあたりになります。また、寝床には大量の水分を用意することを推奨されていました。スポーツドリンクやお茶かな。また、解熱剤についても品薄が続いているので、早めに用意しておいた方が良いとのことでした。

■私は当初、大学での接種を考えていました。大学拠点接種です。ところが報道されているように、ワクチンが届かなくなり延期になりました。文部科学相からは、「接種開始日が8/16以降になる」旨の連絡があったようです。だいぶ先のことですね。というわけで職場での接種を諦め、近くの病院での接種に切り替えました。幸いなことに、すぐに受け付けてもらえました。いったい、ワクチンの供給ってどうなっているのでしょうね。
(本文と写真は特に関係ありません。)

京都コンサートホールで「ホール練習」

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■龍谷大学吹奏楽部、今月の13日に、サマーコンサート(びわ湖ホール)をYouTube配信により開催しました。サマーコンサートと次は、吹奏楽コンクールです 。昨年の吹奏楽コンクールはコロナ感染拡大のため中止になりましたが、今年度は開催されるようです(今のところではありますが…)。ありがたいです。サマーコンサート、夕照コンサート、定期演奏会とともに、コンクールも活動の大きな柱のひとつだからです。今年度のコンクールですが、一昨年、全国大会で金賞受賞したことから、今回の京都府大会は招待演奏となりました。コンクールでの審査は関西大会からになります。関西大会は来月ですが気合が入っています。

■昨晩は、府大会が開催される京都コンサートホールで、招待演奏の練習を行いました。私自身は、昨日、2限と4限が演習で、その後は大学院生の指導がありました。それらを終えて、そのあとはホールに急ぎました。繰り返し、このブログの投稿の中で書いてきましたが、私がいてもいなくても、練習にはまったく関係ないのです。部長とはそういう存在なんですね。でも、部員の皆さんが全国金賞を目指して成長されているプロセスに立ち会いたいという気持ちがあり、出来る限り大切なポイントは見学させていただくことにしています。

■練習は19時から始まりました。このホールの響きの特性に合わせて、楽器の配置を時々修正しながらの練習でした。いつもよりも人数が少ないのは、コンクールの実施規定で人数は55人以下と決まっていらからです。コンクール出場メンバーは、部内で実施したオーディションを通った人たちです。部員が180名ほどいますから、コンクールに出場できるのは1/3以下ということになります。なかなか厳しい現実があります。コンクール至上主義の大学もあるかとは思いますが、龍谷大学吹奏楽部はそうではありません。学生による自主運営を大切にしながら、組織のマネージメントをさらに丁寧に行ってほしいと思います。これからも、すべての部員が輝くことのできる、そして自身の成長を実感できる課外活動であってほしいと思います。

樹心館へ行ってみよう!


■龍谷大学宗教部の動画です。GoProなどのアクションカメラで撮影したものを早回し再生したものとのことです。この動画をYouTubeで観ていて、学科は違いますが同じ学部の同僚の三谷はるよさんが講演をされている動画をみつけました。

おそろいのワンピース

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20210724grandchild3.jpg■プライベートなことを書いてしまいます。すみません。

■2人いる孫のうちの妹の方が、先日1歳の誕生日を迎えたこともあり、明日の日曜日は会いに行こう…ということになっていました。ところが、またコロナ感染が拡大してきました。そのため、訪問は急遽中止することになりました。コロナめ…。おじいさんはがっかりです。でも、仕方がありませんね。

■明日は、おばあさんお手製のワンピースをプレゼントすることになっていました。手芸店から型紙や自分好みの生地も買ってきて、こしらえました。とても上品な雰囲気のワンピースができあがりました。持っていくことができないので、宅配便で送るようです。

■左の方がお姉ちゃんのワンピース。ボケットやバックの襟元にリボンがついています。髪を括るリボンとシュシュもできあがりました。リボンのゴムは、おじいさんが髪を括っているゴムなのですが、きちんと洗濯してあるのだそうです。内心、そのままでもええやんと思いましたが、いや、やはり爺いのゴムはあかんやろと思い直しました。もうひとつは、1歳を迎えた妹の方のワンピースです。こちらは襟がついていますね。姉と妹が、オソロのワンピースを着た様子を想像して、おじいさんはニヤニヤしています。

東京オリンピック1964 /2021


■私にとってのオリンピックの「原点」とは、63歳という年齢からもわかるように、1964年に開催された東京オリンピックということになります。もっとも、1964年といえば、私はまだ6歳の幼稚園児で、スポーツに関心を持っているわけではありませんでした。しかし、そのような幼かった私にも、社会が盛り上がっていることがわかりました。当時は、福岡県北九州市小倉区(現在の小倉北区)に住んでいましたが、わざわざ聖火ランナーを人混みの中見に行きました。もちろん、幼稚園児ですが、親に抱えられてチラリと見た程度ですが、今でも、きちんと記憶しています。

■オリンピックが終わった後も、記録映画を何度も観たよう思います。学校の運動会での入場行進も、東京オリンピックの開会式で使われた音楽でした。何か、東京オリンピックが刷り込まれるかのような経験をしているのです。そして、1964年の東京オリンピックと、そしてそのあとの1970年に開催された大阪万国博覧会とは、高度経済成長期の重要な出来事ととして社会的に記憶されることになりました。そのこともあり、1964年の東京オリンピックが私の「原点」になっているのでしょう。ただ、東京オリンピックを記憶している人は、どんなに若くても60歳を超えていると思います。また、大阪万博を記憶している人も、50歳代の中頃より上の年代の人になります。

■ということで、オリンピックと言っても、年代によってオリンピックのイメージがかなり違っているはずです。1964年の東京オリンピックを「原点」と感じる年代の人たちからすれば、いつのまにか、最近のオリンピックには、昔感じられたような「聖なるスポーツの祭典」(表現が難しいのですが…)であるようには感じられなくなっているのではないかと思います。古代のギリシャにルーツを持つ、世界平和のための特別なスポーツの祭典…そういう厳粛な存在として感じられなくなっているのです。単に私個人の勝手な思いかもしれませんが…。たぶん、オリンピックをあまり特別視せず、他のスポーツの世界大会と同じような感じに受け止めているように思います。もちろん、オリンピックに参加するアスリートの皆さんは、私なんかとは全く違って、特別な存在として今でもオリンピックを位置付けておられることは理解しています。

■ある知人は、「格調」という言葉を使っていました。今のオリンピックには「格調」がないというのです。1964年の東京オリンピックは、国全体として盛り上がっていました。国の隅々そしていつまでも国の記憶に残るスポーツの祭典でした。重々しさがあったように思います。加えて、当時は「ケ」の日である庶民の日常生活がとってもシンプルでした。高度経済成長で日々生活が豊かになっているとはいえ、現在と比べれば物質的には貧しかったと思います。ところが、現在のように「ハレ」と「ケ」の区別が曖昧になってくると、そして「ハレ」の日が多くなってくると、特別な感じがしなくなってしまいます。いろんなスポーツの世界大会が、全世界で始終開催されていて、そのことがテレビやインターネットを通じて報道されていますから。

■グローバリゼーションの中で、世界が狭く感じられるようにもなりました。遠い国で開催されている出来事ではなく、今はテレビやインターネットを通してリアルタイムで観戦できます。もうひとつ。かつてのように人類の未来の「発展」、究極の目標としての世界平和を単純には信じられなくなったこともあるかなと思います。そのような「発展」に重ね合わせながらオリンピックを観戦することもできなくなりました。加えて、金儲け主義が誰の目にも明らかになってしまいました。多額のお金が動いていることが報道され、多かれ少なかれ、オリンピックの持つ胡散臭い側面を誰もが知ることになっています。IOCのバッハ会長は、「ぼったくり男爵」とアメリカのマスコミに揶揄されました。「聖火」とはいいますが、オリンピックを「聖」なる存在として捉える人、究極の目標を世界平和に置くスポーツの祭典として捉える人は、もはや少なくなっているのではないかと思います。オリンピックが、アスリートの皆さんの純粋な気持ちや精神とは別に、スポーツビジネス、ショービジネスになってしまっている…というと言い過ぎでしょうか。

北陸演奏旅行で舳倉島へ

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20210722hegurajima4.jpg■あれから40年ちょっと過ぎてしまいました。叔父の葬儀を一昨日終えたばかりだし、時の移ろいの早さに「もののあわれ」のようなものを感じるな。

■先日、フランスで俳優として頑張っている同級生の島岡現くんが、学生時代に所属していた関西学院交響楽団の頃の写真をドサッと送ってきてくれました。「自分が持っていても役立てられないので…」という理由で送ってきてくれたのです。送ってくれた写真は、国内の演奏旅行とソビエト演奏旅行の時のものです。アップしたものは、北陸演奏旅行の時のものです。石川県のずっと沖合いにある舳倉島(へぐらじま)まで行って、島の分校で演奏してきた時のものです。地図を見ていただきたいのですが、舳倉島は、輪島の沖合にある岩礁のような複数の島々のさらに沖合いにあります。陸地からは50kmほど離れているようです。この島にオーケストラ(プロではなく学生オケですが…)がやってきたのは、おそらくこの時が初めてではなかったでしょうか。

■舳倉島へは、石川県の輪島から船に乗って行くことになります。今は高速フェリーで80分ほどで行けるようですが、昔はゆっくりした連絡船が就航しているだけでした。かなり揺れて、行きは一部の人たち(私を含む)は、かなりひどい船酔いになりました。島に到着するとフラフラだったように記憶しています。集合写真は、私のいた学年のものです。左端にいるのが、島岡現くん。当時のジーンズは「ベルボトム」という裾広がりのデザインですね。時代を感じます。

福岡の叔父

■福岡に暮らす叔父が亡くなりました。月曜日の晩が通夜、翌日が葬儀でした。急なことで、火曜日の授業は休講にさせていただきました。

■通夜も葬儀も家族葬ということで、極々身内の、叔父の家族と、叔父の甥と姪、つまり私と妹が参列しました。お導師は、浄土真宗本願寺派の方でした。京都出身で今は福岡のお寺の副住職をされている…というようなお話だったかな。昨晩の通夜でのご法話は、当然のことながら、浄土真宗の教義に基づくものでした。関西弁と博多弁にユーモアが混じる、印象に残るご法話でした。龍谷大学に勤務するようになり、個人的に浄土真宗のことを勉強してきたということもありますが、昨晩のご法話はスッと心に入ってきました。阿弥陀仏にお連れいただき、すでにお浄土に帰られた叔父のことを、心の中にイメージすることができました。大切な経験だと思います。

■棺の中の穏やかな叔父のお顔を拝見させていただきましたが、叔父の家族の皆さんは、「おばさんに、だんだん似てきたね〜」、私の亡くなった母親に人生の最後でだんだんと似てきたというのです。姉と弟ということもありますが、確かにそうかもしれないな〜。穏やかなお顔でした。通夜の後は、簡単な食事をしましたが、「いとこ会」のような感じになりました。普段は離れて暮らしているので、なかなか会うこともありません。いとこの子どもたちも大きくなっているので、当たり前とはいえ、驚きました。叔父がご縁をつくってくれたのですね。

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