「BIWA100 2026」に参加して。
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▪️以下は、「BIWA100」に参加し経験したことと、その反省です。相当長文なので、ウルトラウォーキングに関心のある方以外には、あまり意味がない投稿の可能性が高いです。どうかお許しください。今回のBIWA100のウォーキングについて、「完歩した」とか、「自己新記録が出た」とか喜んでおくだけでなく、「道中」を思い出しながら、記憶に残っていること、気がついたことを記録に残しておきたいと思います。人に読んでもらうための文章というよりも、自分のためのものかもしれません。それでも、読んでみたいという方はどうぞお読みください。
よろしくお願いいたします。
⚫︎【会場までの移動】 10月31日の朝、長浜まで電車で移動することになるのですが、大津市に暮らす私は、在来線の新快速で行くのか、新幹線を利用するのかで悩みました。普段の延長線上でありながらも、朝、少しでもゆっくりできるように、今回は新幹線で京都から米原まで移動しました。以前、「明日は『びわ100』(「BIWA100」の前身)や」と思ったらなかなか眠れなく、睡眠時間が短くなってしまうことがありました。ですから、できるだけ普段の延長線上というのが、個人的には大切だと思っています。気負う必要はなく、練習で積み重ねた力を発揮すれば良いのですから(実際はどうだったか…)。というわけで、前日に、新幹線の切符をあらかじめ購入しておきました。そして、その後、米原から在来線で長浜まで移動しました。少しでも睡眠時間を増やしたい、そしてスタートまでの時間をリラックスして過ごそうと思ったわけです。しかし、新幹線で移動するとあっという間ですが、この後、100km(正確には101.5km)を徹夜して歩くことになります。ウルトラウォーキングのことをご存知なければ、「意味不明」の行為に思われるかもしれませんね。
⚫︎【事前のウォーキングの計画】
▪️会場に到着して受付を済ませて、ゼッケンをランニングパンツやリュックに取り付けました。そこに、2024年にも一緒に歩いた上道郁夫さんがやってこられました。何か、ちょっとそわそわされていました。前回の記録は22時間37分10秒でした。ということで、今回、上道さんは22時間切りを目指して、ペース配分や各CP(チェックポイント)での休憩時間やスタート時間等を綿密に計算してメモにした物を持参されていたらしいのです。ところが、スタート前のいろんな準備で紛失されてしまいました。ただし、計画は上道さんの頭の中にあるので、それほど心配していませんでした。こういう計画を立てるのがお得意の上道さんに全てお任せしてしまっている点がむしろ問題だったと思います。自分も計画作りに参画して一緒に作るべきでした。また、その計画をスマホに保存しておくべきでした。私の場合ですが、「完歩」は一応できるようになって(前回までで6回完歩)、さらに上のレベルを目指すのであれば、いろいろ事前に考えて目安としての計画を立てておくことが必要だと思っています。これまでは、結構、その時の体力任せ&出たとこ勝負のようなウォーキングでした。ところが、このことについては、ゴール後、帰宅してからアッと驚くようなメッセージが上道さんから届くのです。それについては最後までお読みいただければと思います。
⚫︎【大会を支えるボランティアの存在】
▪️さて、公園に設置されたステージ(トラックの荷台がステージになるステージトラック)前に集まるようにとのアナウンスがありました。大会の関係者からのスピーチが続く中、驚いたのは「青鬼隊」のみなさんのことでした。青い帽子に青い角がつけてありました。全員がお揃いの青いTシャツを着ておられます。この方達は、一般の参加者として参加費を払ってエントリーしながら、完歩を目指して頑張る方達を、ボランティアとしてサポートされる方達なのだそうです。「脚力と気持ちに余裕がなければできないことだなあ、すごい!!」、と思いました。「BIWA100」は、こういう方達の力もあって実現しているのですね。
⚫︎【練習会のこと、BIWA100そしてウルトラウォーキングのつながり】
▪️上道さんからは、事前に、86歳でエントリーされている男性がいらっしゃると聞いていました。そのレジェンドが、目の前に立っておられたのです。大変厚かましいとは思いしたが、ご挨拶をして、握手をしていただきました。嬉しかったです。でも、なぜ上道さんがこの男性をご存知だったかというと、上道さんは、大会を主催する一般社団法人HAYA-ASHIの方で、今年も10回も開催されている練習会の全て参加されているのです。その練習会で、お知り合いになったようです。この練習会では、夜間歩行のコツ、ペース配分、装備や補給のタイミングなどを実践的に身につけられるようになっています。そのことがすごく役立っているとのことでした。私も、滋賀が地元ですから、来年度は定年退職しているし、是非とも参加したいと思いました。
▪️そして、もうひとつ大事なことは、BIWA100の仲間づくりができることでしょうか。上道さんは、たくさんの方たちとお話をされていました。そもそも100kmウォーカーの皆さんは、私などとは異なり、全国の様々な大会に遠征して歩いておられます。そうやって知り合いが増えていくようなのです。私は、過去6回、我流で練習をして「BIWA100」の前進である「びわ100」 で完歩しています。「練習で50km歩けたら、あとは気力で100kmまで歩ける」という根拠のない自信のようなものがあって、これまで練習会のことをあまり気にしていませんでした。これも反省点です。
⚫︎【同じペースで、スポーツウォッチ】
▪️スタートしました(9時48分)。私は、2番目に出発するグループでした。ゼッケンは114番。一方、上道さんは10番でした。1番目のグループです。ということで、上道さんは、大会に確認して私と同じ2番目に出発するグループに移動してくださいました。スタートしました。今回、私はスポーツウォッチを身につけていました。上道さんが、ウォーキングのペースを確認するために利用されていたのを見て、自分もと思い購入したのです。上道さんは、できるだけずっと同じスピードで歩こうという相談をしていました。だからでしょうか。どんどん追い抜かれていきました。最初は、体力がありますから、みなさん、飛ばして歩くんですよね。そういう速い人に引っ張られてスピードを上げてしまうと、自分のペースが崩れてしまい、無駄に体力を消耗しまうことになります。気をつけなければいけない点です。できるだけ頑張って早く歩いて、あとは残った体力で完歩を目指すというやり方もあるのかもしれませんが、私たちは、同じペースで歩くことを目指しました。前回上道さんと一緒に歩いた時のタイムは、22時間37分10秒でした。今回は、22時間切りを目指していました。そういうことができるのも、GPSがついたと太陽電池のついたスポーツウォッチで、今歩いているペースを計測して歩いたからです。スポーツウォッチの力はすごいと思います。
⚫︎【大会を支えるボランティア】
▪️ CP1(第1チェックポイント)は、彦根市内にある「護国神社」でした(13km)。ここでのエイドは焼きそばパンです。ボランティアの皆さんが、笑顔で元気よくお世話をしてくださいます。後に続くCPでも、いつものことながら、ありがたいことだと思っています。前述の「青鬼隊」の皆さんも、こういったボランティアの皆さんからお世話いただいたのち、今度はボランティアとして大会を支える側になろうと思われたのではないでしょうか。ただし「青鬼隊」になるためには、自分のペースではなく、遅いペースの方達と一緒に歩かねばなりません。想像するにかなり大変だと思います。相当の健脚であることが必須の条件だと思います。
⚫︎【ウェア、シューズ、靴下】
▪️ CP1からCP2に移動する際、彦根市の芹川のあたりで、滋賀県庁の水産試験場に勤務されている根本守仁さんが沿道から応援してくださいました。根本さんは、毎回、短い時間ですけど応援をしてくださいます。今回も、根本さんの方から「芹川のあたりで待っています!!」と連絡をくださいました。ありがとうございました。知り合いや友人の皆さんの応援をいただくことも大切だと思います。ということで、私はfacebookで事前にアピールしておきました。でも、SNSの応援はあっても、直接応援になかなかやってきてくれませんよね。みなさん、ご用事があるから。だから、とても嬉しかったのです。
▪️撮っていただいた写真では、フルマラソンを走っていた時代のコンプレッションウエアを身につけています。日差しは結構強く、歩いているとウエアが汗で湿ってきました。スタート時点では、身体を温めておくためにゴアテックスのレインウェアを着ていましたが、この時は脱いでいました。しかし、この日は、琵琶湖の近いところでは時折強い風が吹いてきて、体感的には寒くなりました。体力を消耗しないためにも、すぐにレインウェアをまたリュックの中から取り出して身につけました。以前は、コンプレッションウエアの上にTシャツを身につけていましたが、今回はやめにしました。今回の気温では、ちょうどよかったと思います。ウェアは、大会が開催されるシーズンや天気予報とを十分に考慮した上で、微調整のできるものを選ばないといけないのでしょうね。ちなみに、コンプレッションウエアですが、CP5のもりやま美崎公園で、mont-bellの汗冷え防止を売りにしている長袖シャツに着替えました。バディの上道さんに教えてもらいましたが、この季節、夏用のネックゲイターも役に立つようです。吸汗性もありますし、夜間は体温を守るためにも良いようです。私は、結局は使用しませんでしたが、薄いダウンもリュックに入れていました。もしもの時のためです。
▪️シューズですが、私はasicsのGORE-TEXのシューズです。前回参加した時は(「びわ100」の最後)、嵐のような悪天候の中での大会でしたが、このシューズと、やはりGORE-TEXの靴下、そしてGORE-TEXのレインウェアのパンツで、全く問題が発生しませんでした。足裏がふやけるようなことは一切ありませんでした。一方、上道さんが履いていたシューズは、練習会でお勧めだったというALTRAのウォーキングシューズでした。かかと部分とつま先部分の地面からの高さに差がないように設計されています。一般的なシューズのようにかかとが高くなっていないため、素足で立っているときと同じように自然な背筋の伸びと正しい姿勢を維持しやすくなり、歩行時の関節への負担を軽減するのだそうです。また、足指を広げて大地をつかむような感じで歩けるのだそうです。なかなか良さげです。長距離のウォーキングをする際に、いつも骨盤に疲れが出てくるのですが、ひょっとするとましになるのかもしれません。
▪️ソックスですが、今回はmont-bellのウォーキング・ハイキング用というソックスを使ってみました。底に少し厚みがあってクッションになるということのようです。使ってみて…その効果は、よくわかりませんでした。もちろん足裏と指にはプロテクトJ1という保護クリームを塗りました。それでも、歩いた後には足の親指・人差し指と関節の間に少し肉刺ができてしまいました。痛くて歩けないほどではありませんが。また、右の親指が内出血してしまいました。こういうのは、久しぶりです。
原因ですが、シューズを履き始めてまだ2週間程度であったことや、靴紐の締め方、それから体力を温存するために歩き方に工夫をしているのですが、着地の際の圧力を、足裏全体というよりもやや足裏の前部分で受け止めすぎてしまっていたのかもしれません。上道さんは、ご自分にあったインソールを使っておられました。私も検討する必要がありますね。
⚫︎【ウォーキング中の栄養補給】
▪️さて、CP2(28km)は「コモレヴィラーゴ」。グランピングの施設のようです。ここでは、バナナをいただきました。そのバナナには、1本ごとに皮にメッセージが書かれていました。私のバナナは「このチャレンジが新しい自分☆彡ファイト!!」でした。元気いただきました。ありがたいことですね。素敵な施設で、孫の家族と遊びに来たいなとも思いました。
▪️今回は、大会から提供されるエイド以外にも、道沿いにあるコンビニで栄養を補給しました。コンビニ2店でおにぎりを合計4つ買いました。また、自分でも、栄養補給するゼリー飲料を、事前にリュックに4つも入れていました(結果として、1つ残りました)。ウルトラウォークはずっと歩き続けるので、糖質を相当消費します。私は糖尿病であることから、普段は、尿と一緒に余分な糖分を体外へ排泄し血糖値を下げる「SGLT2阻害薬」を服用しています。しかし、「BIWA100」の途中で低血糖になってしまうとまずいので、大会当日は休薬して、そして歩きながら普段は絶対に食べないおにぎりとか甘いもの(アップルデニッシュ)を口に入れました。また、砂糖がたくさん入ったコカコーラも飲みました。それらを少しずつ飲食して糖質を補給するようにしまた。まだ健康だった時でも、フルマラソンを走った後や、ウルトラウォーキングの途中で低血糖になって悪寒に襲われることがありましたから。ということで、今回は栄養補給にかなり神経質になりました。結果として、低血糖にならずに完歩することができました。
⚫︎【近江八幡の牛丼】
▪️ CP3(32km)のコンビニでは、栄養補給のための買い物をして、そのあとはゴールのある大津に向かうのではなく、東に向かって進むことになります。CP4がある近江八幡市の市街地に向かいました。CP4は「JAグリーン近江」(42km)です(18時07分)。42kmコースにエントリーされた方達は、ここがゴールになりますが、100kmコースの人たちは、まだ半分以上残っています。ここでは、近江牛の牛丼とたねやの饅頭をいただきました。牛丼とはいっても量は少しです。ですが、ありがたかったです。そこに、仲良しの亀甲武志さんが現れました。10年前の「びわ100」時代に100kmを一緒に歩きました。その亀甲さんが、差し入れの牛丼を持ってきてくださいました。「BIWA100」の参加者は全員IBUKIというGPSをリュックにつけているので、ネットで私がどこを歩いているのかわかったようです。ちょうどCP4に入った時に、「まだかな」と入り口までやっこられた亀甲さんと出会いました。あらかじめ連絡をいただいていなかったので、とても驚きました。また、とても嬉しかったです。牛丼は、バディの上道さんと半分ずつにしていただきました。美味しかった。普段、持病のため米はもちろん、甘辛い牛丼も食べません。糖質を大量に消費する「BIWA100」の時だけは食べられるのです。
⚫︎【ラジオ】
▪️近江八幡市街地からまだ琵琶湖畔の湖周道路に移動します。ここが結構、大変でした。白鳥川沿いの自転車道サイクリングコースをひたすら歩きました。市街地とは違い、周囲は田んぼですから、夜は真っ暗です。昼間であれば長閑な田園風景が見えるのでしょうが。そして車が通っている道が見えてきて「あっ、湖周道路かな」と思わせられるのですが、それは別の道路だったりするのです。これはちょっとメンタル的に辛いところがあります。こういう時に使用しているのが、通勤用の薄い小さなラジオです。イヤフォンは片耳だけです。両耳だと危険ですので。この時は、ちょうど近畿放送のFMを聴いていました。FM電波ですが、中身は中波のラジオ放送です。ワイドFM、FM補完放送です。パーソナリティは、岩崎宏美・岩崎良美、荻野目洋子、八神純子といった私が若者だった頃のアイドル達でした。そこに耳を傾けていると、暗闇を歩くしんどさが軽減されます。じつは、Amazonが運営するAudible(氷雪等の朗読)も使っているのですが、まだ使いこなせていません。
⚫︎【残りの距離に対する気持ち】
▪️近江八幡市を出て、再び湖周道路に到達しました。まずは一安心でした。そのあとは、CP5の「もりやま美崎公園」(60km)です。CP4からは18kmです。私の場合ですが、ウルトラウォーキングでは、「あと何km残っている」とは考えないようにしています。CP間だけで考えます。ちなみに、大会の設計自体が、だんだんCP間の距離が短くなるようになっています。うまく考えられていると思います。ウルトラウォーキングのことなど知らない皆さんには、これ、とても常識なのかもしれませんが…。これも私の感じ方ですが、CP4だと「まだ42kmか」という気持ちなんですが、CP5になると60kmで、「ずいぶん歩けたな〜。もう60kmなのか」という気持ちになります。単なる思い込みなんですが、残りも少なくなってきたなと。健脚の方達は、全く違うと思いますが、健脚の反対の若脚の私は、そのように思い込むようにしています。
⚫︎【地形と地理】
▪️「びわ100」の時代は、CP1が「BIWA100」のCP3でした。そして次のCP2が、「BIWA100」のCP5でした。ということで、「びわ100」の時代はCP1とCP2の間が結構距離があり、また地形的にも個人的にはメンタルをやられるところがありました。湖岸は、直線ではないのです。細かく地形を見ていくと、河川の河口は陸地から突き出ていて、湖周道路には多数のカーブがあります。「びわ100」の時代、ここが苦手でした。CP2が視界に入ってもなかなかCP2に辿り着けなかったからです。そして、栄養の補給がうまくできていかったせいで、低血糖でフラフラしていました。地形については、事前に注意深く確認しておくべきかと思いました。今回は、近江八幡市のCP4を経由したので、そのメンタル的な辛さは少なかったのですが、それでも、事前に地形と地理について勉強しておくことは必要なことなのではないでしょうか。
⚫︎【琵琶湖大橋】
▪️ CP5 の「もりやま美崎公園」のあとは、次のCP6までの間に、琵琶湖大橋を往復しなければなりません。琵琶湖大橋は、時々、自分自身のウォーキングで歩いているので、慣れ親しんだ場所になります。ということで、メンタル的には楽なコースのはずなのですが、ここまで歩いてきた肉体への負荷があります。いつもとは違って、少し厳しく感じました。というのも、琵琶湖大橋は、平坦な橋でないのです。船を通過させるために、途中が高くなっているのです。坂道があります。まあ、この坂道の負荷をどう感じるのか、人によって違うとは思いますが。ちなみに、辛いな…と思う時、スポーツウォッチのウォーキングのペースを見て、頑張りました。ここでは、前を行く上道さんとの距離が空いてきたので、頑張りました。特に、坂道の下りのところで、頑張って追いつきました。
⚫︎【残りの距離感じ方】
▪️琵琶湖大橋を往復すると、次は、東の方向、琵琶湖から離れて内陸に向かいます。ここも練習で歩いているコースです。琵琶湖の南湖と南郷洗堰をグッと回る練習(50km)の時や、南郷洗堰を回らず近江大橋で回る練習(40km)では歩いているのですが、ただしそれは昼間のことで、夜間は練習で歩きません。昼と夜とでは違うんですよね。「慣れていない」コースではメンタル的に「しんどさ」を感じるのかもしれませんが、「慣れ親しんでいる」コースでは、それほど「しんどさ」を感じませんでした。
バディの上道さんは、次のCP6「守山ダイハツ」(71km)が存在することをかなり評価されていました。CP5からCP6までの距離は11kmです。CP3からCP4までは10kmです。でも、CP5からCP6までの方を短く感じました。CP4からCP5までは18kmですから、そう感じたのかもしれません。ありがたかったです。バディの上道さんも、そう感じておられました。CP6まで到達したら、残りはあと29kmです。ただし、脚にはかなり疲れが溜まっています。
⚫︎【守山・栗東・草津の直線コース】
▪️ CP6「守山ダイハツ」(71km)からは、いよいよ南にコースの方向が変わります。守山・栗東・草津の直線コースです。ここは、とても道が整備されています。歩道も歩きやいです(特に前半)。そうそう、話は脱線しますが、
「BIWA100」を歩いて思うことは、自転車で琵琶湖を1周する「BIWA1」のために道路や歩道が相当整備されているなと思いました。初めて「びわ100」(BIWA100」の前身)を歩いているときは、特に雨の時は本当に辛かったのですが、今回快適でした(道はですが…)。話を戻しましょう。守山・栗東・草津の直線コース、私はどちらかといえば「得意なコース」なのですが、上道さんは苦手だとのことでした。おそらく、風景が変わらないからなのかなと思います。私は、よく知っているので、そのようには思いませんでした。ただし、距離が長いので、いつになったら次のCPなのかなと思いました。ここでは、たくさんの方達を追い越させていただきました。おそらく、前半で体力を使ってしまい、それまでのスピードで歩くことができなくなった方達なのかなと思いました。
▪️失礼ですが、そういう方が視界に入ると、頑張ってしまうのです。もちろん、スマートウォッチでペースを確認しながらなのですが。ということは、最初に決めたスピードの範囲で歩いていると、先に歩いていた方達を追い抜かしてしまうということになります。とはいえ、最初に決めたスピードの範囲で歩くのは、この段階ではとてもしんどかったです。まあ、当然ですかね。以前であれば、疲れたらそのままズルズルと後退していたのですが、今回はバディの上道さんと一緒に歩いていたので、自分勝手に「疲れたから…」とは言っていられませんでした。22時間切れを目指す相手(上道さん)のことを思いつつ、自分を奮起させました。また、疲れていても、そのようなことができました。よく、「無理したらあかん」と言われるのですが、老人になっても、ちょっと無理してでも「成長」したいのでしょうか。 私の歩き方なのですが、踵から前に足を出し、大きく腕を振って歩く、そういうスタイルではありません。「なんば」と呼ばれる歩き方に近いのかもしれません。身体を捻りません。常に身体の重心を前にして、重心が移動するので足を前に移動させて身体を支えるという感じの歩き方です。ただし、「なんば」とは言っても我流です。フルマラソンを走っていた頃の(10年近く前)、フォアフット走法に近い感じです。重心を前に移しながら、足を前に出していく…。もっと練習をします。
⚫︎【残りわずか】
▪️ CP6のあとは、守山・栗東・草津の直線コースの先にあるCP7「トライアル草津矢橋店」(81km)です。次のCP8「アクア琵琶」(90km)まではわずか9kmです。ウルトラウォーキングをすると、9kmでもすぐ近く…という気持ちになります。CP7では、うどんをいただきました、うどんを食するのは何年振りでしょうか。とはいえ、「BIWA100」です。いつもは糖質制限していますが、ここは心の中の気持ちは別にして、糖質を摂らねば100kmを歩くことはできません。
▪️ CP8 「アクア琵琶」(90km)に到着しました。もう夜明けは間近です。かなり眠くなるのがわかっていたので、あらかじめカフェイン飲料やエイドのコーヒーをいただいていましたが、やはり眠くなりました。この眠さとの戦いも「BIWA100」に限らずウルトラウォーキングの重要なポイントかと思います。 ここCP8 では、恒例の「瀬田シジミ」の味噌汁をいただきました。ボランティアの方が、「お味噌汁だけにしますか、それとも身もあるのにしますか」と尋ねてこられました。私は当然のように「身のあるもの」を注文しましたが、バディの上道さんは、時間が惜しかったのか身の無い方を選ばれました。その時、ご本人はどう考えておられたのかは分かりませんが、目標の22時間切りを考えておられたのではないかと推察しました。ということで、「上道さん、どうか先に出発してください」とお願いしました。腰にかなり痛みや違和感を感じていたからです。上道さんも「わかりました。ありがとうございます」と言って、出発されました。ここまで、バディとして付き合ってくださったことに感謝しました。
▪️私の方は、瀬田シジミの身もいただいた後、腰の痛みを無理して動かし、歩き始めました。この辺りは、これまでに何度も歩いているコースです。メンタルには何も心配はありませんでしたが、ここまで積み重ねてた身体への負担が身体に出ていました。「このようなウルトラウォーキングって、健康に良いのか」と聞かれれば、私のレベルでは「命を削っているような気がします」とお答えするしかありません。しかし同時に、完歩したことで得られる精神的な充足感・達成感はまた別ということになります。腰の痛みを時々休息して労りつつ、少しずつ前に進みました。ベンチを見つけると、そこに座って腰の柔軟体操をしてみました。そうしているうちに、世が明けてきました。瀬田川沿いには、いろんな大学の端艇部の合宿所があるのですが、学生さんたちが朝の運動を始めていました。また、早朝のランニングやウォーキングをする方達とすれ違うことになりました。辛そうな私をご覧になって、「BIWA100」のことをご存知ない多くの皆さんは、何か「違和感」を持たれたでしょうね。
▪️ 夜明けの後、大津にある「なぎさ公園」に入りました。その直後、琵琶湖プリンスホテルの近くで、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」のご常連である中川俊典さんが、GPSのIBUKIをご覧になって私を待っていてくれした。とても嬉しいのですが、身体的に苦しいので余力がありません。中川さんに、「ワッキー、ゴールまでもう少しや、がんばれ!!」と、私を励ますために背中をパーンと押してくださったのでした。普段であれば、なんともないのですが、そのパーンで体勢を崩して転んでしまいそうになりました。やばかったです。とはいえ、応援に来てくださったことに心より感謝しました。そうしているうちに、ゴールが見えてきました。もう体力がないので、これ以上歩かなくても良い資格をいただくためにゴールするかのようでした。これまでの100kmウォーキングで、一番厳しかったと思います。
⚫︎【ゴール後のこと】
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腰の痛みを強く感じつつ、ゴールしました。すぐにボランティアの女性が、完歩した方達に与えるメダルを首にかけにきてくださいました。小柄な方なので少し体を傾けたのですが、その時、前に転倒してしまいました。顔面を地面にぶつけてしまいました。周囲は大騒ぎ。ゴールに詰めておられた、救急救命士の方が私を両脇から持ち上げて救護のテントまで運んでくださいました。低血糖等で気を失ったのでは無いですが、腰の痛みのせいで、身体のバランスを取るために力が入らなかったのです。救護のテントでは、傷口の様子を見いてただき、地味に出血している部分を消毒した上でワセリンを塗っていただきました。お気に入りの眼鏡は破損してしまいました。これまでにないゴールです。自分でもびっくりしました。
▪️顔にみっともない怪我をしてしまいました。しばらく、かさぶたが取れるまで、大きなマスクをする必要があるかと思います。困りましたね。でも仕方がありません。限界まで頑張ることができたということでしょうかね。そのようなこともあって、タクシーが帰ろうかと思いましたが、少し休むとまだ歩くことができたので、JRと徒歩で帰宅することができました。帰り際にはコンビニで缶ビールを買いました。帰宅後、「BIWA100」の荷物を整理しながら、睡眠薬がわりに飲みました。 そうやって夕方近くまで眠って起床すると、バディの上道さんからメッセージが届きました。
22時間切りを目指して、ペース配分や各CPでのスタート時間を綿密に計算してメモにした物を持っ行ったのですが、スタート前のゴタゴタで紛失してしまいました。
慌てて、作成した時の記憶を呼び起こして、頭の中でペース配分などを組み立て直したのですが…
目標タイムを22時間じゃなく、21時間で計算してしまいました。そのせいで、私自信も、オーバーワークで残り2kmで足が痙攣して、這うようにしてゴールしましたが…
先生にも余分な負担をおかけすることになり、本当に申し訳ありませんでした🙇
▪️「目標タイムを22時間じゃなく、21時間で計算」…一瞬脱力しました。しかし、すぐにその計算違いのおかげでかなり無理をして自己新記録を出せたのだと理解しました。私の記録は、21時間15分55秒でした。前回の22時間37分10秒よりも、1時間以上も記録を短縮できたのです。上道さんも自己新記録でした。上道さんの計算間違いが、結果として、私たち2人持っているポテンシャルを引き出してくれたのかもしれません。良い経験になりしまた。「完歩」だけに満足せず、ウルトラウォーキングの「質」を高めていこうという気持ちが生まれてきました。ありがたいことだと思っています。次は、最初から計画して、21時間切りを目指そうと思います。そのために、日常的にどのような練習をすれば良いのか検討してみたいと思います。バディの上道さん、今回も本当にありがとうございました。
第2回「BIWA100 2026」を自己新記録で完歩しました。
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▪️昨日と今日、2日間にわたって開催された「BIWA100」に参加して来ました。2,000人を超える人が申し込まれたそうです(100kmコースと42kmコースの両方で)。私は、お友達の、龍谷大学吹奏楽部OBの上道郁夫さんと歩きました。本来であれば、夏にお亡くなりになった同志社大学の鵜飼孝造さんも歩いておられたはずです。彼も毎年のように参加されていましたから。その鵜飼さんのことを思いながら歩くことにしました。
▪️facebookに「BIWA100」で歩きますと”大々的”にアピールしたところ、仲良しの方たちがわざわざやってきて応援してくださいました。ありがとうございます。下の左の写真は、滋賀県の水産試験場にお勤めの根本守仁さんが撮ってくださいました。今回で100kmウォーキングへの参加は7回目になりますが、根本さんは、いつも沿道で応援してくださっています。今回も、「明日、芹川のところに行きます!!」と連絡がありました。下の右の写真は、近畿大学水産学部の亀甲武志さんです。琵琶湖の淡水魚の研究をされていますが、以前は滋賀県の水産課や水産試験場にお勤めでした。2016年、ちょうど10年前の「びわ100」(BIWA100の前身)を一緒に歩きました。今回は、参加者全員がつけるGPSからのデータをご覧になって、私がどこにいるのかを探して差し入れをしてくださいました。牛丼です。いつもだと、ご飯は食べないのですが(食べられない)、このような激しい運動をするときは、どんどん糖を消費するので、食べ続けないと低血糖になってしまいます。上道さんと半分こして、美味しくいただきました。ゴール間近、琵琶湖プリンスホテルのすぐ近くで、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」のご常連、中川俊典さんがスポーツ用のジェリーを持って待っていてくださいました。「あともうちょっとや、頑張れ」と背中をポーンと押してくださったのですが、私はヨロヨロと転げそうになりました。やばかった。最後の10kmは腰が痛くて、時々、湖畔のベンチで休憩しつつ前に進んでいました。でも、中川さん、やって来てくれてありがとうございました。根本さん、亀甲さん、中川さんありがとうございました。
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▪️「BIWA100」の結果です。募集枠は、100km部門は1000人、短い42km部門も1000人でした。1000人のうち、どれだけの人が実際に参加されたのかは分かりませんが、速報では、私が確認した段階では784人の人の順位が出ていました。ということは、784人の中で180位ですから、まあまあの成績ではないかと思います。もっとも、ウルトラウォーキングは、順位を競うのではなくそれぞれの100kmという壁に挑戦すること自体を大切にしています。
▪️ちなみに、最後のチェックポイントでどうも腰の具合がイマイチだったので、上道さんにお願いして、そこからはお1人で出発していただきました。それでも途中から疲労のせいで足が痙攣して、スピードがガクンと落ちたとのことでした。ただし、2人とも当初目標にしていた22時間切りを達成できたので満足しています。それはもかく、このようなことができたのは、上道さんが、「初めから最後まで、自分たちの力にあったスピードで歩くということ」を徹底したからです。周りの人のスピードに反応しないようにするということでした。それを可能にしたのは、スポーツウォッチで、ペース(1km歩くのにかかる時間)を常に計測して、10分から11分30秒までの間にキープして歩き続けました。疲れてくると、頑張って歩いているつもりでも、遅れてくるのです。私としては、自分の実力以上の歩きをしていたかもしれませんが、自己新記録になりましたひとつ前のウルトラウォーキングが22時間37分10秒でした。これも上道さんと歩いた時の記録です。今回は、上道さんが21:09:52、私が21:15:55でした。私は1時間20分程度、短縮したことになります。上道さん、ありがとうございました。ちなみに1位の方は、15時間11分27秒でした。私などとは6時間もタイム差があります。どういう方達が、このレベルで歩くことができるのでしょうね。昨年優勝した方は、国体の競歩の選手をされていた方でした。確か13時間ほどだったと思います。
▪️「自分の実力以上の歩き方」と書きました。ひとつには、上道さんと2人で力を合わせて歩いたことが大きいです。どちらかが、疲れた時、もう1人がリード役になることで、助け合って完歩しました。2人の歩く力が近いからできるんでしょうね。1人だと疲れに負けて、とてもこんなことはできないと思います。また、緻密に計算された上道さんの作戦も大きかったと思います。ペースをできるだけ一定に保ち、休憩時間もコンパクトに。もちろん、計画通りにはなかなかいきませんが、それでも計画が有るのと無いのとでは、全然違います。上道さんご自身が今回は22時間切りを目指して、春から努力を積み重ねてこられたことが背景にあります。私も上道さんの目標達成の邪魔をしないようにと頑張りました。
▪️「自分の実力以上の歩き方」をした結果、両足裏に肉刺ができました。程度は軽症ですが。それから痛みはありませんが、右足親指が内出血していました。まあ、肉刺や内出血については多くの方達も経験されていると思います。ところが、ゴール後にこんなことになってしまいました。完歩をした人に渡されるメダルを、小柄な女性が私の首にかけて下さる時のことです。もう、ふらふらになっていたので、屈んだ拍子にそのまま顔面から地面に転んでしまいました。お気に入りの眼鏡も潰してしまいました。まあ、この顔の怪我もたいしたことはないのですが、ちょっとカッコ悪いので、大きなマスクをしなくちゃいけないのかな。まあ、これが乙女であれば大変だと思いますが、おじいさんの顔ですから。でも、ちょっと悲しいのでもうタクシーで帰ろうかなと思いましたが、まあ、なんとか電車と徒歩で無事に帰宅できました。
▪️おまけで歩数計の写真もあげておきます。当然ですけど、黒い壁が生まれていました。昨日が103,770歩、今日が52,082歩。帰宅後はビールを飲んで寝ていました。そのことがよくわかります。歩いていた途中のことは、また別途投稿いたします。
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「浜大津こだわり朝市」の会議
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▪️昨日は、4限の4回生ゼミのあと大津に向かいました。月1回、浜大津で開催されている「浜大津こだわり朝市」の広報に関して、社会共生実習を履修している学生さんたちと、朝市の実行委員会の皆さんとで会議を持ちました。実行委員の皆さんはご高齢の方達が中心です(かくいう私も68歳で前期高齢者ですが…)。また事務局として参加されている「まちづくり大津」の職員さんも、さまざまな事業に取り組んでおられて、これ以上、朝市にさける余力がありません。そのような実行委員会の体制のなかで、これまで広報をしていくだけの余力がありませんでした。特に、中心市街地に多数建設されているマンションに転入されてきた若いファミリー層にも訴求力のある広報が必要だとは思っていても、なかなかそこまで手がまわりませんでした。
▪️昨日は、学生さんたちの方から、GoogleフォームとLINE公式アカウントを使う広報が提案されました。開催前に出店者の皆さんから、次回出品する商品の情報を集計し、そこに実行委員会で作成した原稿も加えて、LINE公式アカウントに添付して発信する。また、QRコードを用意して、LINE公式アカウントに誘導するなど、いろいろ提案してくれました。うまくいくかどうかは別にして、実行委員会の皆さんからはゴーサインをいただくことができました。私は今年度で定年退職なので、来年の4月からはこの広報をおそらく私が中心になって引き継いでいくことになるでしょう。というのも、私は、この朝市の実行委員の1人なのですが、今まできちんと責任を果たすことができていないので、4月からはこの朝市のために頑張るつもりだからです。
▪️大津の中心市街地は、実習という形のなかではありますが、地域の皆さんにたくさんの学生さんたちがお世話になりました。本当にありがたかったです。微々たることしかできませんが、今度は、自分自身が地域にお返しをする番なのかなと思っています。
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死生の一大事
▪️高橋卓志先生がお亡くなりになりました。先生は、長野県松本市にある神宮寺の前住職であり、龍谷大学スキー部のOB、そして龍谷奨励賞受賞者・元文学部客員教授でした。大変有名な方ですので、ここであえて説明いたしません。
▪️私は、龍谷大学大学院の実践真宗学研究科で、高橋先生が担当されていた授業に、龍大の教員であるにも関わらず、「もぐりの社会人」として受講させていただきました。もちろん、先生のお許しを得た上です。先生の著作や仏教徒としての社会的活動を拝見していたからです。先生からは、いろいろ、特に「死生観」に関して、深く勉強させていただきました。蓮如上人が仰った「死生の一大事(ししょうのいちだいじ)」、「人間にとって、死ぬか生きるか、そして死んだ後にどこへ行くのかということほど重大な出来事はない」ということについて、改めて現代的な文脈の中で考えることになりました。高橋先生、ありがとうございました。
▪️生前、鰻好きの先生と、「逢坂山かねよ本店」で美味しい錦糸重を味わったのは良い思い出になります。そのことをこのブログにも「高橋卓志先生と鰻重」として投稿しています。今度は、信州で先生のお好きな店で鰻を味わおうと約束していたのですが、実現しませんでした。残念です。悲しいです。高橋先生のfacebookへの最後のご投稿、昨年の8月29日でした。1年以上、ご病気と向き合ってこられたのでしょうか。このリンクは、高橋先生のご逝去についての報道です。
▪️今年は、8月に、同い年の社会学者である同志社大学教員の鵜飼浩三さんが、お亡くなりになりました。春にご病気がわかり、闘病の末のご逝去でした。そして、今日は、関西学院大学交響楽団、私が所属していた学生オーケストラの先輩もお亡くなりになりました。おそらく70歳ぐらいかと思います。死は突然やってきますね。これは他人事ではなく自分事なのです。「死生の一大事」を常に真正面から受け止めて、残りの人生を生きていかねばならない、そのように思うのです。
8年ぶりにiPhoneの機種変更
▪️スマートフォンの「iPhone6 plus」を2014年11月から丸4年と2ヶ月ほど使い続けて、バッテリーがダメになってもうほとんど使えない状況になったので、2019年の1月に「iPhone Xs Max」に買い換えました。そして8年近くが経過していました(こういうことも、個人ブログへの投稿がログとして残っているので、個人データベースみたいに調べられます)。すぐにバッテリーはへたってしまいます。だから、大きなバッテリーをいつもリュックに入れて持ち歩いていました。ということで、今回も買い替えることになりました。今度は、「iPhone17e」です。
▪️昨日、京都四条のApple Storeに行って購入しました。Bluetoothを使っての「iPhone Xs Max」から「iPhone17e」へのデータの移行になんと2時間かかりました。ところが、最後の最後、eSIMがうまく移せなかったのです。店員さんがいうに、私が契約しているsoftbankを含めて何社かは、Apple StoreからはうまくeSHIMの移行ができないことがあるのだそうです。仕方がないので、今日、SoftBankのショップで移してもらいました。ちなみに、これまでは通信量に上限がある契約でした。8年前はそれでも問題がなかったのです。しかし、社会状況が変化してきました。メールに添付されるファイルが、普通に大きくなりました。ファイルは、Wi-Fiの無い外部で開けると、どんどん通信量が減ってしまいます。それから、いつのまにか世の中は「サブスク」で音楽を聞くことが中心となり、通信量の上限があると安心して利用できません。ちなみに、「iPhone17e」は、5Gに対応しています。今のところ、その便利さはよくわかっていませんけど。
▪️ということで、上限なしの契約に変更しました。これまでは、追加の通信料を取られていたので、契約を変更した方が多少安いかな。そうそう、今日は、SoftBankのショップで、さかんにPayPayを勧められました。まあ、便利なんでしょうが、同時に、こういうの、だんだん「面倒やな」と思うようになってきています。
▪️ちなみに、待ち受け画面は、知恩院が所蔵する「早来迎図」の左半分です。
【追記】▪️「iPhone6 plus」の前は、「iPhone(初代)」、そしておそらくですが「iPhone 4」を使っていたと思います。どんどん、買い換えるタイプの人間ではありませんが、それなりに買い替えてきました。iPhoneに限らず、スマホがないと生活が立ち行かなくなったこの世界を、あの世のスティーブ・ジョブズはどう思っているでしょうね。単なる妄想ですが、これだけ普及したことに誇りを持ちつつも、多くの人びとが、スマホに振り回されていることに深い失望を覚えているのではないかと思います。はい、妄想です。
フジバカマとアサギマダラ
◾️アサギマダラという蝶のことを、何年前だったか忘れましたが知ることになりました。京都市内に「源氏藤袴会」という団体があります。京都に自生する野生種、絶滅寸前種のフジバカマ(藤袴)の保全及び育成活動を行なっておられます。加えて、この花と共に京都の歴史・文化・伝統の伝承に努めておられます。こちらの団体には、選考委員長をしている平和堂財団の「夏原グラント」から助成をさせていただきました。そして、選考の際に、このフジバカマの花の蜜を吸うために、アサギマダラという蝶がやってくるということを知ったのです。
◾️アサギマダラが幼虫の時に食べる植物には、そしてブシバカマの蜜には毒があり、そのため天敵である鳥がもしアサギマダラを食べると、鳥はとても苦しむことになります。その鮮やかな模様を学習して2度と襲わなくなるのだそうです。このアサギマダラですが、「大旅行家」でもあります。沖縄や台湾などの温かい南の島から、日本列島を目指して北上します。春に南の島で羽化した新しい世代が、黒潮がもたらす上昇気流をグライダーのように利用して海を渡り、日本の涼しい高原地帯へと移動します。そして北海道まで飛ぶのだそうです。北海道の真夏の気温がちょうど良いようです(もっとも温暖化が進むとどうなってしまうのか…)。そこで産卵して、命を終えて次の世代に命をバトンタッチします。生まれた幼虫は北海道で育ち、北海道は寒くなっていくのて、今度は逆に本州を南に下って、南の島まで移動します。そして、産卵して、次の世代に命をバトンタッチします。命を繋ぐために、南北を大移動しているのです。
◾️そのアサギマダラが南下してくる時に、滋賀県を通過します。私が暮らしてい琵琶湖の西側だと、箱館山に植えてあるフジバカマにたくさんのアサギマダラがやってくるようです。そのアサギマダラ、次はどう移動するのでしょうか。調べてみたところ、はっきり確認されているわけではないようですが、そのまま比良山系の麓、比叡山の麓を移動していくようです。仮説のレベルですが、和邇、小野、堅田、雄琴、坂本と順番に南下していくのではないかというのです。それだったら、庭にフジバカマを植えてみようかなという気持ちになってきました。小さな家ですので、たくさんの花を咲かせるためのスペースは庭には無いのですが、プランターも併用して、花を咲かせてアサギマダラを呼び寄せてみようと思います。何年かかかるでしょうね。ちなみに、フジバカマはとても良い香りがします。定年退職後の楽しみが増えました。ちなみに、アサギマダラは、大変敏感な嗅覚のセンサーを持っているようです。
◾️それはともかく、生物学や生態学が専門ではありませんが、アサギマダラの生態にロマンを感じます。ぜんぜん科学的ではありませんが。
関学のキーホルダー
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◾️昨日は、石山、もっと正確には瀬田の唐橋そばの料理店で、関西学院大学同窓会滋賀支部の総会と懇親会が開催されました。その時、フラダンスをご披露くださった皆さんへの若干の寄付をさせていただいたことで、関学グッズが当たる福引抽選会に参加できました。このキーホルダーがそうです。このキーホルダーを見て、「関学にこの時計台(今は博物館、昔は図書館)があって本当に良かったな〜」としみじみと思いました。
◾️上ヶ原キャンパスが誕生したのは、第4代ベーツ院長(1877-1963)の時代になります。関西学院の在籍期間は1910年~1940年(約30年間)、また院長在任期間は1920年~1940年(約20年間)になります。日米関係など国際情勢が悪化するなか、1940年、院長・学長を辞任してカナダへ帰国しました。そのベーツ院長ですが、大学への昇格を目指して広いキャンパスを求めていました。その時、阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)の経営者である小林一三氏が、当時まだ神戸にあったキャンパスを高額で買収し、関学を阪急沿線の現在の場所に誘致しました。
◾️小林氏は鉄道を敷くだけではなく、沿線に住宅地、商業施設、学校などを配置し、新たな生活文化圏を形成することを目指していました。ということで、関西学院の上ケ原への移転は、阪急沿線の開発にもつながる事業だったのです。もちろん、両者の間を取り持った人たちもいますがそれは今回は省きます。一方、関学側も、神戸のキャンパスの売却で得た巨額の資金で大学昇格に相応しいキャンパスを作れることになりました。その際、ベーツ院長とヴォーリズは強い信頼関係で結ばれていたらしく(具体的なことはわかりません)、ベーツ院長は「大学昇格にふさわしい理想的な教育環境」を作ることをヴォーリズに依頼しました。1929年4月に上ヶ原のキャンパスが開学し、1932年には関西学院大学が設立されました。この3人の出会いがなければ、現在の関学は存在しません。
◾️さて、当たったキーホルダー、「校章」、上ヶ原キャンパスのシンボルである「時計台」(以前は図書館でしたが今は博物館)、そしてベーツ院長が提唱されたスクールモットー「KWANSEI GAKUIN MASTERY FOR SERVICE」。良い感じです。ただ時計台だけで、背景の甲山がありません。個人的にはここがちょっと残念です。ところで、私が学生の頃は、体育の時間にこの甲山の頂上まで走って登る甲山マラソンが恒例の行事になっていました。私は、19位でした。体育会でなく交響楽団の部員で19位ってなかなかものものなんですよ。昨日の懇親会で前に座っておられたフラダンスの学生さんに、「まだ甲山マラソンってありますか」とお尋ねしたら、「それなんですか?」と逆に聞き返されました。
第74回全日本吹奏楽コンクールの大学の部で、龍谷大学は金賞を受賞いたしました。
本日、府中の森芸術劇場にて開催されました第74回全日本吹奏楽コンクールの大学の部で、龍谷大学は金賞を受賞いたしました。 ご声援いただいた皆さま、誠にありがとうございました。 部員一同、より一層精進して参りますので、今後とも龍谷大学吹奏楽部をよろしくお願いいたします。 https://t.co/IUn8S3IzGo
— 龍谷大学吹奏楽部 (@ryu_windmusic) October 24, 2026
◾️昨日、「第74回全日本吹奏楽コンクール大学の部」が、東京都府中市の「府中の森芸術劇場」で開催されました。応援している龍谷大学吹奏楽部、金賞を受賞しました。おめでとうございます‼️今回で連続7回の金賞受賞になります。審査員の先生方の細かな評価については、慰労会と祝勝会という名の飲み会で、監督やコーチからお聞かせいただくことにします。
◾️こちらのネットニュースを拝見して、東北代表の秋田大学は42年ぶりに全国に出場したということを知りました。すばらしいです。しかも、学生指揮者のようです。立派ですね。また、27年ぶりの亜細亜大に関連して、このようなことが書いてありました。なるほど。納得です。
コロナ禍は部員数が30人ほどに減っていたが、2023年ごろから増え始め、都大会でも24年から金賞を重ねてきた。今年は66人になり、全国への道を切り開いた。
都大学吹奏楽連盟理事を務めるトロンボーンの鈴木晃太さん(3年)は「他大も含め、部員は増加傾向です。私たちは高校の時にコロナで吹奏楽を思うようにできなかった世代。大学ではしっかり吹奏楽をやりたいと思っている人が多いのではないでしょうか」と話す。
関西学院大学同窓会滋賀支部総会
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◾️昨日は夕方から、関西学院大学同窓会滋賀支部の総会と懇親会でした。堅苦しくない、アットホームな同窓会支部で、毎年、参加させていただいています。総会には、大学から副学長や同窓会の事務局の皆さんも来賓としてお越しくださいました。ありがとうございます。さらに、現役の「カレッジ・フラ」のサークルの皆さん「Kukui(ククイ)」が、フラダンスをご披露くださいました。実力のあるサークルです。全国大会で、団体としては3位、個人では優勝した方もおられます。
◾️宴会場の中央では、鮎を焼いていて、しだいに室内に煙が立ちこめてくる中でのフラダンスでした。とても素敵でした。ただ、あとで学生さんにお聞きすると、とても煙たかったそうです。鮎の塩焼きとフラダンス、なんだかとってもシュールでしたが、参加された方の中には、「瀬田がハワイに見えてきた」という方もおられました(宴会場が、瀬田川沿いだったものですから)。「カレッジ・フラ」の皆さんには、私も含めて同窓会の会員の皆さんから寄付をさせていただきました。引き続き、頑張ってくださいね。フラの皆さん、私たちと一緒に食事もして、お話をしてくださいました。おじいさん相手にありがとうございます。お話をしながら1つ残念だだだのは、学生食堂に、あの「ジンギスカン」がないと聞かされたことでした。もうひとつ、スピーチをしなくてはならなくなり、職場が龍谷大学ということを話したら、お店のアルバイトさんがやってこられて、「私、龍谷大学です。文学部です。2回生です❗️」と、わざわざ伝えにきてくれました。嬉しかったな〜。
◾️昨日は朝から出かけるための準備をしておきました。いつもは、ジーンズにTシャツとジャンパーというなんともラフな格好なのですが、今日は同窓会の総会ということで、校章(新月)の入ったネクタイをしめてジャケットも着用して出席させていただきました。