電車の遅延と月1回のクリニック

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▪️昨日の夕方、JRの遅延が発生して、京都駅でイライラしていると、この電車「瑞風」がやってきました。嬉しかったです。一度この特別な電車に乗ってみたいと思っています。このブログにも以前「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」という投稿をしています。ご覧いただければと思います。この電車のおかげで、イライラは少しはおさまったかもしれません。なぜイライラしていたのかというと、持病の糖尿病の関係で月1回のクリニックを受診したかったのです。16時45分まで授業があり、その後もメールの対応がいろいろあって、あわてて電車に飛び乗ったのです。どうしても診察を受けて、薬をいただきたかったのです。もうすぐ薬が切れてしまうので。なんだか、「薬物中毒」患者のようですが、もちろんそうではありません。

▪️残念ながら、遅延の影響で、クリニックに到着した時は、受付のリミット18時を5分超えてしまっていました。診察自体は18時半までされているのですが、受付は18時までだったのです。ということで、通常であれば血液検査もきちんと受けて、HbA1cや血糖値もわかるのですが、昨日はこそれらの検査ができませんでした。残念でした。日々、糖質制限を努力してやっていることの結果を、数値的に確認することができないからです。ただ、5分超えても、ありがたいことに診察だけはしてくださいました。ということで、薬はもらえることになりました。医師がおっしゃるに、これまでHbA1cの数値を低くキープしているし、体重にも変化がないので大丈夫でしょう、ということでした。

▪️話は変わりますが、一昨日は職場の奈良県人会でした。たまたまそばに座った方たち、血糖値に問題を抱えている皆さんでした。私のように「自分は糖尿病です」「検査結果はこうでした」とSNSやブログで書くような人はあまりいません。身近にそういう方達がいらっしゃっても、あまりわかっていませんでした。そもそも病気に関することは、大切な個人情報ですし、糖尿病のばあいは社会的偏見もあるので、公表するようなことではないのかもしれません。そのような社会的偏見なんですが、まず「糖尿病はだらしないから、食べ過ぎ、肥満が原因」という誤解があげられます。日本人のばあい、遺伝的要因や、日本人特有のインスリン分泌能力の低さが大きく関与していることが医学的にはあきらかになっています。私のばあい、医師によれば遺伝的要因が強いとのご意見でした。また、そのような社会的偏見とも重なりますが、「糖尿病は自己責任の病気だ」というものもあります。そのような周囲からの心ない言葉や自分のせいだという思い込みによって、強い罪悪感や恥ずかしさといったネガティブな感情を抱いてしまうのです。このような社会的偏見から、治療の開始が遅れてしまったり、中断してしまう人がいることは大きな問題です。ということで、専門家のあいだでは病気の名称を「糖尿病」から世界の共通語である「ダイアベティス」(Diabetes)へ変えようという動きもみられます。

▪️個人的意見ですが、社会的偏見に惑わされることになく、しっかり直視する必要があると思っています。というのも、糖尿病が「万病のもと」だからです。きちんと直視せず、治療に取り組まず、血糖値をコントロールできないでいると、過剰な糖が全身の血管や神経をじわじわと傷つけていきます。そして、いろんな病気のリスクが高まってしまうのです。太い血管が傷ついたばあい、脳梗塞・脳卒中、狭心症・心筋梗塞、心不全になるリスクが高くなります。

▪️細い血管が傷ついたばあい、糖尿病神経障害、糖尿病網膜症、糖尿病腎症を発症します。糖尿病神経障害が原因で足の血管が詰まり、さらに神経が麻痺してしまうと、足に傷ができても気づかなくなります。そして細菌感染から組織が腐り、足を切断しなければならなくなります。壊疽です。足のチェックを怠らないようにする必要があります。糖尿病網膜症では、ひどくなると失明します。私の母親も、たびたび眼底出血をしていました。眼球の細い血管から出血したためです。そうやっているうちに視力を失いました。ちなみに母親は、きちんと血糖値をコントロールできていませんでした。糖尿病腎症もひどくなると自分の力で尿を作れなくなり、人工透析が必要になります。そのほかにも、認知症、アルツハイマー型や脳血管型などのリスクが高まります。膵臓がん、肝臓がん、大腸がんなど、特定のがんの発症リスクも上昇します。免疫力が低下するため、コロナやインフルエンザなどの感染症に感染しやすく重症化しやすくなります。

▪️私のばあい、母親の介護をすることで糖尿病の恐ろしさに気がつきました。ただ、自分にその母親の体質が遺伝するとは思ってもいませんでした。その時は、まだこの病気についてきちんと勉強しておらず、自分がこの病気の当事者になったことでしっかり勉強するようになりました。そして、血糖値を徹底的にコントロールしようと思ようになりました。ということで、月1回のクリニックの血液検査結果をある意味で「楽しみ」にしているのです。きちんと血糖値がコントロールできていることを確認できるからです。

「いすみ鉄道」のクリアファイル

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◾️関西ではあまり知られていないと思いますが、「小湊鐵道」は、千葉県市原市の五井(ごい)駅から千葉県夷隅郡大多喜町の上総中野(かずさなかの)駅までの39.1kmを結んで走っています。一方、「いすみ鉄道」は、千葉県いすみ市の大原(おおはら)駅から千葉県夷隅郡大多喜町の上総中野(かずさなかの)駅までの26.8kmを結んで走っています。「小湊鐵道」と「いすみ鉄道」を利用すれば、房総半島を横断することになります。定年退職したら、この2つの鉄道を乗り継いで、房総半島を横断し九十九里浜まで旅行したいなと思っていました。ところが、9月の台風25号により千葉県の房総半島を走る「小湊鐵道」と「いすみ鉄道」が大きな被害を受けてしまいました。

◾️関西からたいした応援はできませんが、オンラインショップで鉄道グッズを購入させていただきました。「小湊鐵道」からは来年2027年のカレンダーを、「いすみ鉄道」からはクリアファイルを購入させてもらいました。まず「いすみ鉄道」のクリアファイルが届きました。とっても素敵なクリアファイルです。青空がとても印象的です。「ここには、『なにもない』があります。」と書いてあります。なかなかキャッチーですね。ショッピングモールやテーマパーク、そういった類の施設は「なにもない」のかもしれませんが、だからこそ、のどかな里山の景観とレトロな車両といった「ローカル鉄道ならではの魅力」がいっぱいです。そのことは沿線ガイドマップで知ることかできます。沿線ガイドブックの方も、なかなか充実しています。詳細は、画像をクリックして拡大してご覧ください。

◾️その沿線ガイドマップに加えて「鉄カード」も一緒に送られてきました。「鉄カード」というのは、初めて知りました。調べてみると、地方鉄道などの知名度向上や利用促進を目的に、全国の鉄道事業者が共同で発行している非売品のトレーディングカードなんだそうです。非売品で、今回のようにグッズを買うと付いてくるようです。これ、一生懸命集めている方、おられるのでしょうね。
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ひさしぶりの近鉄

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▪️昨日は、奈良に暮らしている孫(年長さん)の保育園の運動会の応援に行ってきました。保育園の運動会なんですが、近くの中学校の体育館借りて開催れました。ということで、いそいそと京都からひさしぶりに近鉄に乗車してまずは大和西大寺駅まで。これ、すると、見慣れない電車が停車していました。近鉄の電車のカラーではありません。これは、近鉄と東武鉄道のコラボ事業として行われていることのようです。会社同士に電車を交換したわけではなく、コラボ先の電車をラッピングしているのです。近鉄の車両を東武鉄道っぽい色に仕上げてあようです。

▪️生粋の関西人だと日光はわかっても、鬼怒川温泉や東武鉄道についてはピンと来ない人が多いような気がします。鬼怒川も読み方がわからない方もいらっしゃるのではないでしょうか。関東在住の知り合いの鉄道ファンの方が教えてくださいましたが、これは8000系の車両で、全盛期に712両もあったらしいのですが、2026年現在は約120〜130両前後(全盛期の2割以下)にまで減少し、いよいよ引退の二文字がちらりと見え始めているようです。全盛期って、今から20年以上前のことですね。また、今は関東の在住の方達でも、東武鉄道からこのような色を連想しないのではないかとのことでした。このコラボ、逆に、東武電鉄では近鉄カラーの車両が走っています。

▪️近鉄と東武電鉄のコラボ、これは日本を代表する巨大私鉄同士として、関東と関西の枠を超えてお互いの沿線観光地(日光・伊勢志摩など)への相互誘客と知名度向上を図るためのようです。そうか、関東の方たちは、伊勢志摩観光ってピンと来ないのかもしれません。鉄道に詳しい知人からは、「この白っぽい電車を見ても、関西の人は昔の泉北高速鉄道を連想するんじゃないんですかね」とのコメントもいただきました。しかし、私は、泉北高速鉄道を知らないのです。大津の前は奈良に暮らしていましたが、その頃、大阪の南の方、特に泉北ニュータウンに行く用事はまずありませんでしたから。ところで、私は鉄道が好きなんですが、子どもの時からというわけでもなく、40歳代後半からではないでしょうか。鉄道に関する知識、特に、電車の形式等については全く無知です。それでも、SNS等を通じて、いろいろご教示くださる鉄道仲間がいます。ありがたいことだと思っています。

▪️孫の保育園の運動会、お昼過ぎに終了しました。自分の孫のことではありますが、いろんな演技や競技を見てすごくしっかりしているなあと思いました。自宅では、両親に甘えていますけど。それでバランスが取れているんでしょうね。運動会の応援の後は、天王寺に移動しました。「あべのハルカス美術館」で開催されている「アンドリュー・ワイエス展」を観覧するためです。天王寺までは、近鉄奈良線で鶴橋まで行き、そこからJR環状線に乗り換えます。写真は、生駒山のトンネルを抜けて石切を通過したあたりの風景です。近鉄急行の車窓から、ひさしぶりに「この風景」を眺めることができました。奈良に暮らしている時は、あたりまえの風景でした。大阪中心部のビル街、その向こうに六甲山系。私にはとても懐かしい風景です。

「小湊鐵道」と「いすみ鉄道」

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▪️市原市に暮らしている大学時代の後輩のところに遊びにいったさい、「小湊鐵道」のことを知りました。そしてこの「小湊鐵道」と接続し、九十九里浜まで走る「いすみ鉄道」のことも知りました。今回、この「小湊鐵道」と「いすみ鉄道」が台風で大被害を受けたとこと知りました。特に「小湊鐵道」は復旧までに1年以上かかるようです。しかし、それでも、「必ず復旧させるぞ」という強い気概が会社から伝わってくるのです。なにもできませんが、せめてもとの思いから「小湊鐵道」のカレンダーを購入させていただきました。また、「いすみ鉄道」については、クリアファイルを購入させていただきました。

阿下喜界隈散策

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20261007ageki7.jpg▪️前回の投稿のように阿下喜で下車したあと、三岐鉄道北勢線の終点、阿下喜(あげき)の街を散策しました。三重県いなべ市北勢町の阿下喜は、江戸時代から昭和中期にかけて地域の経済・交通の拠点として大いに栄えていたそうです。ところが、その後モータリゼーションによって衰退していくことになりました。ところが、最近は、逆に「レトロな風情」(開発が行われなかった)を活かして、まちおこしで注目を集めているようです。古民家を改装したカフェや店舗があちこちにありました。駅の近くには、ヴィジターセンターもあり、親切にご案内いただきました。

▪️散策をした後、昼食は、ちょっと奮発しました。「Nord」というカジュアルなフレンチレストランを見つけて、「1人ですけどいいですか」と恐る恐る入りました。こちらは、古民家ではなく、新しい建物でしたが。予約がたくさん入っているようですが、入り口近くのテーブルならばとOKが出ました。前菜は、いなべ市で採れた野菜も使ったサラダ。自社製と言っておられました。このレストランを経営しているのは、株式会社松風カンパニーです。会社組織で、市と連携しながら阿下喜の街中にさまざまな古民家を活用した施設を開店させておられます。地域の食やカルチャーを発信する事業に取り組んでおられます。ここのフレンチレストランも、そのうちのひとつなのです。この日のメインは「”さくらポーク肩ロースのBBQ煮込み”〜クスクスと自家製パンと薪焼き野菜添え〜」です。こちらのお店、ガスを使わずに薪の火で調理されているようです。クスクスとパンは、糖質制限している身には辛いのですが、今日は自分に目をつぶることにしました。ちょっと集中して仕事を終えたところなので、自分へのご褒美です。

▪️昼食のあとは、阿下喜駅の近くにある「いなべ阿下喜ベース」に行きました。ここ、温泉もあるんですよ。この温泉にゆっくり浸かりました。宿泊施設もあります。まちおこしの拠点なのだと思います。頑張っていただきたいと思います。この施設の向こうに山が見えますね。この山の向こうは滋賀県です。車で移動すると、多賀町や彦根市になります。でも残念ながら、公共交通機関は動いていないので、阿下喜→桑名→名古屋→新幹線で京都…ということになります。仕方ありません。ぐるっと回って帰宅しました。

▪️三岐鉄道北勢線で桑名に戻るさい、「ナローはつづくよどこまでも」と書かれたポスターを見かけました。ネットで調べると、「三岐鉄道北勢線のナローゲージをテーマにした、東員町総合文化センターひばりホールで上演される住民参加型のオリジナルミュージカル」とのこと。地域が北勢線を応援していることがわかります。私が帰るころ、ちょうど高校生がたくさん乗って来ました。沿線の高校に通学している生徒さんたちですね。ただ、ネットで調べてみると赤字経営のようですが、沿線の自治体が支えているようです。大変ですね。でも頑張って欲しいです。滋賀県では、近江鉄道が同様の経営上の問題を抱えていますね。全国のローカル鉄道のこと、気になります。

三岐線北勢線

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▪️全国に3つしかないナローゲージ(レール幅がわずか762mm)鉄道の1つ、三岐線北勢線に乗って、終点の阿下喜まできました。もともと軽便鉄道です。大垣から桑名までは養老鉄道でした。養老鉄道では、養老山地の麓に続く連続する扇状地の斜面を横移動して独特の地形を楽しみました。こちらの三岐線北勢線では員弁川が削り残した大地の段差、河岸段丘の緻密な地形を楽しみました。できるだけ、水平に走るためには、河岸段丘をウネウネと走っていくことになります。特に、この北勢線の後半の部分です。1両目の運転室の斜め後ろからずっと前の景色を眺めて、そのウネウネを楽しみました。私は古希前のおじいさんですが、心はウキウキです。鉄道好きの少年のようですね。鉄道の楽しみ方としては、王道からかなり外れますが、これはこれでアリなのかな。一応、私は社会学に分類される人なんですが、今日は地理学っぽいです。

▪️写真の1段目右と2段目左について少し説明します。これは転車台です。この転車台とは、終着駅などで列車の方向転換するためのものです。もともとは別の駅のそばにあったようですが、阿下喜駅が新しくできたとき移設したようです。駅の北側にあった製材所から引込線が北勢線の本線と直行して設けられて、製材所で材木を詰んだ貨車を転車第まで人力で推し出し、転車台で90度方向転換をして本線へ合流させていたそうです。これ、現地にあった解説板からの引用です。

▪️写真2段目左。北勢線の前身である北勢鉄道が1931年(昭和6年)の阿下延伸ならびに殿下に合わせて製作した「モハニ50型電車」6両の内の最後の1台だそうです。これも現地にあった解説板からの引用です。

養老鉄道と「西桑名第2号踏切」

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▪️岐阜県の大垣でのイベントの後、大垣で1泊しました。朝、まずは養老鉄道に乗って大垣から桑名まで移動することにしました。大垣を出発してしばらくすると、線路は養老山地の方に大きくカーブします。養老山地の麓には複合扇状地があり、何本もの川が作った扇状地が連続してつながっています。養老鉄道は、そこを横に進んでいくのです。独特の地形と景観を楽しみました。また乗りたいです。以下は、帝国書院の教科書からの引用になります。

岐阜県の養老山地山麓にみられる扇状地は、標高150m付近の扇頂から標高10m付近の扇端まで、東に向かって傾斜している。

扇央では、川は表層水のみられない水無川となる場合が多く、伏流した水は扇端で湧き出す。扇状地の大部分を占める扇央は、水の確保が難しいために開発が遅れていたが、その後、畑や桑畑などに開発され、より収益性の高い果樹園などに切り替わっていった。一方、水の確保が容易だった扇端付近には早くから集落が立地し、水田が開かれてきた。洪水時の氾濫に備え、扇状地の川の流路を人工堤防などによって固定すると、土砂が河道に堆積し、天井川化する。この地図中の小倉谷でも、河道の下をくぐる鉄道や道路などのトンネルを3か所確認できることから、天井川が形成されていると判断できる。

▪️桑名に到着したらすぐに、「西桑名第2号踏切」へ移動しました。まあ、ここは鉄道ファンには「聖地」の類だと思います。三岐鉄道北勢線のナローゲージ(レール幅が762mm)、JRの狭軌(1,067mm)、近鉄の標準軌(1,435mm)、3つのレール幅の違う鉄道を一度に見ることができるのです。はい、とても喜びました。まず北勢線の電車が通過し前に進むと、今度はJRの踏切でストップ。渡ると今度は近鉄の踏切でストップ。はい、楽しめました。このあと三岐鉄道北勢線に乗り、終点の阿下喜まで行きました。当初は、四日市あすなろう鉄道も楽しむ予定でしたが、昨晩の懇親会と二次会で体力を消耗してしまったので、この日はこの北勢線の往復&阿下喜の観光を楽しんで、滋賀に帰りました。当初は、帰りは関西本線、草津線、琵琶湖線、湖西線で帰宅する予定でしたが、名古屋経由で新幹線で京都まで帰りました。軟弱者です

小湊鉄道のこと


▪️今回の台風25号で房総半島、千葉県には相当な被害が出ています。よく報道されているのは、印旛沼周辺の佐倉市や成田市の水害のことですが、私のばあいは、「小湊鐵道」のこともとても気になっています。一度も乗ったことがない鉄道です。市原市に大学時代の後輩が暮らしていたときに遊びにいったのですが、その時、市原市のJR五井駅でJRに接続している私鉄があることを知りました。それが「小湊鐵道」でした。

▪️房総半島を走るノスタルジックな里山ローカル線です。「いすみ鉄道」と接続していて、九十九里浜までいけるようになっています。定年退職したら、旅行してみたいなと思い続けている鉄道です。でも、今回の台風でものすごく深刻な被害を受けておられます。なんとか復興してほしいです。ただ気持ち的に応援することしかできませんが。最新のXへの投稿では、「社長が保線服に着替え、長靴を履き現場の状況を確認しました」と書かれています。力強く歩く社長さんの後ろ姿に、なにか強く感じるものがありました。頑張れ、「小湊鉄道」!!

8月の通勤ウォーキング(2)

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▪️昨日は、午前中、遅めに出勤しました。そして、京都駅から深草キャンパスまで歩きました。ちょっと寄り道したので、いつもよりも距離と歩数が伸びました。もちろん、日傘をさして、日陰を求めて歩きました。これだけ気温が高いのですが、助かるのは肌がべたべたするような「蒸し暑さ」ではないことです。からっとしている暑さのような気がします。日陰で風がさっと吹いたりすると、「ああ、涼しい」と感じるのです。日本の夏は「蒸し暑い」のが特徴ですが、今年は「チベット高気圧」が張り出していて、そこから乾いた風が吹き下ろしてくるようです。

▪️気象のことはともかくです、寄り道のことを書きます。先日から、通勤で歩いている竹田街道をかつて京都市電が走っていたことを知り、俄然、京都市電の伏見線、そして稲荷線のことが気になっていました。ということで、まずは京都駅の北側で「電気鉄道事業発祥地」の記念碑を確認しました。最初は京都市電ではなく京都電気鉄道だったわけです。記念碑の横には、国鉄、京都市交通局、関西電力、阪急電鉄、京阪電気鉄道、近畿日本鉄道、阪神電気鉄道、南海電気鉄道、京福電気鉄道、そして鉄道友の会の名前が並んでいます。関西で電車を走らせている会社が勢揃いしています。今日はここがスタートです。

▪️この「電気鉄道発祥地」については、12年前の投稿(2014年10月14日)「電気鉄道事業発祥地」に詳しく書いていますので、そちらをご覧いただければと思います。

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20260806walking7.jpg▪️このあと、京都駅の地下街に再び入って少し身体を冷やしてから竹田街道をくだりました。街道沿いの古民家をながめて、かつての竹田街道のことを妄想したりしながら、まずは宇賀神社へ。竹田街道を南へ進み札の辻で東にまがるとあります。由緒なんですが、藤原鎌足がこの地域で遊猟していたときに、金璽(金の印鑑)をみつけたのがことの発端のようです。ですから、京都に都ができるずいぶん前のことになります。

▪️宇賀神社を確認して、鴨川を渡り、稲荷新道の交差点を東に曲がります。昔、ここに京都市電の稲荷線が走ってたようです。しかも、路面電車じゃなくて、京都市電の中で唯一の全線専用軌道だったようですね。調べてみたところ、伏見稲荷にお参りするための歩道を整備したその横を地面を盛り上げて線路を敷設したようです。今、道路の両端にある住宅の2階ほどの高さがあったという記述をネットでみつけただけなんですが。

▪️昔の稲荷線があった場所ですが、今はこのように道路と、終点の伏見稲荷大社前の近くは児童公園になっていました。昔は、京都市電と京阪のレールがクロスしていました。そして、京阪の伏見稲荷駅の踏切を渡ったあたりに、終点の停留所があったようです。今は、京都市電稲荷停留場跡の説明版が設置され、少しだけ残っているレールも確認できるようにしてありました。これで、今日のウォーキングの目的を達成しました。そのあとは、ひさしぶりに琵琶湖疏水を眺めながら、深草キャンパスに向かいました。

▪️こうやって調べて歩いていると、かつてのこのあたりの様子がぼんやりとですが、頭のなかに浮かんできます。「今昔マップon the web」という便利なサイトがあって、今昔の地図を比較してみることができます。現在の地図と、様々な年代の地図とを比較対象できるようになっています。これでみると、以前(1922-1923)、京都電気鉄道は田園風景のなかを走っていたことがわかります。ちなみに、私の研究室のある建物などは、練兵所の端に建っていることになるわけですね。
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▪️帰宅時、今日も京都駅まで歩きました。私は、大学の保健管理センターの「ウォーキングキャンペーン」に参加していますが、参加されていない龍大教職員の方達も、私のようにいちいちSNS等にアップされていないとは思いますが、たくさんの方達が歩いておられます。励みにしています。昨日は、京都駅と深草キャンパスの間をおよそ8km歩きました。午前中、寄り道したので通常よりも距離が伸びています。そして1日のトータルの歩数は「16,363歩」になりました。京都駅に到着した後、水曜日ということで帰りも寄り道しました。午前中は京都市電で寄り道、夕方は大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で寄り道。水曜日ということで、これまたいつものご常連の皆様と合流しました。これ、「大人の部活」ですね。こういう場所があってくれることを、とても幸せに思っています。ちなみに、「利やん」は、8/8〜8/16までお盆休みです。
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阪急電鉄「大阪梅田駅」

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▪️小学校時代のクラスメイトに会いに尼崎まで出かけました。転園と転校を重ねてきた人生なので、小学校時代のクラスメイト、しかも小学校があったのは北九州市なので、関西在住のクラスメイトは余計に貴重な存在なのです。

▪️滋賀の自宅から大阪まではJR、大阪から尼崎までは阪急電車で。帰りはしばらく大阪梅田駅内にあるカフェから、ホームの工事の様子を眺めていました。人口減少に合わせて10両編成をやめて8両編成にしたので、それに合わせてホームも短くし、広がるスペースをもとに、改札口のバリアフリー化やゆとりのあるコンコースを設けて利便性を高めるのだそうです。こちらが、
そのニュースです
。こちらは阪急電鉄の広報です。さて、そのカフェなんですが、外とつながっているのであまり空調が効いておらず、店内ではサーキュレーターが動いているのですが、それでも暑かったです。でもその暑さを少し我慢して眺めていました。全ての工事が終わるのは30年代後半らしいので、ずらりと並んだマルーンの阪急電車を眺められるのは、まだだいぶ先になりますかね。健康を維持しておかなくちゃ。

▪️帰り、大阪からはJRに乗りました。でも、あとで気がついたんですが、これに乗って帰れば良かったなと。「京とれいん雅洛」。まだ乗ったことがないのです。阪急の四条河原町まで行き、そこからは京阪に乗り換えて京阪山科まで行く。そして、JR山科駅から湖西線に乗る。ちょっとした旅行気分を味わえたかもしれません。

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