「あなたの健康年齢」
▪️ 「健康年齢」に関するお知らせが届きました。勤務している大学は私立大学なので、定期健康診断の後は、日本私立学校振興・共済事業団からこのようなお知らせが届くのです。糖尿病になる前は、実際の年齢よも少しだけ「健康年齢」が上でした。体重も重いし、肝臓関係の数値も良くないし…。ところが、糖尿病の治療を始めて、体重も様々な数値も下がった結果、実際の年齢よりも若いという通知が届くようになりました。
▪️今回は、実際の年齢よりも8.8歳若いのだそうです。まあ、これで安心したらダメなんですが、まずは一安心。このように書くと「こういう数値に振り回されているのでは」とか、「そんなに長生きしたいのか」といった感じで意見されたりちょっと叱られたりするのですが、寿命は別にして、健康寿命だけは伸ばしたいと思います。昨年は、運動が足りませんでした。自覚があります。今年は、気をつけないといけません。
冬期休暇期間中の歩数が…
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▪️正月を含めた冬期休暇の間、自宅にいることが多く、歩くことがあまりありませんでした。これ、ダメですよね。大学が始まると、通勤で歩くことはもちろん、キャンパス内をあちこち歩くことになります。通勤では、原則、エレベータやエスカレーターを使わず、階段を使います。「階段主義者」なんです。しかも、できる限りではありますが、「1段抜かし」で歩きます。歩数は減りますけど、負荷を高めています。最寄りの地下鉄駅の「くいな橋」も改札のある地下から地上までは階段を使います。研究室は「聞思館」の4階にありますが、階段を使うようにしています。
▪️研究室から教務課やメールボックスのある「紫英館」まで歩きます。生協のコンビニのある「2号館」の地下や、生協の学生食堂のある「22合館」の地下、それから図書館まで歩きます。そうすると、歩数も1万歩前後まで伸びることになります。最近は寒いのでやっていませんが、京都駅まで歩くとさらに歩数がブラスされます。ちなみに、社会学部が大津市の瀬田キャンパスにある頃は1万歩には届きませんでした。7500歩前後でしたかね。社会学部が瀬田キャンパスから深草キャンパスに移転して、歩数が伸びることになりました。健康にはプラスということになりますね。
▪️ところで、今はこうやって働いていますから歩数が1万歩前後になりますが、定年退職して家にいることが多くなると、今回の冬期休暇のように歩数が減ってしまうことになりそうです。心配です。これ、まずいですよね。気をつけなくてはいけません。意識してウォーキングを日常生活の習慣にして楽しまないとと思いますし、いろいろあちこちに出かけないといけません。「サンデー毎日」(毎日、日曜日のように自由に時間を使える)はいいけれど、「全日空」(終日、何もする予定がない)は歩数が減ることになります。
第1回「BIWA100」
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▪️昨日の11月1日から本日の2日にかけて、徹夜で100km歩く「BIWA100」が開催されました。長浜をスタートして、途中、彦根城の周りを、そして近江八幡市の市街地の周囲を歩き、ついでに琵琶湖大橋も往復しながら、どんどん南下し、そして南郷洗堰で折り返し浜大津でゴールというコースになります。
▪️昨年までの「びわ100」と「BIWA100」とでは違う大会になります。主催する団体が変わったのです。「びわ100」では、6回完歩しました。その最後の大会は、龍谷大学吹奏楽部のOBで仲良しの上道 郁夫さんと、一緒に歩きました。そして、自己最高記録でゴールしました。今年から始まる「BIWA100」も一緒に上道さんと歩くはずだったのですが、うっかり11月1日に仕事(講演)を入れてしまいました。ダブルブッキングです。ということで、私は仕事優先で欠場することになりました。でも、せめて最後だけは一緒に歩ければと思い、草津イオンモールのあたりからゴールまで、約18kmを同行させていただきました。疲れておられる上道さんの応援です。
▪️朝5時半前だったと思いますが、草津イオンモール近くの交差点で上道さんと出会いました。歩きながら、道中のことをいろいろ聞かせていただきました。近江八幡のあたりで、突然豪雨が降り出して、びしょ濡れになってしまったとのことでした。予報では雨が降りそうになかったので、上道さんはシューズも、GORE-TEXのものから軽いメッシュのシューズに変えて出場されました。それが裏目にでました。シューズの中は濡れてしまい、足裏に肉刺をつくってしまうことになりました。かなり辛い感じのようでした。ご本人がおっしゃるには、今年は、9月は発熱で寝込まれたり、また大阪万博にも何度も通われたことから、いつもよりも練習量が少なかったことも影響しているのではと自己分析されていました。それでも、昨年に近いタイムでゴールです。22時間半ぐらいだったと思います。
▪️そうそう、プリンスホテルに近いところにある「たねや」さんの「ラーゴ」の前を通った時に、女性の皆さんが「ラーゴ」のガーデニング作業に取り掛かろうとされているところでした。そのお一人は小玉 恵さんでした。びっくり。頑張ってゴールしてくださいと声をかけていただきましたが、今回私は単なる応援でして…。写真は、上道さんのゴールシーンです。完歩おめでとうございます。帰宅されたら足裏の肉刺や爪のケア大切になさってくださいね。
▪️トップの写真、瀬田川を遡って南湖に入ったあたりで撮りました。近江大橋の向こうに見えているのは比良山系です。左端に見えているのは比叡山です。上道さんと一緒に写っているのは、瀬田川沿いにある龍谷大学端艇部の艇庫の前になります。記念写真です。
通勤ウォーキングと農村RMO
▪️今日は、授業も会議もありませんが、出勤しています。京都駅からは、地下鉄に乗らずに歩きました。たいした距離ではありませんが、積み重ねが大切ですからね。風も吹いて気温も高くはなかったのですが、ちょっと蒸し暑さもあって、汗をかきました。リュックを背負っているので、Tシャツとジーンズが湿ってしまいました。今日は、きっと帰宅時も歩くのではないかと思います。
▪️さて、自分の研究以外、授業も会議もないのですが、ひとつだけ用事があります。理事をしている「仰木地域共生協議会」の今後の展開について、この協議会に参加しているNTT西日本(滋賀支店)の系列コンサル会社の方が来学されて、「仰木地域共生協議会」のビジョン策定のためにヒアリングをしてくださいました。「仰木地域共生協議会」に参加している特定非営利活動法人「琵琶故知新」の理事長として、また仰木の近くに暮らす地域住民として、これからの協議会の展開に関していろいろお話しすることができました。ややこしいのですが、「琵琶故知新」はこの「仰木地域共生協議会」に参加・参画しており、理事長の私は、この協議会の理事にも就任しています。
▪️この「仰木地域共生協議会」は、農林水産省の「農村型地域運営組織(農村RMO:Region Management Organization)」の支援を受けています。複数の集落の機能を補完して、農用地保全活動や農業を核とした経済活動と併せて、生活支援等地域コミュニティの維持に資する取組を行っていきます。「仰木地域共生協議会」の場合は、農村と隣接する新興住宅地の連携、言い換えれば、生産者と消費者の連携という点がユニークなのではないかと思うのですが、どうでしょう。全国各地の取り組みをもっと勉強してみます。
▪️というわけで、ウォーキングと農村RMOは何も関係していないのです。今日の出来事を投稿しただけですかね。すみません。
「びわ100」から「BIWA100」へ
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▪️昨年まで10回続いた「びわ湖チャリティー100km歩行大会」=「びわ100」が、「BIWA100 ENDURACE WALK」として生まれ変わります。「びわ100」では、6回参加して、6回完歩しました。「BIWA100」でも完歩を続けられるように頑張りたいと思います。「100km歩ける自分」ということが、日々の自信にも繋がっていくように思います。以前、80代で「びわ100」に出場された方がおられました。そういうふうになるのが理想ですね。
▪️「BIWA100」、11月1日に開催されます。
大阪・渡船・ウォーキング
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▪️まだ、もう少し先のことになりますが、「びわ100」(びわ湖チャリティー100km歩行大会)を一緒に歩いたバディ、龍谷大学吹奏楽部OBの上道 郁夫さんと、大阪の街中を歩くことにしました。少し私の方の「脚」の準備をして、楽しみたいと思います。昨年の「びわ100」完歩以降、まともにウォーキングに取り組んでいないからです。
▪️1段目の地図に示したウォーキングのコース、これは上道さんが開発されたコースです。大阪市内に残る8つの渡船と4つの大橋を渡るコースです。今回は、なんといっても、この8つの渡船に乗ることが最大の楽しみになります。地図上の黒の丸で囲んだところが、その渡船です。全て無料です。2段目右の地図の番号が渡船の場所です。①天保山(てんぽうざん)渡船場/②甚兵衛(じんべえ)渡船場/③千歳(ちとせ)渡船場/④落合上(おちあいかみ)渡船場/⑤落合下(おちあいしも)渡船場/⑥千本松(せんぼんまつ)渡船場/⑦船町(ふなまち)渡船場/⑧木津川(きづがわ)渡船場になります。詳しくは、こちらの大阪市の解説や、こちらの記事をお読みいただければと思います。
▪️2段目左の地図をご覧ください。今回のコースは、大阪のかなり海に近いエリア、此花区、港区、大正区を巡るコースになります。渡船に乗船するため、住之江区や西成区にも入りますが、すぐに渡船で引き返すことになります。大まかな説明になりますが、江戸時代以前は淀川が運んできた土砂でできた荒地でした。当時の淀川は、今の淀川とは違う場所を流れていました。そうやって生まれた土地を、江戸時代には新田開発が行われました。明治時代になり、それらの農地が工業化や都市化が進む中で、しだいに市街地になっていきました。「水の都」と呼ばれた大阪の歴史も含めて、このウォーキングを堪能したいと思っています。もちろん、事前に、もう少し歴史的なことについても勉強しておこうと思います。これまで、私は琵琶湖水系の環境ガバナンスについて研究してきましたが、このウォーキングのコースは、その琵琶湖水系も含む琵琶湖・淀川水系の最後のエリアになります。
▪️今は、渡船は8つですが、上の大阪市の解説には、次のような説明がありました。
古来数多くの川が流れ、水の都と呼ばれた大阪には、人々の往来のための渡船場が各所にありました。当初民間によって営まれていた渡船は、明治24年に大阪府が「渡船営業規則」を定め「監督取締り」を行うようになり、明治40年には安治川、尻無川及び淀川筋の29渡船場については市営事業として市が管理することになりました。
大正9年4月、旧道路法の施行により渡船は無料となり、昭和7年4月以降はそれまでの請負制を改め、ほとんどが市の直営方式になりました。そして昭和10年頃には渡船場31か所、保有船舶数69隻(機械船32隻、手漕ぎ船37隻)、年間利用者は歩行者が約5752万人、自転車等が約1442万台を数えました。
▪️このような渡船が今でも残っていることには理由があります。上のリンク先の記事によれば、以下のとおりです。
自動車道路や地下鉄、バスといった交通インフラが発達している現代、それも大都会・大阪でなぜ今も現役で渡船が稼働しているのでしょうか。渡船場が点在する大阪市のベイエリアには、いくつもの河川や運河が網の目のように張り巡らされています。それらの水辺に隣接して多くの工場や機械施設等が立地し、それら施設への資材や原料の搬入出のため、大型の船が河川や運河の奥深くまで出入りします。そのため、河川に架けられる橋の数が制限され、また運搬船が航行可能な大型サイズの橋のみが建設されることとなりました。ところが、それらの施設に勤める労働者や、当地域に暮らす人たちにとっては、通勤・通学などの際に、大きな橋をわざわざ上り下りしたり、橋のあるポイントまで大きく迂回しなければならないという不都合が生まれたため、生活に必要な交通インフラとして渡船は今も稼働を続けているのです。
▪️上道さんが「開発」されたコースを歩くと、だいたい27kmになるのだそうです。トップの地図、2段目左の地図は、手元のiPadに入っている「キョリ測」というアプリで描いたものテス。どうしても不正確になるので、もう少し距離が短くなってしまっています。ちなみに、緑の丸は、安治川の川底にあるトンネルです。上道さんからは、渡し船の待ち時間があるので、結構な休憩時間が入るそうです。ですから、ウォーキングのトレーニングというよりも「大人の遠足」になるようです。それはそれで楽しいです。以前同僚だった原田達先生は、今から3年半前に大阪の「低山」をランニングで巡られました。その時のご経験から、原田先生に上道さんと歩くことをお伝えしたところ、「渡し船は、大阪の、下町の、普通の人びとの生活の香りそのままでとても気に入りました」とお返事をいただきました。楽しみですね。まだいつになるのか決まっていませんが、ゴールは西九条駅になりますが、近くの銭湯で汗を流して、最後は上道さんご夫婦との飲み会(直会)になる予定です。
▪️以前、中沢新一さんの『アースダイバー』に強い刺激を受けて、東京にお住まいの建築家や写真家と共に、東京の街をよく歩きました。その延長線で、大阪の街も、特に上町台地を中心によく歩きました。その時のことは、民間が提供していたブログに投稿していましたが、サービスが停止したために全ての投稿が消えてしまいました。もう少しきちんと対処して、別の民間ブログに移しておけばよかったよかったなと思っていますが、今となってき仕方がありません。また、歴史の地層を風景の中で深掘りしていくようなウォーキングができればなと思っています。
3月のような暖かさ…諸々
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【ウォーキング】
▪️家で仕事をしているとほとんど歩かないことになるので、少しウォーキングをしてきました。いつもの公園から琵琶湖の北湖を眺めると、今日は薄ぼんやり伊吹山が見えました。もっと気温が低ければクリアに見えるのですが、急に3月のような気温になってきて景色はぼやけています。こんなに気温が高いと、琵琶湖の全層循環(琵琶湖の深呼吸)はどうなるのでしょう。心配ですね。
▪️ウォーキングの途中で、公園の端にお地蔵さんや同祖神が祀ってあることに気がつきました。何度もこのあたりは歩いていても、気がついていませんでした。きちんとお花も添えてあります。どなたかが、お世話をされているのでしょうね。もともと、このあたりは里山と農地でした。そこを新興住宅地を造成したのです。これは想像ですが、元々祀っていたものか、工事で見つかったものをここに集めているのではないかと思います。たしか、地蔵盆はやっていませんね。このあたりは小学生以下の年齢の子どもたちがたくさんいるので、よろこぶだろうな。もっとも、私自身は子どもの頃九州にいたので、地蔵盆の経験はありません。先日、「地域エンパワねっと」(社会共生実習)の相談会で、この地蔵盆のことと関連して学生さんと話をすることがありました。この地蔵盆、まちづくりに関連して大切な行事なのではないかと思います。
【鬼門について】
▪️話は変わります。「鬼門」について「あっ」と思ったことがあります。鬼門とは、北東の方角で、鬼が出入りする方角なのだそうですね。災いがやってくる方角なのだそうです。そのためなのか、どうかよくわかりませんが、京都の御所の北東には比叡山延暦寺があります。最澄が鬼門封じのためにこの場所を選んで延暦寺を建立したのか、たまたまなのか。どうなんでしょうね。知識がなくてよくわかりません。
▪️まあ、それはともかくです。地図で京都の御所から北東方面に確かに比叡山延暦寺があります。地図に定規を当てるとよくわかります。で、今日、気がついたのです。御所の北東に延暦寺があって、延暦寺の北東に我が家があることに。京の都の鬼門の方角に暮らしているのです。というか、延暦寺が鬼の侵入を防いでいるとしたら、我が家のあたりは鬼がたくさんいはる場所なのかな。いや、だからどうなんや…って話ではありますし、私が鬼門のことを気にしているわけでもないのですが。
【イサザ豆】
▪️またまた、話は変わります。先日、沖島で作ったイサザ豆をいただきました。この季節、琵琶湖の固有種であるイサザの漁は最盛期のはずです。このイサザ豆は砂糖を使っているので、持病のため一度にたくさんは食べられませんが、ビール(無糖)のあてとして楽しんでいます。本当は、イサザの吸い物とか味わってみたいのですが、どこにでも売っているわけではありませんので。なかなか難しいです。早めに夕飯の買い物に行き、お相撲初場所を「ビール(無糖)&イサザ豆」で観戦しています。
BIWA100 ENDURANCE WALK
▪️昨年の10月に第10回「びわ湖チャリティー100km歩行大会」が開催されました。この第10回が最後の大会になりました。とても残念なのですが、仕方がありません。ところが、「びわ湖チャリティー100km歩行大会実行委員会」からこの「びわ100」の大会運営を引き継いでくださる団体が現れました。一般社団法人「HAYA-ASHI」です。こちらの中山博識さんは、「びわ100」の運営にも関わっておられましたが、ご自身が設立された一般社団法人で引き継ぐことにされたようです。
▪️今年からの大会名は「BIWA100 ENDURANCE WALK」になります。「BIWA100」はこれまでと同じですが、後半の「ENDURANCE WALK」は耐久歩行という意味になりますね。私は、過去6回「びわ100」を完歩してきましたが、達人レベルの方達は別格にして、私のような普通のウォーキングのレベルの人であれば、まさに「耐久歩行」なんです。辛いです。辛いけれど、また出場したくなるのが「びわ100」→「BIWA100」なんだと思います。100km完歩できたということは、自信にもつながりますしね。
▪️以下は、中山さんがFacebookに投稿されたものです。開催予定日は2025年11月初旬の予定のようです。これまでは10月の中旬あたりでしたが、もう少し気温が下がってくるでしょうね。こういう時期に、雨が降る中歩くことになると、辛いだろうな〜と想像しながら、次回も申し込んでいることと思います。
【関連投稿】▪️過去、「びわ100」に関連した投稿です。カテゴリーの欄にある「びわ100」のリストになります。
「びわ100」の写真をパネルにしてもらいました。
▪️先月歩いた「びわ湖チャリティー100km歩行大会」=「びわ100ファイナル」。「ファイナル」ということで、10年続きましたが、最後の大会でした。龍谷大学吹奏楽部OBの上道 郁夫さんと一緒にゴールした際、記念すべき瞬間を写真に撮ってもらったので、その写真をパネルにしてもらいました。
▪️全国各地で開催されるマラソン大会等でも同じだと思いますが、スタート地点、コース沿い、そしてゴール地点にカメラマンの方達がいて、参加者を撮影していきます。けっこう、大変なお仕事かなと思います。その写真は、後日、ネット上で確認することができます。必要な写真を希望すれば、希望のサイズで購入することができます。何枚も写真を購入しましたが、このゴールのシーンだけは、パネルに仕上げてもらいました。自分の書斎か研究室に飾っておくことにしようと思います。パネルの写真、向かって右側の上道さんはしっかり歩いておられますが、私はどうかといえば、ヨタヨタしているように見えますね。でも、これが限界でした。
▪️こういう形の写真の販売、ウォーキング大会やマラソン大会だけではないのですね。先日の息子の結婚式でも、カメラマン(女性でしたが)の方が式の前後も含めてたくさんの写真を撮ってくださいました。これは後日、パスワードを入力して関係者だけ見て購入すことができるようになるのだそうです。これはと思うものを数枚購入しようと思います。親族でもたくさんの写真を撮りました。スマホですが。それらの写真を親族のLINEグループのアルバムで共有しています。便利な時代になりましたね。
100kmウォーカーによる「反省会」
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▪️大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で、先日開催された「びわ湖チャリティー100km歩行大会」に出場した滋賀県庁の職員の皆さんと「反省会」を持ちました。全員、完歩しました。全員「100kmウォーカー」です。というわけで、祝勝会のようなものなのですが、「びわ100」での経験を共有しあいました。お若い3人は、まだ20歳代です。
▪️向かって一番右のメガネの男性は、昨年も参加されましたが、70kmのあたりでリタイヤ。今年はリベンジでした。無事に完歩されて、大変満足されていました。70kmでリタイヤ、さぞや悔しかったことでしょうね。向かって一番左の男性は、ラガーマン。「練習しなくても100kmは歩けるやろ」とぶっつけ本番で完歩されました。完歩はされましたが、最後はめちゃくちゃ苦しかったようです。1kmを歩くのに18分もかかっています。足を前に出すのが精一杯だったのではないでしょうか。その苦しかった時に、沿道からたくさんの励ましの言葉をかけていただいたことがとても嬉しかった感動したとおっしゃっていました。大切な経験をされました。その後ろの女性は、途中の休憩時に眠たくて仮眠を取ったりされたのですが、70kmを超えてから驚異的な速さで歩かれました。すごいですね。真ん中のお2人は、ベテランの職員さんです。昨年と同様に、今年も立派なタイム完歩されました。
▪️とても残念なのですが、「びわ100」は今年が最後でした。ファイナルですから。80歳になっても挑戦できるような自分でありたいと思っていたものですから、今年が最後というのはとても残念なのです。でも、滋賀県庁の職員の皆さんとの長い距離のウォーキング(44kmの練習会)、来年以降も継続できれば嬉しいなと思っています。ベテラン職員のおひとりは、「一歩ずつ前へ成し遂げる達成感、共感、このような会は続けたいですね」とおっしゃっていました。本当に、そう思います。
▪️以下は、「びわ100」が公表されているデータをもとに作成した「第10回びわ湖チャリティー100km歩行大会結果(世代順)」です。ベテラン職員の方が作成してくださいました。ありがとうございます。私と一緒に歩いてくださった、龍谷大学吹奏楽部OBの上道さんのデータも整理してくださいました。チェックポイント(CP)間のスピードですが、休憩時間も含めたものです。
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