ドローン仏による来迎

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▪️浄土宗の寺院である龍岸寺で、6月21日に、「念仏を唱える人の元に、阿弥陀如来が25菩薩(ぼさつ)を伴い訪れる『来迎(らいこう)』をドローンで表現する取り組み」が開催されました。以下が、その時の動画です。京都新聞さんのものです。

▪️私は、このお寺の考え方にすごく共感していて、記念品を購入してしまいました。そのうちのひとつが、平安時代から描かれてきた仏画「極楽来迎図」をモチーフに、ドローン仏による来迎図をアクリルスタンドにしたものです。そうなんです。通常の仏画では、臨終の人のところへ、阿弥陀如来と菩薩が蓮台に乗ってやってこられるですが、この記念品では、ドローンの蓮台に乗ってこられています。とても楽しそうです。音は聞こえてきませんが、きっと素敵な音楽が奏でられているのではないかと思います。仏教だし、描かれている楽器からは、邦楽っぽい音楽だと思いますが、私としてはオーケストラでお願いしたいです。なんの作品かは内緒ですけど(笑)。

▪️一番右下の観音菩薩が前に差し出しているのが、亡くなった人がぴょんと飛び乗る蓮台です。「さあ、飛び乗ってください。阿弥陀如来と菩薩と一緒に、お浄土にまいりましょう。あなたも仏や菩薩(ぼさつ)となり、この世に戻って未だ迷いや苦しみの中にある人々をお救いください」と語りかけているかのようです。このあたりのイメージは、浄土宗と浄土真宗とでは細かな点では違っているようですけど。

▪️もうひとつは、私のスマホの待ち受け画面です。こちらは、浄土宗の総本山である知恩院が所蔵されている「早来迎図」です。正式には「阿弥陀二十五菩薩来迎図」というようです。浄土宗と浄土真宗とでは細かな点では違っていると書きましたが、浄土真宗的にはこのような来迎のイメージは必要ないという考え方なのかなと思います。「往生即成仏」、亡くなったその瞬間に、ただちに往生して仏になり、浄土で修行をしたり休むことなく喜んで人びとを救い始める…ということのようです。どうだろう、親しい僧侶の方に伺ってみようと思います。

龍谷ミュージアム シリーズ展「仏教の思想と文化 ―インドから日本へ―特集展示:仏教美術の聖なる怪物」

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▪️ シリーズ展「仏教の思想と文化 ―インドから日本へ―特集展示:仏教美術の聖なる怪物」。みなさん、ぜひ行きましょう‼️以下は、龍谷ミュージアムの解説です

また、特集展示として「仏教美術の聖なる怪物」を開催します。
仏教美術には、ほとけや神々に寄り添う少し変わった姿のいきものたちが表されています。釈尊を暴風雨から護ったナーガ(大蛇)や、説法に耳を傾ける鬼神など仏教説話にも多くのお話が伝えられています。今回の特集展示は、仏教美術を彩る名脇役、ひょっこり登場する“聖なる怪物”を取り上げます。

NHKスペシャル「私の往生際 養老孟司が見つめた“生と死”」

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▪️この番組NHKスペシャル「私の往生際 養老孟司が見つめた“生と死”」を予約録画することにしました。番組では、養老孟司さんのがん闘病に密着して、養老さんが自らの命と向き合った先にあるもの浮かび上がらせようとしているようです。以下は、番組の概要です。

解剖学者・養老孟司、88歳。発行部数460万部を超える空前の大ヒットとなった著書『バカの壁』などでも有名な“知の巨人”に、2024年、悪性の肺がんが見つかった。
5年生存率は約10%。鋭く研ぎ澄まされた言葉で人間社会の本質を問い直し、人間の生死について探求を続けてきた養老さんは、自らの“命の限り”と対峙して、どのような新たな真理を見いだすのか-

▪️番組紹介の記事中にのように書いてあります。「かつての養老さんはこう語っていたー『がんになっても積極的な治療はしない。』『死ぬことは大した問題ではない。』しかし、最初の取材で目にしたのは、抗がん剤治療を受け、新たな治療法の開発に期待をにじませる姿だった」。お元気な時は、すでに死を理解し受け止める準備がきちんとできている心持ちでおられたのでしょう。しかし、実際に死がリアルに近づいてきたとき、生にこだわっている自分がいたということなのでしょう。そのことを、隠すことをせずに、番組の取材を許し、番組を通して多くの視聴者に揺れ動いているご自身を見せていく、その様子を広く知っていただくようにされている点が、養老さんのすごいところかなと思います。第三者の視点から「死」について語ることと、当事者として「死」受け止めることとはやはり違っていますから。

▪️以下は、記事中からの引用です。

病を得て、自分自身を生と死のはざまに置かざる得なくなった今、その内面にどんな変化があったのか?抗がん剤治療によって腫瘍が縮小せず、自らの命の限りと対峙する日々が続く中、養老さんがふと漏らした。
「死ぬってことは本当にあるのか?」
がん腫瘍の状態次第で、生と死の間を振り子のように行き来する養老さんの命。治療を続け、88歳の誕生日を迎えた養老さんは、新たな根元的な問いと向き合うことになる。
「自分は自分自身なのか?」 「自分はなぜ生き続けるのか?」
そして終盤、養老さんはこう語った。
「ひとりで生きているみたいに思ってたんだけど、そうじゃないんですよね」
闘病の果てに見いだした、死の意味、生の輪郭。日本を代表する知性がたどり着いた境地とは。養老孟司の生と死をめぐる思索が、私たちに深く問いかける。

▪️上記の引用で、注目したい部分を太字で強調しました。「ひとりで生きているみたいに思ってたんだけど、そうじゃないんですよね」。番組をまだ拝見していませんので、この太字のところの深い意味がまだわかっていませんが、広い意味での宗教的な境地に辿り着いたことに気が付かれたのかもしれません。真宗でよく言われる「後生(ごしょう)の一大事」とも関係しているのかもしれません。後生の一大事とは、「死後の行き先(魂の救済)」が最も重大で急ぐべき問題であることだということです。しかし、それは自分がここまで活かされたきたことを深く自覚することと関係しているように思います。多くの「ご縁」の中で生かされてきたことを深く自覚し感謝する。つまり、死んだ後に阿弥陀仏に救っていただき、お浄土へ導いていただくことに感謝し、自分がさまざまな「ご縁」のもとで、ここまで活かされたきたことに感謝すること。この両者はつながっているからです。番組のなかで、養老さんが、どのようにご自身の「死」を感じておられるのか、そことに注目したいと思います。

「ドローン仏」(京都市下京区・龍岸寺)


▪️これはすごい。阿弥陀如来と二十五菩薩、法然上人と蓮華2つ、全29のドローンを使って、来迎のイメージをリアルに表現されています。この取り組み、前々から注目していました。とうとう完成のレベルにまで到達されたようですね。次は、どう進化するのかな。このドローンとは別に、バーチャルリアリティ (VR)によっても擬似体験したいと、私は思うのですが。そういうVRの応用展開は開発されていないのでしょうかね。

▪️阿弥陀仏を信仰する浄土教では、念仏を唱える人が臨終を迎える際、阿弥陀如来が諸菩薩を伴って雲に乗り、極楽浄土から迎えに来てくれるということになっています。普段から念仏を唱えて、この来迎の瞬間を待つわけですね。音楽を奏でる25人の菩薩を引き連れてお迎えに来るわけです。なんだか、とても明るいパレードのような感じです。ちなみに、このドローンのお寺は、浄土宗の龍岸寺さんです。

▪️しかし、浄土真宗では、そのようなイメージをもつ必要はないと考えるようです。阿弥陀仏はすべての人を救うという誓いを立てており、そのことを信じて、自分自身が阿弥陀仏にすべてをゆだねるという気持ちがバシッと定まったその瞬間、「摂取不捨」、仏になることが約束されるのだから、このような来迎のイメージなどもつ必要はない…と考えるようです。むしろ、良くないと考えるのかもしれません。

▪️浄土真宗の教えとは異なるかもしれませんが、このような臨終を迎える際のイメージ、私は生きているときからしっかりもっておきたいと思っています。大昔から、仏画や仏像によって表現してきたことを、それぞれの時代の技術を応用して、その時代の人々にあった感覚で表現することは大切なことだと思うからです。ちなみに私のスマホの待ち受け画面は、この来迎のシーンを描いた「早来迎」です。

http://www.metmuseum.org/art/collection/search/45249▪️ウィキメディア・コモンズからダウンロードさせていただいた「阿弥陀聖衆来迎図」です。これは、メトロポリタン美術館に収蔵されている仏画のようです。「来迎図」の多くの作品では、菩薩たちが雲の上で太鼓や琵琶などの楽器を陽気に演奏しており、まるで楽しいパレードしているかのように描かれています。これから西方浄土に向かう臨終の人を歓迎するかのようです。何か、ゆったりと阿弥陀仏と菩薩がやってこられているように見えますが、息を引き取るときにはこの体制でいてくださるのです。そしてあっという間に浄土へお連れくださる。死は怖いというイメージ逆転させるようなイメージでしょうか。

▪️このような来迎のイメージをプロデュースしたのは、平安時代中期、比叡山で修行していた源信だと言われています。私は、仏教を研究しているわけではないので、源信の『往生要集』を現代文にしたものでさえまだ読んだことがありません。できることは限られていますが、時間をみつけて読んでみたいと思います。ちなみに、源信のお墓は、比叡山横川にあります。私の自宅から頑張れば歩いていけるところにあります。こちらも一度お参りしてみたいと思っています。

「全日本吹奏楽コンクール・大学の部」の結果


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▪️龍谷大学吹奏楽部、昨日の全日本吹奏楽コンクールで、金賞を受賞しました‼️応援いただいた皆様、本当にありがとうございました。龍谷大学吹奏楽部は、今回で6回連続金賞受賞です。私が部長を務めることになった2019年(2020年はコロナで中止)、2021年、2022年、2023年、2024年、そして2025年、6年連続です。2023年までは部長を務めたので、その頃は、本番前に、コンクールが開催されるホールの比較的近くの別のホールを借りて行う練習(ホール練習)にも参加して練習の様子を見学してきました。いつも思いましたが、最後の集中力は素晴らしいものがありした。昨年は、北海道でコンクールが開催されましたが、実際に演奏を聴かせていただきました。今年は、京都から応援をしました。一つ前の投稿にも書きましたが、中平了悟さんのご法話を聴聞させていただいていたので、オンラインも聴くことができませんでした。でも、今や部長ではないので、こうやって少し距離を保って応援することが良いのかなとも思っています。

▪️関西から出場したのは、龍谷大学と立命館大学でした。昨年同様、両校とも金賞受賞と思っていましたが、結果は違っていました。また、福岡県の2大学が金賞を受賞したことを、私としては素晴らしいことだなと思っています。大学の部に、新しい動きや流れが生まれてきているのかもしれませんね。今年は、金賞が6校、銀賞が3校、銅賞が6校でした。金賞が多い年になりました。審査員の先生方の評価に、広がりがあったのかもしれません。それはともかく、金賞同士の細かな評価についても教えてもらいました。龍谷大学吹奏楽部、立派な成績でした。絶対に金賞を受賞すると信じてはいましたが、はっきり結果が出て、安心しました。指揮をされた音楽監督の若林義人先生、ありがとうございました。お疲れ様でした。若林先生は、明日も市民バンドである大津シンフォニックバンドの指揮をされると聞いています。本当にお疲れ様です。

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▪️金賞受賞の結果を、仲良しの龍谷大学吹奏楽部のOB・OGのお二人と知ることができました。京都駅近くの居酒屋で祝杯をあげました。写真は、若林監督に送ったお祝いの動画メッセージをスクショしたものです。お2人とは、音楽以外にも、仏教のお話などすることができました。私がアイデアとして持っている「マイ坊主」のことも聞いてもらいました。すごく反応していただけたので、とても嬉しかったです。

お西さんの土曜法話|本願寺聞法会館総会所


▪️呑み友達の中平了悟さん(文学部教員/真宗学・実践真宗学)が、明日、本願寺聞法会館総会所で「「価値」や「意味」はどこから来たのか~道ありと信ず、得者を信ず~」という法話をされます。価値や意味、まるで社会学者のようですが、そうではありません。サブタイトルの意味は、「理屈や教義として『道』を信じるだけでなく、その道を歩んで悟りを得た『人』がいることも信じなければ、本当の意味で教えを信じたことにはならない」ということのようなのですが(素人の勉強程度で申し訳ないです)、明日、中平さんの法話をお聞かせいただき勉強したいと思います。17時からです。ライブ配信もあります。

【追記】▪️中平さんのご法話を聴聞させていただきました。ありがとうございました。心に染み入るお話でした。ご法話の理解、「理屈や教義として『道』を信じるだけでなく、その道を歩んで悟りを得た『人』がいることも信じなければ、本当の意味で教えを信じたことにはならない」というのは間違ってはいませんでしたが、改めて中平さんからお話いただくこと、心に染み入りました。関西の人気番組「探偵!ナイトスクープ」のお話も交えながらのご法話でした。うっかり、つーっと涙が流れてしまいました。当日、雨が降っていたこともあり、ご聴聞に訪れておられた方は10数人と少なめでしたが、ご法話の途中、突然、「南無阿弥陀仏」という男性の声が響きました。なんというか、ご法話が心に染み入る時に、詠嘆として身体の中から自然に「南無阿弥陀仏」というお念仏が溢れてきたような感じなのかなと思いました。そして、六波羅蜜寺に伝える空也上人像を思い浮かべました。

恵信僧都 源信の墓

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▪️比叡山延暦寺で修行をした僧侶、恵信僧都と尊称された源信の墓が、自宅から歩いていけるところにあるということを偶然知りました。高校の時に、日本史を学んでいる方であれば、『往生要集』のことをご存知でしょう。極楽と地獄、死んだあとに阿弥陀如来に西方浄土に迎えていただくための、言い換えれば「死のガイドブック」でしょうかね。源信のこと、前から気になっていたのですが、その源信の墓があるのであれば、ぜひお参りしたいと思っています。上の画像は、GoogleMapです。比叡山延暦寺の横川中堂から少し歩いたところにあります。私の場合は、麓から登ってみようと思っています。

3月のような暖かさ…諸々

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【ウォーキング】
▪️家で仕事をしているとほとんど歩かないことになるので、少しウォーキングをしてきました。いつもの公園から琵琶湖の北湖を眺めると、今日は薄ぼんやり伊吹山が見えました。もっと気温が低ければクリアに見えるのですが、急に3月のような気温になってきて景色はぼやけています。こんなに気温が高いと、琵琶湖の全層循環(琵琶湖の深呼吸)はどうなるのでしょう。心配ですね。

▪️ウォーキングの途中で、公園の端にお地蔵さんや同祖神が祀ってあることに気がつきました。何度もこのあたりは歩いていても、気がついていませんでした。きちんとお花も添えてあります。どなたかが、お世話をされているのでしょうね。もともと、このあたりは里山と農地でした。そこを新興住宅地を造成したのです。これは想像ですが、元々祀っていたものか、工事で見つかったものをここに集めているのではないかと思います。たしか、地蔵盆はやっていませんね。このあたりは小学生以下の年齢の子どもたちがたくさんいるので、よろこぶだろうな。もっとも、私自身は子どもの頃九州にいたので、地蔵盆の経験はありません。先日、「地域エンパワねっと」(社会共生実習)の相談会で、この地蔵盆のことと関連して学生さんと話をすることがありました。この地蔵盆、まちづくりに関連して大切な行事なのではないかと思います。

【鬼門について】
▪️話は変わります。「鬼門」について「あっ」と思ったことがあります。鬼門とは、北東の方角で、鬼が出入りする方角なのだそうですね。災いがやってくる方角なのだそうです。そのためなのか、どうかよくわかりませんが、京都の御所の北東には比叡山延暦寺があります。最澄が鬼門封じのためにこの場所を選んで延暦寺を建立したのか、たまたまなのか。どうなんでしょうね。知識がなくてよくわかりません。

▪️まあ、それはともかくです。地図で京都の御所から北東方面に確かに比叡山延暦寺があります。地図に定規を当てるとよくわかります。で、今日、気がついたのです。御所の北東に延暦寺があって、延暦寺の北東に我が家があることに。京の都の鬼門の方角に暮らしているのです。というか、延暦寺が鬼の侵入を防いでいるとしたら、我が家のあたりは鬼がたくさんいはる場所なのかな。いや、だからどうなんや…って話ではありますし、私が鬼門のことを気にしているわけでもないのですが。

20250121isazamame.jpg 【イサザ豆】
▪️またまた、話は変わります。先日、沖島で作ったイサザ豆をいただきました。この季節、琵琶湖の固有種であるイサザの漁は最盛期のはずです。このイサザ豆は砂糖を使っているので、持病のため一度にたくさんは食べられませんが、ビール(無糖)のあてとして楽しんでいます。本当は、イサザの吸い物とか味わってみたいのですが、どこにでも売っているわけではありませんので。なかなか難しいです。早めに夕飯の買い物に行き、お相撲初場所を「ビール(無糖)&イサザ豆」で観戦しています。

「龍谷ミュージアム」と「京都国立博物館」

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20241124museum2.jpg ▪️今日は、龍谷ミュージアムの秋季特別展「眷属」を観覧しました。会期は今日までだったんです。なんとか間に合いました。ちなみに「眷属(けんぞく)とは、仏菩薩など信仰の対象となる主尊に付き従う尊格のこと」です。普段、仏教美術を鑑賞する際も、あまり気にしていない「眷属」の役割や意味がよくわかりました。もちろん、図録も購入しました。今回は、仏教等を知らない私のような者にも、よく理解できる展示でした。

▪️ところで、龍谷ミュージアムに来た時に、毎回思うことがあります。私は、必ず音声解説のレシーバーを借りて(有料)展示を観覧するようにしています。知識がない私には、解説してもらわないとよく鑑賞できないからです。でも、そのような音声解説を使わなくても、スコープ(単眼教)で丁寧に詳細を確認されている方がいらっしゃいます。また、一生懸命メモを取っている方達もいます。年齢も、まだお若い方だったりします。ひょっとして、仏教に関する研究をされているのかもしれません。

▪️龍谷ミュージアムのあとは、七条通りを東に向かって歩き、京都国立博物館に向かいました。その途中、偶然なんですが、龍谷大学社会学部コミュニティマネジメント学科におられた加藤剛先生にお会いすることができました。嬉しかったです。また、「呑み会」をすることをお約束して、京博に向かいました。京都国立博物館では「法然と極楽浄土」が開催されています。国宝も含めてたくさんの仏教美術を堪能しました。
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20241124museum4.jpg▪️強く印象に残っているのは、臨終の際の来迎図。法然の臨終の際、浄土から阿弥陀様を中心にたくさんの菩薩様たちが雲に乗って降りてくる様子を描いているのですが、阿弥陀如来から法然に向かって強い光、ビームが放たれているのですね。前期高齢者ですが、昭和の少年だった時があるので、これはビームと言いたいです。自分が死ぬ時も、お迎えに来ていただけるかな。知り合いの歴史学者が、「映画『ゴースト』の最後の方で、天国からの光に導かれて昇天するシーンがありますが、あれ来迎図のビームと同じなんですよね〜」と言っておられました。法然も、「あっ、阿弥陀様がお浄土へ導いてくださる」と思ったのでしょうね。

▪️ところで、こういう来迎図がたくさん描かれたのは、当時の人びとが死を迎える瞬間に強い関心を持っていたからでしょうか。末法の世、厭離穢土欣求浄土。今、世界の状況を見ていると、かつての人びとの気持ちが理解できるような気がします。

▪️もうひとつ。「七箇条制誡」(しちかじょうせいかい)の実物を拝見しました。法然が門弟たちに自戒をうながすため、阿弥陀如来異界の仏・菩薩を謗ることなど、やめなければならないこと7ケ条を描いたものです。最後には門弟たちが署名をしています。法然の弟子であった若い頃の親鸞=綽空(しゃくくう)の名前もありました。ふと思いました。浄土宗の中で親鸞はどのように語られてきているのでしょうか。またどのように位置付けられているのでしょうか。仏教の専門家にお尋ねしてみたいです。
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「法然と極楽浄土」「眷属」

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▪️龍谷ミュージアムでは、秋季特別展「眷属」が開催されています。会期は、11月24日まで。これは急がねばなりません。また京都国立博物館では特別展「法然と極楽浄土」が開催されています。こちらは、12月1日まで。ぼーっとしていると、終わってしまいます。急がねばなりません。午前中は「眷属」、午後は「法然と極楽浄土」を鑑賞・観覧できればと思っています。龍谷ミュージアムから京都国立博物館までは歩きます。

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