Korea AG-BMP Forum The 4th International Conferenceでの報告(1)

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■先月末、9月27日に、韓国の全州市で開催された「Korea AG-BMP Forum The 4th International Conference」に参加し、第1セッション「流域管理のパラダイムシフト」においてキーノートスピーチを行いました。今回は、総合地球環境学研究所で取り組んだプロジェクトの成果(『流域環境学 流域ガバナンスの理論と実践』京都大学学術出版会)をもとに、琵琶湖の農業濁水問題を事例とした「階層化された流域管理」についてお話しをさせていただきました。私がなぜ、この国際会議に呼ばれたのか。遠回りになりますが、以下で説明させてください。

■全州市に隣接するセマングムには広大な干潟がひろがっていました。錦江と東津江という2つの大きな河川の河口一帯に広がる広大な干潟です。様々な環境団体の反対、漁民の反対がありましたが、韓国政府は、1991年から大規模な干拓事業を開始ししました。そして、2006年に防潮堤が完成し、現在は陸化が進んでいるのです。

■当初、ここから生まれる新しい土地は農業用地だったのですが、現在の韓国社会はそのような農地を必要としなくなっています。ちょうど、戦後の滋賀県で、食料増産のために、琵琶湖の周囲の内湖が干拓されていったのと似ています。干拓事業が終了したときは、すでに米があまり減反政策が始まったからです。現在、このセマングムの干拓地では、農地のかわりに、工業団地の建設やリゾート観光地を建設することが計画されています。ところが、ある問題が危惧されています。後背地域から流入する農業関連の排水が、陸化された干拓地とともに生み出される人工湖の水質を悪化させるというのです。

■大きな2つの河川から干潟に流入する河川水には、自然由来に加えて農業排水も含まれていたと考えられます。そこには広大な干潟に生息する多様な生物の生存にとって必要な栄養が含まれていたのではないかと思います。2つの河川と海が育む豊かな干潟が広がっていたのです。しかし、干拓により干潟が消滅し、生物もいなくなってしまうと、こんどはその栄養塩が水質を悪化させると問題視されるようになってきたのです。もちろん、かつての農業(稲作、畑作、畜産)とは異なり、農業の近代化ととも環境に負荷を与える農業(土地改良、化学肥料、畜産廃棄物…)に変化していることも無視できませんが、日本の諫早湾干拓事業などと同様の環境破壊を招くものだと非難されているのです(この干拓事業に対しては工事差止請求を行われましたが、韓国の最高裁では退けられています)。

■Korea AG-BMP Forumでは、韓国の様々な大学の研究者、韓国の関係省庁や関係機関が参加し、このようなセマングムが抱える問題に取り組んでいます。もちろん、この干拓事業の「そもそも論」的な根本のところで、大きな矛盾を抱えていることは間違いありません。しかし、すでに防潮堤が完成してしまった状況において、「現実問題」としてどうすれば水質悪化を防ぐことができるのか。その点について、たくさんの農業土木や工学の研究者、そして農業政策の研究者が、様々な研究や事業に取り組んでおられるのです。皆さんの報告を聞かせていただきましたが、それらの学問分野からのアプローチは、どちらかといえば、トップダウン的なものになります。農家による農業排水の負荷を低減させる技術を開発する、環境負荷削減に農家の営農を誘導していく…そのようなアプローチです。しかし、そのようなアプローチでは、限界があります。農家自身が、流域管理のステークホルダーとして参加・参画するなかで、自分たちのコミュニティの「幸せ」と流域の環境改善とを両立させていく必要があるのです。

■今回のKorea AG-BMP Forumのタイトルは、「Local community development through agricultural NPS pollution control」です。非点源(農地のような広がりをもち、特定の点に還元できない汚濁減)汚染のコントロールを通した地域農業コミュニティの発展なのです。水質改善をすること、そのものが目的ではなく、水質改善を通して農村を発展させていこう、それも内発的な発展を支援していこうというのが、今回のフォーラムの目的となっているのです。私が参加したのは第1セッション「流域管理のパラダイムシフト」ですが、このパラダイムシフトとは、従来のトップダウン的な流域管理のアプローチを大きく転換し、もっとボトムアップのアプローチを展開していく必要があるとの問題意識にもとづいています。このような問題意識が存在したからこそ、日本やアイルランド、そしてアメリカからゲストスピーカーが招かれたのです。(続きます)

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【上段左】「階層化された流域管理」について報告する私です。【上段右】フォーラム開催前の記念写真。
【下団左】フォーラム終了後には、韓国MBCテレビの取材を受けました。夕方のニュースで放映されました。【下団右】フォーラムの前日には、セマングム地域を視察しました。視察のさいに、地元ローカルテレビ局の取材を受けました

李白と黄鶴楼

20130327wuhan1.jpg ■22日(金)、武漢から上海経由で大阪まで戻りました。帰国の便は午後14時でしたので、午前中は何も予定も入っておらず空いていました。そこで華中師範大学社会学院の皆さんのご好意で、有名な黄鶴楼と武漢博物館を見学することになりました。じつは、今から20年程前、始めて武漢を訪れたさいにも見学をしているのですが、今回は通訳のために同行してくれた留学生Hさんの希望もあり、一緒に見学をすることにしたのでした。2度目になりますが、改めて見学してよかったと思っています。20年の時間が経過し、李白の漢詩を味わうことができるだけの年齢になってきたのかもしれません。

■黄鶴楼は、武漢市の武昌区にある丘の上にあります。「江南三大名楼」のひとつとして大変有名です(現在のものは、1980年代に再建されたものです)。丘の上にあるため、黄鶴楼の最上階からは、長江を見渡せます。李白(701年〜762年)の「黄鶴楼送孟浩然之広陵」(黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る)という漢詩によって大変知られた楼閣でもあります。

■三国時代は魏の領地で、ここには見張りのための楼閣がつくられたのだそうです。それが、始まりなんだとか。李白が生きた唐の時代には、ここで酒盛りの宴会などが行われていたそうです。で、なぜ、黄色の鶴の楼閣なのか…ということですが、次のような言い伝えがあります。wikipediaからの引用ですが、次のようなものです。

昔、辛氏という人の酒屋があった。そこにみすぼらしい身なりをした仙人がやってきて、酒を飲ませて欲しいという。辛氏は嫌な顔一つせず、ただで酒を飲ませ、それが半年くらい続いた。 ある日、道士は辛氏に向かって「酒代が溜まっているが、金がない」と言い、代わりに店の壁にみかんの皮で黄色い鶴を描き、去っていった。 客が手拍子を打ち歌うと、それに合わせて壁の鶴が舞った。そのことが評判となって店が繁盛し、辛氏は巨万の富を築いた。その後、再び店に仙人が現れ、笛を吹くと黄色い鶴が壁を抜け出してきた。仙人はその背にまたがり、白雲に乗って飛び去った。辛氏はこれを記念して楼閣を築き、黄鶴楼と名付けたという。

■黄鶴楼には、こんな面白い言い伝えがあるのですね。壁から鶴が抜け出して、仙人と一緒に飛び去る…いかにも中国らしいロマンチックというかファンタジックな伝説です。前回訪問したときには、私もまだ若く、あまりこのようなことに関心をもてなかったのでしょう。今回の見学でやっとこの楼閣を、そして李白の漢詩を「味わう」ことができました。李白の「黄鶴楼送孟浩然之広陵」ですが、以下のような漢詩です。『李白 巨大なる野放図』(宇野直人・江原正士、平凡社)をもとに、日本語の意味も書いておきましょう。

黄鶴楼送孟浩然之広陵

故人西辞黄鶴楼 故人 西のかた黄鶴楼を辞し
烟花三月下揚州 煙花 三月 揚州に下る
孤帆遠影碧空尽 孤帆(こはん)の遠影 碧空(へきくう)に尽き
唯見長江天際流 唯(た)だ 見る 長江の天際(てんさい)に流るるを

舟に乗って東へ行く、ふるい友達の孟浩然先生は、出発直後、西を振り返って、私が立っているこの黄鶴楼に別れを告げる。
美しい春景色が広がる三月、賑やかな揚州の街をめざして下ってゆく。
孟浩然先生が乗った、たった一艘の帆かけ舟の遠い姿は、やがて碧空に消えていく。
あとにはただ長江が、空の果てに向かって滔々と流れていくのが見えるだけである。

*故人:亡くなった人という意味ではなく、古い友達という意味です。

■孟浩然は、李白よりも一回りちかく年上の詩人です。李白は兄貴として慕い尊敬していたようです。孟浩然も李白も、詩人としては大変有名ですが、同時に科挙に合格できなかった人たちです。大人になるということは、思い通りにならない現実を、きちんと受け止めることができることでもあります。科挙という官職を得るための試験に合格できない境遇を共有しつつ、この2人のあいだには、漢詩を通じて生まれた深い大人の友情のようなものを感じとることができます。丘の上にある黄鶴楼から、長江を帆船でくだる先輩詩人・孟浩然を見送る李白。「あとにはただ長江が、空の果てに向かって滔々と流れていくのが見えるだけである」という描写、いいですね〜…しみじみ。

■ところで、私たち日本人は、漢詩を訓読みします。ストレートに意味で理解しようとします。しかし、詩は本来は耳から入る音であるはずです。音を身体でまずは受け止めることが必要なように思います。しかし、中国語をしらなければ、そのような経験をなかなか理解することができません。この、動画をご覧ください。 動画では、中国人の女性が「黄鶴楼送孟浩然之広陵」を詠んでいます。漢詩は、古体詩と近体詩の2種類があり、後者の近体詩は唐の時代の初期に確立した規則や約束によってつくられる定型詩です。この定型詩が生み出す美しい音、心に染み入るような音、中国語がわからなくてもそのようなことを感じとることができます。いいですね〜…しみじみ。

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■この写真は、黄鶴楼の最上階から撮った武漢の風景です。長江にかかっている橋は、武漢長江大橋です。ソ連の援助によって中国建国8年後の1957年に完成した橋です。李白の詩のなかにある「煙花」とは、春のもやのなかに咲く花なのだそうです。この季節、春霞といいますかもやがかかるのが、この地域のもともとの風景なのでしょう。この写真も対岸がよくみえません。でも、これはもう、もや…というよりもスモッグの影響の方が強いのでなはいかと思います。中国の環境問題、大変です。

中国に出張

20130326chaina.jpg■先週のことになりますが、3月18日(月)から22日(金)まで、中国に出張してきましきました。すでに、3月9日アップしたエントリーでもお伝えしたことの繰り返しになりますが、説明させてください。

■龍谷大学大学院社会学研究科では、日本の社会福祉学の蓄積を生かしつつ、アジアでの専門家養成を進めるために「東アジアプロジェクト」を立ち上げ、急速に少子高齢化が進む中国や韓国の大学などとも研究交流を深めながら、社会福祉を担う国際的な人材育成を進めています。今回は、このプロジェクトの関連で、中国の浙江省寧波市にある寧波大学外語学院と、湖北省武漢市にある華中師範大学社会学院、そして外語学院を訪問してきました。この2大学と龍谷大学とは、すでに国際交流に関わる「覚書」を締結していますが、今回は、さらに「一般協定」を締結し、「留学生受け入れ」や「教育研究交流」に関わる事業を実施できるように、2校の関係者のみなさんと協議を行ってきました。

■両大学の関係者からは、できるだけ早く一般協定を締結し、その上で、留学生の日本への受け入れ、日中の学生の短期交流プログラム、教育の研究交流プログラムの実現に取り組んでいけたらとさまざまなご意見やご要望をお聞きかせいただきました。大変前向きに、龍谷大学との連携を考えておられ、研究科長としても一安心。新年度からさっそく「一般協定」締結や具体的なプログラムの実現に向けて作業に入っていきたいと思います。

■今回は、このような協議ばかりでなく、華中師範大学外語学院日本語学科では講演も行いました。日本語学科ということで、全員きちんと日本語を聞き・話せる学生ばかりなので、私のような中国語のできない者でも講演することができるのです。今回は、「日本人の伝統的自然観とは」という題目で話しをさせていただきました。学生の皆さんの反応は大変よく、ちょっと華中師範大学の先生たちがうらやましくなりました…(^^;;。写真は、私の講演のために用意してくださったポスターの前で撮ったものです。背景の壁には、古代中国の青銅器の楽器です。華中師範大学のある武漢は、青銅器の出土で大変有名で、1978年に湖北省の随県にある曽侯乙墓から発掘された曾候乙の編鐘という楽器が武漢博物館に展示されています。壁面のレリーフは、この曾候乙の編鐘だと思われます。


■この動画は、その曾候乙の編鐘の演奏のようです。訪中時にお世話になった両校の先生方、ありがとうございました。 谢谢!!

中国に出張しています。

■15日の卒業式、そのあと16・17日は岩手に行き、18日から22日までは中国に出張しています。18・19日は浙江省寧波市にある寧波大学外語学院を訪問し、留学生の受け入れ、研究・教育の交流に関して協議を行いました。20日は、湖北省武漢にある華中師範大学に移動。本日から明日の午前中まで、外語学院と社会学院の教員の皆さんと、やはり留学生の受け入れや研究・教育交流に関する協議を行う予定です。

■ということで、このホームページにあるブログ、しばらく更新がストップしています。

中国に出張

■龍谷大学大学院社会学研究科では、日本の社会福祉学の蓄積を生かしつつ、アジアでの専門家養成を進めるために「東アジアプロジェクト」を立ち上げ、急速に少子高齢化が進む中国や韓国の大学などとも研究交流を深めながら、社会福祉を担う国際的な人材育成を進めています。

■このプロジェクトの関連で、3月18日(月)から22日(金)までの5日間で、中国の浙江省寧波市にある寧波大学と、湖北省武漢市にある華中師範大学を訪問することになりました。この2大学と龍谷大学とは、すでに国際交流に関わる「覚書」を締結していますが、さらに具体的に「協定」を締結し、「留学生受け入れ」や「教育研究交流」に関わる事業を実施できるように、2校の関係者のみなさんと協議を行ってまいります。

■15日が卒業式、16・17日が岩手県への出張と、出発直前も予定が詰まっています。帰国は23日にシンポジウムに参加する必要もあります。慌ただしい旅程になりましたが、なんとか具体的に中国で協議を進めることができる時間を確保できました。こうやっているうちに、新学期が始まってしまいますね~。

ベトナム旅行

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■ベトナム旅行にいってきました。3泊5日(機中1泊)の短い旅でしたが、ベトナムを満喫しました。写真は、妻が撮影した世界自然遺産ハロン湾の朝の風景です。

■以下は、facebookにアップしたアルバムです。ただし、「Hà Nộiの夏 2012」については、シクロという乗り物(自転車と人力車が合体したような乗り物です)から撮影したため、かなりピンぼけの写真ばかりです。

旅に出ます・世界遺産ハロン湾
旅に出ます・世界遺産ハロン湾 2
Hà Nộiの夏 2012
旅に出ます・ハロン市場
旅に出ます・ベトナムの田園風景と墓
旅に出ます・ベトナムの水牛
旅に出ます・ハノイ郊外のホテル
【追記】■ベトナム旅行にも、ジョギングシューズを持参し、世界自然遺産ハロン湾の海岸沿いを走りました。海外初ラン。いいものですね〜。左:5km走って、少し疲れ気味です。右:ホテルのベランダから撮ったハロン湾の風景。
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ベトナムのフランスパン

20120828vietnam.jpg ■今年の夏、3泊5日(機中1泊)と短い期間でしたが、ベトナムを旅行しました。海外というと、いつも出張ばかりだったのですが、今回については完全にプライベートな旅行です。出発の朝まで仕事をして、帰国後(関西国際空港に朝到着)すぐに仕事に戻るという大変ハードなスケジュールでしたが、初めてのベトナム、満喫しました。行ったのは、世界自然遺産のハロン湾とベトナムの古都ハノイです。

■ベトナムでは、もちろんベトナム料理をたくさんいただきましたが、ここで紹介したいのはフランスパン。ベトナムは長いあいだフランスに植民地にされていたたこともあり、街のいたるところでフランスパンが売られているのです。また、フランスパンを使ったサンドイッチも売られていました。それが、もう、とっても美味しいのです。感動ものでした。日本のフランスパンでは経験できない感覚でした。

■もちろん、感動したのはパンだけではありません。短いベトナム旅行でしたが、すっかりベトナムのファンになってしまいました。もう少しきちんとベトナムの歴史や文化を勉強して、来年も行ってみようかな。私が行ってみたいのは、北部の少数民族の棚田なのです。

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