龍谷ブランドムービーにチラリと
農学部新棟の工事
■2015年開設の龍大農学部の新棟建設現場です。瀬田キャンパスの一番奥にある敷地に建設されています。これから急ピッチで建設されていくのでしょうね。もう、あと1年です。
■農学部の設置準備に関しては、3年間ほど関連会議に委員として出席してきました。私は傍らからみているだけで実務はしていませんが、新しい学部を開設するということがどれだけ大変なことなのか、よくわかりました。新学部の開設にあたっては、まずは文部科学省の設置認可をパスしなければなりません。私自身は、農学部の地域連携がどう展開していくのか、そのあたりのところまで見届けたかったのですが、時間切れとなりました。
■その点については、この春から赴任されてくる新しい教員の先生方にお任せするしかありません。滋賀県や県内の自治体が、新しくできる農学部に何を期待しているのか、そのあたりを十分に汲み取っていただき、学部を超えてキャンパスとして連携しながら、地域連携活動を展開していっていただければと思います。
春のキャンパス
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■昨日から2014年度の授業が始まりました。キャンパスは「新学期」のムードでいっぱいです。とくに、昼休みはあちこちでサークルの勧誘活動が行われています。写真は、研究室のある2号館3階の廊下の窓から、iPhone5を持って腕をぐっと伸ばして撮ったものです。窓からは、この風景はみえません。ということで、写真は少し傾いています。また、2号館の壁面が写ってしまっています。ここは「樹心館」前です。演舞をしているのは、ヨサコイサークル「華舞龍」です。私はヨサコイのことはよくわかりませんが、彼ら・彼女らの練習風景をいつもカッコイイな〜と思いながら拝見しています。おそらく、多くの学生の皆さんも同じ気持ちなのでしょうね。
■ところで「樹心館」ですが、龍谷大学の広報誌「龍谷」No.70で、この建物について以下のように説明されています。
明治期の擬洋風建築の趣を今に伝える建物として、大宮学舎本館と双璧をなす樹心館。朝の勤行や親鸞聖人ご生誕法要など、「建学の精神」を具現化するための大切な施設である。この礼拝堂は、「瀬田学舎に礼拝施設を」という校友の願いなくしては誕生しなかった。
樹心館は、もとは1885年大阪南警察署の庁舎として建てられた。民間へ払い下げとなった際、大阪の門徒、竹田由松氏が購入。本山へ寄付し、1908(明治41)年、工費約3万円をかけ本学の図書館として生まれ変わる。1936(昭和11)年、蔵書や学生数の増加により現在の大宮図書館が完成すると、学友会事務所に用途を転換。その後、西本願寺宗務所の役割を果たすべく移築され、約40年もの間、通称グリーンハウスとして親しまれることとなる。
グリーンハウスが再び本学に甦るきっかけとなったのが、瀬田学舎の開設である。新しい学舎の誕生に伴い、礼拝堂建設を望む卒業生の声が高まり、建築物にこの建物を再利用する意見が浮上したのである。学舎の足跡を残す建物の再生は新学舎にふさわしく、誰もが納得し共感したことだろう。本願寺との交渉においても、無償譲渡という格別のご配慮をいただき、解体移築が実現。その名を「樹心館」と改め、1994年春、落成を迎えたのである。
校友の絶えまない努力により、完成をみた樹心館。殊に、校友会を中心とした募金活動は、1986年10月から1993年3月までの間に、約1億2千万円を集めた。礼拝堂建築に託された校友の大志は、樹心館とともに、そびえ立つ大樹のごとく学舎の繁栄を支え、同窓の学生達を見守り続けていくことだろう。
たまり場
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■写真の場所で、冬のあいだ、ずっと工事をしていたのですが、何ができあがるのかわかっていませんでした。少し暖かくなってきて、やっとわかりました。おそらく、私がわかっていないだけで、きちんと工事の目的等については全学に告知してあったのでしょうね。出来上がったのは、学生たちが昼食をとったり談笑したりできるテラスです。すばらしい!!
■瀬田キャンパスは、大津市の瀬田丘陵の森のなかにあります。「自然が豊かで素敵ですね〜」という意見がある一方で、若い学生の皆さんからすれば、キャンパスのまわりに何もない…ということになります。私たちの世代だと、大学のキャンパスってのは、まわりに喫茶店や食堂なんかがたくさんあって、そこで友だちと意味もなくウダウダおしゃべりしたりするものなのだ…という思いがあるのですが、瀬田キャンバスではそれができません。瀬田キャンパスで働くようになって11年目になります。ずっとそのような場所が「もっともっと」あればなあと思っていましたが、この写真のテラスができて少しだけですが改善されたかもしれません。
■大学には、「意味もなく」、学生たちがうだうだ「たまる」ことのできる「場所」が、いろいろ必要だと思います。しかも手続きとか必要なく、簡単に、手軽に利用できる「場所」が必要なのです。そのような「場所」が、学生同士の「素敵な関係」をつくりだすと思うのです。建築家の延藤安弘先生は、まちづくりの観点から、「まちの縁側」が街中のあちこちに必要だとおっしゃっています。同じような意味で、大学にも「大学の縁側」が必要なのだと思います。「あそこにいけば、誰か友達や知り合いがいるんじゃないのか」と期待させる場所です。現在、そのような場所は、たとえば1号館の噴水の周りということになります(瀬田キャンパスのことをご存知ない方にはきちんと説明できなくて申し訳ないのですが…)。そういう「場所」が、もっともっと必要なのです。
■とりあえず、こういう「場所」が増えたこと、おおいに評価できるのではないかと思います。
研究室のカレンダー
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■今年も大学からカレンダーが配布されました。龍谷大学は浄土真宗本願寺派の宗門校であることから、カレンダーは仏教や親鸞聖人をテーマにしたものになります。今年は、表紙が「親鸞聖人 鏡御影」(しんらんしょうにん かがみのごえい)です。鎌倉時代の著名な肖像画家藤原信実の子専阿弥陀仏が、親鸞の面前で写した像で、寸分違わないといわれているそうです。
■カレンダーの中ですが、切り絵です。元・龍谷大学大宮図書館の職員をされていた青木正範さんが親鸞聖人の伝記類をもとに制作されたものです。1年間で12枚の切り絵になります。親鸞聖人の90年の生涯がわかるようになっています。
入学式
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■今日は、龍谷大学瀬田キャンパス3学部の入学式がありました。社会学部の入学式は、14時半からでした。式の前には、瀬田キャンパス1号館にある理事室に、理事長や学長、大学の幹部とともに、学部長や私のような研究科長もいったん集合します。理事室にいくと、備え付けのテレビで「春の選抜高校野球」の決勝戦をやっていました。京都府の龍谷大学付属平安高校と大阪府の履正社高校との決勝戦でした。結果は6-2。龍谷大学付属平安高校の優勝となりました。毎日新聞記事の解説は以下の通りです。
春夏通算最多の出場70回を誇る龍谷大平安(京都)が4年連続6回目の出場を果たした履正社(大阪)を6-2で降し、センバツ最多となる38回目の出場で初優勝した。龍谷大平安の全国制覇は、夏の3回を含め通算4回目。京都勢の優勝は第20回大会(1948年)の京都一商(現西京)以来、66年ぶり2回目。
■入学式は、試合の後半の途中から始まりました。優勝が決定したのは入学式の途中でしたが、その結果が、入学式の最後に報告されると式場に歓声が沸きました。偶然ではありますが、今年の新入生は、付属高校の「春の選抜優勝」と自分たちの入学式が同じ日だったわけです。記憶に残る日になることでしょうね。
■入学式のあとは、学科ごとにわかれて書類配布が行われました。私は、今年も1年生の「社会学入門演習」を担当します。新入生19名の担任になります。6月には、1泊2日の研修旅行に出かけますが、もう行き先も決まっています。近江八幡市の農村地帯に行きます。ちょっと新入生にはハードな感じになるかもしれませんが、頑張ってほしいと思います。トップの写真ですが、入学式が終ったあとのキャンパスです。
卒業式
■今日は卒業式です。龍大に勤務して10年目になります。今期のゼミ生たちは9期生になります。半年海外にでかけていて、卒業が遅れる者が1名いますが、それ以外の8名は全員卒業できました。卒業、おめでとう!! ここで何か言わなくてはいけない(書かなくてはいけない)のかもしれませんが、卒論の指導、そして「北船路米づくり研究会」のなかで、君たちに伝えるべきことは伝えてきました。そのことを思い出してください。
■私のゼミは、全員フィールドワークをすることが前提となっているので、卒論を仕上げるためにはとても時間がかかります。「ほんまに、大丈夫なんか…」とイライラさせられましたが、出来や評価は別にして、全員卒論を提出することができました。単位を残していた者もいましたが、全員、卒業に必要な単位をとることができました。一番ホッとしているのは、じつは私かもしれません。4月からは社会人ですね。皆さんが、それぞれの職場で頑張って生きていくことを、応援しています。ぜひ、同窓会をいたしましょう。下の写真、左側は、応援リーダー部の皆さんが、卒業生にエールを送っているところです。
【追記】■なんだか、私、疲れた顔をしていますね…。ちょっといろいろあって気疲れしました。
チベットの仏教世界-もうひとつの大谷探検隊
■昨日、教授会があり、このようなチラシが配布されました。「龍谷ミュージアム」の春季特別展のチラシです。「チベットの仏教世界-もうひとつの大谷探検隊」。いいですね〜、ぜひ観覧したいものです。でも、なかなか行けないだろうな…。以下は、「龍谷ミュージアム」のサイトからの引用です。
この特別展は、20世紀初頭に西本願寺第22世宗主・大谷光瑞師が生きた仏教の実態を探るためにチベットに送り出した青木文教と多田等観という二人の学僧の業績などに焦点を当てて紹介します。ダライラマ13世から多田等観に贈られた「釈尊絵伝」(25幅)が関西初公開されるほか、青木文教が撮影した当時の現地写真や、典雅な姿をみせる仏・菩薩像などが並びます。
■仕事の傍ら、「せっかく龍谷大学で働いているのだから、いろいろ仏教について勉強しなくちゃ」と思ってはいるのですが、この特別展の「青木文教」や「多田等観」のことについては、まったく知りませんでした。wikipediaで、初めてどういう方なのかということを知りました。とりあえず、多田の『チベット滞在記』を読んでみようかなと思っています。しかし、いろいろ勉強しなくちゃいけないとが多すぎて…。
■多田等観の『チベット滞在記』、講談社学術文庫で読むことができます。amazonの解説です。「1913年から10年の長きにわたってチベットに滞在し、ラサのセラ寺で修行を重ねた著者が、チベット潜入にはじまって、13世ダライ・ラマとの交流、僧院生活、チベットの仏教、巡礼の旅などを語る―著者唯一の遺稿」。ダライ・ラマ13世は等観に、正式なチベット仏教の修行を受けるよう命じたのだそうです。そして、10年修行を続け、ダライ・ラマ13世が集めさせた大量の文献をもって帰国しました。多田は、浄土真宗のあとにチベット仏教を学んだことになるのでしょうか。素人からすれば、同じ仏教とはいっても、浄土真宗とチベット仏教には大きな違いがあるように思います。多田はどのようにチベット仏教を受け止めたのでしょうね。知りたいです。