第50回環境社会学会大会(龍谷大学)
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■職場で、環境社会学会が開催されます。今回は、龍谷大学で開催されます。といっても、会場は京都の大宮キャンバス、担当は政策学部の先生です。私はといいますと、学会誌の編集委員会が企画した書評セッションでコメンテーターをつとめます。書評の対象となるのは、茅野恒秀さん(信州大学)が今年出版された『環境政策と環境運動の社会学―自然保護問題における解決過程および政策課題設定メカ ニズムの中範囲理論』(ハーベスト社)です。著者である茅野さん自身が解題をおこない、そこにコメントをしてディスカッションをすることになっています。初めての企画らしく、はたしてどれだけの人たちが来てくださるのか不明です。同時に、複数の自由報告の部会が開催されていますし…。当日、環境社会学会に参加される皆さんには、ぜひお越しいただければと思います。よろしくお願いいたします。
田中則夫先生
■水曜日は、午後から教授会、そして研究科委員会でした。研究科委員会を終えたあと、研究科長している関係で、教務課長と少し相談事をしていたのですが、そこに1人の先生が眼に涙を浮かべてやってこられました。「副学長の田中則夫先生が亡くなられました」と伝えてくださいました。田中先生は、今年の6月に末期の食道癌であることがわかり、それ以後、療養されていましたが、12日(水)の午後2時45分に、ご自宅でお亡くなりになったのでした。
■昨日は、田中則夫先生の告別式でした。田中先生とは、長く、深くおつきあいをさせていただいたわけではありません。4年前に研究科長に就任してからのお付き合いであり、それも全学の会議でお会いするときのお付き合いですから、あくまで仕事での関係ということになります。ただし、会議の場でいつも田中則夫先生のお人柄にふれてきたような気がします。とても誠実な方でした。普段のご様子は知的な紳士という印象でした。しかし、時に、理不尽な意見に対しては、はっきりとした口調で反論されました。副学長として大学の改革に懸命に取り組まれました。
■昨日の告別式では、たくさんの方が弔辞を捧げられました。一番最初は、赤松徹眞学長でした。弔辞を捧げられる赤松学長の背中しか拝見できませんでしたが、学長の声の調子からは、大変深く悲しまれていることが伝わってきました。告別式の最後に、喪主である奥様がご挨拶をされました。「研究・教育にも、学内行政にも、平和運動にも、いつも全力投入していました。そういう夫を大変誇りに思っています」。感動しました。先生のご専門は、国際法、海洋法でした。大変、学生思いの方でした。護憲運動や平和運動にも熱心に取り組んでこられました。田中先生は、ご自宅のリビングでご家族に見守られて安らかにお亡くなりになったとのことです。私は、奥様に抱きかかえられ、お子様たちにも手を握られ声をかけられながら亡くなった田中先生のことを想像しました。
■告別式では、心の窓を全開にして、告別式の「場」にあふれる多くの方達の哀しみと自分とを同期させました。とても悲しかった。涙があふれました。もともと涙もろいほうではありますが、このこときは一層悲しくなり、涙があふれました。告別式が終わり、最後のお別れをしました。棺のなかの田中先生は、会議でお会いしていたときとは異なり、一回り小さく見えました。「さようなら」。浄土に旅立たれた田中先生に最後のご挨拶をしました。田中先生のお好きだった「則天去私」という言葉の意味をかみしめながら、先生の棺を乗せた霊柩車をお見送りさせていただきました。
■告別式のあとは、1人で大津の街中をゆっくり歩きながら帰りました。長等の洋食「アケミ」に入りました。田中先生のこと、これからの大学のことをぼんやり考えながら熱燗2合を呑み、ロースとんかつ定食をいただきました。食事のあとは、街中をぷらぷら歩きながら知り合いの方と立ち話をしたり挨拶をしたり。そして、平井商店さんで「浅茅生」の「ひやおろし」を購入しました。奈良の自宅に帰宅したあと、亡くなった田中先生のこと、告別式の様子などを妻に説明しながら、熟成した「ひやおろし」を味わいました。
卒業生の皆さん、瀬田キャンパスの紅葉もあともう少しかな
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■卒業生の皆さん。瀬田キャンパスの紅葉もいよいよあともう少しかな…という雰囲気になってきました。今日は曇っていもすが、もし晴れていたら、もっと紅葉も美しく撮れたと思います。さて、私は2004年に龍谷大学に赴任しましたが、最初の頃に指導した卒業生の皆さんのなかには、お母さんになって、育児に専念されている方もいらっしゃるでしょう。ぜひ、美しい母校のキャンパスで同窓会やってみてください。皆さんがいたときにはなかった施設があります。キャンパスの状況も所々違っています。
■「智光館」という建物ができました。もうできて何年もたっていますが、この中に、コンピニ風の生協の売店があります。地下では、学生が日常的に英語で交流し、グローバル社会で求められる英語コミュニケーション力を向上させるための「イングリッシュラウンジ」があります。駐車場には、2階建ての「テニスコー」トができました。2階が「テニスコート」、1階は駐車場です。以前、「テニスコート」のあった場所には、来年の4月に開学する「農学部」の新棟が建設中です。少しずつキャンパスは変化していますよ。
瀬田キャンパス
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■何度もこのブログに書いてきましたが、水曜日は1限に「地域社会論」の授業があるため、早朝に自宅を出て、8時過ぎにはキャンパスには到着します。この季節、人がほとんどいないキャンパスでは、紅葉を楽しむことができます。この季節、清掃作業をされている方たちが、落ち葉を集めておられます。なんと呼ぶのか知らないのですが、エンジンのついた風を吹き出す機械で、落ち葉を集めて清掃されています。私自身は、落ち葉を踏んで歩くことは嫌いではないのですが、点字ブロックが落ち葉で埋もれてしまったり、車椅子でも通りにくくなるのも問題です。そういうこともあって、早朝から、丁寧に清掃作業が行われているのでしょう。
■瀬田キャンパスの紅葉、そろそろ終わりでしょうか。今日は、1限の授業が終ったあと、キャンバス内にある築山に登ってみました。キャンパスの紅葉が見渡せるかな…と思ったのですが、樹が繁っているため、残念ながらキャンパスの風景はあまりきちんと眺めることはできませんでした。とはいえ、キャンパスの南側の田上の圃場や湖南アルプスの山々はよく見えました。
瀬田キャンパスの朝
■水曜日は1限から「地域社会論」授業があるため、自宅を6時半前に出て、8時過ぎにキャンパスに到着するようにしています。今日は快晴。朝、まだ誰もいないキャンパスに到着すると気持ちがよいですね。1限の授業の教室の鍵を受け取り、研究室に移動しようとしているとこの風景。紅葉した樹と樹心館が目に入りました。 ということで、iPhone5で写真を撮りました。樹がちょっと傾いていますが、これはレンズのせいで歪んでしまっているのです。
■昨日もキャンパスの紅葉の写真をアップしましたが、同じ写真をfacebookでもアッブしています。そこには、卒業生からこんなコメントをもらいました。「在学中はさほど感じませんでしたが、季節の移ろいが目に見えるキャンパスって良いですね!きれいです!」。そうなんですね〜、卒業してからわかる母校の素晴らしさって、いろいろありますよね。キャンパスの風景も、そのような素晴らしさのひとつだと思います。広報担当者の方々には、そういう素晴らしさを、もっと卒業生に伝えてほしいな〜と思います。卒業生の心をくすぐるような情報をもっと発信していただきたいと思います。
■ところで、急に気温が下がってきましたね。電車のなかでは、あたこちでナフタリン臭がします。
瀬田キャンパスの紅葉
赤松学長に活動報告
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■今年も、赤松学長に、「北船路米づくり研究会」の活動報告をさせていただきました。赤松学長には、3年生の代表である小西くんと副代表の小林さんから、龍大米と龍大芋が届けられました。小西くんも小林さんも学長にお会いするということで、大変緊張していましたが、無事に報告を終えることができました。いろいろ、個人的に「予行演習」をしてきたのかもしれませんが、うまくいったのかな。
■今日の活動報告については、龍谷大学のホームページの「大学紹介」>「学長の動き」で紹介されるかもしれません。
【追記】■「学長の動き」の10月23日に、予想とおり掲載していただきました。
瀬田の紅葉
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■今日の午前中(1・2限)、「大津エンパワねっと」コースの「地域エンパワねっとⅠ」の全体授業でした。場所は、1号館6階の会議室です。普段、理工学部の教授会が開催されている部屋です。今日の全体授業のことは、以下をご覧いただきたいと思います。で、今日のエントリーは、瀬田キャンパスで一番高い建物からみえる風景について。
■過去の紅葉関係エントリー。
晩秋の瀬田キャンパス
紅葉の瀬田キャンパス
瀬田キャンパスの紅葉
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■紅葉をとった瀬田キャンパス1号館の会議しから、琵琶湖が見えました!! 龍谷大学に11年間勤務して、そのことを初めてしりました。左が会議室からの風景ですが、右はその琵琶湖のみえる一部を拡大したものです。
【追記】■facebookで、同じ写真を投稿したところ、親しくしていただいている事務職員の方から、以下のようなご説明をいただきました。「 瀬田開学当初に日建設計の方にききましたが設計において外部からは一切キャパスが見えない事を条件にされて中からは琵琶湖が見えて外からは見えないように唯一一号館からのみ琵琶湖が見えるよう工夫して設計されたとのことです」。
プロジェクション・マッピング@龍谷大学
■昨日の瀬田キャンパス、もう夕方で薄暗くなっていましたが、樹心館で「プロジェクション・マッピング」の調整をやっていました。
■まず、樹心館から説明しますが、この建物は1885(明治18)年に建築されたもので、もともとは大阪南警察署庁舎だった建物です。その建物が1908(明治41年)年、民間に払い下げられ購入した門徒の方が龍谷大に寄付し、大宮キャンパスに移築され、図書館、学友会事務所、宗務所として使われてきました。そして、1994年には瀬田キャンパスに移築されました。現在は、朝の勤行等のさいに礼拝堂として使われています。
■次に「プロジェクション・マッピング」ですが、「壁面や建物、家具などに映像を投影し、スクリーンとなる立体の凸凹と映像の融合で奥行きのあるアートを見せる技術」なのだそうです。この技術を使って、樹心館の歴史をみせようとする企画のようです。大学の広報の記事を引用します。
8月30日(土)、瀬田キャンパス(滋賀県大津市)の礼拝堂「樹心館」にて、本学では初となるプロジェクション・マッピングが実施され、多くの方がその美しさに魅了されました。
今回のプロジェクション・マッピングは理工学部情報メディア学科3年生の倉地優輝さんと大塚健司さんの2名(指導教員:岡田至弘教授)が、多くの人にプロジェクション・マッピングの素晴らしさや驚き、そして感動を伝えたいという思いから自ら企画・制作し、実施したイベントとなります。当日は1885(明治18)年に建てられた擬洋風建築物である「樹心館」の様々な歴史がプロジェクション・マッピングで描写されました。
2人がプロジェクション・マッピング制作を始めたのは、実際にプロジェクション・マッピングを見て、その芸術性に驚き、魅了され、またその予備知識である動画編集やカメラが好きであったことがきっかけとなります。これまでは室内で、紙模型や立方体のオブジェクトを用いたプロジェクション・マッピングを行ってきましたが、今回の様な大規模なプロジェクション・マッピング制作は2人にとっては初めての試みであり、多くの時間を費やし試行錯誤の上、完成させた内容です。
今後2人は、今回の経験を活かし、人の動きに反応して映像が変化するなどのインタラクティブ(双方向)性のあるプロジェクション・マッピングや、プロジェクションなどの分野の研究に取り組んでいく予定です。
<参考>
樹心館の歴史
今から129年前の1885(明治18)年に、大阪南警察署庁舎として建築。それから23年後の1908(明治41)年3月、大阪南警察署の改築に伴って民間へ払い下げされ、龍谷大学大宮キャンパスの図書館として生まれ変わる。1936(昭和11)年、学友会事務所に用途を転換。1948(昭和23)年、宗務所(通称:グリーンハウス)として西本願寺へ移築。その後、1994(平成6)年に瀬田キャンパスの礼拝堂として移築し、名前を「樹心館」と改め現在に至る。
■冒頭に、昨日の夕方、樹心館で「プロジェクション・マッピング」の調整をやっていました…と書きましたが、今月末に行われる「龍谷祭」で実演されるのかもしれませんね。とろこで、こういう「プロジェクト・マッピング」の技術は、どの程度、まちづくり等のイベントに活用されているのでしょうね〜。すごく気になります。それぞれのまちの「履歴」を映像として映し出すこと、まちのなかのそれぞれの場所の「地霊」(ゲニウス・ロキ)を映像を通して浮かび上がらせることができるのではないか…と思うからです。アートという枠を超えて、もっといろんな展開ができるのではないかと思いました。おそらく、すでにいろんな試みが行われていると思うのですが、まだきちんと調べることかができていません。