今年のシャコバサボテン
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▪️今年も、シャコバサボテンが花を咲かせてくれました。ありがとう。夏の間は外に出していたのですが、暑さにやられてしまったようで大丈夫かなと心配していましたが、きちんと復活して花を咲かせてくれています。しばらく楽しめそうです。
▪️シャコバサボテン、私の記憶では、昭和の時代にはどの家庭でもこのサボテンの花を楽しんでいたように思います。私の中では、シャコバサボテン=昭和です。しかし、それぐらい流行したのですが、実際の自然の中では、どのような生態なのか知りませんでした。こちらの解説によれば、普通のサボテンとは随分生態が異なっているようです。霧の多い森林の樹上に自生するのだそうです。自生だから、寄生するヤドリギなどとは違うのですね。
シュルムベルゲラ属の植物は、ブラジル南東部に6種が知られています。サボテンの仲間ですが、いずれも霧の多い森林の樹上に自生しています。日本で一般に出回っているのは、リオ・デ・ジャネイロ付近原産のシャコバサボテン(シュルムベルゲラ・トルンカタ Schlumbergera truncata)と、カニバサボテン(S・ルッセリアナ S. russeliana)のほか、クリスマスカクタス(シュルムベルゲラ・バックリー S. × buckleyi)など、両種を中心とした交雑種です。
シャコバサボテン、およびシャコバサボテンの形質を色濃く残した交雑種は11月から12月に開花します。茎節(けいせつ:扁平になった茎。葉の機能をもつ)の突起がとがっているのが特徴です。
▪️「伊豆シャボテン動物公園」の公式サイトでは、次のように解説しています。
シャコバサボテンの故郷は南米ブラジルのリオデジャネイロ州のオルガン山という標高800~1,800m前後の山の中。そこは霧のとても多い所で、雲霧林(ウンムリン)と呼ばれています。
シャコバサボテンはそんな霧の森の中で木の上や岩の張り付いて(これを着生といいます)、ひっそりと暮らしているのです。おそらくその光景を実際に見たことのある人はめったにいないでしょう。とても見つかりにくいサボテンです。
▪️昭和の時代、各家庭に一鉢はあると言われたシャコバサボテンですが、もともとは「ひっそりくらして」いたのですね。なるほど。
毎日甲子園ボウル 全日本大学アメリカンフットボール選手権決勝
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▪️12月14日、いよいよ甲子園ボウルです。13:40キックオフです。すでにチケットを5枚購入しました。職場内にある関学の同窓会である龍谷大学新月会の会員のうち、アメリカンフットボールが好きなメンバー4名(プラス奥様とお子さん、あわせて6人)で応援します。当日は、ライト側の外野から応援します。ライト側だと、試合の展開を横からではなくて、ゴールポーストの片方から応援することになります。これはこれで、面白そうです。たとえば、オフェンスラインが相手にディフェンスを押しまくり、そこにできた隙間をRBが突っ走るシーンが見られるかもしれません。また、今年は関西学院ファイターズは1塁側らしく、ファイターズは関学の学生・教職員500名をライト自由席に無料招待するらしく、母校の関係者と一体となって応援できるのではないかと思います。
▪️ということで、代表してチケットチケットぴあでチケットを購入して、一緒に応援する新月会の会員の皆さんの学内のメールボックスに投函させていただきました。お一人は学内便で。スポーツ観戦にしろ、コンサートにしろ、私にはこういうふうにネットでチケットを購入する習慣がなかったのですが、後期高齢者になってやっとこういう仕組みにも慣れてきました。やっと…。甲子園ボウルでは、関西学院大学は立命館に勝利し、再び日本一になってくれるに違いないと信じています。応援のあとは梅田界隈で祝杯をあげようということにもなっています。
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▪️甲子園ボウルの前日になりますが、甲子園ボウルの前日、Div.1と2の入れ替え戦があります。Div.2で2位になった龍谷大学シーホースは、Div.7位の同志社大学ワイルドローバーと対戦します。龍大関係者、ぜひ応援してください。なんとしても、Div.1に復帰してもらいたいです。ところで、龍谷大学のシーホースってタツノオトシゴの意味です。「龍」谷大学ですから。一方、同志社大学のワイルドローバーってなんだろうと、改めて思いました。同志社大学の創設者、新島襄先生が初めて渡米した時に乗船した船名なのだそうです。「大海洋時代の放浪者」という意味なのだとか。同志社大学の皆さんには常識でしょうが、今回、はじめて知りました。知らんかっとってん、です。
龍谷大学データサイエンス・AI教育プログラム
▪️世の中、これだけAIAIとこれだけ言っているのに、今まで、そのAIを使って仕事をすることがありませんでした。たまたま、東京の友人に勧められて「調査・資料作成」に特化したAI、Gensparkを使ってみました。もちろん、手を加えないといけないし、細かいところをチェックしなければなりませんが、情報を集めて見やすいスライドを作ってくれるので、なるほど…と思いました。
▪️教員向けのAIの講座はないのだと思いますが、学生さんたちには「龍谷大学データサイエンス・AI教育プログラム」が開講されていることを知りました。知っていたのかもしれませんが、おそらく忘れていたのだろうと思います。自分自身の中にある、AIへの関心が薄かったからなんでしょうね。日々の学生さんと接して教育をしているわけですが、そこでもAIを学生さんに勧めたことはありませんでした。だって教える側がよくわかっていないのですから。それ以前に、雑談をしていてわかったのですが、学生さんたちはどんどん使い始めていました。
▪️大学としては、2023年4月に「生成系AI( ChatGPT等 )の活用について」という注意喚起をしています。どちらかというと、使用にあたっては十分に注意してください…というニュアンスですかね。
学生のみなさんへ
昨今、ChatGPT等の生成系AIが注目を集めています。今後、生成系AIの技術革新はさらに進み、社会の様々な場面で活用されるようになることが予想されます。
学生のみなさんにとっても、生成系AIは大学での学びをより効果的に進めていくうえで有意義なツールとなる可能性があります。適切に活用することで、自らの考えを検証したり、物事の理解を深めたりするようになれることなどが期待されるからです。一方で、生成系AIには短所もあります。それを十分に理解しないまま活用することは問題です。たとえば、生成系AIへの依存は、思考の幅を狭め、自ら考えることを阻害する危険があります。学びによる自身の成長を止めてしまうことにもなりかねません。
また、授業におけるレポート作成などの課題に取り組む際に、生成系AIを安易に用いることは、課題を通じた学びの機会の逸失につながります。加えて、剽窃などの不正行為に該当すると見なされる場合もあります。生成系AIによる文章などの生成物は、自らの活動成果を代替するものではないと認識すべきでしょう。
生成系AIによる生成物(回答)には、誤りなどが含まれていることもあります。したがって、その内容を自ら確認・検証することが不可欠です。さらに、セキュリティ上の課題もあり、個人情報の漏洩や著作権の侵害などを引き起こす危険があることも留意しなければなりません。学生のみなさんにおかれては、生成系AIにこうした問題があることを十分に認識し、適切かつ慎重に対応するようご留意ください。
▪️そして、2025年4月には「『龍谷大学における生成AIの活用に関する学生向けガイドライン』の策定について」を発表しています。詳しい内容は実際にお読みいただきたいと思いますが、冒頭には次のように書かれています。
本学では、2023年4月に「生成系AI(ChatGPT等)の活用について」として、学生の
皆さんには、生成AIの問題点を認識したうえで、適切かつ慎重な対応をお願いしました。しかし、近年、ChatGPTに代表される生成AIは急速に発展・普及しており、大学での
教育研究活動においても、活用による効果やリスクなど正負両面の影響が指摘されて
います。このため、皆さんが本学での教育研究活動において生成AIを活用する際の基本的な
考え方や留意すべき事項を示すことを目的として、このたび本ガイドラインを策定
しました。
▪️「生成AIは急速に発展・普及しており」という部分に注目しました。世界中で、生成AIが使用されています。身近なところで、子どもたち夫婦に尋ねてみました。2組の夫婦は共働きですが、仕事でも当たり前のように使っていました。しかも、生成AIの限界や問題点を知った上で上手に使っているように思いました。そして、これだけ普及してきたのであれば、多くの学生さんたちが、きちんとしたリテラシーや倫理観も併せて身につけられるように生成AIを学習して、自分の卒業論文の研究に活かしていけるようにする必要があるんじゃないのかなと思うようになりました。と思っても、自分自身が生成AIを研究で使いこなせていないので、果たして指導できるのかな…という感じです。しかも、定年退職まであと1年ですからね。
▪️龍谷大学では、2022年度から「データサイエンス・AIリテラシープログラム」を開講しています。全学部対象の「データサイエンス・AIリテラシープログラム」と「データサイエンス・AI応用基礎プログラム」が開講されています。加えて、経済学部、先端理工学部、経営学部に特化した内容だと思いますが、そのようなプログラムもこの3つの学部ごとに開講されているようです。社会学部の学生さんたちも、「データサイエンス・AIリテラシープログラム」と「データサイエンス・AI応用基礎プログラム」を履修してみてはどうかと思うようになりました。この中でも、生成AIについて講義されるのでしょうか。そのあたり、よくわかりません。
▪️このようなAIの普及は、就職活動にも影響を及ぼしているんですよという話を、東京の知人のビジネスマンから教えていただきました。アメリカでは、ホワイトカラーの会計士から職業訓練校を経て、ブルーカラーの配管工になったら、会計士の時の給与よりも3倍高い給与を得ている、そのような新聞記事も教えてもらいました。配管工のような職業は、AIにはとってかわられることはありませんからね。また、AIを使っている学生さんほど、将来AIにとってかわられる職業を避けるようになっているという記事も読みました。このような大きな変化の中で、大学のキャリアセンターはどのように奮闘されているのでしょうね。知り合いに聞いてみたいです。それから、大学時代の先輩からは、「Gamma を使ってます。ChatGPTにプロンプトを書かせてそのまま使っています。微調整は必要ですが結構気に入ってます」と教えていただきました。今も、現役で働いておられます。こうやって、いろいろ調べてみたり、GoogleでもAIモードを利用したりと、バタバタしていると、Googleからメールが届きました。「Gemini をウェブでご利用いただけます」ですって。
▪️上に貼り付けた動画は、龍谷大学で開講されている授業の紹介動画です。
「調査・資料作成」に特化したAI、Gensparkを使ってみました。
▪️東京の大きな企業に勤務されている知人が、Gensparkを強く勧めてくださいました。facebookで、あるシンポジウムで話をするので、時間をかけてパワーポイントのファイルを作り疲れた…みたいなことを書いていたので、このGensparkを強く勧めてくださったのです。これは、ウェブ情報に基づいた「調査・資料作成」に特化ししたAIです。今度のシンポジウムでは、私が参加してきた市民活動やNPOの活動、そして国から支援を受けている農村ROMの活動についてお話しするのですが、そのような情報はたしかにウェブ上にありますからね。
▪️というわけで、Gensparkは、短時間でスライドを作成してくれました。AIってこういうことなのかなと実感しました。ネット上にしっかり情報があって、このスライドを使ってきちんと説明できる知識と能力がスピーカーにあれば、けっこう使えるのではないか、作業の時間を短縮できるのではないかと思いました。もちろん、まだ使い方がよくわかっていないので、なにか凡庸な内容ですし、修正が必要ですし、写真や模式図等も付け加えたりしないといけませんが。そういう細かなことについてもオーダーできるのかもしれません。
▪️ただ、学生さんが安易に使ってしまうと、大火傷をしてしまいそうです。できあがったスライドの意味がわからずに、また著作権等についてもよくわからずに使ってしまうと、自分自身の評価を下げるだけでなく、下手をすると剽窃等になってしまいそうです。こういうAIのリテラシーをきちんと指導していく授業も大学には必要だと思います。私が知らないだけで、すでにそういう教育が龍大でも行われているのかもしれません。どうでしょうね。まだでしたら、早くに取り組んだ方がよいと思いました。AIの発展のスピードに教育の制度が追いついていないことが気になります。私は、あと1年ちょっとしか大学に勤務しないのですが。今日は、良い経験ができました。
▪️東京の知人からは、「使わないリスク>使うリスク」と言われました。あと1年で大学を定年退職する者と、ビジネスの世界で活躍する方とのAIに対する熱量の違いも感じました。
【追記1】
勤務している龍谷大学では、AIに関してガイドラインが示されていました。
「龍谷大学における生成AIの活用に関する学生向けガイドライン」の策定について
【追記2】Gensparkに関してはこのような評価を確認しました。
【2 危険】 Gensparkの安全性調査レポート
【全日本大学選手権準決勝】関西学院大学 vs. 関西大学|2025年11月30日【ハイライト】
▪️全日本大学アメリカンフットボール選手権準決勝、母校である関西学院大学は関西大学に大勝しました。関学大52―7関大です。決勝戦の甲子園ボウルに出場します。相手は、同じく関西の大学である立命館大学です。おそらく、現時点での、日本学生アメリカンフットボール界での最高の試合が行われることになるのではないかと思います。
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▪️さて、今日の準決勝ですが、関大側は、エースQB(チームの司令塔)が故障して途中から交代したということもあって、そして関学のディフェンス陣の頑張りもあって、思うように試合ができなかったのではないかと思います。それに対して関学は、今の関学の力を最大限に発揮して勝利しました。関西リーグでは17-17の引き分けだったので、さてどうなるかと少し心配をしていましたが、杞憂でした。しっかり相手を研究して準備をされてきたのですね。甲子園ボウルは、龍谷大学新月会(職場の関学出身者の同窓会)の有志の皆さんと応援をします。チケットも購入しました。関学ファイターズ、立命館を破って日本一に返り咲いてくれることを祈ってしっかり応援します。
▪️母校の勝利を喜んだあと、負けた関大の選手たちの気持ち、特に4回生の皆さんの気持ちのことを想像しました。試合が終わる前から、涙を流していた選手もおられました。悔しいのでしょうね。関学との対決のために1年間準備をしてきたのに、力を発揮できなかったことの悔しさだろうと思います。アメリカンフットボールは、あらかじめ敵チームを徹底的に分析して、その分析に合わせてどれだけ準備ができるかどうかが勝負のようです。エースQBが試合の途中で故障になり、交代で出場したQBは、本来はというか別のポジションも兼ねている人で、QBだけで練習してきた選手ではありません。プレッシャーも含めて、とても大変だったと思います。よく頑張ってくださったと感謝したいと思います。
▪️優れたRBもおられるのですが、本来の力を発揮できなかったように思います。負けた側にも、きっとすごい人間ドラマがあるのだろうなと想像しています。そのうちに、そのようなことも報道されるのではないかと期待しています。アメフトに全てを捧げてきた若者たち、負けたとしても、何かそこから獲得してくれていてほしいです。こちらは、試合の経過を報じる記事です。
【追記】▪️ファイターズの71番は、OLの中西春貴さんです。大変残念なことですが、10月25日に病気で亡くなられました。まだ、21歳だと思います。そのことを以下のXへの投稿で知りました。
【71番とともに】
関西学院大 52-7 関西大… pic.twitter.com/RMkE8mv23U— アメフト屋 (@footballstore55) November 30, 2025
「愛土農園」で農作業
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▪️今日は、朝10時から暮らしている新興住宅地に隣接する農村、仰木に出かけました。国の「農村型地域運営組織(農村RMO:Region Management Organization)」に採択された「仰木地域共生協議会」の活動の一環で農作業に取り組みました。あいにく、今日の参加者は少なく2人だけでした。私と同じく新興住宅地にお住まいのSさんです。
▪️今日の農作業は、タマネギの苗を植えることでした。協議会の会長さんからご指導をいただき、頑張って大量の苗を植えていきました。針金を縛るシノという道具がありますが、あのシノをマルチシートに空いている穴に突き刺して、少し穴を開けてそこに苗を植えていきます。簡単なことなんですが、なかなかコツをつかめませんでした。苗を3/2ほど植えた頃にやっと早く植えることができるようになりました。残りは別の仲間が明日植えてくださることになっています。タマネギの苗って、なんだか頼りない感じなんですが、これがだんだんしっかりしてきて、来春には美味しい玉ねぎが土の中にできる予定です。苗を植えた後は、ひとつひとつの苗にジョウロで水を与えました。頑張って美味しいタマネギになってねと願いを込めて水をやりました。
▪️この畑には名前がついています。「愛土農園」(あいどのうえん)といいます。このあたりの字名が「合土(あいど)」だったので、合を愛にかえて名称にしたというご説明を受けました。「集えるみんなが同じ土に触れ、種や名前を植え付け、収穫を心待ちする”交流農園”」なんです。理事長をしている特定非営利活動法人「琵琶故知新」も「仰木地域共生協議会」に参加していますが、こういった農作業に取り組む方達の交流が促進していくように、スマートフォンのアプリを開発して提供していくことになっています。今日は、しゃがんでタマネギの苗を植えていたものですから、少し腰を痛めてしまいました。
『家で幸せに看取られるための55のヒント』
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▪️定年退職1年前には研究室の断捨離。定年退職後は自宅の断捨離に励まねばなりません。できるだけ身軽になって、終活に励みたいと思います。そして、この本のタイトル通りになりたいと思います。ということで、まずは勉強させてもらいます。ただ、残念ながら、スピリチュアルな側面については、この本では触れていませんね。私は、スピリチュアルも大切だと思っているのです。浄土真宗では「後生の一大事」というそうですが、「死後の自分はどこに行くのか」という問題のことです。「死んだらそれまでなんだから、関係ないよ」と思われるかもしれませんね。私は、そう思いませんが。
▪️有名な精神科医の中井久夫さん、そして評論家の加藤周一さんは、人生の最期でカトリックの洗礼を受けられました。また、社会学者の吉田民人さんも仏教に相当傾倒されました。そういえば、学部生の時に農村社会学の講義をしてくださった余田博通先生も、病床でだったと思いますが、プロテスタントの洗礼を受けられたのではなかったかな。中井久夫さんは、洗礼を受けられた理由を尋ねられた時「べんりでしょ」とお答えになったとか。「死後の自分はどこに行くのか」という問題にイメージを与えてくれるという意味で便利なのでしょうか。私には詳しいことはわかりません。ただ、みなさん、自分の最期には、スピリチュアルな支えが必要だと判断されたのではないかと思います。想像ですけど。
▪️以前、在宅診療医の方とお話ししたことがあります。その時に、「お迎え」現象の話が出ました。亡くなる直前になると、すでに亡くなっている人があの世から迎えに来てくれるかのように感知する現象を、「お迎え」というようです。その医師のお話しでは、「お迎え」があった方達は、苦しまずに安らかに亡くなっていったと言っておられました。そして、それは何故なんだろうと私にも聞かれたのです。その時は、龍谷大学に勤務していたかもしれないけれど、まだ仏教のことをあまり勉強していませんでした。今だと、近代主義的・合理主義的な人でも、最期の最期は、自分が消えていくことに強い不安を覚えるのではと考えています。人間は弱い存在です。それが、「後生の一大事」なのかな。スピリチュアル的な面で明確なイメージをもつことは、「後生の一大事」を通過していくことを容易にするのではないのか、そのように思うのです。中井さんが「べんりでしょ」と言ったのは、そういうことなんじゃないのかな。どうやろ。
「Unknowing わからないままに響きあう」という展覧会
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▪️火曜日1限は「社会学基礎ゼミナール」です。教室は、深草キャンパスの慧光館の5階です。授業が終わって階段を降りていくと、1〜3階のフロアになりやら展示してあります。多くの学生さんは通り過ぎるだけなんですが、たまに足を止めてじっくり展示物を鑑賞されている人もおられました。展覧会が開催されていました。その展覧会では、様々な作品が展示されていますが、それらは「たんぽぽの家アートセンターHANA 」に所属する作家さんたちの作品です。写真の織物は、私が一番気になったものです。福岡左知子さんの作品です。すごく素敵ですね。
▪️展覧会の開催期間は、本日11月25日から12月25日まで。「Unknowing わからないままに響きあう」という展覧会です。以下は、概要です。
この展覧会は、”わかる”ことを目的としません。むしろ、“わからない”という状態にとどまりながら、それでも誰かと、何かと、共にいることの可能性を探ります。展示では、障害をもった人々による、あるいは彼らとともに生まれた作品を紹介します。それらは、アートに見えるかもしれないし、見えないかもしれない。そこには言葉にならない感覚や、説明できない魅力がある。わからないからこそ、思いやる。わからないままに、響きあう。ただ「いる」ことで、何かが共鳴する。作品と、そしてその向こうにいる誰かと、分からないままに響き合う体験が待っています。
▪️ちなみに、この展覧会の企画立案やキューレートされたのは、龍谷大学大学院を修了した松本拓さんです。偶然ですが、今日、慧光館から出たところで、その松本さんにお会いして立ち話をすることができました。松本さんが書かれた「”わからない”という状態にとどまりながら、それでも誰かと、何かと、共にいることの可能性」という部分に、私は強く共振しました。私のなかでは、帚木 蓬生さんのネガティブケイパビリティとか、アメリカの哲学者であるリチャード・ローティが哲学の役割は会話を継続させることであると主張したことなどと、強く共振しました。そのことを松本さんに伝えると、そのような理解に逆に共感してくださいました。
▪️世界から「”わからない”という状態にとどまりながら、それでも誰かと、何かと、共にいることの可能性」がどんどん失われて希薄になってしまっているからこそ、このような展覧会を通して、学生の皆さんもいろいろ感じてほしいなと思います。
『斜め論』
▪️『斜め論 空間の病理学』の書評。何か困り事を抱えた人びと(他者)に、自分の側から関わっていく(他者へのケア)ときの姿勢。中井久夫さんのいう「ちょっとした垂直性」が気になりました。以前、環境社会学会の編集委員長をしているときに、学会誌『環境社会学研究』で「市民調査」という特集を組みました。その特集の中の蔵治光一郎さんの論文で、一般の市民による「市民活動」(環境調査)を、専門性からズレていて質問されてもちょっと自信がないぐらいの人が手伝うとうまくいって(市民は楽しみを優先している)、バッチリ専門性のある人が手伝うとうまくいかない(科学的な精度を求める)…随分前のことなので記憶が曖昧ですが、そのような話が論文の中に出てきました。きちんと確認していないんですけど。この「斜め論」、「ちょっとした垂直性」というのは、私の研究や実践の文脈では、そういうふうなことに重ね合わせて理解することになります。筆者には「違うよ」って言われるかもしれないな…。もっとも、この本の中に出てくる信田さよ子さんのお話のような迫力は、自分には全くありません。以下は、書評の中の一部。
しかし、臨床的な意味での治癒は、むしろ水平方向において、つまり他者との横のつながりの回復などによって起こるのではないか。このことは、中井久夫が統合失調症患者がその急性期から「共人間的世界(身近な他者との関係)」の再構築において回復に向かうとしたことにも通ずる。ただし中井は、治療者が権威的ではないやり方で患者を導くこと、つまり「ちょっとした垂直性」の必要性に触れていた、と著者は指摘する。
そう、水平方向はケアにおいて重要な意味を持つが、そこには平準化(横並びに埋没させること)に陥る危険も潜んでいる。垂直方向の批判から水平方向の全面賛美に向かうのではなく、「斜め」を目指すこと。ここに、ラ・ボルド病院の実践において垂直と水平の次元を乗り越えようとしたガタリの「斜め横断性」の概念が重ねられる。