感謝10,000アクセス!!

■このホームページ(&ブログ)「環境社会学/地域社会論 琵琶湖半発」は、昨年の7月25日に開設しました。そして、9月5日にアクセスカウンターを設置いたしました。当初は、せいぜい1日に20人ご覧いただければ良いほうだったように記憶していますが、最近では、40~60人の皆さまにご覧いただけるようになりました。そして、昨晩、10,000を超えることができました。今後とも、更新を継続していけるように努力いたしますので、どうかよろしくお願いいたします。

勢多唐橋東西大綱引合戦

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勢多唐橋東西大綱引合戦

甲子園

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■今週、辛いです。会議がいろいろ、学生の面談、フィールドでの学生の指導、自治体での審議会、研究プロジェクトの打ち合わせ…土曜日まで油断できないヤバい状況です。しかし、その隙間に金曜日の晩は甲子園にいくことになっています。熱狂的な阪神タイガースファンではもちろんありませんが、毎年数回、甲子園の3塁側アルプススタンドで、阪神の応援をしています。ちょっと、息抜きしてきます。

■甲子園という名前、なぜ甲子園なのか。wikipediaで調べてみました。1924年、現在の阪神甲子園球場の場所に大運動場が開設され、その年が干支でいう甲子(きのえね)の年だったので、この地域が「甲子園」と名付けられたとのこと。この場所は、元々、河川敷だったとろに阪神電鉄が住宅開発・行楽地を開発することで生まれた土地です。なんだ、そうだったのか…。

■似ている名前に、甲陽園があります。阪急沿線です。甲陽園は、元々山林だったところを「甲陽土地」という会社が上水道・電気を完備した住宅街に開発したこと、そして甲山の南側であることが命名の理由だそうです。また、甲東園というのもあります。これは、1889年に武庫郡門戸村・上大市村・下大市村・段上村・神呪村・樋口新田・上ヶ原新田が合併した際、武庫郡甲東村と名乗ったのが「甲東」という地名の始まりなのだそうです。これは地域全体が甲山の東部に位置することに因んでいます。甲陽園と甲東園は、甲山という山の名前に因んでいるのか。甲山のどちらの方角に位置しているか…で地名が決まっています。しかし、甲子園は、違うのですね。私はこれまですっかり、甲陽園や甲東園と同じく、なにか地理的な事柄と関係しているものとばかり思っていました。で、甲陽園と甲東園は甲山に関係があったわけですが、甲山と六甲山は「甲」の字が一緒ですが、これも調べてみると、ぜんぜん名前の由来が違うんですね。

■まあ、どうでもよいことですかね…。


【追記】■これは、「阪神タイガース球団歌」です。通称「六甲颪(おろし)」です。これもwikipediaで見てみました。こう書いてあります。私は、知りませんでした…。中村鋭一さんなんですか。

『阪神タイガースの歌』に改題の際、若山彰の歌唱により再吹き込みされたものが甲子園球場でのタイガース戦で流されるようになり、それで歌詞を覚えた当時朝日放送アナウンサーであった中村鋭一が、自身が司会をつとめたラジオ番組『おはようパーソナリティ中村鋭一です』で歌ったことにより、1970年代の多くのファンに広められた。1972年(昭和47年)に発売された中村の歌唱によるレコード(テイチクレコード発売)は、40万枚以上のヒットを記録し、1991年(平成3年)にはCD発売された。1985年(昭和60年)にタイガースが日本シリーズで優勝してからは、全国的に知られるようになった。なお、『六甲颪』という通称は、中村が考案したとされる。

Kenichi=ケニチ


■私の名前は、健一(けんいち)です。ただし、英語で書くと Kenichi になり、海外の方たちは「ケニチ」と発音します。もう慣れているので、「ケニチ」と呼ばれると反応してしまいます。今日は、パソコンでYouTubeをみていて、たまたま「ケニチ」を発見しました。

■動画に登場されているのは、蛯名健一さんです。もちろん、日本人。アメリカに留学して、様々なダンスを独学で学ばれました。動画は、アメリカの公開オーディション番組「アメリカズ・ゴット・タレント」に登場されたときのものです。すごいです。まずびっくりするのは、首が落ちるように見えることです。もちろん、眼の錯覚とトリックなのですが、いや、本当に、びっくりです。そのあとの「マトリックス」を題材にしたようなパフォーマンスもすごい。自分の体をここまできちんとコントロールできるだなんて・・・信じられません。こちらの「ケニチ」はすごい!!

目には見えないものを感じとる力


■昨年、石川県の能登半島にいきました。そこで、アエノコトという儀礼に強く関心を持ちました。このアエノコト、文化庁のサイト(国指定文化財等データベース)では、以下のように解説されています。

奥能登のあえのことは、稲の生育と豊作を約束してくれる田の神を祀る農耕儀礼の典型的な事例として奥能登に顕著な分布を示しているもので、毎年12月と2月に行われる。
 各農家における行事次第や内容には細部には相違が認められるものの、ゴテと呼ばれる世帯主自らの采配によって執り行われる。収穫後(12月5日が多い)に、田の神を田から家に迎え入れて、風呂に入れたり食事を供したりして丁重に饗応して収穫を感謝し、翌年の春の耕作前(2月9日が多い)にも再び風呂に入れたり、食事を供したりして饗応して、田の神を家から田に送り出して豊作を祈願する。
 目には見えない田の神があたかも眼前にいますがごとく執り行う所作や直会には豊饒に対する感謝と願いが素朴なままに発露されている。
 古くから稲作に従事してきた我が国民の基盤的生活の特色を典型的に示す農耕儀礼の事例として極めて重要なものである。
(※解説は指定当時のものをもとにしています)

■上記の引用で、私が注目したいのは、太字で強調した部分です。文化庁の解説では「目には見えない田の神があたかも眼前にいますがごとく」と書かれています。しかし、「いますがごとく」ではなく、本来は、実際に田の神がいらっしゃることをリアルに感じとろうとしてこられたのではないかと想像します。田の神は、何も語りませんが、聞こえない田の神の声を聞き取ろうとする心持ちが必要なのだと思うのです。以下のページをご覧いただければよいのですが、儀礼の最中は、田の神への様々な配慮が必要になります。目には見えない存在を感じとろうと感覚を研ぎすましていくことが、神とのコミュニケーションには必要なのです。
「アエノコト」「西野神社社務日誌」


■12月17日の深夜0時から、奈良の春日大社の摂社である若宮神社の「おん祭」が始まります。この「おん祭」の最初の儀礼である「遷幸の儀」に関して、春日大社の公式サイトでは、次のように解説しています。

若宮神を本殿よりお旅所の行宮(あんぐう)へと深夜お遷しする行事であり、古来より神秘とされている。現在も参道は皆灯火を滅して謹慎し、参列する者も写真はもちろん、懐中電灯を点すことすら許されない。これらはすべて浄闇の中で執り行われることとなっている。神霊をお遷しするには、当祭においては大変古式の作法が伝えられ、榊の枝を以て神霊を十重二十重にお囲みして、お遷しするという他に例を見ないものである。全員が口々に間断なく「ヲー、ヲー」という警蹕(みさき)の声を発する。又、楽人たちが道楽(みちがく)の慶雲楽(きょううんらく)を奏で、お供をする。

■動画では、1分15秒あたりからご覧いただけますでしょうか。上の解説にあるように、この「遷幸の儀」、「浄闇の中で執り行われ」ています。春日大社の神主の皆さんの「おーおー」という警蹕(けいしつ)の声しか聞こえてきません。古式の作法といいますが、暗闇であるがゆえに感覚が研ぎすまされ、神の存在を感じとることになります。

■私は、ずいぶん長いあいだ奈良に暮らしていますが、この若宮の「おん祭」の「遷幸の儀」という儀礼を一度も拝見したことがありません。あっ…拝見とかきましたが、これは正しくありませんね。神の存在を感じとる、感覚を研ぎすませる…ですから。今年は、ぜひ参列させていただこうと思います。

琵琶湖の固有種、ビワマス

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(桑原雅之氏撮影)
■facebookを見ていて、以前勤務していた滋賀県立琵琶湖博物館の桑原雅之さんの写真に、目が釘付けになりました。桑原さんにお許しをいただき、その写真を掲載させていただきました。魚が写っています。ご自身で釣られたビワマスです。トリミングしたので3匹しか映っていませんが、本当は全部で5匹写っていました。facebookには、「40cmくらい以下は全部放流し,55cmを頭に5匹キープ」と書かれていました。写真の一番上のやつが、55cmだと思います。大量ですね。

■ビワマスは、その形からもわかるように、サケ科の淡水魚です。日本の琵琶湖にしかいない固有種でもあります。秋になると、琵琶湖の北湖の周りの河川を遡上し産卵します。サケ科ですから、自分が生まれた河川を遡上し産卵するのです。次の時の春に孵化した稚魚は河川を下り、琵琶湖の沖合の深くて水温の低い場所まで移動します。そこで、2〜5年かけて大きく成長するのだそうです。まあ、このようなビワマスの生活史は横においておきましょう。私が桑原さんの写真に釘付けになったのは、このビワマスが大変美味しいからです。とくに、これからの季節は、刺身が絶品なのです。

■このビワマスに関して、生態学者の川那辺浩哉さんが、『知っていますかこの湖を びわ湖を語る50章』という本のなかで、次のようなことを書いておられます。画家であり俳人でもあった与謝蕪村が、「瀬田降りて志賀の夕日やあめのうお」という句を残しているのだそうです。「あめのうお」とはビワマスのことです。この句について、川那辺さんは次のように解説されています。「瀬田は夕映えではなくて雨だとして俳を効かせ、天智帝の都ですぐに荒れてしまった志賀里に夕日がきれいに見えているとして、産卵期のビワマスの背が黒く、体側が虹色の姿に対比したわけだ」。なるほど。ビワマスも含めてサケ科の魚たちは、産卵期が近づくと「婚姻色」=虹色になるのです。

■川那辺さんは、蕪村の句について以上のように説明したあと。次のように解説されています。

「この句をどこで吐いたのか。瀬田と比叡山麓が見えるのだから、南湖東岸であることは確かだ。また膳の上のものではなく、「今や漁師が網からとり上げたところ」に違いない。しかし今、漁獲されるのは湖北のみである。だが野洲川はそもそもビワマスの名産地で、御上神社や兵主神社には秋にこの魚が捧げられる。びわ湖の水質が格段に回復し、蕪村さんの句のとおり、南湖でその風景を賞でながらビワマスを食べられるように、これまたすべきなのではあるまいか」。

チャグチャグ馬コ

20130624umako.jpg ■毎年6月の第2土曜日、岩手県の滝沢村にある蒼前神社から隣接する盛岡市の盛岡八幡宮までの15kmを、華やかに飾った馬たちが、小さな子どを載せて行列をして行進します。「チャグチャグ馬コ」というお祭りです。今年は、すでに終っていますね。以前、岩手県立大学総合政策学部に勤務していたとき、一度だけ、蒼前神社まで見学にいったことがあります。

■「慶長2年(1597)沢内村の馬が野良しごとの途中で暴れ出し、滝沢村まで駆けてきて死んでしまった。村人たちはこれを手厚く葬って祠を建てた。これが蒼前神社の始まりといわれ、依頼5月5日の端午の節句には仕事を休んで馬に飾りをつけ、この神社に参拝するようになった。昭和33年から新暦の6月15日、2001年からは6月第2土曜日に行われることになったチャグチャグ馬コの発祥地」(「いわての旅」「鬼越蒼前神社オニコシソウゼンジンジャ」)。

■写真は、その「チャグチャグ馬コ」の耳かきです。岩手県立大学総合政策学部のゼミ生だった学生たちが、私が龍谷大学に異動するということで餞別にプレゼントしてくれたもののひとつです。さきっちょの「馬」が少し重いので、多少使いにくいところもありますが、かれこれ10年間、研究室で大切に使っています。

アクセス10,000が視野に入ってきた

■このホームページ(&ブログ)「環境社会学/地域社会論 琵琶湖半発」は、昨年の7月25日に開設し、9月5日にアクセスカウンターを設置いたしました。そのアクセスカウンターが、このエントリーをアップする6月24日の時点で「9,710」になりました。あと2週間かからずして、アクセスカウンターが「10,000」を超えるのではないかと思います。ありがとうございます。

素敵な結婚式

■おそらく、facedbookに登録されている方しかご覧になれません。申し訳ありません。

Ayaka&Hiroki wedding

facebook/龍谷大学脇田健一ゼミナール/北船路米づくり研究会

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■「いいね!」が、200を超えました。ありがとうございました。

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