2013年度社会学研究科修士課程中間発表会

20130727graduateschool.jpg■ 本日は、2013年度社会学研究科修士課程中間発表会です。社会学研究科は、社会学専攻と社会福祉学専攻にわかれていますが、社会福祉学専攻は10時半から、社会学専攻は13時から開始しています。社会学専攻は、全員で7人が発表しますが、前半が社会学コースの発表、後半がジャーナリズムコースの発表になります。

■写真は、午前中から始まった社会福祉学専攻の会場の様子です。

宮沢賢治の「幸せ」と「死生観」

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■先日、7月24日の朝日新聞(朝刊)の「リレーおぴにおん」に、宮澤賢治の弟・清六さんの孫である宮沢和樹さんが登場されていました。とても興味深いご意見でした。

■賢治ファンの皆さんが、宮沢賢治を聖人や偉人のような存在に位置づけようとする傾向を「違う」と否定されます。「賢治さんは失敗のほうが多かったといってもいい」とも語っておられます。賢治の作品を「悩みを抱えた人間が書いたもの」という視点で読むことではじめて「真の価値」が見えてくるというのです。この「おぴにおん」の後半部分では、賢治の「幸せ」観や「死生観」について語られています。

自分自身や他人に対して、何か後ろめたいことをしていると感じたら幸せにはなれない。ならば、どう生きるべきかと、考えさせてくれます。

現代人の死生観にも訴えるものがありますね。童話では登場人物が死んでしまったり、八パーエンドでなかったりします。それでも基本的には明るいと思いませんか?人はみな、いつか死ぬ。じゃあ、何もかもなくなってしまうのでしょうか。銀河鉄道の列車は時空を超えてどこまでも走っていく。そのよう「意識」のようなものは残り、終着点はない。死は悲しいことだけど、同時に悲しいことじゃない。

■とても大切なことをおっしゃっておられる。死ぬ前の段階で、「死は終着点ではない」というイメージやリアリティをもつことができるのかどうか、とても大事なことだと思います。このようなイメージやリアリティをもつことができなければ、「底なしの真っ暗闇に吸い込まれていく…そして消えていく…」、そのような恐怖しか存在しないからです。よく、「死んだらすてべて無くなる。自分もただの物質に戻っていく(たとえば…遺骨)」という発言も聞きます。しかし、そのようなイメージも、現代科学の、たとえば生態系やそのなかでの物質循環のイメージを媒介にしながら、死後をイメージしようとされているのだと思うのです。

■フォロースルーという言葉があります。調べてみました。「野球、テニス、ゴルフなどの球技で、ボールを打ったり投げたりしたとき、そのプレーの流れとして後まで続いていくからだの動き」のことだそうですね。死の瞬間が、バットにボールが当たる瞬間、ラケットにボールが当たる瞬間、ゴルフのクラブにボールが当たる瞬間と考えるならば(実際には、死は瞬間ではなく一定の幅をもった時間と考えたほうがよいと思っていますが…)、死は生の終着点と考えるのではなく、死は生との連続線上にあるものとして理解できます。現世と死後のイメージとが連続しており、通常私たちがいう死とはその経過点にしかすぎなくなります。そうでないと、今、生きているこの瞬間が「幸せ」にはなりません。この続きは、また別のエントリーで。

龍谷ミュージアム特別展「極楽へのいざない-練り供養をめぐる美術-」

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「大津エンパワねっと」5期生の最後の合同授業

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■龍谷大学社会学部の地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」には、文部科学省の現代GPに申請するさいの企画段階からですから、2006年度の最後の頃、2007年の1月から関わっています。1月から3月までは、土日も使って相当な時間を投入して議論を積み重ねてきました。4月に文部科学省に申請し、たしか7月に文部科学省の面接を受けに、東京まででかけました。厳しい質問にも”耐えぬき”(?!)、なんとか採択されたのが8月の初めだったと思います。そして、このブログラムのなかで学生が実際に地域で活動をし始めたのが、2008年の9月からになります。エンバワ1期生の誕生です。

■それから5年たちました。今日は、エンバワ5期生の最後の合同授業がありました。まだ、夏休みに様々な活動をしたり、9月には報告会を開催したりと、実際の終了はもう少し先の事になりますが、学内の授業としては、今日が最後です。授業担当者の代表である山田先生が学生の皆さんに挨拶されたことが、記憶に残りました。山田先生は福祉学の教員ですが、対人援助がご専門で、もともと地域社会や地域づくりには関心がなかったのだそうです。しかし、学生の取り組みや、この教育プログラムに対する地域の皆さんのご支援やその熱意に接するうちに、地域や地域づくりに対する考え方が変わっていったといいます。私などは、地域社会で研究調査をして、地域社会論の講義をして、なおかつ地域社会で地域づくりの実践をしています。ですから、山田先生の挨拶に、ある種の新鮮さを感じてしまいました。いろんな意味で刺激になりますね。

■前期で、山田先生(そして、もう1人の長上先生)はこの授業の担当からはずれ、別のお2人の福祉の先生が担当されることになります。私だけ、かれこれ7年も、諸般の事情からこのプログラムに関わり続けています。研究科長や他の役職等、学内外の仕事が増えてきているので、時々、まるで金属疲労のようにポキッと折れそうになることもありますが、必要とされるかぎり、頑張ってこの社会学部のプログラムを支えていこうと思います。

今森光彦写真展

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■昆虫や里山の写真で有名な今森光彦さんの写真展の案内が届きました。開催されるのは栃木県の宇都宮美術館。ちょっと…遠いですね。関東になにか用事がないとなかなかいけないように思いますが、とても素敵な雰囲気の案内チラシでしたので、少しご紹介をしておきます。

宇都宮美術館の公式サイトでは、この企画展について、以下のように解説されています。

1954年、滋賀県に生まれた写真家、今森光彦。 今森は、幼少期から昆虫の生態と美しさに魅了され、世界中の昆虫を撮り続けてきました。 その写真表現は、いわゆる生態写真とは異なり、卓越した構成力に基づき、個々の昆虫の表情を感じさせるような独特の魅力を有しています。 本展覧会では、代表作「世界昆虫記」と「昆虫記」を中心に200点あまりを展示します。 今森自身が昆虫を「被写体である以前に、常に敬意を払うべき生命」と語っていることが示すように、昆虫という生命の驚異と神秘を感じ取れる展覧会です。

CM学科・笠井ゼミ期末ポスター発表会

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■CM学科の若い教員・笠井先生のゼミの「ボスター発表会」に参加してきました。私のゼミでは、卒業論文を提出したあと、公開卒論発表会を開催しています。まあ、学会のようなやり方ですね。笠井先生のゼミのやり方は、なんといいますか、学科のポスター発表のような感じですが、もっと自由で楽しそうでした。このやり方、少し学ばせていただこうと思います。

■いつか、学科の壁を超えた「地域連携」をテーマにしたポスター発表の交流会のようなものができればと思います。北船路米づくり研究会、大津エンパワねっと、ゼミでの個人研究…グループによる活動実践 や個人の研究発表を行って交流するというアイデアです。これならば、皆さんの努力の持ち寄りですぐにできそうな気がします。

Yosakoiサークル「華舞龍」の練習風景

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■帰宅しようと研究室のある2号館を1階まで下りとき、威勢のよい掛け声が聞こえてきました。それも、1人の掛け声ではなく、たくさんの…。Yosakoiサークル「華舞龍」の練習でした。この「華舞龍」、学外での活躍ぶり、よく耳にします。頑張っています。練習風景でしたが、とても迫力がありました。

■写真の場所は、樹心館の前です。大学のホームページの説明によれば、この樹心館はもともと、大阪南警察署庁舎として建てられた擬洋風建築物なのだそうです。1908(明治41)年に本願寺に寄付された後、1998(平成10 )年に瀬田キャンパスへ移築されました。現在は礼拝施設となっていて、結婚式を行うことができます。それは知らなかったな~。ゼミのOB・OG諸君、母校で結婚式を挙げてみてはどうでしょうか。

本日22日のオフィスアワー

◾本日のオフィスアワー、誠に申し訳ありませんが、都合により、中止にさせていただきます。学生の皆さん、よろしくお願いいたします。以下は、このことに関連した、Facebookでの投稿です。

週末は学術雑誌の編集委員会&大津エンパワねっとの学生イベント対応。ばーちゃんの生活介護が後回しで今日になった。加えて、エンパワ学生が、イベント開催に際してお借りしたものを今朝、返却するために、町家キャンパス龍龍の鍵を開けにいく必要が生まれた(このことが、なんと昨日、学生の相談で判明(゚o゚;;…愚痴)。さらに、こんな時に限って、途中で忘れ物をして、自宅に戻る…というヘマまでしてしまう。

自宅のある奈良から、大津。大津から大阪経由で川西。生活介護をすませて、またまた大津の瀬田キャンパスまで戻る…という、この上なく精神衛生上良くないパターンになってしまった。

4限のゼミ、ギリギリ到着の予定。
やはり「どこでもドア」が必要だ、ドラえもん。

大津エンパワねっと「町の記憶を残す」展示報告会

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『ソシオロジ』編集委員会

20130721kyoto.jpg■『ソシオロジ』という社会学の学術雑誌の編集委員をしています。年に3回、京都市内で編集委員会を開催します。委員は、それぞれ1人あたり4~6本の投稿論文を読み込んで、コメントをきちんと準備し、編集委員会に参加します。そして掲載できるかどうか委員会のなかで議論をします。昨日は、今年2回目の編集委員会でした。けっこうエネルギーを消耗する仕事なので、編集委員会のあとは、慰労会をもつことになっています。

■昨日の慰労会の場所は、先斗町にあるお店でした。暑い季節ですが、昨日は湿度はそれほどでもなく、鴨川を臨む「床」を楽しみました。人生で初めての「床」でした。これまでは、橋の上から、鴨川沿いにズラリとならぶ「床」を眺めるばかりでしたが、この年になって初めて経験できました。なかなか良いものですね~。編集委員会のあとは、旧知のOくん(奈良女子大学教員)と一緒に、二次会へ。祇園の日本酒バーに。

20130721kyoto2.jpg ■右の写真は、祇園に歩いていく途中にある「東華菜館」です。この建物は、有名な建築家・ヴォーリズの設計によるものです。一粒社ヴォーリズ建築事務所の公式サイトによれば、以下のように説明されています。

旧矢尾政レストランは明治の頃より京都市民に親しまれていた西洋料理店であった。
現在の建物は昭和2年に開店し、スパニッシュの中でもスペインバロックと呼ばれる過剰な装飾を特徴とする様式をとる。
しかもその装飾はホタテやタコ、魚に野菜とユーモラスなモチーフで彩られている。
戦後、建物は店主の友人であった中国人へ託され、東華菜館へと生まれ変わる。

インテリアは改修を繰り返しているが、その趣は当時とかわらず、鴨川と南座を望む多くの個性的な個室、広間、そして屋上や、川床のビヤガーデンは今でも京都市民に親しまれている。

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