萬葉集に載録されている余りにも有名な山上憶良の貧窮問答歌(巻五・八九二)のはじめです。風、雨そして雪の降る夜は寒くてどうしようもない、に始まるこの歌は、1300年も前に歌われたものですが、貧困な庶民の苦しい生活が目の前に浮かぶかのように描かれています。
現代社会に生きる私たちは、このような古典に描かれた生活や貧困は、奈良時代のような古代に特有のものとして理解しがちです。しかし、昨今の社会情勢を見ると、必ずしもそうでないことがわかると思います。戦争や大災害によって、住むところさえ失われた人々を現地や情報機器を通して知ると、決して過去のことでないことが理解できるでしょう。
もちろん、そこで使用されている建物の構造、生活用具や食料などの細かな点は、奈良時代とは異なるし、こうした貧困や災害に対する支援方法や背景としての社会の制度や社会の福祉制度は当然、相違しています。
それでも人々に苦しみが存在することは何ら変わっていません。ただ、その「苦」の社会的原因がどこにあるのか、またその対応や支援がどのようなものであるのか、それらは社会や時代とともに変化しているのです。
「苦」などの人類共通で時代を超えたものを一方で敏感に感じとりながら、同時に歴史的社会的に異なる「苦」の社会的原因や背景を把握して、どのようにすれば社会が豊かで人々の安寧が得られるのかを考えていくことが、私たちに課せられた課題ではないでしょうか。
社会の「現場」に赴き、その「現場」の人々と共にいて温かく接しながら、同時に冷静に観察し、実践や調査、記録することで、その現状が一層正しく理解され、対応も可能になってくると考えています。それはある意味で、山上憶良が貧困を客観的かつ主観的に詳細に描いたことと、どこか似ている気がしてなりません。
本社会学研究科は、「現場主義」という、「現場」の実践や調査から得られた知見を基に、先行研究を踏まえた理論と照らし合わせながら分析研究することを重視しています。こうして社会的現実を深く見つめ、その原因と結果の関係を把握し、時に問題解決に導くことが重要であると考えるからです。本研究科が「現場主義」を標榜する理由がここにあります。
こうして社会学・社会福祉学では、普遍的な「苦」などの人間の本質に触れながらも、歴史的社会的に規定された諸相の特徴を把握していくところに特徴があるといえるでしょう。
ぜひ、多彩な教師陣や同学の院生と共に、自己の研究を深め、社会に一石を投じていただきたいと思います。
2023(令和5)年4月
社会学研究科長 栗田 修司