棚田の農村・北船路
■トップの写真、「北船路米づくり研究会」で活動している北船路の棚田です。この棚田の一番てっぺんからは、右手(南)には湖南地域の草津や大津の町が、左手(北)には伊吹山がみえます。美しい琵琶湖大パノラマが眼の前に広がります。
■北船路は、滋賀県の湖西、比良山系の蓬莱山の麓にあります。平地は琵琶湖の湖岸のあたりにしかなく、伝承によれば、明智光秀の時代から山麓の傾斜地に水田の開発が進められてきました。どこの地域の棚田もそうですが、石垣等をつくり、等高線に従い平坦な土地を確保しています。平坦でないと、水を溜めることができないからです。ですから、棚田とは、大小様々な面積の不定形の水田が傾斜地に連続して集積していることになります。
■ただし、後継者の問題や農業の行く末が心配される状況、そしてほとんどが兼業農家である状況においては、このような棚田で営農を継続していくことは、かなり困難だといわざるを得ません。また、大型の農機具を導入することも困難です。そこで、北船路では土木工事により水田を大きな区画につくりかえました。圃場整備事業といいます。その結果、現在では、トップの写真のように、大きな区画の水田が雛壇状に並ぶような棚田になっています。ただし、私たちが指導農家の稲(龍大コシヒカリ米)を栽培している水田(棚田の右最上段)は、かつての棚田の形状をかなり残しています。
■2番目の白黒写真は、圃場整備以前の昭和51年(1976年)に撮った航空写真です。湖岸近くを、昭和49年(1974年)に開通したJR湖西線が確認できます。線路から少し山側にあがったところにある白い土地は、志賀中学校です。北船路の集落は、その右隣に見えます。滋賀県にお住まいの方はよくご存知の湖西道路は、この段階ではまだ開通していません。といいますか、建設もまだされていません。村の事務所にご挨拶に伺ったさいに、掲示してあった写真を撮影させていただきました。