世界仏教文化研究センター公開研究会「人類知のポリリズム―華厳思想の可能性―」

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■2月11日に、龍谷大学の世界仏教文化研究センターが開催する公開研究会「人類知のポリリズム―華厳思想の可能性―」に参加します。中沢新一さんや、臨床心理学の河合俊雄さんが講演をされるからでしょうか、すでに定員はいっぱいになり申し込みは締め切られています。コーディネーターは、センターの博士研究員である唐澤太輔さんです。唐澤さんは、今回の開催趣旨を以下のように述べておられます。上記のチラシの裏側のメッセージ、読みづらいと思いますので、ここに改めて書き起こしておきます。ずいぶん以前のことになりまずか、講演をされる河合俊雄さんのお父様、河合隼雄さんと中沢新一さんとの対談を本で読んださい、お二人が華厳経や曼荼羅について語り合っておられたように記憶しています。『仏教が好き!』(朝日出版社)です。

華厳思想は、大きな可能性を秘めています。
現代において、それは、仏教の枠を超え、現代哲学、深層心理学、量子力学、アートなど、様々な視座から捉えなおされようとしています。
華厳思想の「在り方」は、重々無尽に異なる複数の拍子が重なり合うポリリズム(複音)のようです。私たちはまるで心地よいリズムに導かれるように、この華厳思想の研究を開始しました。そして現在、仏教学のみならず、人類学、哲学、心理学的視点を盛り込んだ多角的・複合的な研究を行っています。

華厳思想には、人類の営為における重要な通奏低音が隠されているのではないでしょうか。その重々無尽の知は、分断・分裂・孤立が目立つこの現代社会における大きな指針となり得るのではないでしょうか。自然破壊や人間同士の関係の断絶が目立つ今、動的かつ柔軟な、すなわち華厳的な「つながり」を見直すことは急務だと思われます。

今回は、思想家・人類学者の中沢新一氏(明治大学野生の科学研究所所長)と臨床心理学者の河合俊雄氏(京都大学こころの未来研究センター教授)をお招きし、若研究者を交えた公開研究会を開催いたします。

<第一部>では、龍谷大学所属の若手研究者3名による研究発表を行います。まず、知の巨人と言われた南方熊楠の生命感と華厳思想とのかかわりについて、唐澤太輔が発表します。次に、明恵による夢記に見られる華厳思想の影響と意味について、野呂靖氏が発表を行います。最後に、東アジアの密教と華厳思想の結びつきについて、亀山隆彦氏が発表します。

<第二部>では、まず、河合俊雄氏から、現在の臨床心理学、特にユング派心理療法と華厳思想のつながりについてご講演いただきます。次に、中沢新一氏から、華厳思想をベースとした「レンマ学」とはいかなる学かについてご講演いただきます。

<第三部>では、発表者によって「華厳研究のこれから」と題したディスカッションが行われます。
本研究を通じて、ご来場のみなさまと、華厳思想から現代を捉え直す根本的な意義などについて考えていくことができれば幸いてです。

■河合隼雄さんと中沢新一さんの対談『仏教が好き!』(朝日出版社)の最後の章に、「大日如来の吐息-科学について」というタイトルの章です。この章を少し進んだあたりから、量子論のマトリックスの話しから胎蔵界曼荼羅へと話しは展開していきます。私が最初にこの本を呼んだ時に気になり、ずっと記憶の中に止まっている部分です。

(中沢)曼荼羅は一つ一つの細部には神様が配置されていて、それぞれが自由な動きをしていますが、その動きは全体に及んでいき、また自分も全体のほうから影響を受けつつ、変化いしていきます。ですから、曼荼羅には中心に立って、全体に号令を出して動かしていくものはいません。そういうものがあるとしたら、曼荼羅のさらに奥のヴァーチャルな全体性しか考えられません。それをとりあえず、大日如来と呼んでいますが、この方は宇宙の根本とされる、密教で最高位にある仏様なんですが、曼荼羅のプログラマーじゃないんですね。

(中沢)曼荼羅の内部では、一人ひとりの、どんな細部に潜んでいる小さな神様も、それぞれが勝手に動いています。しかしその一人ひとりの動きは、ただちに全体につながっていきますから、勝手に動きながら、真ん中にいる大日如来の意図とシンクロニシティー(同時性)の関係で結ばれていることになります。

(河合)だから「統一理論」という考え方自体が間違っているかもしれない。「曼荼羅」は調和しているけれど統一ではない。
(中沢)一人ひとりは好き勝手いに動きながら、シンクロニシティーの原理で通信をおこなって、全体調を保ちながら、自律的に動いているわけです。こういうの、いいですね。河合隼雄的でしょ。
(河合)それが僕の理想像です。
(中沢)しかも通信手段は、大日如来のポワーッという煙の動きで。

■このような話しを読んで、当時、流域管理に関する文理融合の研究プロジェクトに関わっていた私には、ピンとくるものがありました。特に、流域と限らなくても良いのですが、ここで語られていることは、重層化された、多様な空間スケールを入れ子状に含む環境を、それらの空間スケールに分散した多様な主体がコミュニケーションを行いながら維持していくための人-社会-環境のイメージを与えてくれるように思えたからです。空間スケールを超えて、主体間に対称性がどのように成立しうるのかということであり、言い換えれば、究極の環境ガバナンスとはどのようなことなのか…といった問題とも関連しています。

■このようなことを言うと、「はあ? 何を言っているんだ」と思われるでしょうね。しかし、以前に出版した『流域環境学 流域ガバナンスの理論と実践(和田英太郎 監修/谷内茂雄・脇田健一・原雄一・中野孝教・陀安一郎・田中拓弥 編,2009,京都大学学術出版会)の通奏低音として流れている原理的発想は、ここで河合さんと中沢さんが語り合っておられることと、どこかでシンクロしています。と言いますか、この本の企画を考える際に、私の念頭にあったことのひとつは、この河合さんと中沢さんが対談で語られている内容だったのです。そしてあえて、もうひとつあげるのならば、中沢新一さんが『蜜の流れる博士』もそうかもしれません。もちろん、この上記の公開研究会の中で語られるキーワード「ポリリズム」(複音)とも関係してきます。

【参考】■上記の公開研究会に関連して、以下もお読みいただければと思います。
「南方曼陀羅」と『華厳経』の接点 (唐澤太輔 龍谷大学仏教文化研究センター)
公開講座:南方熊楠の新次元 第三回「明恵と熊楠」レポート

琵琶湖の水草問題に取り組むプロジェクト(その8)

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■先月の中旬のことになりますが、水草問題プロジェクトの2回目の会議が開催されました。当初、想定していた様々な業界や専門の皆さんにお揃いいただいたことになりました。チーム名も決まりました。「水草は宝の山」プロジェクト。通称は「水宝山」(すいほうざん)です。様々な業界や専門の皆さんが揃われると、それぞれの方の「餅は餅屋的」な深さの凄みを感じるし、加えて、相補的な関係も生まれてくるように思います。この会議では、いろいろご意見やご提案をいただきました。こういうのはとっても素敵です。楽しいです。

■私たちのプロジェクト「水宝山」の目指すところは、簡単に言えば、水草をめぐる「大きな循環」と「小さな循環」と呼ぶ社会的な仕組みを、様々な方達との連携の中で生み出していくことなんですけどね。「大きな循環」は、県によって刈り取られた水草の有効利用をもとにしている。「小さな循環」は、浜に漂着した水草の有効利用ですし、「大きな循環」では、南湖に茂る水草を刈り取ったあと、どのように社会的な仕組みで有効利用していくのかということと、その有効利用の中から生まれたお金を再び水草を刈り取る費用に回していくことが目指す目標になります。

■1人1人では、「水草には困ったものだ」と思っていても、つながって行かなければ問題は解決しません。有効利用に加えて、そこに「楽しい」「嬉しい」そのような感情が伴う活動が生まれていけば、この循環は回り始めるはずです。多くの人びとの参画の中で、そのようなアイデアが生まれて、形になり、実現してこの循環を回していければと思っています。皆さんに関心を持っていただきたいことから、「前出し」ということになりますが、ちらりと簡単な情報を小出しさせていただきます。

「ほぼ日5年手帳」

20180108hobonichi5nen.jpg ■紙の手帳を使っています。iPhoneもiPadもよく使っているのですが、手帳が相変わらず電子化しません。に紙ベースの方が性に合っています。ということで、ここ数年は、「ほぼ日手帳」を使っています。「ほぼ日手帳」には、文庫本サイズのオリジナル、オリジナルの倍のA5サイズのカズン、英語版のplanner、週間タイプのweeks、以上の4種類があります。これもいろいろサイズを試してみましたが、結果として、一番普通のサイズ「オリジナル」を使っています。昨年も「オリジナル」を使っていましたが、途中から、1日ごとのページ(「1日ページ」)をほとんど使わず、月間ページだけを使うようになっていました。これではせっかく「ほぼ日手帳」を使っても、あまり意味がありません。ということで、今年は、スケジュー管理は月間ページに、記録は月間ページにと使い分けながら、丁寧に日々の出来事を記録に残しています。

■加えて今年は、元旦から「ほぼ日5年手帳」も使っています。手帳なんですが、5年日記のようなものです。1日につき178マスの方眼スペースに、その日あったことをなんでも良いから書くのです。自慢ではありませんが、日記を続けられた試しがありません。その私が、「ほぼ日5年手帳」です。あまり日記と考えずに、淡々と、その日あった出来事を記述するだけにします。込み入った考えは書き込まないようにします。字だって相当汚いです。そもそも、書く欄が小さいので、簡単なことしか書けません。でも良いのです。とにかく続けるのです。まだ8日目ですが…。とにかく続けるのです。

インターネットで気になった記事

■以下は、最近、ネット上で見つけて気になった記事です。メモのようなものです。

「民営化」から「再公営化」へ。パリ、市民参加で45億円のコスト削減、ウェールズ、非営利法人による運営(ビッグイシュー・オンライン2017年03月23日 22:00)

まちづくりしたい人だけが参加するのはまちづくりとは言えない。「日本でもっとも市民自治の進む」といわれる静岡県牧之原市の新たな取組みとは?(1.8K 2017.12.01 supported by greenz people)

31歳目前に「余命5年」 大切なもの知った女性経営者(1/8(月) 15:58配信 朝日新聞)

いくつもの時間 鷲田清一 (2018/1/7付日本経済新聞 朝刊)

「学歴」という最大の分断 大卒と高卒で違う日本が見えている(2016/12/30 06:01 石戸諭 BuzzFeed News Reporter, Japan)

台湾の高齢化を支える介護「移民」――外国人が溶け込む社会の実情( 1/5(金) 10:11 配信)
教室に居場所がないなら、図書館カフェにおいで。田奈高校にある「ぴっかりカフェ」は生徒が安心できる校内の居場所

ノーベル生理学・医学賞受賞の大隅氏「視野の狭い研究者ほど客観指標に依存する」

老母の見舞い、琵琶湖大橋からの伊吹山

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20180108ibuki3.png■昨日は、老人ホームに入所している母の見舞に出かけました。85歳です。3日の晩に娘の家族が我が家にやってきて、4日に母の見舞いに一緒に行くつもりだったのですが、娘と孫(ひなちゃん)が風邪をひいていたことから、「曽祖母と曽孫との対面」は先送りとなりました。そのかわりに、昨日は、iPadに入っている、「孫がオモチャのラッパを吹く動画」を見てもらいました。といいますか、母は目が見えなくなってしまったので、聞いてもらいました。ラッパが吹けることに驚くとともに、ラッパがならない時は、自分でプーと声を出していることを面白がっていました。

■最近は、食事と入浴とリハビリ以外は、ベッドで横になっており、ほぼ寝たきりの状態です(要介護5)。そのような母と話しをしようとするわけですが、昔のように喋らることはありません。昔は、もういい加減にして欲しいとと思うほどに、一方的に聞きたくもない話しをしていたわけですが、今はこちらが話しかけないとすぐに黙ってしまう。話しをしても、同じような内容しか話すことができません。元旦は息子と一緒に見舞いましたが、ひさしぶりに祖母に会った印象を「会うたびに衰えていく」と語っていました。ひさしぶりに会うからこそ、母(祖母)の衰えを強く感じたのでしょう。

■小一時間ほど母の居室にいた後、「また来るわ」と言って老人ホームを後にしました。行きは別に用事のあった家人の車に便乗して老人ホームのすぐそばまで送ってもらいましたが、帰りは近江大橋を渡って膳所のあたりまで歩くことにしました。距離は、約4.5kmほどになるでしょうか。昨日は薄曇りでしたが、遠くの山々がよく見えました。比叡の山々には雪が積もっていませんが、北にある比良山系の頂きは雪で白くなっていました。湖東の方に目を転じると、遠くに雪で白くなった伊吹山がはっきり見えました。その横には、やはり白い鈴鹿の山々がくっきりと見えました。普段、伊吹山の存在を意識することはあまりありません。空気が澄んでいる時以外は、なかなか目に入ってこないからです。昨日、facebookで、伊吹山の麓にお住いの知人が雪の伊吹に登頂して山スキーで降りてこられたことを知りました。伊吹山の頂上の雪で純白になった風景も写真で拝見しました。昨日は、伊吹山の頂上からも大津の街が見えたのではないでしょうか。

ソ連演奏旅行の記事

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■昨晩、大学時代に所属していた関西学院交響楽団の、同級生や後輩たちとの同窓会(新年会)でした。その同窓会から帰宅すると、チェロを弾いていた先輩から郵便物が届いていました。その中には新聞記事のコピーが入っていました。私も参加した第2回ソ連演奏旅行に関する新聞記事です。ソ連といっても、学生の皆さんはピンときませんね。ソ連=ソビエト社会主義共和国連邦は、1922年から1991年まで続いた社会主義の国家でした。第二次世界大戦後、世界は資本主義・自由主義の国々と、共産主義・社会主義の国々に分かれて対立しました。冷戦と呼ばれます。前者の盟主がアメリカ合衆国で、後者の盟主がソ連でした。

■さて、新聞記事です。上の方の記事には私も写っています(後列左から2人目)。おそらく、記者に頼まれて撮った「ヤラセ」の写真だと思います。この上の記事の写真は、体育館の横にあった部室で撮ったものです。元々あった木造の部室棟は、私が入学する前に火事で使えなくなっていました。そのため、新しい部室棟が建設されるまで、仮説のプレハブが建てられたのです。よく建設現場で、事務所になっているような2階建のプレハブです。私が学部生として在籍している間は、ずっとこのプレハブの部室でした。下の記事は、学生会館の2階のホールです。ここでもよく練習をしました。当時、常任指揮者だった畑道也先生(文学部)が指揮棒を振っておられます(畑先生は、2008年にお亡くなりになりました)。2枚とも、1980年の新聞記事です。

■ところで、昨晩の同窓会(新年会)でもソ連に行った時のことが、話題に出てきました。また、ソ連は無くなりましたが、ロシアに旅行してみたいなと思います。演奏旅行当時は、現在のサンクトペテルブルクはレニングラードと呼ばれていました。そのレニングラードの街中にはネヴァ川という大きな川が流れており、その川端に有名なエルミタージュ美術館があります。演奏旅行の時も、この美術館を見学しました。しかし、当時は、この美術館に展示されている絵画を理解し鑑賞するだけの教養も知識もありませんでした。今であれば、この美術館の値打ちを前よりは理解できるじゃないでしょうか。私たちがソ連に演奏旅行に出発する前年、ソ連がアフガニスタンに侵攻しました。そのため、アメリカや日本など67ヶ国のIOC加盟国がモスクワオリンピックをボイコットしました。そのような国際的な状況のなかで、私は下級生でよくわかっていませんでしたが、幹部の先輩たちには、いろいろご苦労があったのではないかと思います。

孫とふれあい、同級生と交流する

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■正月、娘と孫娘のひなちゃんは風邪をひいてしまいました。残念なことに、滋賀に帰省することができませんでした。ということで、今日は日帰りで滋賀の我が家に遊びにきてくれました。私は、ひなちゃんに「人見知り」をされてしまうので、ひたすら「待ちの姿勢」で、ひなちゃんが自ら近づいて、私との距離を縮めてくれるのを待ちましした。まだ、抱っこを許してくれる関係にまでは至っていませんが、かなり仲良くなりました。おじいさんとしては、内心は、けっこう必死かもしれません(^^;;。離乳食もミルクも母乳も、そしてすりおろしたリンゴも、たくさん食べて飲んで、その後は我が家の中を探検していました。私は目撃していませんが、階段も1人で登ったようです。聞いてびっくりしました(さすがに、1人で降りることはできなかったようです)。

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■娘の家族が帰宅した後は、大阪に移動しました。大阪の梅田…というよりも中津に近いお店で、学生時代に所属していた関西学院交響楽団の同級生と後輩たちと一緒に新年会を楽しみました。同級生との新年会は、中国で働いている同級生か、フランスで働いている同級生か、そのどちらかが日本に帰国するときに開催しています。ほぼ、毎年、新年会を、そして同期会を開催しています。今回は、中国で働いている同級生が休暇で帰国したので、それに合わせて新年会を開催しました。みんな同じように歳を取っています。当たり前のことですが。自分の健康のこと、親の介護のこと、退職後のこと…。だいたい、こういう話題になってしまいますね。楽しい時間を過ごすことができました。これで、正月休みの予定はほぼ終了です。明日から、通常モードになります。

小野寺光子 個展「香港 ーpeople・placeー」

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20180106onodera2.jpg■知り合いのイラストレーター小野寺光子さんが個展を開催されます。とっても、素敵なイラスト。私は大好きです。今回は、香港で小野寺さんが出会った「人」や、気になる「場所」がテーマだそうです。唯一、残念なことは、開催場所が東京の吉祥寺であるということです。東京に近辺にお住いの皆様、ぜひ小野田さんの個展にお出かけください。

小野寺光子さんのブログ「ONE DAY」

2018年度の時間割

20180105jikanwari2.jpg ■現在、来年度の時間割を調整しているところですが、およそ上記のようになる予定です。さらに、ここに様々な会議が加わることになりそうです。確定したら、またお知らせします。また、現在、3回生のゼミ生の選考にあたっています。23名の希望があり、18名に絞らなければなりません。ゼミの志望理由書を中心に選抜します。近日中に発表されると思います。

滋賀の冬の天候

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20180105biwako5.jpg■一昨日、1月3日は、奈良で親戚との恒例の新年会が開催されました。娘と孫娘=ひなちゃんが風邪で体調が良くなく、娘の一家はこの新年会に参加できないということでしたので、まずは大阪の娘夫婦のところに新年の挨拶に行きました。そして、ひなちゃんと遊んできました。風邪をひいているとのことでしたが、ひなちゃんはすこぶる元気でした。強い女の子だなと思いました。ひなちゃんと遊ぶ…とはいっても、ご本人とはたまにしか会うことができないので、抱っこなんかしようものならば、泣き出してしまいます。人見知りです。ということで、ニコニコしながら側に寄ってきたときには、ちょっと触れ合う…程度なんです。この程度なんですが、おじいさんとしては嬉しいわけです。

■ところで、大阪の娘の自宅に向けて滋賀を出発した時、雪が降り始めました。しかし大阪に着くと雪の気配など全くなく、気持ちよく晴れていました。滋賀は、日本海側の気候と太平洋側の気候の中間地点になります。私などは、そのちょうど境目辺りに住んでいることになります。湖西は堅田から北の地域が、湖東は野洲川や愛知川のあたりから北の地域が日本海側からの影響を強く受けることになります。彦根市にある彦根地方気象台の説明によりますと、滋賀の天候の特徴は次のようになります。

滋賀県は、日本列島のほぼ中央部に位置し、周囲に1,000m前後の山脈が連なり、中央部には日本最大の琵琶湖を擁する大きな盆地です。
南は伊勢湾、北は若狭湾によって本州で一番狭くなった所に位置し、大阪湾から若狭湾に至る低地帯の一部であり、それぞれの湾から入る気流の通路となっています。

このような地形の影響を受けて、各地の天候にはかなり相違があります。気候区分によると、滋賀県は日本海気候区、東海気候区及び瀬戸内海気候区が重なり合う地域となっており、準海洋性の気候を示す温和なところです。

冬(12月~2月)
12月になり、シベリア高気圧が優勢になって、西高東低の冬型の気圧配置になると、平地でも初雪(平年は12月13日)が観測され、北部は日本海側、南部は太平洋側に類似した天気になります。

季節風による雪が降り始める頃、いわゆる”雪おこし”の雷が日本海側ではよく発生し、滋賀県でも北部では寒気の強いときに発雷します。
滋賀県で最も雪の降りやすい地域は北部山間部、次いで西部・東部の山間部です。これらの地域では、かなりの積雪があるところに新たに雪が積もると、なだれが発生することもあります。

一方、南部の平野部ではあまり雪は降りませんが、春先に日本の南岸を低気圧が通過する場合には大雪になることもあります。
1年のうちで最低気温は1月または2月に現れます。
日本海で低気圧が発達して「春一番」が吹くと、やがて本格的な春を迎えます。

■昨日は14kmほど走りました。コースは、自宅から北上し真野・堅田を経て琵琶湖大橋を渡り、守山市にある大橋の東詰にある料金所で折り返すというコースです。琵琶湖大橋から北湖の方を眺めると、比良山系は日本海側からやってきた雪雲で山稜が覆われて見えなくなっていました。湖東の方も雪雲に覆われていた。しかし、大津の中心市街地あたりは晴れている。トップの写真をご覧ください。上段2枚の写真が、琵琶湖大橋から北側の風景です。中段は堅田の街並みと背景の山々。明らかに、上段の写真とは山の白さが違います。下段は、大津の中心市街地です。カラッと晴れています。これが日本海岸の気候と太平洋側の気候の、その境界線の風景なのです。

20180105biwako9.jpg■そのような風景を眺めたり、途中で立ち止まって写真を撮ったりしていたので、ランニングに集中していません。最初は、1日の元旦と2日にテレビで中継されていた「箱根駅伝」に影響を受けて、最初から飛ばし気味に身体に負荷をかけて走ってみたのですが、4kmあたりできつくなってしまいました。そして、その辺りから写真のような風景が見えてきたのです。すると気持ちが緩み、風景を楽しむことに目標を切り替えることにしてしまいました(正確には、きつくなったので切り替えざるを得なかったわけですが…)。最後は、トロトロとジョギングをすることになってしまいました。まあ、「それでも、よし」ということにいたしましょう。

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20180105biwako6.jpg■走っているときに。堅田に隣接する真野で写真のような記念碑を見つけました。今まで横を走っていても気がつきませんでした。記念碑「古歌の郷 真野」です。岩に金属のオブジェが取り付けてあります。このオブジェは琵琶湖の定置漁具のエリ(魚編に入)ですね。古歌とは、平安時代の歌人・源俊頼の「鶉(うずら)鳴く真野の入江の浜風に尾花波よる秋の夕暮れ」という歌のことなのだろうと思います。「鶉が悲しげに鳴いている真野の入江に吹く浜風によって、尾花が波うつようになびいている秋の夕暮れよ」という意味のようです。鶉の鳴き声など聞いたことはありませんが、万葉時代の表現で、恋人に捨てられて泣く女性を暗示しているとのこと。ふーん、なんとも寂しいというか、悲しい感じになりますね。で、「真野の入江」ですが、以前は、現在の真野川のあたりには深い入江があったらしいのです。江戸時代に埋め立てられた…という話しもあります。ランニングのあとで、調べてみてやっとわかりした。

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