総合地球環境学研究所での会議

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■昨日は、終日、総合地球環境学研究所での会議でした。長かった。疲れました。この地球研で参加している流域ガバナンスに関するプロジェクトも残す所、3年になりました。プロジェクトの基本的な考え方はあっても、プロジェクトで生まれた個々の研究成果をどのように統合していくのか、昨日は、基本的にそのことについて議論しました。また、残り少ない期間を有効に使って成果を上げていくためには、「選択と集中」が必要になります、「あれもやりたい、これもやりたい」というのは許されません。研究費、人的・時間的資源には限りがあります。昨日は、若手の研究員の人たちの頑張りもあり、良い方向に議論が進みました。会議直前までは、e-mailで議論をしていました。かなり厳しい感じの意見を述べたりしましたが、結果として、全体の議論はうまくまとまりました。

■写真は、そのような会議とはなんの関係もないのですが、地球研の中に貼ってあったポスターです。左は、「第9回世界湖沼会議」のポスターです。2001年11月11日から16日まで、びわ湖ホールと大津プリンスホテルで開催されました。記憶がおぼろげですが、この会議に出席して、プリンスホテルに宿泊したんですよね。それはともかく、このポスター、当時から気に入っていました。琵琶湖のように見えますが、世界の湖沼を組みわあせて琵琶湖の形にしているのです。高島市の沖のあたりにあるのはカスピ海です。でかいですね。その下に赤い点のようなものが見えます。これが琵琶湖です。小さいですね。いつも、日本一大きいと言っていますが、世界一と比較すると、こんなに小さいのです。しかし、湖の価値は、大きさでは決まりません。また、価値の序列もありません。もう1枚のポスター、右側は、地球研の菊地さんの講演会のポスターです。タイトルは、「『ほっとけない』からの環境再生」。楽しみにしています。今日、参加を地球研に申し込みました。

超音波アロマディフューザー

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20170607aroma1.jpg■どうも、生まれつき整理整頓が下手なんだと思います。別にゴミ屋敷で暮らしている訳ではないのですが、日々増えていく書類とか、論文とか、書籍とか、きちんと管理することが下手くそです。こう思いたいほど、研究室の中の整理がきちんとできていません。研究部長をしいた昨年度・一昨年度は、会議が続き、部長としての仕事もあり、ほとんど研究室にいませんでした。研究室は、様々な書類や資料を置いておく倉庫のようになっていました。

■研究部長を終えて、「これではいかん!!」と研究室の居住性⁈を高めることにしました。まだ、整理整頓は継続中ですが、部屋の中に、観葉植物を飾り、「超音波アロマディフューザー」を置いてみました。部屋の中に潤いが出てきました。「超音波アロマディフューザー」は、「無印良品」の製品です。アロマは、レモンとユーカリだったかな…。アロマに関する知識はまったくありません。お店の推薦にしたがって購入しています。

■写真を見ると、ちょっと「アジアっぽい雰囲気」になっていますが、これは写真を撮るためにいろいろ「みっともない」ものを取り除いているのです。ソファーは、以前勤務していた大学時代から使っているものです。購入してから20年たっているので、もうボロボロです。実際はボロボロなのですが、いろいろ工夫して「アジアっぽい雰囲気」にアプローチしてみようと思います。まあ、そうはいっても、基本的に「書庫」なんですけどね…。しかし、「超音波アロマディフューザー」はなかなかの物ですね。香りは大切だなと思いました。なんだか室内の雰囲気も変わってきます。いろいろアロマの種類を変えて楽しんでいければ良いなと思います。

■話しは変わりますが、今日は社会学部教務課の事務室に行く用事がありました。すでに承知していましたが、人事異動で、以前からよく存じ上げている若い事務職員の方が社会学部教務課の課長さんになっておられました。若い課長さんの馬力に期待したいと思います。今回の人事異動については、いろいろ知ることになりました。知り合いの方も多数移動されていました。なんとなく、いろいろ期待してしまいます。もっとも、教職協働ですから、教員自身がもっと「変化」しないといけないわけなんですが。

今月(2017年6月)のランニング

20170607run.jpg ■先月の5月23日から、やっと、なんとかランニングの練習を始めた私のために、「刺激」を与えて練習を長続きさせようというお気持ちからでしょうか、原田逹先生が先月の走行距離を教えてくださいました。なんと「270km」だそうです。年間2,000kmを目指しておられます。すごいですね。私も60才代後半になってもそれだけ走っていられるでしょうか…。孫のひなちゃんの成長を楽しみに見守っていくためにも、原田先生のように頑丈な身体を持ちたいものです。

■原田先生からいただいた「刺激」のおかげもあって、先月の23日から開始したランニングはまだ続いています。今月からは、距離を伸ばしました。8kmから11kmに伸ばしました。それもアップダウンのあるコースです。iPhone6が復活したので、その中に入っているランニング用のアプリで測定しながら走るようにしています。とはいっても、たいしたスピードではありません。昨日は、1時間13分ほどかかってしまいました。平均すれば6分30秒/km前後です。ランナー一般からすると、とてもゆっくりしたスピードなんでしょうが、本人はそれなりに必死なんです。

■アプリのログの画像を貼り付けました。一番上のグラフ、青い線をご覧ください。青い線はスピードです。このログを見ると、走り始めが遅いことがわかります。6分30秒/km。身体が重く感じるので「ああ、しんどいな〜」と思いながらトボトボ走るわけですが、1kmを超えたあたりからやっと調子が出てきます。6分/km前後のスピードになります。3kmあたりで、急にスピードが落ちています。これは、横断歩道の赤信号でストップしているためです。まあ、ここまでは普通ですね。しかし、アップダウンが入ってくると途端にスピードが落ちてしまいます。5kmから6kmあたりまでは、ゆっくりした登りになります。湖西の山々に向かった坂道です。その先、6kmから先は急なアップダウンが続く林道や農道になります。ここでガクンとスピードが落ちてしまいます。さらに、その先も林道や農道ほどではありませんが、住宅地の中のアップダウンが続きます。こういうアップダウンのコース、心肺機能を鍛えるのには良いコースなのかもしれませんね。

■ちなみに、きつい坂道だと、まだ最後まで走り通すことはできません。それでも毎日走っていると、同じ坂道でも「走り続けることができる距離」が少しずつ伸びていきます。それが嬉しかったりします。この年齢でも、自分が身体能力が高まってくると嬉しいものですね。ただし、こんなに走っても、消費カロリーはたった885kcalです。体重は減っているのかといえば、そんなに減っていません。体重が軽い方が走りやすいし、膝や足首への負担も軽いので落としたいのですが、そんなに簡単ではありません。体重を1kg減らすためには、7,200kcalの消費が必要なんだそうです。やはり、アルコールですね問題は。食事についても、ザクッとで良いのでやはりカロリーを計算して意識しないといけません。結構大変だな〜。

■先月は、下旬の23日から走り始めましたが、結局、6日走って、合計の走行距離は36.4kmになりました。今月は、少し頑張っています。4日で44.6kmになっています。10kmオーバーの距離を走り続けると、身体を休めたり雨で走られなかったりした休みの日も入れて180kmほどにはなるような気がします。原田先生の先月の走行距離は、270kmでした。週1回休み程度で、11kmを25日走り続けるということになりますね。すごいな〜。今月は梅雨ですから、雨の日が増えて走行距離を伸ばすのは難しそうです。困りますね。高いビルの階段を上り下りするとか…、踏み台昇降を使うとか、そういうトレーニングが必要になりますね。

「ミュシャ展」国立新美術館

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■ひとつ前のエントリーにも書きましたが、土曜日は、岩手県立大学総合政策学部3期生の同窓会、昔の同僚の先生方との再会、お世話になった居酒屋「三鶴」への訪問と、「呑み」が続きました。ほとんどビールだっので、それほどダメージはありませんでしたが、翌朝、日曜日の朝は若干の二日酔い。せっかく早朝の盛岡の街をランニングしようと、シューズやランニングウェア等用意していったのですが、結局、走ることができませんでした。残念。仕方がないので、朝食を済ませて東京に向かいました。せっかく岩手県まで行くのだから、帰りは東京で寄り道をすることにしたのです。乃木坂にある「国立新美術館」で開催中の「ミュシャ展」を観覧してきました。翌日の5日(月)が最終日。最終日の一日前ということもあり、ものすごい数の人たちがこの美術館に押し寄せていました。

■今回の「ミュシャ展」、レシーバーで解説を聞きながら観覧したので、ミュシャの作品「スラヴ叙事詩」が描かれた時代背景、そして作品の意図等が大変よく理解できました。2時間以上並んだ甲斐がありました。写真は、撮影を許されている展示室のものです。上の作品が「聖アトス山」、下の作品が「スラヴ民族の賛歌」です。私だけなのかもしれませんが、スラヴ民族の歴史ってよく知りませんでした。高校で世界史を学びますね。その中では、スラヴ民族を支配した国々、大国の歴史については学ぶわけですが、支配された側の歴史を学ぶことがほとんどなかったように思います。今回は、ミュシャの作品を通して改めて、スラヴ民族(スラヴ系言語を話す人びと)の大きな歴史の流れを知ることになりました。また、第一次世界大戦後、チェコスロバキア共和国として独立し、ヨーロッパの一国となった時、国民の関心は、ミュシャが願った「スラヴ民族の復興」や「汎スラヴ主義」という考え方とは異なる、「ヨーロッパ」や「近代国民国家」に向かっており、「スラヴ叙事詩」に対する評価も必ずしも高くなかった…等々、大変興味深く感じました。勉強になりました。

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20170605mucha3.jpg■しかし、ものすごい長蛇の列でした。行列は美術館の建物の中から外に出て、ウネウネ、ウネウネとどこまでも続いていました。私は行列に並ぶことがあまり好きではありません。しかし、どうしても「ミュシャ展」を観たかったのです。美術館の外にでた行列は、敷地を埋め尽くしていました。暑い日差しの中での行列のためか、とうとう倒れる人も出てしまいました。自分も含めてですが、日本人の「ミュシャ」好きに驚きました。観覧した後、「お土産」をと思いましたが、「ミュシャ展」専用のショップはレジにたどり着くまで40分の行列ということで、諦めて地下のミュージアムショップで図録だけを購入しました。この図録、とても読み応えがあります。

岩手県立大学総合政策学部3期同窓会

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■先週の土曜日、岩手県立大学総合政策学部3期生の皆さんの第2回目の同窓会が、岩手県盛岡市にある「ホテル東日本盛岡」のレストランで開催されました。私は、1998年から2003年までの6年間、総合政策学部地域政策講座に助教授として勤務していたこともあり、この同窓会にご招待いただきました。滋賀と岩手は離れています。遠方ではありますが、「国内研究員をしている今年じゃないと、時間的にも精神的にも余裕がないので、皆さんにお会いできないかも…」と思い、盛岡に出かけることにしたのです。今回の同窓会では、3期生の皆さんはもちろんですが、懐かしい先生方にもお会いすることができました。特に、ご退職された先生方とは、こういう場がないとたぶんお会いすることはできないと思います。

■3期生の皆さんは、現役入学であれば今年で36歳になるのだそうです。社会の中堅として頑張っておられます。総合政策学部の1学年の定員は100名。3期生も100名の仲間がいます。今回も県外・関東方面からの参加者も多数おられたわけですが、5年前の前回と比較して、少し参加者が少なかたったようで(3期生は19人、教員は5人)。前回の同窓会の後、結婚されたり、転職されたりされた方も多数おられます。育児や自分の仕事に必死で、なかなか同窓会に参加できない方も多数おられたのではないかと思います。しかし、このまま同窓会を定期的に継続して開催していって欲しいと思います。私ぐらいの年代になれば、懐かしくなってもっと多くの方達が参加されるようになると思うからです。

■3期生は36歳ですが、結構な皆さんが転職されていました。なかには、一度民間企業に5年間勤務した後、薬学部に入り直して薬剤師になった人もいました。また、岩手で就職していたけれど、東京のIT企業に転職した人もいました。もちろん、ずっと岩手に勤務されている方もおられます。岩手銀行で働いている方がおられました。定期的に滋賀銀行と交流しているのだそうです。滋賀に来て鮒寿司を食べたと教えてくれました。卒業生の皆さん、関西に来られる時は、ぜひ一緒に飲みたいものです。また、関東方面の方達だけで関東支部の同窓会もやっていただければと思います。退職されて、自宅のある東京に暮らしている先生方も多数おられます。

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■同窓会の後は、別の会場におられた元同僚の先生方に会いに行きました。この日は、盛岡駅前のサテライトキャンパス(岩手県立大学アイーナキャンパス)で、博士課程の中間報告会が開催されていました。その慰労会が行われていたのです。皆さんお元気でした。私と入れ替わりぐらいで(14年前…)総合政策学部に赴任された関西出身の先生とも知り合いになれました。仲良くしていただいていた先生が来年定年ということで、少し驚いたりもしました。定年後は郷里の青森に帰られるそうです。いつも思いますが、時間の経過は加速度を増していきますね。

■下段右は、ホヤの刺身です。岩手県はホヤの本場です。ホヤは獲れたてが一番美味しく、短い時間で鮮度が落ちていきます。関西では、ホヤ刺に出会うことはまずありません。たまに食べることができても、美味しい満足のいくホヤではありません。今回は、非常に美味しくいただきました

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■で、これでお終いかと言えば、さにあらず。私は、総合政策学部にいたとき、盛岡市の郊外にある県立大学の教員住宅に暮らしていました。その教員住宅のそばには「三鶴」という居酒屋があり、そちらのご夫婦には大変お世話になりました。ということで、同じ大講座の同僚だった先生と一緒に、ご挨拶に伺うことにしたのです。ご夫婦ともお元気でした。4年ぶりの再訪でした。遠く離れた岩手に、こうやって、懐かしくお会いすることができる人びとがたくさんいるって、幸せなことですね。また、ありがたいことだと思います。

■今回は3期生の皆さんとの同窓会でしたが、1期生や2期生の皆さんの同窓会にも参加してみたいものです。ぜひ、企画してください。

人間の進化と共同養育

20170601oriori.jpg ■朝日新聞の鷲田清一さんのコラム「折々のことば」、5月26日は、京都大学総長で霊長類学者、ゴリラの研究で有名な山極寿一さんのことばでした。「赤ちゃんの声はいつでも世界の関心の中心になるような力をもっている」。ああ、初孫が生まれてなおのことですが、本当にその通りだと思います。そのことを、「現在進行形」で実感しています。引用されている山極さんのこのエッセーをきちんと読んだわけではありませが、ここからわかることは、人間は、周りの人びとが「よってたかって赤ちゃんをあやす」ような、「共同養育」の仕組みを進化の過程で作り上げてきたということです。しかし、現代社会の育児環境との間には大きなギャップがあります。

■このことについては、以下の動画をご覧いただければと思います。YouTubeで見つけました。これって、法律的にはどうなんだろう…。そのうちに、見られなくなると思います。NHKスペシャル「ママたちが非常事態!? 最新科学で迫る にっぽんの子育て」です。以下は、番組内容のメモです。

・女性が母親になる時、脳の30箇所以上が肥大し、子育ての能力が高まっていることが、アメリカの研究からわかってきた。
・ところが日本では母親たちに非常事態。出産後の鬱の発症は、一般に比較して5倍。7割の母親が子育てで孤立を感じている。
・不安や孤独感。子育てがうまくいかないのは、自分のせいではないかという苦しみ、助け合いたい夫に対してイライラが止まらない。育児中の母親のストレスは、ほぼ一日中。救いを求めて繋がりあう「ママ友」とは、日本だけの特異な現象。
・ママたちの不安と孤独は、人類700万年の進化にさかのぼる深いわけがある。
・1人の育児中の女性。仕事で忙しい夫。毎日遅くまで帰ってこない。妻は自信がない。1人だと不安ばかり。不安と孤独に耐えられず、薬にも頼るうように。「何の地獄かと思った」。子どものことで自分が落ち込んだり、自信がなくなったりするんだと驚いた。
・このように孤立を感じている女性は7割。なぜ不安なのか。最新の科学では、次のことがわかってきた。女性の卵巣の中で分泌されるエストロゲンは、妊娠中分泌量が増えるが、子供を産むと急激に減少する。すると神経細胞の働き方が代わり、強い孤独や不安を感じやすくなる。なぜか。

・京大、松沢哲郎教授。チンパンジーの研究者。チンパンジーは子どもが生まれてから5年間、つきっきりで世話をする。だから、チンパンジーの母親は孤独感に苦しまない。ポイントは、チンパンジーと人間の共通の祖先から別れたのは700万年前にさかのぼる。
・松沢さん、調査に向かう。アフリカ・カメルーン。ユニークな部族。ジャングルの中の小さな集落。森を移動する人=バカ族。太古の人類の生活を今も維持。
・歯の生え方で年齢をみて家族構成を調べると、ある女性には11人の子どもがいた。互いに年齢が近い。たくさんの子どもを次々に生んでいる。これはチンパンジーとは違う、人間の大きな特徴。チンパンジーは子どもの世話にかかりきりの5年間、妊娠をしない。人間は毎年でも子どもを産めるように変化した。人間は多くの子孫を残し繁栄している。しかし、育児をしながらでも、次々に出産できる仕組みが必要だ。太古の時代に作った仕組みがバカ族には残っている。生後3ヶ月の赤ちゃんを残して森に仕事をしに行く。別の女性が育児や授乳を行う。他人に任せるのは動物の中でも人間だけ。共同で養育するという独自の子育て術を編み出した。「共同養育」。

・出産直後にエストロゲンが減少するのは、共同養育を母に促すためそうなっているのではないか。不安や孤独を感じれば、仲間と一緒に子育てをしたくなる。松沢さん、「人間は進化の過程で共同で保育をするようにできていて、必要な時は子供を預けられるにできているのに、現在は誰も助けてくれるわけではない。そういう風には人間は作られていない」。今も、共同養育の本能が。ところが、8割が核家族。欧米と比較しても、夫が育児や家事に参加する時間も極端に短い。ベビーシッターのような共同養育の現代版とも言えるサービスも、日本ではほとんど利用されていない。

・本能的な共同養育の欲求と、それがかなわない日本の育児環境の溝が、ママ友と繋がりたい衝動に駆り立てている。
・進化の過程で獲得してできたものは、簡単には変わらない。母親たちを支えてきてくれた環境が、崩壊している。これは人類の危機。

・孤立した中で、「私って母親失格」と思う人が多くなっている。出産後、子どもの夜泣きに苦しむ。夜泣きがひどいのは自分のせいと思う人も少なくない。胎児の時の睡眠時間は、昼も夜も浅い眠りと深い眠りを繰り返す。昼よりも夜の方に目覚めていることが多い。胎児は活動することで母親の血液から多くの酸素を奪う。そこで母体に負担をかけないように、夜間に目を覚ます睡眠リズムになっている。ところが、生まれた後もしばらく変わらない。それが夜泣きの原因。母体を守る仕組みが、出産後に母親を苦しめていた。
・人間の生まれた時の脳は大人の1/3程度。それはなぜか。人類が2足歩行を始めた700万年前にさかのぼる。2足歩行で骨盤の形が変わり、産道が狭くなった。胎児は、この産道を通り抜けて出てくれるように脳が未熟で小さいうちに生まれてこなくてはならなくなった。人間の脳は10年かけてゆっくり発達していく。


・2歳から始まるイヤイヤ期。自分の欲求を制御できない。このイヤイヤ行動にも訳がある。「我慢する力」がない。目先の欲求に我慢ができない。イヤイヤ期の子どもの脳は、前頭前野が未発達。この前頭前野は抑制機能を担っている。表層の前頭前野が発達していないと、抑制できない。前頭前野の発達には時間がかかる。人間はゆっくり脳を発達させることで、どんな環境でも適応できるようになっている。こういうことを知ることで、気持ちが楽になる。

・母親は、子育てができて当然と思うことが間違い。アフリカ・カメルーンのバカ族。幼い子どもの時から子育てを手伝う。そうした経験が、母親になるための準備になっている。

・日本での実験。出産を経験していない女子大生たち。3ヶ月に渡り、週に1回2時間、赤ちゃんの世話を体験する。すると、泣いている赤ちゃんを見た時の脳に大きな変化が現れた。育児に関わる脳の働きが活発になり、赤ちゃんに親しみを感じやすくなっていた。女子学生たちの脳に、「母性」を生む活動が現れた状態。
・母性は決して生まれつきのものではなく、色々な体験をする中でスイッチが入り、自分が妊娠し出産することによって本格的に母性が活動を始める。
・出産前に赤ちゃんと触れ合う機会がない現代社会のママたちは戸惑っても当然なのだ。
・経験が大事。母性は経験の中で育ってくる。

・夫に対してイライラする。驚くデータ。子育て家庭の離婚件数か一番多いのは、0〜2歳のとき。
・夫の行動にストレスを感じている。育児に不慣れな夫にイライラが収まらない。出産後は夫婦の会話も減り、夫は妻の変化に戸惑い。子どもを産むと一変する。
・出産後に分泌されるホルモンが原因。出産時、脳下垂体から大量にオキシトシンが分泌される。オキシトシンは筋肉を収縮させる。出産の時に子宮を収縮させる。授乳でも乳腺を収縮させる母乳を出す。オキシトシンが脳にも影響して、愛情が湧いてくる。ネズミの実験。オキシトシンが分泌していると激しい攻撃。オキシトシンには、愛情を深めるだけでなく攻撃性も高める働きがある。

・育児中の子どもの感情は、天秤に例えられる。相手から少しでも快いものが与えられると、それがオキシトシンの働きかけで強められ愛情が深まり、逆に少しでも不快なストレスが与えられると攻撃的になる。こうして、オキシトシンの多い育児中の母親の感情は、少しの快や不快で大きく揺れ動くことになる。夫が育児に非協力的だと攻撃的になる。

・これもひとえに、自分の子どもを守るための戦略。自分が信頼できそうにない人がいたら、そういう人が自分の子どもに接近してきたら守る、攻撃する。
・オキシトシンを、攻撃ではなく愛情に向かわせるにはどうしたら良いのか。母親がリラックスできるのは授乳している時。それから、夫が妻と向き合って会話をする時。会話しているお父さんはお母さんの方を向いて育児の悩みを真面目に聞いてあげていた。気持ちに寄り添って聞いていた。具体的な解決法やアドバイスがなくても話が受け入れられてリラックスしていた。

・すごいと母親を認めてあげるお父さん。そういう人が身近にいてくれるとき、母親はリラックスする。いろんな人に認められると楽になる。
・科学的な知見に基づく子育てに対する理解が社会に浸透していない。正しくみんなが理解できる仕組みを作っていく。

■番組のなかには「母性」という言葉が登場します。この言葉がもつイデオロギー性に警戒感を持つ方たちも多くおられると思います。私自身は、社会学を勉強してきたわけですが、このような人類進化やその進化の過程で獲得した身体のメカニズム、非常に関心があります。そのことを理解した上で、どのように現代版の「共同養育」の仕組みを作っていけば良いのを考えないといけないと思うわけです。番組中では、「母親たちを支えてきてくれた環境が、崩壊している。これは人類の危機」との指摘もありました。私もそうだと思います。では、どうしたらその危機を乗り越えていくことができるのか、乗り越えていくための仕組みとはどのようなものなのか、そのことを様々な人びとと一緒に具体的に考えていく必要があるんだと思います。

■私は、この番組を視て、「共同養育」とは「子育てを家族の外に向かって開いていく」ことではないのかなと思いました。それが社会の基盤になければならないとも思いました。子育ては、「私的」なこととして個人に(母親に)押し付けるのではなく、夫婦だけの問題でもなく、社会として支える仕組みが必要なのでしょう。もちろん、保育園の整備とか待機児童の解消とか…そういった問題も含まれますが、それだけではないでしょう。子育てが母親だけに押し付けられている状況の中で、母親の孤独や孤立をなくしていくための方策を考えていかなければなりません。夫の育児休暇、ワークライフバランス、「ママ友」のネットワーク、「ママ友」ネットワークを媒介とした「パパ友」ネットワーク、おばあちゃん・おじいちゃんの力、地域社会の中での子育てに関わる活動やイベント…様々なことが関連してきますね。

■しかし、現実には、厳しいものがあります。マタハラ(マタニティハラスメント)という言葉が話題になっています。満員電車の中で妊娠している女性に対して攻撃的な態度をとる人がいることも話題になりました。保育園や幼稚園を迷惑施設のように考える人たちがいます。電車等の中で泣く小さな子どもに対して不寛容であったり…。どうも現代の日本の社会は、「子育てを開く」のとは反対の方向に向かっているように思えます。アフリカのカメルーンのバカ族の皆さんの「共同養育」の仕組みを、現代の地域社会ではどのように再生していけば良いのでしょう。小さいことでも、何か試みとして地域社会の中から実践できないのでしょうか。私は孫が生まれたおじいさんですが、とても気になります。

■この動画と合わせて、以下の関連記事もお読みいただければと思います。山極寿一さんの講演録です。
ゴリラの社会に探る人間家族の起源

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