長浜の雑誌『み〜な』

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▪︎滋賀県の湖北地域とその周辺をテーマにした、『み〜な』という雑誌があります。この地域にお住まいの皆さんが、手弁当で企画・取材・原稿執筆を行い、地元企業からの支援を得ながら、「地域の知恵と汗の結集」によって発行されている雑誌です。昨晩は、この雑誌の編集にあたっている方と京都で少し呑みつつ 3時間程語り合いました。滋賀や、滋賀の地域社会の将来。多様性を相互に尊重し評価しあった上での共同性。そのような多様性と共同性の上に構想する「私たちの幸せ」。滋賀の「私たちの幸せ」を考えるための公共哲学。自分が生かされている…という「感謝の気持ち」。その基層にある真宗の精神。そんなこんなをいろいろ語り合いました。充実した時間でした。写真は、昨晩いただいた(購入させていただいた)『み〜な』の最新号と、一つ前の号です。私としては、最新号の「湖北用水史 争いから分かち合いへ」というテーマが気になり、最新号から読み始めました。(本文続く)

ランニングの復活に向けて

20160106walking.jpg ■ランニングを復活させるために、まずはウォーキングを始めました。昨日は、午前中が瀬田キャンパスで卒論指導。午後からは、深草キャンバスに移動し会議。会議を終えた後、学外の方と「夢」を語り合うために京都駅に移動しました。待ち合わせが、中央改札口でした。地下鉄かJRで京都駅まで行っても良かったのですが、今回は、ウォーキングにしてみました。

・移動時間:29分17秒
・距離:3.11km
・平均ペース:9.26km
・消費カロリー:191カロリー

■上記の記録を見ていただければ、お分かりいただけると思いますが、結構、早足でウォーキングをしました。この程度であれば、消費カロリーは、たった191カロリーです。今回は、平均ペースが9.26kmになっています。私の場合は、早足だとこの程度のスピードのようです。しかし、ウォーキングはスピードよりも時間の方が大切かなと思っています。本当は、1時間程度のウォーキングが良いのでしょうが、なかなかそういうわけにもいきません。そこで通勤時が一番ウォーキングには都合が良い…となるわけですがが、重い荷物も背負っていますし(約10kg)。防寒着も来ていますので、あまりウォーキングに向いている格好ではありません。なかなか難しいものです。

■ところで、画像は、iPhone6plusに入れてある「Runmeter」というアプリの画像です。ランニングをしていなうちに、アプリの使い方も少し忘れてしまっていました。このアプリは、その間もバージョンアップしているのだと思います。facebookとの連動もうまくいきません。どうして何でしょうね〜。うまくいかないのならば、別のアプリにしようかなとも思っています。

2016年 新年法要

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■私自身の「仕事始め」は、4日からでした。卒論の始動です。大学全体としては、昨日、5日からになります。龍谷大学発祥の地である大宮キャンパスで、新年法要が開催されました。以下が、本日のプログラムです。

次第
開式の辞
正信偈(行譜)
念仏・和讃
回向
学長挨拶
学歌斉唱
閉式の辞
雅楽会奏楽

■私は、龍谷大学に移動してから、今年度で12年目になりますが、この新年法要には初めて参加しました。これまでは、あまり気にしていませんでしたが、研究部長という役職を務めている以上、こういう公式行事には参加するべきだ…とのご意見をいただき、半分義務感で参加しましたが、とても良いものだな〜と思いました。気持ちが引き締まりました。これからは、毎年、参加しようと思います。ちなみに、新年法要が行われたのは、大宮キャンパスの本館です。写真は、その本館を写したものです。この本館は、国の重要文化財です。大学のホームページによれば、1879(明治12)年に竣工した、大宮キャンパスのシンボル的建物で、1997年に、このたたずまいそのままに大改修を行ったとのことです。

ベセル井上さんに新年の挨拶

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■今日から仕事初めです。この時期は、毎年、添削した卒論を返却することになっています。本当には、今度こそは12月末(昨年末)までに、すべての卒論関係の指導を終える気持ちでいたのですが、学生たちの執筆が遅れたことに加えて私の方も学内行政で多忙であったため、結局、今まで通り、正月休みに卒論の添削をしなくてはいけなくなりました。今回は、2回に分けて添削した卒論を返却することになりました。今日は、奈良のエリアに住んでいるか、自宅が奈良ではなくても奈良に来ることができる学生を対象に、近鉄奈良駅まで来てもらいました。赤ペンを入れた原稿をもとに、1人30分程度の口頭での指導も行いました。

■学生たちの指導をした後、ベセル井上さんのお店に新年のご挨拶に伺うことにしました。井上さんは、奈良の東向商店街にある雑貨店「ベセル」を経営されています。「ベセル」では、「わちふぃーるど」社の猫のキャラクター「ダヤン」に関連するグッズを販売されている他、奈良の仏像や奈良の鹿をデザインしたTシャツやパーカーなどの「奈良グッズ」を販売されています。井上さんとは、facebookを通じてお知り合いになりました。商店街や地域の活性化に強い関心をお持ちの方で、私とはそのような「まちづくり」の情報を媒介としてお付き合いをさせていただいています。今日も、有益な情報をいろいろ教えていただきました。ありがとうございました。井上さんは、私が通っている、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」に強い関心をお持ちです。ということで、一度、「利やん」で呑もうという話しになりました。「利やん」で、大津の「まちづくり」の関係者と良き出会いがあると良いなと思っています。

■井上さんとは、それ程、年齢は違わないのですが、お若いですね〜。向かって左隣のおじさんは…。年を取りました。

「アカエリトリバネアゲハ」の標本

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■元旦は、母を、母の自宅に日帰りで連れて帰りました。その際、たまたま蝶の標本を見つけました。記憶がよみがえってきました。小6だった1970年に大阪万国博覧会が開催されました。我が家も夏休みの旅行で、この大阪万博に遊びに行きました。蝶の標本は、その時にお土産として買ったものです。記憶が定かではないのですが、「マレーシア館」で買ったものだと思います。おそらくは、小学生がお年玉やお小遣いを貯めた程度のお金でも買えたのでしょう。

■1970年の大阪万博では、「アメリカ館」や「ソビエト館」の人気が高かったように記憶しています。当時は、まだ冷戦構造(アメリカ合衆国を中心とした資本主義・自由主義陣営と、ソビエト社会主義共和国連邦を中心とした共産主義・社会主義陣営の間の対立構造)が存在していました。世界を二分する両大国のパピリオン(万博の展示用に一時的に建てられた建物)は大変人気があり、入館するまでに何時間もかかる状態が続いていました。たとえば「アメリカ館」の場合は、目玉の展示が「月の石」でした。1969年7月、アポロ11号が人類最初の月面着陸を成功させ、11月にはアポロ12号が引き続き月面着陸を果たしました。そのようなアポロ計画が地球に持ち帰ってきた「月の石」を一目見ようと、多くの人びとは、長蛇の列に我慢して並んだのです。

■ところが、私の両親は、このような長蛇の列に並ぶことを嫌いました。アメリカやソビエトのような、人気があり何時間も並ばなければならない超大国のパビリオンには行かずに、並ばなくても入館できる小国のパビリオンばかりに行きました。もちろん小6の私は内心不満でしたが、まだ小さな妹がいたこともあり、両親は、炎天下、長蛇の列に並ぶことを嫌ったのでしょう。もっとも、そのようなこともあって、蝶の標本を手に入れることができたのかもしれません。蝶の標本に関係のない話しを長々と書いてしまいました。現在とは違って、世界はますます発展していく、暮らしも良くなっていくということを自明として生きることができた時代でした。大阪万博のテーマは、「人類の進歩と調和」(Progress and Harmony for Mankind)でした。

■さて、蝶の標本の話しに戻ります。私自身、蝶も含めて昆虫一般に詳しいわけではありません(ただし、小6の頃は、まだ昆虫に関心を持っていたと思います…)。調べてみたところ「アカエリトリバネアゲハ」という和名でした。標本箱の中には、「Rajah Brooke」とラベルが貼ってあります。マレーシアのサラワク島の初代首長ラジャ・ブルックにちなんで名付けられた英名です。ラジャ・ブルックは、イギリス人です。ブルネイのスルタンから正式にラジャ(藩王)に任じられ「白人王 」として知られているようです(こういう本も出版されています。『ボルネオの白きラジャ ジェームズ・ブルックの生涯』)。その背景の事情はともかく、この美しさからだと思いますが、マレーシアの国蝶になっています(ちなみに日本の国蝶は「オオムラサキ」です)。写真少し色を補正してあります。買った時のイメージに近づけました。しかし、本当はもっと色がくすんでいます。額自体も、かなり古ぼけています。45年前のものですから、仕方がありませんね。

■この「アカエリトリバネアゲハ」を含めたトリバネアゲハは、「ワシントン条約」(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)「附属書II」に記載されている危急種・希少種に認定されおり、標本等の商取引きは規制されているようです。規制のもとで、標本等の商取引きも行われているようです。ちなみに、ワシントン条約が採択されたのは1973年です。大阪万国博覧会が開催された2年後のことでした。

■蝶の標本ですが、母の家のリビングに書架の上で、埃まみれになっていました。どうも、亡くなった父や、現在介護をしている母からは「邪魔者扱い」されていたようですね。昆虫に関心のない人からすれば、単なる「死んだ虫」ですから…。ちょっと心が痛んだので、誇りを払ってきれいして、私の自宅に連れ戻しました。これからは、再び、本来の持ち主である私の元で大切に保管していこうと思います。

近鉄と生駒山

20160103kintetsu.jpg ■昨日は、息子と一緒に初詣を済ませ、ピザレストラン「642PIZZA」に行った後、郵便局に寄ったりしながら、少し遠回りをして帰宅しました。早春には、職場に近い滋賀県の大津市に転居する予定なので、もう一度、長年暮らしてきたこの地域の風景を散歩をしながらしっかり眺めておきたかったのです。普段は車で通過することが多く、あまりゆっくり眺めることがありません。ランニングの練習で走ることもありましたが、走ることに必死で風景眺める余裕などあまりありません。昨日は、30年近く暮らしてきた街の風景をゆっくり堪能しました。歩いて細かなところを観察していると、いろいろ発見がありますね。他所の街ではいろいろ「まち歩き」をしてきましたが、自分の住んでいる街を、ゆっくり歩くことはほとんどありませんでした。

■写真は、近鉄学園前駅と菖蒲池駅の間にかかっている橋から撮ったものです。車がすれ違うときに注意しないといけないほど、幅の狭い小さな橋です。その橋から、大阪方面に向かって写真を撮りました。夕日の中にシルエットを見せているのは、生駒山です。頂上には、テレビ局のアンテナがたくさん確認できるのではないかと思います。この生駒山の向こうには、大阪平野が広がっています。手前に写っているのは、近鉄の大阪難波行き準急です。生駒山のトンネルを抜けて大阪難波までは、近鉄を利用すると35分程度です。この地域は、大阪に勤める方たちの住宅地として開発され、高度経済成長期とともにその住宅地も拡大していきました。典型的な大阪郊外の住宅地の一つかもしれません。そのような意味で、どこにでもある風景なのかも知れません。しかし、もうこの地域にあとわずかの期間しか住むことができまないと思うと、どこにでもある風景がとても愛おしく思えてきました。本当は、ここに暮らしている間に、戦前から戦後、そして現代に至るまでの開発の歴史について、もっといろいろ探索してみたかったのですが、その時間はもうありません。

小さな森のなかのピザレストラン

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■元旦は母親の介護で慌ただしい1日になりましたが、お正月の2日目は、ゆっくりと自宅で過ごし身体を休めることができました。帰省している息子と一緒に、自宅の近くにある神社に初詣をしに行った後、いろいろ散歩をしてみることにしました。トップの写真は、その散歩の途中で歩いた道です。森の中の道です。このような森が住宅地の中に残っているのです。2枚目の写真は、GoogleEarthで見たものです。中央にあるのはため池です。どこまで史実なのか、私にはよくわからないのですが、推古天皇の時代に作られた4つのため池のうちの1つだという説があるそうです。「日本最古のため池の一つ」という説です。この地域のデコボコした微地形を見てみるともっとよくわかるのですが、この地域は丘陵地(西の京丘陵)で、ここから東側に少し離れたところにあった農村の里山でした。丘陵地は、全体として東に向かってなだらかに低くなっていきます。しかし、このため池の右側のあたりは堤になっており、そこからは急に地形は低くなります。落差があります。おそらく、その里山の中に雨水が流れてくる場所をうまく堰き止めて、このため池が作られたものなのではないかと思います。

■ため池の北側には近鉄が走っています。そのため、1950年頃から近鉄が住宅地としての開発を始めました。びっしりと戸建ての住宅が建ち、たくさんのマンションも建設されています。しかし、ため池の周りには、森が2つあります。北側は、1946年に当時の近鉄の社長が設立した美術館「大和文華館」の敷地の森です。大きな建物が確認できますね。トップの写真にある道は、そこではなく、南側の方の森になります。この森のため池側沿いに道が通っているのです。これらの森は、おそらくは(私の推測ですが)住宅地として近鉄が開発する以前にあった里山の雰囲気を残していると思います。

■この南側の森に隣接して、うちの子どもたちが卒業した小学校があります。GoogleEarthの画像でも、小学校の校庭が確認できますね。この校庭に隣接する森の中には、ポーイスカウトの活動基地があります。ドングリの実がなる樹が生い茂るとても素敵な森です。うちの子どもたちが小学校に通っている頃から、この森のことが気に入っていました。また同時に、どうしてこのような森が開発されずに残っているのかも気になっていました。ため池の北側の森は「大和文華館」の敷地なのですが、この南側の森はどなたの所有地なのか、どのような所有関係になっているのかが気になっていたのです。そのお気に入りの森の中に、数年前、ピザレストランができたという話しを小耳に挟みました。近くにあるのに、まだ一度も訪ねたことがありませんでした。そのようなことから、今日は息子と一緒にピザレストランを訪ねてみたのでした。

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■とても素敵な雰囲気でしょう。周囲の住宅地の雰囲気がこの森の中には伝わってきません。今回は、私と息子はすでに昼食をとっていました。お腹がいっぱいでした。ということで、2人でピザを1枚とデキャンタで赤ワインを注文することにしました。ピザは、カラスミとゴルゴンゾーラ(青カビのチーズ)のピザでした。とても美味しくいただきました。これは、また来ないといけないなと思いました。このピザレストランは、「642PIZZA」といいます。「642」と書いて、「ロッシーニ」と読むのだそうです。ロッシーニとは、オペラ「セビリアの理髪師」や「ウィリアム・テル」の作曲家として有名です。人気作家である村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』の中に登場する「泥棒かささぎ」の作曲者もロッシーニです。そのような話しはともかく、「ロッシーニ」と読むまではお聞きしたのですが、なぜ「ロッシーニ」なのかを聞き忘れてしまいました。

20160103pizza7.jpg■私たち親子がテーブルに着いた頃から、次々にお客さんが入ってこられ、女性の店主さんが忙しく調理されるようになったことから、元々の関心であった「どうしてこのような森が開発されずに残っているのか」についてもお聞きすることができませんでした。このような住宅地の中に、これだけの森を開発せずに保全することは、大きな困難が伴っていると思います。あるいは、森に対する所有者の強い思いが存在しているのではないかなどとも勝手に推察しました。しかし、すでに書きましたが、ボーイスカウトの基地になっていますし、この森に隣接する幼稚園では、この森を教育に積極的に利用されているようです。とても素敵なことです。また、レストランでは様々なイベントも開催されているようです。外部の方たちとの連携もあるようです。このような開発の圧力が高い地域で、森の所有者と森の利用者が、どのような連携を行っているのか。また、外部との連携が(結果としてかもしれませんが)、この森の保全にどのようにつながっているのか。その辺りのところに私の関心はあるのですが、それは次回、この「642PIZZA」を訪れた時にチャンスがあればお聞きしてみようと思います。

【追記】公式サイト「642PIZZA」
■いろいろご苦労されて、開店されたご様子。公式サイトの「歴史」からわかりました。「642」についても、そこに説明がありました。

元旦の介護

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20160102fugu3.jpg■昨日は元旦でした。私の母は介護老人保健施設に入所していますが、施設に外出許可をもらって、母を、母自身の自宅まで連れて帰りました。車で10分程度の距離です。私たち夫婦に加えて、妹やうちの息子(孫)も集まりました。優しい孫も来てくれてよほど嬉しかったのか、いつもならうたた寝をするところが、ひたすらしゃべり続けていました。その母の勢いに圧倒されつつ、昼食はお雑煮とお節料理、夕食はてっちりを楽しみました。

■外出許可ということで日帰りでしたが、母も気持ちが少し落ち着いたようでした。安心しました。施設はバリアフリーですが、自宅はそうではありません。手すりが付いていますが、介助なしでは、やはり厳しいものがありました。亡くなった父も、母も、この家を建てる時に、自分たちが老いた時のことは、とても想像できなかったのでしょうね。それはともかく、とりあえず、今日は無事に一日が終わりました。少し気持ちが楽になりました。

■ところで、夕食は「正月だから」と気張って、てっちりにしました。久しぶりのおうちでの河豚でした。やはり美味しいですね〜。皮の湯引きも作りました。身はもちろん美味しいのですが、河豚のアラも非常に美味しいです。運転をしなくてはいけないので、妹と息子が日本酒(今日は高知の「土佐鶴」)を楽しんでいるのを横目で見ながら我慢しなければなりませんでしたが、それでもとても満足しました。。母は介護老人保健施設に入所していますが、施設に外出許可をもらって、母を、母自身の自宅まで連れて帰りました。車で10分程度の距離です。

■私たち夫婦に加えて、妹やうちの息子(孫)も集まりました。優しい孫も来てくれてよほど嬉しかったのか、いつもならうたた寝をするところが、ひたすらしゃべり続けていました。その母の勢いに圧倒されつつ、昼食はお雑煮とお節料理、夕食はてっちりを楽しみました。外出許可ということで日帰りでしたが、母も気持ちが少し落ち着いたようでした。安心しました。施設はバリアフリーですが、自宅はそうではありません。手すりが付いていますが、介助なしでは、やはり厳しいものがありました。亡くなった父も、母も、この家を建てる時に、自分たちが老いた時のことは、とても想像できなかったのでしょうね。それはともかく、とりあえず、今日は無事に一日が終わりました。少し気持ちが楽になりました。

■ところで、夕食は「正月だから」と気張って、てっちりにしました。久しぶりのおうちでの河豚でした。やはり美味しいですね〜。皮の湯引きも作りました。身はもちろん美味しいのですが、河豚のアラも非常に美味しいです。運転をしなくてはいけないので、妹と息子が日本酒(今日は高知の「土佐鶴」)を楽しんでいるのを横目で見ながら我慢しなければなりませんでしたが、それでもとても満足しました。良い正月だと思いました。もっとも、帰省した息子は、自分の祖母の介護を手伝いながら、「自分たちが老人になった時は、どうなっているんだろう」と少し不安そうに話しました。確かに、息子の世代のみならず、自分たちの世代の20年後もなかかな予想が困難ですから。超高齢社会を、どう最後まで、いや最期までどのように生きていくのか、不透明ですね。厳しい時代です。

2016年 あけましておめでとうございます

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▪︎2016年 新年あけましておめでとうございます!皆さま、どうぞ今年もよろしくお願いいたします。

▪︎写真はモルジブです。今、私はモルジブにいます!…と言えればよいのですが、この写真は、娘が新婚旅行のさいに撮ったものです。この風景のように、スカッと気持ちよく1年を過ごしたいものですが、さてさて、どうなるでしょうね(゚o゚;;。

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