梅田の「亀寿司」

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▪︎今日は、老母の生活介護の日でした。今日は、妻も同行してくれました。ということで、いつも一人でやっていることを二人で済ませることができました。「済ませる」という言葉を使うことに、多少「抵抗感」があるわけですが、現実問題として、やはり「済ませる」という気持ちが先になってしまいます。高齢者の家族の介護は、とても難しい問題だと思います。時々、妻に手伝ってもらうと、どこか心が軽やかになります。この「微妙な加減」が孕む問題を、もっと日本の社会は考えないといけないと思います。

▪︎それはともかくです。老母の世話を終えたあと、突如思いついて、すでに社会人として自立して一人暮らしをしている子供達に、「梅田に移動中やけど、一緒に夕飯はどう?」と連絡をしたところ、長女の方からOKの連絡がありました。梅田の「亀寿司」という寿司屋で、娘、そして娘の彼氏と合流することができました。この「亀寿司」、私たち夫婦が独身時代、時々来ていた寿司屋です。妻は小学校の教員。私は大学院の博士後期課程でした。妻にボーナスが入るときに、この寿司屋で当時はなかなか口にできなかった寿司を食べさせてもらいました。人生で初の「車海老の踊り食い」は、この店だったと思います。

20150705indiancurry.jpg▪︎話しは前後しますが、今日は、昼食も夫婦で一緒でした。いつもは1人で梅田三番街「インデアンカレー」にいくのですが、今日は「夫婦でインデアンカレーの日」になりました。左は私が注文した「ルーダブル&卵」。右は妻が注文した「ルー大盛り&卵」です。比較してみると、やはりルーの量がかなり違いますも〜。私は、今日も「ルーの海」にダイブしました〜♪ しかし、楽しんだのは私だけで、妻にとっては「ルー大盛り」は、美味しかったにせよ、量的にはかなり負担だったようです。月に何度も「インデアンカレー」をいただいている私の方は、結果として、かなり胃袋が「鍛えられてしまった」ようです。

第3回「龍谷大学餃子研究会」

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▪︎昨晩は、第3回「龍谷大学餃子研究会」でした。餃子が好きで、龍谷大学の未来に関して熱く語り合える方達が集まっています。第1回が「ミスターギョウザ」。そして、第2回が「チャイナキッチン餃子王」です。以下は、関連エントリーです。

龍谷大学餃子研究会
第2回「龍谷大学餃子研究会」

▪︎第3回は「鉄鍋ぎょうざ 杏っ子」になりました。会場の決定は、研究会の副会長であるN部長が長年の研究により作成された「リスト」のなかから決定されます。餃子といえば、大衆的な料理で、ちょっと薄汚れているぐらいの食堂が美味しかったりするわけですが、今回は、なかなか洒落たお店でした。場所は、京阪三条から少し歩いていったところにあります。「餃子バー」という感じでもありますね。さて、トップの写真は、お店の名物である鉄鍋餃子です。口の中でパリパリと音がした後、香辛料(おそらくは五香粉か)を少し効かせた美味しい餡が味わえます。特徴のある餃子だと思います。酒の方は、最初はビールでしたが、途中から副会長N部長がお好みの赤ワインに。どんどん赤ワインのペースがあがっていくので、大丈夫かな…と思っていたら、二次会のバールでN部長は途中リタイア。まあ、それぐらい研究会は盛り上がったわけです。

▪︎ところで、今回は新入会員の参加があり、会員数はとうとう5名になりました。もっとも昨晩は、お1人の都合が悪くなり、参加者は4名。次回は、さらに4名の新入会員が増える予定。これまでは、餃子好きのオジさん教職員ばかりだったのですが、若い女性の皆さんも加わってくれることになりますね。研究会の雰囲気が華やかになります。

【追記】▪︎私はこの研究会以外に、職場の奈良県人会や兵庫県人会にも参加しています。また、職場の仲間でマラソンや駅伝の大会などにも参加します。さらには、ゼミでおこなっている「北船路米づくり研究会」で日本酒をプロデュースし、職場の皆さんにも楽しんでいただいています。こういう仕事を離れた大学教職員の親睦・交流の場なんて面倒臭いという人がいるかと思います。また、なんで仕事が終わったあとも、付き合いをしなくてはいけないのか…という人もいるかと思います。といいますか、むしろそちらの方が若い世代の方達では多いのかなとも思います。また、大学教員のなかにもそのような考えの方が多いかと思います。ですから、自分の考えを押し付ける気は毛頭ありません。しかし、私自身は、こういった職場の親睦・交流をとても大切にしています。相談したり・相談されたりすることができる関係、頼んだり・頼まれたりすることができる関係、助けたり・助けられたりすることができる関係…、信頼・協働・互酬性のネットワーク(社会関係資本)が組織内に豊かにあることは、とても大切なことだと考えるからです。おそらく、こういう関係が豊かにあると組織の仕事はうまく進みます。しかし、私が言いたいことは、単に仕事の効率などという話しではないのです。それだけではなく、仕事に関する「夢を」共有できるからです。そして、組織内の「幸せ」を増幅していくことにつながるからです。以下は、関連するエントリーです。

組織の壁を越えて

「京(みやこ)の水カフェ」

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▪︎昨日は、終日深草キャンパスでした。午前中は研究部関連の会議報告、午後からは新しい体育館の起工式、そして評議会です。昼休み、午前中の会議で一緒だった農学部の古本強先生と、深草キャンバスの近くある食堂に昼食をとりにいくさい、キャンパス中央にある樹林とよばれるカフェの前で、「京の水カフェ」の幟がたっていました。経営学部の藤岡先生のゼミ生たちの活動のようです。以下は、昨年の大学のホームページに掲載された記事を転載したものです。「水カフェ」のブースの方に向かって歩いているのは、農学部の古本先生です。

龍谷大学経営学部藤岡ゼミは、京都市上下水道局と連携し、京都の水道水のおいしさとクオリティの高さ(安全・安心、低価格、環境にやさしい)をPRする「京(みやこ)の水カフェ×龍谷大学」を、下記のとおり開催します。

「京(みやこ)の水カフェ」とは、京都市上下水道局が実施する「おいしい!大好き!京(みやこ)の水キャンペーン」※の一環として開設するカフェです。2年目の今回は、本学との連携により、学生のフレッシュな感性を京都の水道水を活用したメニューや店舗内装に活かし、来店者に様々な角度から、京都の水道水のおいしさとクオリティの高さを実感していただきます。店内外の装飾、展示等についても学生が行い、当日の接客も学生が担当します。

また、上記取組に加え、メニュー考案の際は、協賛企業の小川珈琲株式会社から本格的な技術指導も受けており、京都の水道水のおいしさを、学生から積極的に発信いたします。

なお、「京(みやこ)の水カフェ×龍谷大学」は祇園祭期間中に実施する予定であり、京都市民をはじめ、その他多くの方々にも京都の水道水のおいしさを知っていただく機会に繋がればと考えております。

龍谷大学深草キャンパス 課外活動施設(第2体育館〈仮称〉)起工式

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20150703kikoshiki2.jpg■本日の午後、深草キャンパスの顕真館で、「龍谷大学深草キャンパス 課外活動施設(第2体育館〈仮称〉)起工式」が執り行われました。龍谷大学は浄土真宗本願寺派の宗門校であることから、起工式ももちろん仏式です。右の写真は起工式の次第です。「讃仏偈」の「偈」とは、讃歌の意味なのだそうです。阿弥陀如来の前身である法蔵菩薩がおっしゃったお言葉です。法蔵菩薩が師でもある世自在王仏を讃え、自ら世自在王仏のような仏に成りたいと述べ、仏と成るために様々な修行を実践し、すべての人びとを救うために浄土を建てることを誓う…そのような内容なのだと、以前、勉強して知りました。

■ところで、日本の社会では、多くのばあい起工式は神式で執り行われますね。私は、仏式の起工式は初めて参加させていただきました。仏式でも、神式と同じく、鍬入れの儀が行われました。盛砂に、鍬、鋤、鎌を入れる儀式です。このあたりの形式はいつ成立したのか、よくわかりません。キリスト教系の大学ではどうかと少し調べてみましたが、牧師が式を執り行い、神式と同様に盛砂に、鍬、鋤、鎌を入れる儀式を行っていました。おそらくはこのような儀式は神式が起源かと思いますが、そのような儀式が、仏教やキリスト教にどのように受容され、現在の形式におちついたのか。ちょっと、知りたいと思いました。

【追記】▪︎この起工式は、一般には地鎮祭と呼ばれてきました。この地鎮祭のなかで、盛砂に、鍬、鋤、鎌を入れる儀式は、「穿初め(うがちぞめ)の儀」と呼ばれています。神社本庁の公式サイトの説明は以下の通りです。

地鎮祭とは、建物の新築や土木工事の起工の際などに、その土地の神様を祀り、工事の無事進行・完了と土地・建造物が末長く安全堅固であることを祈願するために、おこなわれる祭りです。

一般には「じまつり」などとも呼ばれ、国土の守護神である大地主神(おおとこぬしのかみ)と、その地域の神様である産土神(うぶすなのかみ)、またその土地の神々である「此の地を宇志波伎坐(うしはきます)大神等」をお祀りします。

▪︎本文と同じ繰り返しになりますが、このような神道に起源を持つ「穿初め(うがちぞめ)の儀」が、仏教やキリスト教の起工式にも取り入れられていることです。どういう経緯でそのようなことになったのでしょうね〜。興味があります。私の推測ですが、建設業務にあたる関係者の皆さんが、建設中の安全祈願を願うささいに、この「穿初め(うがちぞめ)の儀」に強くこだわってこられたからではないか、と想像しています。そのような強い関係者の希望を、仏教やキリスト教の関係者は、どのように受け止めたのか。まあ、そのあたりのことですね。

▪︎「穿初め(うがちぞめ)の儀」では、施主である大学を代表して学長が、それから設計事務所の方と建設会社の執行役員の方が、それぞれ鍬・鋤・鎌を盛砂に入れる真似事をされました。そのさい「エイ、エイ、エイ」と3回叫ばれます。建築会社の執行役員の方の声が、一番大きく、力がこもっていて様になっていたような気がします。うちの学長は、声も少し控えめだったかな。

大宮キャンパス

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▪︎昨日も深草で研究部の仕事でした。午前中は、今日開催される常任理事会(部局長会)の前段階の会議で、研究部関連の報告を行いました。そして、昼からは、校舎が重要文化財になっている大宮キャンパスに、研究部の部課長のお2人と向かいました。この4月に設立された「世界仏教文化研究センター」の会議に出席するためです。私自身は、この会議のメンバーではなくオブザーバーです。なんだかんだと、研究部の仕事は続きます…。

▪︎しかし、この大宮キャンパスは、いつ来ても気持ちが良いですね。「気持ちが引き締まります」。「大宮学舎」と呼んだほうが相応しいようにも思います。写真は、縦横の歪みが出ていますが、「気持ちが引き締まる」ということ意味が伝わるでしょうか。ここは、龍谷大学発祥の地でもあります。中央に見えるのは、本館です。国の重要文化材に登録されています。1879(明治12)年に竣工しました。その右は、校舎です。北黌(ほっこう)と呼ばれています。本館をはさんで南側には、南黌(なんこう)があります。こちらも国の重要文化財です。なにか「大学の精神」のようなものが濃厚に感じ取れるがゆえに「気持ちが引き締まる」のです。大宮キャンパスから深草キャンパスに戻るさい、一緒だった事務部長のTさんが、正門で講堂のある本館にむかって一礼されました。「なるほど…」と思い、私も、Tさんの一礼に習って頭を下げました。

【追記】(2015/07/15)■T部長に、どうして「正門で一礼」されるのかお聞きしてみました。「正門の講堂の中には、ご本尊である阿弥陀如来像が安置されているから」ということでした。なるほど。阿弥陀如来像を安置した講堂のある本館を囲むように、重要文化財である北黌(ほっこう)と南黌(なんこう)、そして西黌や西黌別館が配置されています。そのことが、この大宮キャンパスを聖なる空間に、清々しい空間にしているのでしょう。そして、それに加えて、そこにこの大学の「精神」のようなものが宿っているようにも思えるのです。出身者ではない者の、個人的な感想ですけれど。

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