コンゴの「サプール(Sapeurs)」


▪︎かっこいい…。コンゴの「サプール」と呼ばれる男性たち。「サップ」(Sape)を楽しむ人たちという意味です。では、「サップ」とはなにかというと、「Société des ambianceurs et des personnes élégantes」(おしゃれでエレガントな人びとの協会)というフランス語の頭文字をとったものなのだそうです。詳しくは、以下のコラムをご覧ください。

【コラム】世界で最も貧しい国の男たちが全力でオシャレする理由

▪︎このコラムのなかにある、「サプールとしての衣装を身に付けた彼らは表現者であり、エンターテイナーであり、そして平和の象徴でもあるのだ」という部分にグッときました。動画は、ビール会社ギネスの動画です。誰しもが注目する「サプール」の魅力を宣伝に使っているのですね。こういうナレーションが出てきます。かっこいいです。

“In Life, we cannot always choose what you do. But you can, always choose Who you are.”
“I am the master of my fate, I am the captain of my soul.”

▪︎写真集もあるようですが、Amazonで調べたところ、古書ですが7万円以上もします…。とても、手が出ません。それだけ、人気があるのですね。

【追記】(2020.06.14)■ひさしぶりに、この投稿を自分で確認すると、動画のリンクが切れていました。新しい動画を埋め込んでおきます。これもビール会社ギネスの動画です。

「女性と環境運動」に関連する論文

▪︎一昨日の投稿では、小松丈晃さんが翻訳されたニコラス・ルーマンの『リスクの社会学』についてふれました。今回は、以前、「リスク論」とともに昔勉強していた「女性と環境運動」について気になる論文をみつけました。本当に偶然なのですが、安藤丈将さんの「六ヶ所村女たちのキャンプの民主主義」という論文です。ネット上にPDFファイルであるので、どなだでもお読みになることができます。

安藤丈将「六ヶ所村女たちのキャンプの民主主義」(『ソシオロジスト』武蔵大学社会学部),16, 1-38, 2014)

▪︎以下は、この論文の要約です。引用されている文献からもわかりますが、海外でのエコロジカルフェミニズムの研究を参照されています。日本に紹介されたエコロジカルフェミニズムは、当時の社会状況や思想状況のなかで、大変否定的に扱われました。といいますか、「エコフェミ」は、印象としては叩きのめされたという感じです。エコロジカルフェミニズムといっても、その中身は多様です(否定されたのは、そのひとつにしかすぎません)。海外では、様々な背景をもったエコロジエルフェミニズムの研究が継続され蓄積されていきました。この安藤さんの論文のなかに引用されている Vandana Shiva や Maria Miesは、その代表格かもしれません。日本の「エコフェミ論争」については、現在の視点からすれば必ずしも生産的でなかったように思います。

1991 年 9 月,青森県上北郡六ヶ所村で,核燃料サイクル工場へのウラン 搬入を阻止するために,女性たちがキャンプを張った。本稿は,この「六ヶ所村女たちのキャンプ」について考察する。参加者の多くは,六ヶ所村から離れ て暮らしていたが,自分が直接被害を受けるわけではないにもかかわらず,な ぜ抗議行動に加わり,何を問題にしようとしたのか。その問題意識を探るとと もに,最近の民主主義論の成果を用いながら,女たちのキャンプの実践を読み解いていく。感情や個別性のような女性に固有とされる徳性の否定的な理解を 読みかえ,脱原発の思想を練り上げること。友情という非公式の政治的資源を利用しながら,より深い政治的コミュニケーションをつくり出すこと。非暴力 直接行動の中に,他者への依存の許容と気づかいを組み込むこと。以上の点について論じながら,本稿では,女たちのキャンプではいかなる民主主義が実践されたのかを明らかにする。

▪︎ところで、安藤さんは、『ニューレフト運動と市民社会「六〇年代」の思想のゆくえ』(世界思想社)を書いておられます。これはまだ未読なのですが、偶然にも、太郎丸博さんが書かれた書評をご自身のブログで読んでいました。

安藤丈将 2013 『ニューレフト運動と市民社会: 「六〇年代」の思想のゆくえ

目次 : 第1章 戦後の民主化運動の時代―「日常性」の発見以前(一九六〇年までの民主化運動/ 帰郷運動/ 高度経済成長の中の青年)/ 第2章 ニューレフト運動の形成―「日常性」を変える(安保闘争の「失敗」を超えて/ 自己変革の象徴としての直接行動/ 直接行動に反発するコミュニティ組織)/ 第3章 ニューレフト運動の後退―「日常性」の自己変革が生んだ苦しみ(コミュニティを基礎にしたポリシング/ 国民にサービスする警察/ 生き方の問い直しが生んだ苦しみ)/ 第4章 一九七〇年代のニューレフト運動―「日常性」の自己変革を深める(挫折からの再出発/ 地域の「生活民」から学ぶ/ 自己変革の鏡としてのアジア)/ 第5章 「新しい政治」の不在とニューレフト運動(日本における「新しい政治」の可能性/ 「新しい政治の政党」になれなかった社会党/ 女性たちの選挙運動/ 住民運動と政党政治)

▪︎これも結果として調べることになったのですが、安藤さんは、武蔵大学の教員をされています。学生の皆さんと一緒に、「練馬区の食と農」に関する調査をされているのです。練馬区は東京23区で最も農地率の高い地域だそうです。練馬は、武蔵台の畑地が多いのかなと思います。その練馬区内にはユニークなマーケット、カフェ、レストラン、農場が数多く存在しているのだそうです。なるほど…と、思いました。「六ヶ所村女たち〜」と「ニューレフト」(日常性における自己解放と自己否定)はもちろんですが、「練馬区の食と農」というテーマも…通奏低音としてつながっているはずだと感じました。

▪︎ところで、太郎丸さん自身は、安藤さんの本に関して面白いことをいっています。安藤さん自身がどう感じるかは別ですが…。こういうことを書くのは、太郎丸さんらしい。

個人的に面白かったのは、「日常性の自己変革」という考え方とミクロ社会学の類似性である。日本の社会学ではミクロ社会学が 1990年代ぐらいに大流行したのだが、その担い手がだいたいニューレフトの世代とその教え子たちである。ミクロ社会学の多くも日常生活の中に権力作用や差別や社会統制の根源があるとみなして、さまざまな研究がなされた。研究者を観察者として特権的な地位に置くことを否定したがる点もニューレフトとよく似ている。ニューレフトがポストモダニズムを準備したという議論があるが、やっぱりそうなのかな、という印象である。

【追記】▪︎女性と環境というテーマに関しては、以下の文献も確認してみようと思っています。『インパクション-特集 脱原発へ』(181号・2011年8月)。以下は、前書き。

 前号に引き続き原発を特集する。本号では、主として反原発運動のなかでこれまでも争点となってきたいくつかの論点に焦点をあてつつ、運動の回顧と展望をインタビューや座談会などで構成した。
 福島原発事故以降の反原発運動運動の高揚は、これまでの運動の経緯や争点に関わったことのない新しい人々や若い世代の登場によって支えられている。運動の新たな展開が「伝統」にとらわれない運動の流儀や思想を生み出す可能性をもつことによって、これまでの運動がなしえなかった大きな力を発揮することにもなる。この意味で、新しい運動の登場は原発を廃絶するための必須の条件であることはいうまでもない。しかし、他方で、新しい運動がこれまでの運動のなかで論争となったり争点となった課題を再び抱え込むことも少なくない。
 本号では、主としてふたつの論点をとりあげた。ひとつは、「母親」という主体への疑義であり、もう一つは放射線障害への不安意識に内在する障害者差別の問題である。原発事故が深刻な放射性物質による汚染と人体への深刻な被害をもたらすこと、とりわけ子どもや胎児に対してより大きな影響をもたらすことから、子どもをもつ母親たちが、新たな運動の重要な担い手となっている。母親だからこそ子どもたちを守りたいという当然とも思われがちな思いを、本号では女性解放運動や障害者解放運動が提起してきた問題とつき合わせつつ、この思いが母性神話や障害者差別の罠に陥ることのない条件を提起することを試みた。
 反原発運動の歴史は、原発を阻止することができなかった敗北の歴史でもあった。敗北だからそこから学ぶことはなにもない、ということではない。むしろその闘いは貴重なものとして私たちが今に受け継ぐべき多くの知恵と工夫に満ちてもいる。日本国内での深刻な事故や社会全体の右傾化など、これまでの反原発運動の経験だけでは克服が難しいいくつもの課題に直面している。本号では、運動の歴史を振り返ることと、今現在の運動が課題とすべき論点について、運動の当事者によるインタビューと座談会を掲載した。
 本号は反原発運動の回顧と展望ともいえる内容となっている。新たに反原発運動を担いはじめたみなさんにぜひとも読んでほしい。

▪︎もうひとつ、この特集と関連したプログ記事(「おきく’s第3波フェミニズム」)。気になるので、これまた引用しておきます。本文で、「日本の『エコフェミ論争』については、現在の視点からすれば必ずしも生産的でなかったように思います」と書いたことと関連しています。

今、事態がどんどん動き、不透明な混乱の中で、運動について、状況についてゆっくり論じる余裕のある人は少ないだろうし、そういう余裕があるとすれば逆にどこか抜けているものがあるのかもしれない。そんななかだから、脱原発運動の母性主義、というような難しい問題設定について運動の渦中にいて、明快に論じられる人は少ないだろう。そういう問題意識は、3.11以前からある程度運動やフェミニズムについて知識のあるひとがもつものだろう。
 今年の日本女性学会大会でも、同様のテーマでシンポジウムがもたれた。参加してみたが、やはり問題が深く論じられてはいない印象を持った。
 脱原発運動の母性主義というのは、今運動のただ中で感じられている問題というよりは、それ以前の、フェミニズム内の論争が記憶としてよみがえっているという感じがする。にもかかわらず、その切り分けがはかられず、一体誰が何を批判しているのか分からないままに注目されているような。
 じっさい、上記の天野の発言、「フェミニストの人が批判した」という口調、これもよく聞くものだ。聞くたびに、「フェミニストのひと」って誰?というフラストレーションを感じる。そういう種族でもいるかのように語られるのは非常に違和感がある。(天野は尊敬する人物のひとりです、ちなみに)
 そういう意味で、近藤がはっきり具体的に経緯を指摘しているのはありがたい。
 わたしも、90年代に上野のエコフェミ批判を読んで、影響を受けた。そこまで簡単にエコフェミの思想的可能性を否定はできないだろうとは思ったけど、やはり上野に軍配が上がったように見えた。
 だが、3.11を経て、松本麻里さんのインタビューを読むなどして、そのようなフェミニズムのこれまでのあり方が厳しく問われているように思う。
 フェミニズムの論客は、本当に、現実に向き合ってきたのだろうか。複雑でややこしい現実を、言説のひとつとして簡単に切り取ってしまい、整理し、ラベルを貼るだけでよしとしてきてはいなかっただろうか。フェミニズムだけではなく、90年代の構築主義や言説分析の流行した社会学全体にも言えることかもしれない。上野を批判するだけではなく、自分自身の問題として考えている。
 フェミニズムの視点、あるいは性差別へ批判的な視点をもつひとがそれほど多くない中で、フェミニズムの論客にあまりに多くを期待するのもおかしいだろう。やはり問題なのは、誰かひとりをもちあげてしまい、思考をとめてしまうようなひとりひとりのありかただろう。また、議論が自由にできないような雰囲気だ。女性学会のシンポジウムでも、既成のフェミニズムへの批判的な提起が、会場から反発されて、終わってしまったのは残念だった。あのようなやりとりをもっと深めていくことが必要なのかもしれない。

10ヶ月ぶりのランニング

20150113run.jpg ▪︎このブログには、「マラソン走ろう」というカテゴリーがあります。ランニングやマラソンについてのエントリー群です。その一番最近のものが11月です。最後に、こう書いています。「自分自身は、このあたりでもう一度ランニングのモードをきちんと復活させて頭と身体の関係をチューニングしておこうと思います」。とろこが、その後も、バダバタと忙しいことを理由に、ぜんぜん走ることができていませんでした。昨日、10ヶ月ぶりに、とりあえず5kmほど、ゆっくり走ってみました。

▪︎昨年の3月の篠山ABCを完走しました。フルマラソンの完走は、これで3度目。自分としてはベストの記録が出ました。といっても、ネットタイムで4時間45分51秒程度の時間でした。4時間半が目標でしたが、途中で体力がなくなってしまいました。悔しいので、そのまま練習を続けられればよかったのですが、怪我や故障で、ずるずると…。結果として、いろいろ言い訳をみつけて、10ヶ月も走らずにきてしまいました。昨日、ひさしぶりに走ってみました。体は正直ですね。完全に唯の酒飲みのおじさんの体力と筋力に戻っていました。もっとも、どうしても走らないといけない切羽詰まった事情もあります。「びわ湖レイクサイドマラソン」のハーフマラソンが迫っているのです。精神的には、お尻に火がつき、背中を通り越し、髪の毛も燃えている状態、チリチリと音がする状態です。これは、かなりまずいです。とりあえず、制限時間以内に完走するということが、今回の目標になってしまいました。これは非常事態です。

▪︎右が、iPhone6plusに入れたアプリ「runmeter」での記録です。余裕をもってゆっくり走っているのではなくて、このぐらいのスピードでないと走り続けられないのです。とりあえず5km。走ることはできましたが、本番は体力がもつのでしょうか…。非常にやばいです。本番の「びわ湖レイクサイドマランソ」は、1月25日に開催されます。

深草

20150113fukakusa1.jpg
20150113fukakusa2.jpg▪︎今日は、深草キャンパスで、定例の大学院の会議が開催されました。そのあと、知り合いの先生の研究室を訪問して、少し情報交換をさせていただきました。もちろん他学部の方ですが、これからの龍谷大学の行く末、特に瀬田キャンパスの行く末に関して、いろいろ情報交換させていただきました。ありがたいことです。その後、外のでると、写真のような感じになっていました。

▪︎トップの写真は、iPhone6plusのパノラマ機能を使って撮ったものです。昼間から夜に移行する時間帯、見慣れた風景であっても不思議な魅力を発します。右端の建物は、ひとつだけ明るい照明がついています。現在建築中の新校舎です。夕方ですが、なかでは工事が行われていました。

▪︎中段左。これも深草キャンパスです。といっても、「おっ…」と思ったのは、微かにまだ明るさを残した空です。写真を撮ろうと意識することで、その微妙な美しさが見えてきました。キャンパスを出て、京阪の深草駅に向かいました。下段の写真は、跨線橋の上から撮った深草駅です。ちょうど「出町柳」行きの普通電車が深草駅に入ってくるところでした。これも見慣れた風景ですが、こうやって写真に撮ると、普段は思いもしない感覚が味わえるのです。

20150113fukakusa3.jpg

『リスクの社会学』( Niklas Luhmann ・著、 小松 丈晃 ・訳)

2015112seta.jpg
▪︎今日は12日(月)、成人式で祝日です。しかし、大学は授業をやっている…と思って大学にいくと、今日は休みでした。法科大学院だけが授業で、他はすべて祝日で休みです。授業の15回確保という文科省からの指示があり、月曜日は祝日でも授業実施日になることがほとんどだったのです。しかし、今日は、違っていました…。

▪︎キャンパスに到着してから、愕然としました。ちょっとだけですけど(^^;;。休日、誰もいないキャンパスに来て研究室にこもることが、嫌いではないのです。卒論の添削やその他諸々で、年末の研究室の大掃除ができていなかったので、今日は、少し整理整頓を行いました。もう、これから残りの人生、かなりの確率で読む事はない書籍・報告書・雑誌の類を選び出しました。研究室のスペースは限られており、これ以上、書籍を書架に置くことができないのです。こういう単純な作業でも、残すのか捨てるのか考え始めるとけっこう時間がかかりました。ふと外をみると、すっかり暗くなっていました。

▪︎さあて帰宅しようと、建物の外に出たとき、私の研究室のある2号館のお隣り、理工学部がはいっている1号館の入り口あたりに照明がつけられていました。なんとなく、エエ感じやな〜ということで、iPhone6plusで撮ってみました。こういう暗い時間帯でも、iPhone6plusはけっこう思うように撮ってくれます。ありがたいですね〜。

20150112luhmann.jpg ▪︎まあ、そんな1日であったわけですが、1日の最後に、ニコラス・ルーマンの『リスクの社会学』の翻訳が出版されていることを知りました。翻訳者は、『リスク論のルーマン』の著者である小松丈晃さんです。私は、少しだけ小松さんと面識があります(東北社会学会)。ルーマンの『リスクの社会学』をベースに東北大学で学位を取得されたときに、小松さんの学位論文を送っていただき拝読していました。小松さんが、学位論文のなかで紹介されているルーマンのリスク論と、当時、私が執筆したばかりの論文、「地域環境問題をめぐる“状況の定義のズレ”と“社会的コンテクスト”-滋賀県における石けん運動をもとに」(『講座 環境社会学第2巻 加害・被害と解決過程』,有斐閣)とが、リスクに対する考え方で交錯するところがあり、そのことで小松さんと少しお話しをさせていただいたのです。その後、小松さんは、学位論文を『リスク論のルーマン』にまとめられました。この小松さんの著書は、大変評価の高いものになりました(日本の環境社会学者は引用しませんが、すぐれた研究書です)。私としては、はやく小松さんに『リスクの社会学』を翻訳していただきたいと思っていましたが、とうとうそれが実現しました。これまでは、英訳されたものを読んでいましたが、はやく小松さんにと、ずっと思っていたのです。

▪︎私の論文は、今でも時々引用されますが、引用の仕方がいつも「状況の定義のズレ」という概念に特化したものになっています。一度、ひとつのパターンで引用されると、そのパターンで繰り返されるわけです。今時の学会のよくないところかもしれません。きちんと個々の論文を読み込んでいないのです。本当にしっかり読んでいただきたいところは、もっと別のところにあります。リスクという概念で捉える問題が登場した時代状況や、リスクそのものに対する考え方でした。小松さんはさすがといいますか、そのあたりきちんと理解していただけたように思います。さっそく、小松さんの翻訳を読んでみようと思います。かつて取り組んでいた「石けん運動」の研究は、中途半端に中断していますので、刺激をいただき「再起動」したいと思います。

能勢の湯治場

20150111nose2.jpg
20150111nose1.jpg ▪︎世の中は三連休ですが、大学は、ちゃ〜んと授業があります。大学の関係者は働き者です…冗談です。それはともかく、土曜日に、自らを慰労しに奈良の近場の温泉を探していってまいりました。昨日は、老母の生活介護の日。妻も同行してくれました。そしていつもとは違って車ででかけることにしたのですが、車でいくのならばついでだからと、老母宅の近くにある温泉にはいりに行こうということになりました。ネットで探すと、ありました、ありました。それも、かなり鄙びた感じの温泉です。湯治場という雰囲気ですね。大阪府の能勢町にある「山空海温泉」です。能勢町は、大阪府の最北端に位置します。お隣は、京都の亀岡市です。田園風景が続きます。そのようなのどかな風景のなかの、川沿いの土地に「山空海温泉」はありました。建物の屋根に温泉マークです。

▪︎関西で、こういう雰囲気の温泉をみたことがありません。どこも観光化された温泉ばかり…。この鄙びた雰囲気は、岩手県に暮らしていたときに、訪れた温泉に似ています。観光客向けではなくて、集落が経営している温泉でした。ちなみに、ここは個人が経営されている温泉のようです。係りの方にお聞きしたところ、豊中にお住まいの方がオーナーさんで、その方が個人の資金で掘り当てたのだそうです。源泉かけ流しの温泉です。ただし、温度が少し低いため、加温しているようです。温泉らしい硫黄臭が少しします。エエ感じですね〜。ひさしぶりでした、こういう温泉は。入浴料は700円と、東北の鄙びた村の温泉と比較すると高めですが、こういう雰囲気も混みと考えれば(個人的な評価ですが)OKでしょうか。私個人は、大変満足いたしました。けっこうわかりにくいところにあるにもかかわらず、お客さんが次から次へとやってこられます。知る人ぞ知る…タイプの温泉のようです。

【追記】▪︎冒頭に、「世の中は三連休ですが、大学は、ちゃ〜んと授業があります」と書きましたが、月曜日は、大学も休みでした。今回については。次のエントリーにも書きましたが、そのことをわからずに、大学に出勤してしまいました。

「信貴山縁起」

20150109shigisan3.jpg
20150109shigisan0.jpg
20150109shigisan1.jpg
20150109shigisan2.jpg20150109shigisan5.jpg
20150109shigisan4.jpg▪年末から続いた卒論の指導・添削、そしてその指導・添削のために後回しにせざるすをえなかった原稿執筆の仕事が一段落しました。また、昨年の秋からの仕事の疲れもたまっていることもあり、日帰りではありますが、奈良県内のの温泉で自分を慰労することにしました。妻に「近場で良いところ…」を探してもらったところ、奈良県三郷町に信貴山観光ホテルという施設があり、そこは天然温泉(源泉の温度は30℃程度なので暖めていますが…)だということで、食事と温泉がセットになった日帰りコースを利用してみることにしました。ホテルは、混み合うこともなく、ゆったり温泉につかることができました。昼間からビールなどもいただき、すっかり気持ちよくなってしまいました。

▪︎信貴山観光ホテルで温泉につかり、食事をとって、ちょっと昼寝などもしたあと、近くにある朝護孫子寺にお参りしました。朝護孫子寺、ホテルの側からみると川を挟んだ向かい側にあります。初めて、お参りしました。奈良に転居してきたのが、30年近く前のことになりますし、大変有名なお寺ではありますが、このお寺にお参りするのは初めてでした(ちょっとお恥ずかしいことなのですが…)。しかも、この朝護孫子寺は、高校生の時、日本史で勉強した「信貴山縁起」とも深く関係があり、宝物館のような施設での絵巻物のレプリカを丹念に拝見することができました。絵巻物の物語、こういう内容だったのかと、大変満足いたしました。また、登場する人物の表情の豊かさにも驚きました。信貴山によせていただいたのは、インターネットで温泉を調べてヒットしたからで、たまたま偶然なのですが、とても勉強にもなりました。本堂からは、遠くに奈良盆地を眺めることができました。

▪︎「信貴山縁起」(信貴山縁起ともいいますが)、とても有名なのですが、『源氏物語絵巻』、『鳥獣人物戯画』、『伴大納言絵詞』と並ぶ四大絵巻物の1つということや国宝であるということを知りませんでした。今は、便利になったもので、その場でスマホを使って調べることができました。すでに書きましたように、昨日、観覧させていただいたのはレプリカですが、堪能させていただきました。トップと2枚目の写真は、wikimedia sommons からのものです。上が「山崎長者の巻(飛倉の巻)」、下が「延喜加持の巻」の、それぞれ物語のなかのワンシーンを描いたものです。どのような物語なのか、wikipediaの「信貴山縁起」のところに詳しく説明してあります。よろしければ、参考になさってください。

▪︎たまたま選んだ近場の温泉のそばにあった、有名なお寺…ということなのですが、勉強もできて私自身は大変満足いたしました。

シンポジウム「大津いじめ事件のあと」

20150109otsu.jpg
■facebookにも同じ写真を投稿したところ、龍谷大学社会学部を卒業した後、教員になるべく京都教育大学の大学院に進学した卒業生から、「第三者委員会のメンバーとして、尾木先生と一緒に取り組まれている先生が院におられます。すごく、貴重な講演会ですね(^^)」とのコメントをいただきました。尾木先生とは、教育評論家として活躍されている尾木ママこと尾木直樹さんのことです。たくさんの皆さんのご来場をお待ちしております。

■詳しくは、以下をご覧ください。

龍谷大学社会学部学会シンポジウム 大津いじめ事件のあと~止められない暴力と向き合う社会へ~
開催日時
2015年1月15日 16:00 〜 2015年1月15日 17:30
開催場所
8号館103教室MAP
お問い合わせ
龍谷大学社会学部学会
龍谷大学社会学部学会シンポジウム
大津いじめ事件のあと~止められない暴力と向き合う社会へ~

と き 2015年1月15日(木) 開場15時30分 開演16時00分
ところ 龍谷大学瀬田学舎8号館103教室
講 師 尾木 直樹(教育評論家、法政大学教職課程センター長・教授)
    加野 芳正(香川大学教育学部・教授)
    森澤 範子(大津市いじめ対策推進室・相談調査専門員)

2014年10月11日、大津いじめ事件から3年を迎えた。加害者に対するネット上の批判や社会の反応も大きく、いじめ事件として社会的に強い影響を与えた事件である。また近年は、SNSを使ったいじめもメディアで多く取り上げられている。事件後、いじめに対する取り組みや社会、地域にはどのような変化があったのだろうか。いじめという怪物に立ち向かうために今、私たちにできることは何か。本シンポジウムでは、事件から3年、いじめ防止対策推進法公布から1年を迎え、もう一度いじめについて考え、向き合う場としたい。

入場無料 一般来場歓迎

2014年度の卒論提出

20150109soturon1.jpg
20150109soturon2.jpg20150109soturon3.jpg
▪︎冬期休暇(冬休み)が終わり、授業は6日(火)から始まりました。とはいえ、学生のみなさんは、今月で授業は終了(龍谷大学は、たしか20日までだっでしょうか…)。4年生は、冬期休暇が終わるとすぐに卒論の提出ということになります。この卒論について、ちょっと愚痴をこぼします。

▪︎私のゼミでは、11月末までに草稿を書き上げて、12月は順番に添削指導をする…ということになっていたはずなのですが。ほとんどのゼミ生は、その約束を守れませんでした。本当はとっても嫌なのですが、仕方がないので自宅に草稿を送ってもらうことにしました。もう年末も押し迫ったころに、どっと卒論が送られてきました。私はといいますと、年末に開催された同窓会や忘年会、そして年が明けてからの新年会の合間に、ひたすら学生たちの卒論に赤ペンを入れる「難行苦行」に耐えなければなりませんでした。ゼミの4年生は、卒論を書き上げて清々しい気持ちで正月を迎えたことでしょうが…。

▪︎そして1月5月(月)には、添削した卒業論文を返却し、一人一人と面談をして口頭でも指導をしました。昼の13時から始めましたが、予想以上に時間がかかり、19時頃まで指導が続きました。非常に疲れました。この卒論の添削のために、自分自身の締め切りのある仕事が先延ばしになってしまいました。そちらの方は、なんとかギリギリにまにあわせることができましたが…。無理をして体はくたくたです。現在3年生のみなさん。来年は、こんな冬休みを私に過ごさせないでください。今年の4年生には、私の正月休みを返してもらいたいです。

▪︎とはいえ、全員卒論を提出できたので、ゼミの担当教員としては、ホッとしています。卒論の提出期間は、7日〜9日の3日間。ほとんどのゼミ生は中日の8日に集まって、お互いの卒論の仕上がりぐあいをみたあと(複数の眼でチェックする)、提出しました。1人は予定があわず、前日の7日に提出しました。そして最終日に残りの3人がなんとか提出できました。いや〜、ヒヤヒヤしました。本当に。

駅前(大津)

20150108otsu.jpg
▪︎JR大津駅は、滋賀県庁のもよりの駅になりますが、「本当にこれが県庁所在地の駅なんか?」とよくいわれます。つまり、住んでいる人からも、外からやってくる人からも、評判があまりよろしくありません。そのJR大津駅前の写真です。昼間と違った雰囲気が漂っていたので、写真に撮りました。ええと、私個人としては…写真的には…面白い雰囲気に取れたなと…思っていますけど、あかんやろか。

管理者用