来年度の仕事

■そろそろ来年度からの仕事の様子がはっきりしてきました。

■大学教員の仕事は、教育、研究、学内行政、地域貢献(連携)…およそ4つ分野に分かれると思います。龍谷大学に勤務して11年目になりますが、その間で、一番大変だったのは学内行政でした。学生生活主任、研究主任、社会学研究科専攻主任、研究科長…と学部や大学院の仕事が7年も続いてきました。研究科長については、再任で2期連続4年になります。その間、大学院社会学研究科の「東アジアプロジェクト」(国際化)や「カリキュラム改革」(高度専門職業人教育な向けて)等、大学院の改革を微力ながら進めてまいりました。学生生活主任や研究主任のときも、いろいろ難題がありました。心身とも疲れ果てたこともありました。連続して学内行政の仕事をやってくると、「精神の金属疲労」をおこしそうな状態になってきます。しかし、この学内行政の仕事も、しばらくお休みさせていただける雰囲気になってきました。安心しました。とはいえ、来年3月末までの残りの期間、まだ難題が残っていますし、これからも難題が発生するかもしれません。まだ、気を抜けません。

■教育に関しては、社会学部の看板であある地域連携型教育プログラムになっている「大津エンパワねっと」を最初からずっと担当してきました。「大津エンパワねっと」は社会学部4学科から1名ずつ教員をだしあい、共同運営しています。この教育プログラムは、文部科学省の現代GPの助成金を受けることで2007年度から始まりましたが(助成金申請作業は2006年度末から)、それ以来ずっと8年間、社会学科の教員としてこのプログラムに関わり続けてきました。他の学科は担当教員が変わっていますが、社会学科は私がやり続けてきました。この「大津エンパワねっと」についても、そろそろ別の教員に担当を替わっていただけるように、教務委員の方にお願いをしているところです。もちろん、学科にお願いしたいことは、時々お休みをいただける体制をつくっていただきたいということです。

■私のばあいは、教育と研究と地域貢献(連携)が、かなり重なりあっている部分があります。けしてシステマティックな仕組みがあるわけではありませんが、滋賀県庁の仕事、大津市役所の仕事も、それからゼミで行っている「北船路米づくり研究会」の活動や様々な実習の内容も、自分の研究テーマと重なりあっている部分があるからです。そのようななかで、来年度からは、自分自身の研究成果をまとめる仕事や、総合地球環境学研究所の研究プロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」等、研究に時間とエネルギーを集中することができそうです。ということで、来年度の講義の時間割も、できるだけ時間が分散しないように組みました。

■果たして思惑通りに進むのか、まだ不透明なところがありますが、気力が身体に満ちてくるように気持ちになります。

「おおつ未来まちづくり学生会議」発表会、無事に終了しました。

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■昨日の「おおつ未来まちづくり学生会議」の発表会、無事に終了しました。私はアドバイザーとして、側面からの支援という形で参加させていただきましたが、ホッとしています。この発表会のあと、学生会議は、12月21日(日)に開催される「環びわ湖大学地域コンソーシアム」の催しでの発表も残っています。最後まで力をぬかずに、頑張ってまいりたいと思います。写真は、発表会終了後の記念写真です。指で丸をつくっていますが、これは大津=Ohtsuの頭文字「O」かと思います。

おおつ未来まちづくり学生会議」の学生の皆様、大津市役所職員の皆様
龍谷大学社会学部の脇田です。

昨日は、無事に「おおつ未来まちづくり学生会議」を終えることができました。3チームの学生の皆さんご苦労様でした。準備段階で少し心配なチームもありましたが、最後は土壇場の瞬発力でなんとかまとめてくれたのでホッとしました。この学生会議は、7月から始まり、全体として集まるのは4回だけでしたが、各チームごとに何度もミーティングを重ね、発表会に備えてくれました。フィールドワークからの「発見」を、うまく自分たちの「論理」にまとめ、発表することができたのではないかと思います。よく頑張られたと思います。会場からの反応も、とても良かったと思います。ただ、良い評価をいただいたとしても、さらに「こういう工夫ができたのではないか」との思いもあろうか思います。自分なりに整理して、今後の糧にしていただければと思います。また、越直美市長や政策調整部の中野博之部長も、皆さんの発表された成果を、次期の大津市総合計画に活かしていきたいと述べておられました。楽しみにしておいてください。

市役所の職員の皆様。学生たちが非常にお世話になりました。もともと地域連携のなかで自分自身を鍛えてきた(あるいは鍛えつつある)学生たちですが、今回の「学生会議」の活動のなかでさらに成長することができたのではないかと思っています。市役所の職員の皆様には、丁寧にご指導いただくことともに、細かな気配りで学生たちを励ましていただきました。本当にありがとうございました。まだ、「コンソーシアム」での発表がまだ残っていますが、取り急ぎ、無事発表会を終えることができたことについて、御礼申し上げます。

昨日は、今回の学生会議でお世話になった市民の皆さん、そして大津エンパワねっとで学生たちがお世話になっている市民団体の方が学生たちの発表を聞きにお越しになっていました。facebookのメッセージで「エンパワと関わった彼らがどんどん進歩していると感じました」「学生さんしっかり対応されていました」といった感想を伝えてくださいました。今後も、大津市役所との連携のかなで、市民の皆さんとも協力しながら、今回のように学生が成長できるチャンスが企画されることを期待しています。今後とも、どうかよろしくお願いいたします。

■以下は、昨日の「おおつ未来まちづくり学生会議」に関する報道です。NHKの大津支局の夕方のニュースに、本日の京都新聞と朝日新聞の地方版の記事になりました。ありがとうございました。

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学生が大津の未来を語る(NHK 滋賀県のニュース 大津放送局)

大津市のまちの活性化に向けた課題について、市内の大学生が検討し、政策として提案する発表会が、大津市役所で行われました。
ことし初めて開かれた発表会には大津市内の大学に通う12人の学生が参加しことし7月から商店街や公共施設を見学したり、観光担当の職員や各地の市民との意見交換を通してまちの活性化に向けた課題を検討してきました。
発表会ではまず越市長が「学生の皆さんの貴重な意見を今後のまちづくりの計画に反映させていきたい」とあいさつしました。
このあと学生の発表が行われ、このうち「自然豊かな大津市」をテーマにしたグループは市民が地域の自然に誇りを持てる仕組み作りが必要だとして、観光客から寄せられた評価を市の広報誌に掲載してはどうかと提案しました。
また「若者の集うまち」をテーマにしたグループは、若い世代に大津市の魅力を知ってもらうためにも料金の安い宿泊施設を整備する必要があると意見を述べました。
会場には、市の職員のほか、まちづくりに関わる住民など60人ほどが集まり、学生たちの発表に熱心に耳を傾けていました。
参加した大津市出身の男子学生は「この取り組みに参加して大津の良さにたくさん気がつかされた。
自分自身も県外の人に大津市をPRしていきたい」と話していました

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「おおつ未来まちづくり学生会議」発表会

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■いよいよ、学生たちが発表します!! 「おおつ未来まちづくり学生会議」の発表会です。場所は、大津市市役所の別館大会議室です。龍谷大学の地域連携活動に頑張って取り組んできた学生たちが、この会議に参加しています。私はアドバイザーという形で関わってきました。学生たちは、大津市の次の総合計画の策定に資する提言ができるように、市役所職員の方達とともにグループワークに取り組んできました。今日は、市民や市の職員の皆さんの前で発表します。学生のみんなは、緊張しているでしょうね〜(^^;;。頑張って。こういう機会は、めったにないでしょうから、完全燃焼してください!!

■以下は関連エントリーです。
第3回「おおつ未来まちづくり学生会議」
第2回「おおつ未来まちづくり学生会議」の開催
おおつ未来まちづくり学生会議

■「おおつ未来まちづくり学生会議」は、7月から4回開催されました。もろちん、学生会議の合間に何度も、グループごとにミーティングをもち、議論を積み重ねてきました。来月は、「環びわ湖大学地域コンソーシアム」の「大学地域交流フェスタ」でも報告を行います。
第1回7月10日(木)「おおつを『知る』」(講義、グループワーク)
第2回9月12日(金)「五感を使ったまち歩き」(まち歩き)
第3回10月17日(金)おおつの”いいね”を考える」(グループワーク)
第4回11月18日(火)「理想のおおつをつくろう!」(グループワーク、発表)
12月20日(日)「大学地域交流フェスタにて活動報告」

2014「関西学生アメリカンフットボール」


■今年の「関西アメリカンフットボール」、我が龍谷大学「シーホース」は、かなり健闘しました。第1節の京大戦ですが、「14-9」で勝利しました。これが一番大きな印象に残っています。Division1の上位チーム、関学、立命、関大の壁はかなり高いわけですが、まずはDivision1の中位には常に留まり「油断ならんぞ」と上位チームを警戒させる存在になってほしいと思います。第6節の神戸大戦には、逆転できずに惜敗。残念でした。残りの近大戦には、必ず勝利して欲しいと思います。


■「関西アメリカンフットボール」ですが、優勝は、6戦全勝の関学と立命館に絞られました。当然ですが、我が母校・関学の優勝を信じています。今年も「甲子園ボウル」に連れて行ってほしいと思います。とはいえ、当日は、環境社会学会(於:龍谷大学)の書評セッションという分科会でコメンテーターをしますので、実際には行けませんので(残念…仕事優先ですから)、気持的に…!! 関東学生アメリカンフットボールでは、優勝は日大か法政…ということになりそうですね。

「つながり再生モデル構築事業」第4回協議会

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■昨日は、たいへん忙しい一日でした。朝から、兵庫県にある老母の生活介護にでかけました。まあ、たいしたことはしていませんが、母親が求めるものの買い物や、生協への食料品の宅配注文など、いつもの仕事をすませて瀬田キャンパスに向かいました。昼食をとる時間もなく、大阪から乗った新快速電車のなかでオニギリをたべ、4限の3年生ゼミへ。ゼミのあとは、来年に備えて大学院社会学研究科のいろんな仕事をすませ、晩は、草津市に出かけました。

■草津市の湖岸に近い農村にいきました。「つながり再生モデル構築事業」の第4回協議会が、草津市志那町にある「志那会館」で開催されたからです。平湖・柳平湖の暮らしと内湖の「つながり再生」に向けて、地元の志那町の皆さん、滋賀県庁琵琶湖環境部琵琶湖政策課の皆さんと話し合いを進めました。昨晩は、草津市役所からも職員の方が3名参加されました。

■この日は、「つながり再生」に向けて、地域の方達一人一人から素晴らしい意見が出され、少しずつ盛り上がってきました。先日、交流会ということで、この事業のもうひとつのモデル事業である「NPO法人家棟川流域観光船」を訪問し、皆さん良い刺激を受け止められたようです(3つめのモデル事業は、高島市の松ノ木内湖です)。個人的な意見ですが、将来は、内湖や内湖の魚たちと結びついたコミユニティビジネスが始まればと思います。今、頭のなかでは、いろんなアイデアが醸し出されています。ちょっと、ウフフ…といった感じなのです。今晩の協議会のことを早速facebookにアップしたとろこ、いつも「いいね!」をくださる草津市の市議会議員の方がコメントをくださいました。この事業に強い関心をもってくださったようです。「近いうちに、南草津で懇親会をしましょう!!」ということになりました。いろいろ「ご縁」が広がっていきます。

ズービン・メータ

2014111mehta.jpg ■昨晩は、リビングからマーラーの5番が聞こえてきました。NHK「クラシック音楽館」を妻が視ていました。昨晩は、ズービン・メータ指揮のイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団。プログラムは、シューベルトの「交響曲 第6番 ハ長調 D.589」とマーラーの「交響曲 第5番 嬰ハ短調」でした。私がきがついたときは、すでにマーラーの5番が始まっていました。

■メータは1968年からイスラエルフィルの音楽監督を務めているそうです。非常に長い関係ですね。強い絆で結ばれているといわれています。シンフォニー全体の仕上がり具合に関しては、なんともいえませんが、豊かな弦楽器の響きにちょっと驚きました。素晴らしさは噂通りだなと思いました。また、アンコールは、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲。これは私自身、思い出深い曲なので、グッときました〜。

■ところで、メータとイスラエルフィルによるマラーの5番を聞きながら、「あれっ…そういえば、メータのLPレコードをもっていたな」と思い出したのでした。すでに、LPレコードを聞くことのできるプレーヤーは、我が家にはありません。なんですが、LP自体はいまだにきちんと保管してありました。誇りかぶっていましたけど…。ジャケットは、若い頃のメータ。といいますか、このLPレコード自体を購入したのが、ずいぶん昔のことですので、当然、メータの髪の毛も黒々としています。中をあけると作曲家・音楽評論家の柴田南雄が解説を書いています。その日付は、1976年になっています。購入したのは1976年ではなく、もう少し後だと思います。価格は、4,000円。当時、超・貧乏だった私によく買えたな…と思うような価格です。


「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲(マスカーニ作曲)
■余韻に浸る間もなく、「ブラボー」!! とても日本的現象かもしれませんね。メータも、目を丸くしてびっくりしています。個人的には、この「プラボー」と叫んだ人も恥ずかしいだろうに…と思うわけですが、意外に本人は得意げだったりして…。この曲は、学生時代に何度も弾きました。しかし、私たち学生では、こんなに長くフレーズ感じとることや、同時に繊細かつダイナミックに演奏する事はできませんでした。今から思うと恥ずかしいです…。譜面づらは弾けるのですが、こんな風にはまった演奏できませんでした。まあ、あたりまえか(^^;;。

脇田ゼミ1期生

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■facebookのメッセージで、脇田ゼミ1期生(2006年春卒業)から連絡がはいりました。Oくんでした。龍大硬式テニス部が開催するテニス教室にアシスタントとして参加し、ひさしぶりに瀬田キャンパスにやってきた、そして新設のテニスコートにきて驚いた…とのことでした。彼は、現役時代、硬式テニス部で活躍していました。ということで、入試の仕事の合間(昼食の休憩時に)、Oくんに合いにテニスコートにいってきました。

■Oくんは、民間会社に入社したあと、救急隊員になり、現在はその救急業務の管理の仕事にあたっているとのことです。どんどん社会で活躍しているご様子、ゼミのせんせーとしてはとても嬉しいわけです。Oくんは1期生ですから、30歳超えておられます。すでに結婚もされ、お子さんもいらっしゃいます。ひさしぶりにあった彼は痩せていました。救急隊員のときは、もっと筋肉がついていたけれど、デスクワークになって細くなったのだそうです。

■トップの写真は、その1期生の卒業式のあと撮った写真です。2006年ですから8年前になります。みんなどんな感じになっているんでしょうね〜。今日のOくんは、学生のときよりもグッと精悍になっていました。私はといいますと、すっかり歳を取ってしまいました。現在では、髪は白髪がまじり、髭も真っ白です。顔も丸いな〜。

■以下は、このエントリーと同じ写真をアップしてfacebookに投稿したときの文章です。

2006年3月。私が龍谷大学社会学部に赴任して、最初に受け持ったゼミ生たちが、卒業しました。写真は、そのときのものです。脇田ゼミ1期生。なんでもそうですが、「最初」ってのは大切ですし、大変だと思います。よく私の指導についてきてくれました。

当時、私は公立大学から異動したばかりでした。異動するにあたって、「私立大学は人数が多くて大変だから、公立大学の時と同じように指導しているとあかんよ、わかっているよね…」、という年配の大学教員からのアドバイスもありましたが、そういうアドバイスは粉砕!! そういう「あんた達」の考えが日本の大学をダメにしてきたんとちゃうの…と、思いました。「公立大学と同じ教育の質を私立大学にも!!」と自分自身に気合いを入れて指導しました。

なかには、「せんせー、僕ら龍大生やし、無茶いうたらあかんわ」というやつもいましたが、むちゃくちや叱りとばしました。悲しいというか、腹が立つというか…(その学生は、名の知れた大企業に就職しましたが…)。しかし、そのとき、その学生が冗談でいった一言が、私をさらに奮い立たせたのでした。「なにをいうてんねん!!」。

すぐに「せんせー、無理…」という学生もいました。叱って、煽てて、とにかく1人でフィールドワークにいかせました。私のゼミは、それぞれが、1人でフィールドワークをして卒論を執筆することになっているのです。

もちろん、多くの学生は「たいへんやな〜」と思いつつも、とにかく頑張ることができる学生でした。いろいろです。ですが、とにくか最後は必死になって、取り組んでくれました。まあ、若干は…(^^;;。

龍大につとめて11年目になります。最初にそういう経験をさせてくれた1期生に、感謝です。その1期生と、年末に同窓会です。
楽しみにしています。

多重介護

20141116tajyukaigo.png ■視ることはできませんでしたが、11月10日のNHK「クローズアップ現代」は、「“多重介護”担い手たちの悲鳴」でした。非常に視たかったのですが、時間がありませんでした。以下のような内容です。

「実の親と義理の親」、「親と配偶者」など、1人で複数の家族を介護する“多重介護”。要介護者の増加と介護期間の長期化、そして少子化による介護者の減少を背景に急速に広がっている。しかし、要介護度が「2」以下だと施設への入所は難しい。また、「3」以上でも、特養ホームの費用が払えず、在宅で介護せざるをえない人も多い。医療や福祉も“多重介護”の負担を考慮して支える仕組みは少なく、事態は深刻化している。「日本ケアラー連盟」が4年前、全国2千人のケアラーを対象に初めて行った調査によると、実に25%が複数のケアを担っていた。「医療・介護は在宅で」という流れが進む中、どうすれば介護者の負担を減らすことができるのか。最新の調査から実態を浮き彫りにし、課題を検証する。

■NHKの「クローズアップ現代」では、放送した番組の内容を文字で読めるようにしたサービス「放送まるごとチェック」を行っています。「“多重介護”担い手たちの悲鳴」も、以下でご覧いただくことができます

■こうやっていつも番組を見逃しています。研究室には、17年程前に購入したテレビデオが1台ありますが、現状ではビデオテープを再生できるだけの機械になってしまっています。地上デジタル放送に対応していないからです。困りました…っていうか、買えばよいのですね。しかし、ずっとこれまで先送りにしてきました。やっと…です。「Panasonic DIGA ブルーレイディスクレコーダー 3TB HDD搭載ハイビジョン 4Kアップコンバート出力対応 DMR-BXT870」と「Panasonic プライベート・ビエラ ポータブル地上・BS・110度CSデジタルテレビ19v型 SV-PT19S1-K」が研究室に搬入されました。次は、これをどうセッティングするのか…ということですね。じっくり取り組む時間があるのかな…心配。

田中則夫先生

■水曜日は、午後から教授会、そして研究科委員会でした。研究科委員会を終えたあと、研究科長している関係で、教務課長と少し相談事をしていたのですが、そこに1人の先生が眼に涙を浮かべてやってこられました。「副学長の田中則夫先生が亡くなられました」と伝えてくださいました。田中先生は、今年の6月に末期の食道癌であることがわかり、それ以後、療養されていましたが、12日(水)の午後2時45分に、ご自宅でお亡くなりになったのでした。

■昨日は、田中則夫先生の告別式でした。田中先生とは、長く、深くおつきあいをさせていただいたわけではありません。4年前に研究科長に就任してからのお付き合いであり、それも全学の会議でお会いするときのお付き合いですから、あくまで仕事での関係ということになります。ただし、会議の場でいつも田中則夫先生のお人柄にふれてきたような気がします。とても誠実な方でした。普段のご様子は知的な紳士という印象でした。しかし、時に、理不尽な意見に対しては、はっきりとした口調で反論されました。副学長として大学の改革に懸命に取り組まれました。

■昨日の告別式では、たくさんの方が弔辞を捧げられました。一番最初は、赤松徹眞学長でした。弔辞を捧げられる赤松学長の背中しか拝見できませんでしたが、学長の声の調子からは、大変深く悲しまれていることが伝わってきました。告別式の最後に、喪主である奥様がご挨拶をされました。「研究・教育にも、学内行政にも、平和運動にも、いつも全力投入していました。そういう夫を大変誇りに思っています」。感動しました。先生のご専門は、国際法、海洋法でした。大変、学生思いの方でした。護憲運動や平和運動にも熱心に取り組んでこられました。田中先生は、ご自宅のリビングでご家族に見守られて安らかにお亡くなりになったとのことです。私は、奥様に抱きかかえられ、お子様たちにも手を握られ声をかけられながら亡くなった田中先生のことを想像しました。

■告別式では、心の窓を全開にして、告別式の「場」にあふれる多くの方達の哀しみと自分とを同期させました。とても悲しかった。涙があふれました。もともと涙もろいほうではありますが、このこときは一層悲しくなり、涙があふれました。告別式が終わり、最後のお別れをしました。棺のなかの田中先生は、会議でお会いしていたときとは異なり、一回り小さく見えました。「さようなら」。浄土に旅立たれた田中先生に最後のご挨拶をしました。田中先生のお好きだった「則天去私」という言葉の意味をかみしめながら、先生の棺を乗せた霊柩車をお見送りさせていただきました。

■告別式のあとは、1人で大津の街中をゆっくり歩きながら帰りました。長等の洋食「アケミ」に入りました。田中先生のこと、これからの大学のことをぼんやり考えながら熱燗2合を呑み、ロースとんかつ定食をいただきました。食事のあとは、街中をぷらぷら歩きながら知り合いの方と立ち話をしたり挨拶をしたり。そして、平井商店さんで「浅茅生」の「ひやおろし」を購入しました。奈良の自宅に帰宅したあと、亡くなった田中先生のこと、告別式の様子などを妻に説明しながら、熟成した「ひやおろし」を味わいました。

復活したメガネ

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■メガネ関連のアップが多くて申し訳ありません。本人にとっては、切実な問題でして…。こういうタイプの丸メガネって、なかなかないものですから。大変シンプルなチタンフレームです。大切に使います。

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