「おおつ未来まちづくり学生会議」と、家棟川流域の再生

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■7月5日(木)、午前中、10時半から大津市の中心市街地にある町家キャンパス「龍龍」で、学生の指導を行いました。その学生には大変申し訳なかったのですが、ここでしか時間が取れませんでした。そして、11時からは市役所の政策調整部・企画調整課と「おおつ未来まちづくり学生会議」の打ち合わせを行いました。

■大津市では、行政施策の基本となる「総合計画」を定めています。「総合計画」とは、地方自治体が策定する行政運営の基本となる総合的な計画のことです。大津市に限らず、すべての自治体は総合計画を策定することを法律により義務づけられています。大津市の現行の計画は平成28年度までとなっており、現在、29年度にスタートする新計画の策定に向けて研究等を市役所で行っておられます。そのさい、新しい計画づくりでは、いかに若い世代の意見を受け止めるのかが、ひとつの大切な課題となっています。そこで、大津市の政策調整部企画調整課では、龍谷大学瀬田キャンパスの学生の皆さんに学生委員に就任していただき、「おおつ未来まぢつくり学生会議」を開催することにしました。

■7月から11月にかけてグループワークを市職員の方たちと行い、最終成果をまとめていきます。成果は、市役所職員の皆さんの前で報告されることになります。また、今回のこの「おおつ未来まちづくり学生委員」による取り組みについては、環びわ湖大学・地域コンソーシアムの大学地域連携課題解決支援事業にもエントリーしています。最終成果は、コンソーシアムの「環びわ湖大学・地域交流フェスタ」で「学生委員」の皆さんよって報告されることにもなっています。おもしろい展開になることを期待。龍大の瀬田キャンバスの学生たちが、次期総合計画策定のために、学生の立場から貢献してほしい。また、学生だけでなく、事務職員の皆さんにも、社会学部を超えて、瀬田キャンパス単位で応援していただけている。ありがたいことです。

■午後からは、滋賀県庁琵琶湖環境部・琵琶湖政策課の「つながり再生モデル検討会」の仕事で、野洲市に移動しました。家棟川流域の環境再生に長年にわたって取り組んでこられた地元の皆さん、野洲市役所の皆さん、県の土木や環境部政策の担当者の皆さんと協議を行いました。ここでは具体的には書けないのですが、かなり突っ込んだ厳しい議論をすることになりました。しかし、これはとても素晴らしいことです。様々な関係者と厳しい議論をしつつも、しかし、全員で前進していけるような感触を得ることができたからです。迫力がありました…。こういう「環境再生型地域づくり」のコミュニケーションの過程から素晴らしい発想が生まれてくるように思うのです。

■この日の翌日、8日(金)からは、フィリピンに出張しました。総合地球環境学研究所の研究プロジェクトの出張です。それについては、別のエントリーでレポートします。

【追記】■トップの2枚の写真は、野洲市を訪問したときのものです。

お休みしていました

■先週の金曜日から昨日まで、フィリピンに出張しており、更新できませんでした。写真だけアップしたエントリーも含めて、更新いたしますので、しばらくお待ちください。

内湖の原風景

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■7月1日(火)、午前中の授業をすませた後、大津駅に向かいました。大津駅からは、県庁の公用車で、琵琶湖環境部琵琶湖政策課の職員の皆さんと一緒に、湖西の松ノ木内湖という内湖のある農村にむかいました。県の「つながり再生モデル検討会」の仕事です。今回は、滋賀県立琵琶湖環境科学研究センターのSさんにも同行してくださいました。トップの写真は、松の木内湖から大津に戻る途中、比良山系を撮ったものです。いよいよ、iPh0ne5で撮った写真ですが、これから夏本番がやってくるぞ…という雰囲気が濃厚です。その下は、iPhone5のパノラマ機能を使って撮った松の木内湖です。一見、美しい内湖のように見えますが、地元の方たちからするといろいろ困った問題が生じています。

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■かつての松ノ木内湖は、現在よりももっと広い面積をもっていました。周りの河川から内湖に流入する泥や、内湖に生える水草は、この地域の人びとがどんどん陸にあげられていました。周囲の田んぼの肥料にするためです。また、田舟を使って漁業も盛んに行われていました。エリ、投網、ツツ、モンドリ、タツベ、柴漬け…よく知られる伝統的な漁法で様々な魚種を対象に漁労活動が行われていました。半農半漁の暮らしがここにはあったのです。子どもたちにとっても、内湖は遊びの場でした。上級生が下級生や小さい子どもを田舟に乗せて櫓を漕ぎ内湖に出ました。そして、水泳や水遊びをしました。内湖は、人びとの暮らしにとって大切な場所だったのです。暮らしに必要な様々な「価値」を生み出す、大切な場所だったのです。

■ところが、高度経済成長期に入ると、そのような人びとの暮らしと内湖の関係は一変します。まず、化学肥料が登場することにより、内湖の泥や水草を肥料として使うことはなくなりました。一部を除いて、漁労活動も行われなくなりました。人びとの暮らしと内湖との関係は、「切れて」しまったのです。現在、内湖には泥(ヘドロ)が溜まり、面積がどんどん小さくなってきています。そして、泥(ヘドロ)が溜まったところには葦原ができています。また、葦原の背後には大きな樹さえ生えています。私たち、何も知らない外部の人間の眼からすれば、美しい内湖の風景のように思えるのですが、地元の方たちからすればそうではありません。地元の人たちの内湖の「原風景」は、そのようなものではなく、泥や水草を取り、漁業を行い、子どもが遊び…人びとの暮らしとつながることのなかで生み出された風景だったからです。

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■高度経済成長期以降の、圃場整備事業や河川改修、そして国の大規模開開発である琵琶湖総合開発により、この内湖を含む地域の水の流れは大きく変化することになりました。かつてと比較して、内湖に流れ込む水量が減っているというのです。河川事業からすれば、内湖は遊水池ということになります。内湖の役目は、大雨で川からあふれそうな水を受け止めることにあります。しかし、地元の人たちは、そのような状況を困ったことだと考えています。水量がないから泥がたまる。そのため、内湖の出口のあたりでも、水草が茂った場所ができてしまい、ますます水の流れが悪くなっている。そのように考えておられます。

■もちろん、地元の方たちも、そっくりそのまま元の昔の内湖に戻すことは無理だと考えています。現在の暮らしや生業のあり方からすれば、それは難しいと地元の方たちも考えておられます。しかし、同時に、せめて現在残っている内湖だけでもきちんと守っていきたいとも考えておられます。ただし、そのばあいの守るとは、都市公園のように整備していくことではありません。高度経済成長期以前とは異なる形ではあるけれど、人びとの暮らしと内湖のつながりを少しずつ復活できないかと考えておられるのです。関わることで、守っていきたいのです。これは、一般的に言えることですが、人びとの身近にある環境は、いくら身近にあっても、人びとが関心を失ってしまう途端に劣化していく可能性が高まります。高度経済成長期の前後を通して地元の人びとは経験済みなのです。そのようなこともあり、ゴミをとったり葦を刈ったりすること以外にも、内湖の際に電信柱を建ててワイヤーを張り、5月にはそこに鯉のぼりを泳がすようなイベントを開催されています。地元はもちろんですが、大阪などからも、この鯉のぼりを楽しみにやってこられる方たちがおられるそうです。

松の木内湖の鯉のぼり

■内湖周辺の視察のあと、地元の集会所に集まり、暮らしと内湖のつながりを少しずつ復活するための活動(「地域再生型の地域づくり」活動)を、今後、どのように展開していくのか、私たちも参加して、地図を広げてみんなで話し合いました。たとえば、地域の子どもたちにどのように参加してもらうのか、またその保護者になる親の世代にも子どもを通してどのように参加してもらうのか。みんなでアイデアを出し合いました。抽象的な「つながり」ではなく、実際に魚を取ったり、それを食べてみる。具体的な「つながり」が大切だと考えておられます。内湖という自然との「つながり」が新たな形で復活するとき、おそらくは副産物として、地域の人と人の「つながり」もより強いものになっていくのではないかと思います。今後、こちらの地域の活動が「つながり再生モデル」に相応しいものになっていくように、いろいろお手伝いをさせていただければと思っています。

■充実した時間を地元の方たちと共有したあと、県庁の職員の皆さんや琵琶湖環境科学センターのSさんとともに、車で大津に戻りました。白鬚神社の鳥居の前を通りました。神社の鳥居が夕日に染まっていました。

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