2019年度のゼミ選択について

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◾︎本日12日(水)は、来年度のゼミ選択の書類を提出する期間の最終日でした。この書類には、第一希望と第二希望のゼミの志望理由を書く欄があります。第三希望以下は確か第七希望まで、教員の名前を記入することになっています。教員の側は、この書類をもとに選考を行います。志望者が多いと、志望理由の内容によっては選考から外れることになります。第二希望のゼミも志望者が多いと、さらに同様の理由から選考から外れる可能性があります。希望通りのゼミにうまく行くことができれば良いですが、そういうわけにもいかないかもしれません。しかし、現在のところ、「一発勝負」でゼミが決まることになっています。1人の教員としては、いろいろ考えるところがあるのですが、選考の方法を変えることはそれほど簡単なことではありません。

◾︎ゼミの選考にあたって、学生の皆さんは教員に直接会いに行って話しを聞くようにと言われています。実際のところ、そのように直接教員から直接話しを聞く人たちがどれほどいるのか、私にはよくわかりません。実際に教員に会うこともなく、友人や先輩の「噂話し」からの情報や、友人が行くゼミに自分もついて行こう…そういう人もいるのではないかと思います。私個人としては、もう少し真剣に取り組んで欲しいと思います。今年も、私のところに学生の皆さんが会いに来てくれました。「将来、このような資格を持ってこういう仕事をしていきたい」と、人生のビジョンをきちんと持っている人がいました。しかし、そのような人ばかりではありません。というよりも、そういう人は稀だといって良いと思います。多くの人たちは、「自分のやりたいことがわからない」人たちです。それでも、ゼミを選択しないといけません。そういう方たちは、自分の限られた社会に関する経験からなんとなく関心を持ったテーマやキーワードをあげて、これだと自分にも研究ができるのではないかと尋ねてきます。社会学という学問の視野や射程はかなり広いこともあり、様々な社会現象を扱うことができます。課題をきちんと社会学的に焦点化して適切にアプローチすれば、研究できないわけではありません。しかし、自分の殻に閉じこもり悶々と考えていても、うまく研究につなげていくことはできません。

◾︎「自分のやりたいことがわからない」若者。現在の日本の社会では、ごく普通のことだと思います。ではどうしたらよいのか。私は、自分とは異なる人たち、「異質な他者」と出会うことが必要だと思います。同年齢の友達でも良いのですが、何か目標を持って必死に取り組んでいる、あるいはカッコいいなと思える生き方をしている、そういう少し年上の人たちとの出会いが良いかなと思います。そういう人たちに影響を受けて欲しいと思います。そういう「異質な他者」とのコミュニケーションから、自分という人間は何なのか、自分は何をしたいのか、何がやりたいのか、その辺りのことが少しずつ見えてきます。見えてくるはずです。もちろん、楽をして実を手に入れたい、コスト・ベネフィットが気になる…そういう気持ちはわかります。不透明な将来に対して、できるだけリスクを減らして生きていきたという気持ちもわからないわけではありません。しかし、それだと自分の殻を破ることは、なかなかできないんじゃないのかと思います。本当は、大学に入る前から、あるいは大学の初年時の段階から、「異質な他者」とのコミュニケーションを経験をしておく必要があるのですが、自宅・大学・アルバイトの「三角形」をぐるぐる回りながら、なんとなく学生生活を過ごしているだけだと、そういう経験をすることは難しいかもしれません。

◾︎さて、トップの写真ですが、そのようなこととは何の関係もありません。我が家の庭に咲いたホトトギスです。勝手に生えてきたのか、庭の大改修をお願いした庭師さんが植えてくださったのか、その辺りのことはわかりません。このホトトギスは、いわゆる山野草ということになります。ホトトギスは、普通、秋までに咲き終わるはずだと思うのですが、どういうわけかまだ蕾もある状態です。我が家の庭には、他にも、ツワブキ、シュウメイギク、ホタルブクロ、ミソハギ…等々、いろいろ山野草が植えてあります。栽培品種とは異なり地味だけど、何か気品のようなものが漂ってくるようにも思います。庭の世話をするようになって、こういった山野草の魅力がなんとなく理解できるようになりました。これから冬の間は、花といえば、ビオラやシクラメン等の栽培品種に加えて、スイセンも良い雰囲気で咲いてくれます。こちらも山野草です。

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