老いのレッスン

20151008tokinohiroba.jpg
▪︎プライベートなことで恐縮ですが、老母が先月、そして今月と続けて2回も入院をしました。現在も入院中です。深刻な病気ではないのですが、これからこういった入退院が繰り返されるのではないかと心配しています。父は2009年に肺癌で亡くなりましたが、そのとき、約1年間の父の看病をして、最期を看取りました。医師からも、もう助かる見込みはないと聞かされていました。そのことを前提に覚悟ができていました。父が亡くなったあと、母の世話をずっと続けています。介護保険でヘルパーさんに毎日来ていただくとともに、週に1回ですが、母の世話をしにでかけています。少しずつ老いて弱っていく母の世話は、父のときとはまた別の大変さがあります。現在は、介護保険のサービスがあるからなんとかやっていくことができますが、もし、昔のようにそのような仕組みがなかったらとても仕事との両立ができません。現在の福祉の制度を本当にありがたいと思います。

▪︎母の自宅にある自治体では、一人暮らしの高齢者に緊急通報装置を貸し出しています。ボタンを押すと、ケアサポート会社に連絡がいくことになっています。今回、母は体が動かなくなってこのスイッチを押しました。すぐに、東京にあるセンターが折り返し電話をして連絡を取ろうとしましたが、体が動かないので電話を取ることができません。センターからは両隣りの御宅に連絡が入り、様子をみにいってくださいました。家の中からは声がするので、母がお世話になっているケアマネージャーさんに連絡を入れてくださいました。ケアマネージャーさんには、鍵をお渡ししているので、緊急に駆けつけてくださり、家のなかに入って対応をしてくださいました。緊急通報があって返事がないと、自動的に救急車の要請が行われる規則になっているのですが、ケアマネージャーさんに介助していただき、その救急車に乗って緊急に入院することができました。何重にも、母を見守る仕組みがあるわけですね。私の方にも、ケアサポート会社からすぐに連絡がありました。私に連絡が届いたのは、奈良の自宅から大津の瀬田キャンパスに向かっている途中でした。そのあと、ケアマネージャーさんと何度も連絡をとりながら、母が運ばれた病院まで駆けつけることができました。本当に、ありがたいと思いました。

▪︎少しずつ老いが進み身体が弱っているわけですが、母は自宅で暮らすことを一番に希望しています。施設に入るという選択もあるのですが、それについては頑として受け付けません。最後まで自宅で暮らしたいのです。妻ともいろいろ話しをしましたが、その気持ちを尊重することにしています。住み慣れた自宅で人生の最期まで暮らせることが大切だと思うからです。父のときとはまた別の形ですが、何かあったときの覚悟はできています。ただし、息子としての希望は、自宅で転倒しないように、筋力をできるかぎり維持して欲しく、デイケアサービスやリハビリに通ってほしいのですが…。なかなか厳しいものがあります。

▪︎写真は、本文の内容と関係がありません。母が入院している病院に行くときに、JR大阪駅で撮ったものです。「時空の広場」(ときのひろば)です。母の世話をしなくてもよかったら、もっといろいろ自分のやりたいことができるのに…と、心の中のどろこかで思わないわけではありませんが、親の介護は、あまり深刻に考えず、あるいは何も考えずに淡々とやっていくことが大切だと思っています。父を看取り、母の世話をしながら、老いのレッスンを受けているのだなと思うようにしています。目の前に起こっていることは、いずれ自分にもやってくることなのですから。刻々と時間は自分自信の本当の老いに向かって進んでいるのです。一歩ずつ、老いの階段を登っているのです。

管理者用