1988年の春

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▪︎我が家には子どもが2人いますが、2人とも成人して社会人になり、独立して暮らしています。そのため、連絡は「LINE」により取り合っています。昨日は、夕方、娘から連絡がありました。「職場内の新聞に『私の地元 ひと昔前のこの街』というタイトルでエッセーを書くことになったので、タイトルに適した写真はないだろうか」という連絡でした。その連絡が入ったとき、私は外にいたので対応できませんでしたが、じきに「LINE」の着信音が鳴り始めました。妻が娘が小さいときのアルバムを広げて、一枚一枚、スマートフォンで写真を撮って「LINE」で送り始めたからです。

▪︎この写真は、そのうちの1枚です。私は奈良に住んでいますが、この写真は近鉄菖蒲池駅近くにあった「あやめ池遊園地」で撮ったものです。すでに、この遊園地はなくなり、住宅街に変わっています。1988年4月です。娘は1歳3ヶ月ぐらいだと思います。まだ、息子は生まれていません。私は、29歳か30歳になったばかりだと思います。当時は、大学院の博士課程後期課程を単位取得満期退学して研究員か何かをしていたときのものです。いわゆるオーバードクターですね。

▪︎時代は、バブル経済真っ只中。世の中はお金で浮かれていました。証券会社に入社していた大学時代のサークルの後輩などは、ものすごい金額のボーナスを得ていました。そのような世の中と我が家の家計は対称的な状況でした。我が家は、小学校の教員をしていた妻が大黒柱。私は大学の非常勤講師や学習塾等のアルバイトをしていました。学会誌に論文が掲載されて、駆け出しの研究者としてスタートした頃でした。しかし、なかなか研究職につくことができず、焦りにも似た気持ちがありました。

▪︎アルバムの写真をみると、いろんなことを思い出します。たしかに、経済的には大変な状況ではありましたが、幸せだったと思います。そして現在、こういう幸せな思い出とともに生きていられるということも、幸せなことなのかなと思います。人生の折々にある、こういう幸せな思い出を大切にしながら、人生の最後、自分の家で、家族に見守られながら、「なかなか素敵な人生だったな〜」と、幸せな気持ちに満たされて眠るように死ぬことができたらなあ…、ふとそう思ったのでした。

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