亥の子(いのこ)

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■昨晩、facebookの投稿で、野洲市(旧・中主町)で「亥の子」という行事が伝承されていることを知りました。投稿された方がお住まいの地域にある4〜5集落で、伝承されているのです。

■そもそも「亥の子」は、古代日本に中国から伝わったものです。私自身は、そのことを、岩手大学で開催された劉暁峰先生(清華大学人文社会科学研究院歴史系)の講演で初めて知りました。劉先生は、次のように説明されました。「秦王朝から漢の初期まで使われた旧暦の十月を正月とする暦法が存在し、日本でも中国から伝わった『亥の子(いのこ)』の行事が行なわれているようだが、その行事はこの暦法と関係している」。この「亥の子」について、『日本民俗学辞典』では次のように説明しています。「旧暦十月のおもに初亥の日に行われる年中行事の一つ。西日本の農村によくみられるもので、収穫儀礼と結びついた伝承が多い。(中略)イノコヅキ(亥の子搗き)とも称して、瀬戸内海沿岸部などでは、ゴウリン(郷臨)石などという石につけた数本の縄を子供たち全員で持ち、地搗きをしながら廻る。…」。

■私は、子どものときに、この「亥の子」を経験しています。小学校6年生(1970年)のとき、私は広島市の東部にある農村地域(混住化していましたが)に暮らしていました。そのときに「亥の子」を経験したのです。写真の少年は、私です。私は神主・禰宜のような格好をしています。地域にあるお宅を1軒1軒まわり、まず家の入り口でお祓いをします。そのあと、後についてきた子どもたちと、「亥の子石」についた縄をもって、地面を搗きます。そのとき、「い~のこ、いのこ、い~のこ餅ついて~、繁盛せ~、繁盛せ~」と歌うのです。このあたりは、地域によっていろんなはパターンがあるようです。

■私が体験した広島の「亥の子」のばあいは「亥の子石」でしたが、地域によっては「藁鉄砲」(藁束を硬く縛ったもの)で子どもたちが地面をたたくこともあようです。冒頭の野洲市のばあいも、「藁鉄砲」とのことです。

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