東京スリバチ学会・大阪高低差学会

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リンクに、「東京スリバチ学会」「大阪高低差学会」を使いしました。ともに、私にとっては趣味的に関心の高い分野です。

■東京の友人たちと一緒に、以前、東京のまち歩き&地形観察も行っていました。震災以降、そのような活動はストップした状態になりました。まあ、そういうこともあり、「東京スリバチ学会」については、ずいぶん以前から存じ上げていました。しかし、今日、初めて「大阪高低差学会」なる活動が行われていることを知りました。さっそく、入会希望の連絡をさせていただきました。

■「勢いがついて」、いろいろ調べてみると、この手の活動が全国各地に続々と登場しているようです。「東京マナイタ学会」、「千葉スリバチ学会」、「多摩武蔵野スリバチ学会」…続々とです。

大阪高低差学会
東京スリバチ学会
東京マナイタ学会

中央アルプスと名古屋

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■「雑記帳」というカテゴリーのなかに、新しく「地形」という下位カテゴリーを増やしたので、ちょって前の写真をアップしておきます。8月末に、秋田県の八郎湖に視察に行きました。総合地球環境学研究所のプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会-生態システムの健全性」のプロジェクトリーダーの奥田昇さん(京都大学生態学研究センター)と一緒に、秋田県立大学の谷口吉光さん(環境社会学)を訪問したのです。もちろん、行きも帰りも飛行機を使いましたが、写真は帰りに撮ったものです。

20140920alps-nagoya2.jpg■トップの写真は、中央アルプスの写真です。比較的きれいに撮ることができました。この中央アルプスの背後をご覧ください。南アルプスが見えます。さらにその向こうは、そうです、富士山です(アルプスに関しては、具体的にどの山が見えているのか、私にはよくわかりませんが…)。

■秋田空港から大阪伊丹航空までのルートですが、秋田から新潟に向かいます。秋田空港から飛び立つと、秋田市から男鹿半島につながる大きなカーブの地形が見えてきます。その向こうが八郎湖になります。そして、新潟に向かうと、今回は雲で見えませんでしたが鳥海山が美しい姿を表します。新潟上空までくると、方向を中央アルプスと北アルプスの間の方向に向けます。そして濃尾平野方面に向かいます。トップの写真は、そのときに撮ったものです。濃尾平野に入ると、これまでの山にかわって河川に注目することになります。濃尾平野には、木曽三川と呼ばれる木曽川・長良川・揖斐川が流れています。右側の写真ですが、これは名古屋港あたりを撮ったものです。藤前干潟です。庄内川・新川・日光川3つの河川の河口が合流する少し先が藤前干潟になります。この干潟の埋め立てをめぐって、大きな社会問題となりました。

20140920alps-nagoya3.jpg■こちらの写真。右側が木曽川で、左側が揖斐川です。どの河川にも、それぞれの地域と結びついた歴史や記憶が伝えられていますが、この木曽川もスケールが大きいだけに、じつに様々な出来事が記録として残っています。私は社会学ですが、この木曽川の環境史(人間社会と河川との相互作用の歴史)をもっと勉強してみたいと思っています。もっとも、そんな余裕は今はありません。というわけで(?!)、木曽川と揖斐川の間をみてください。ピカピカ輝いています。ここは、ナカジマスパーランドです。「東京ディズニーランドに次ぐ国内二番目の敷地面積をもつ大型アミューズメントパーク」なのだそうですね。私は、テーマパークに関心がないのですが、それでもこの「ナガシマスパーランド」については、名前だけは知っています。

20140920nagoya.png ■黄色い丸印、むかって右側が藤前干潟でする左側が「ナガシマスパーランド」です。さて、木曽川・揖斐川の河口上空を飛んだあと、飛行機は三重県の津市上空まで飛び、そこからルートを真西にかえて名張市や奈良盆地上空を飛び、最後は生駒山の南側を超えて大阪平野に入り、最終的に伊丹空港に着陸しました。秋田から伊丹までは(往復ともですが)、プロペラ機のボンバルディアでした(ANA)。飛行機から地形をみるのならば、ジェット機よりもプロペラ機の方が楽しいかもしれません。

隠岐諸島

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■昨晩、韓国から帰国しました。ソウル金浦空港から関西空港までルートは、おおよそ以下の通りです。ソウルからまず日本海に出てしばらく飛びます。そしてコースを南へ切り替え中国地方を縦断し、そのあとは機首を東に向けて瀬戸内海を進み、最後は淡路島の南側から関空に向って着陸する…というコースになります。

20140920oki1.png■今回の韓国出張は、行きも帰りもJALでした。最近は、一定程度大きい旅客機ならばみんなそうかもしれませんが、座席の前にはディスプレイがありました。ふだんは、飛行コースぐらいしかみないのですが、昨日は、このディスプレイで映画を視ました。「スパイダーマン」です。日本語の吹きかけですが(JALだし…)、字幕があり、それは中国語でした。中国の観光客の方も多いのでしょうね。実際、韓国の観光を終えて次は日本…という方たちがいらっしゃいました。

■さて、ふだんあまり映画を視ないので、けっこう「スパイダーマン」を楽しんでいたのです。ふと、外に目を向けると、島が見えました。時間的にいって、この大きさと地形的な様子からして、きっと島根県の隠岐諸島に違いないと思いました。自宅に帰ったあとGooglMapと写真を照らし合わせてみましたが、やはり隠岐諸島でした。

20140920oki2.png ■隠岐諸島は「島前」と「島後」にわかれます。これは、「どうぜん」と「どうご」と読みます。「島前」の方は「知夫里島(知夫村)」、「中ノ島(海士町)」、「西ノ島(西ノ島町)」からなり、3つあわせて「島前三島」と呼ばれています。一方、「島後」の方は「島後(隠岐の島町)」のひとつだけです。そのことが、この写真からよくわかりますね。

■私は、航空機の窓から地形を眺めるのが好きです。ということで、こういうチャンスがあれば写真を撮って、このブログにアップすることにしました。ということで、「雑記帳」というカテゴリーの下位に、「地形」というカテゴリーを設けました。そんなに地形や地理が好きならば、地理学を専門にすればよかったやん…と言われるぐらいに好きなんです。なぜなんでしょうね…。そのあたりは、自分でもよくわかりません。「地図地理検定」なんてものがあるらしく、そういうのを受験してみようかなと思っています。なかなか難しそうです。

地図地理検定

TIMELAPSE

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TIMELAPSE

■これは、すごい!!

消えていく「ダイヤモンド富士」-西日暮里・富士見坂


■前回の投稿では、新幹線の車窓から撮影した富士山をアップしました。天候にも恵まれ、青空をバックにした美しい富士山を楽しむことができました。しかし、東京に着いてみると、「富士山が見えなくなる」というネットのニュースを読むことになりました。

■東京の地形は、凸凹しています。武蔵野台地が雨や川で削られたためです。ですから坂が多いのです。地下鉄やJRで点から点へ移動しているとわかりませんが(地形マニアにはわかりますが…)、実際に歩いてみると東京の凸凹の特徴が非常によくわかります。江戸時代、武蔵野台地の高台から下る坂道からは、あちこちで富士山が見えていました(現在はビルが建ち並び、高層ビルに登らなければ確認できませんが…)。ですから、現在でも「富士見坂」という坂(地名)が東京の各地に残っているのです。

■この「富士見坂」という地名、名前の通り、その坂から眺望できる富士山の風景と坂との組み合わせから生まれています。もちろん富士山は、普通の山ではありません。詳しく説明する余裕はありませんが、信仰の対象となった山でした。江戸時代、江戸のなかには「富士講」という宗教組織が多数存在していました。ですから、当時の人びとの富士山を眺望する眼差しのなかには、宗教的な情熱が込められていました。富士山と、富士山を毎日眺望する江戸時代の人びとの相互作用のなかで、独特の自然観や生命観が培われいったのです。もっとも明治時代以降、そのような宗教的な情熱はしだいに衰退していきました。しかし、それでも、富士山を眺望すること自体が、ひとつの文化として、江戸-東京の人びとの暮らしのなかに定着し、受け継がれきたことに間違いありません。

■現在、実際に富士山を確認できる坂は残り少なくなりました。東京の街のなかに高いビルやマンションがどんどん建設されていったからです。以下は、毎日新聞の記事です。この記事によれば、「西日暮里の富士見坂」は、「唯一地面から富士山を見ることができる」場所のようです。この「西日暮里の富士見坂」から、年に2回、1月と11月に「ダイヤモンド富士」を見ることができます。「太陽が富士山の頂上に沈み、輝きを放つ」瞬間を、「ダイヤモンド富士」と呼ぶのです。トップの動画は、その「ダイヤモンド富士」を写した動画です。ところが、記事にもあるように「新宿区で建設中の住友不動産による45階建てマンションと、文京区で建設中の個人建築主による11階建てマンション」が、富士山の眺望を遮ってしまうことになりそうなのです。

「ダイヤモンド富士:都心では唯一の日暮里・富士見坂、見納めの危機 眺望を遮るマンション建設中/東京(毎日新聞2013年01月29日地方版)」
■この記事の後半部分では、以下のように書かれています(リンクがすぐ消えてしまいますから…)。
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昨年5月には、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関、国際記念物遺跡会議(イコモス)が、坂からの眺望を阻害するマンション開発の見直しを求めて都や建築主、荒川区、文京区などに勧告書を送っている。

これを受けて荒川区は、低くするよう計画の見直しを求めたが、事業主から回答は得られていない。文京区は計画の再考を依頼したが「あくまでお願いレベル。制限することはできない」と話す。

昨年10〜12月、日本イコモス国内委員会の副委員長が文京区と荒川区を訪れ、景観を守るガイドラインの整備を要請。荒川区は「関係区と連携して、前向きに取り組みたい」と検討を始めているが、現在建設中のマンションには間に合わない。

住民らで作る「日暮里富士見坂を守る会」は、行政や建築主らに再三、要望したが、有効な回答は得られていない。メンバーの池本達雄さん(54)は「富士山のある風景を愛するのは、江戸時代から続く文化。次の世代に伝えていかないと。まだ諦めていない」。早稲田大学講師で、富士見坂眺望研究会の千葉一輝代表は「イコモスの勧告は非常に重い。富士山の世界文化遺産の登録にも影響を与えかねない」と話し、今後も建築主らに働きかけていく。
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■ここに書かれている問題、京都の五山の送り火と景観に関する問題と似ていますね。京都の周囲の山々の眺望は、歴史的都市・宗教的都市である京都のアイデンティティと深く結びついています。しかしそのような眺望は、市街地に高いビルが建設されるにしたがい、しだいに失われてきました。そこで京都市では、このような眺望を保全・創出するために(たとえば賀茂川右岸から「大文字」への眺望)、「京都市眺望景観創生条例」を制定しました。また、新しい景観政策も導入しているようです。視界に入る建築物の高さやデザインをコントロールしようとしているのです。この京都の五山と景観に関する問題と東京の富士山と景観に関する問題、まったく同じレベルで比較することは無理かもしれませんが、東京という都市の歴史的なアイデンティティを担保するためにも、なんらかの社会的な取り組みが必要だと考えられます。長文になっているために詳しくここで説明しませんが、岩手県の盛岡市でも、中心市街地からの岩手山の眺望を確保するために、かなり以前から様々な取り組みが行われてきました。またチャンスがあれば、ご紹介できればと思います。ちなみに、岩手山も、古来から信仰の対象となった山でした。

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