滋賀県庁の皆さんとミーティング

▪️昨日は、午前中自宅で仕事をして、午後からはまずは大津市役所へ。自治協働課を訪問し、「大津市協働を進める三者委員会」の打ち合わせと意見交換を行いました。大津市に限らず、人口減少と高齢化が加速度的に進行していく状況の中で、地域コミュニティの自治のあり方や仕組みも変化せざるを得ません。大津市では、前市長の時に、地域コミュニティを支える支援に関して、市役所と地域との間に緊張関係が生まれた時もありました。そもそも大津市は地理的に南北に細長く、マンションがたくさん建設されている市街地から、過疎が進む山間地域まで、地域コミュニティの自治の状況やあり方は実に様々です。同じような一元的な仕組みで自治を支援していくことも困難です。この「大津市協働を進める三者委員会」の委員長を務めながら、いつもその困難さに直面してきました。ただ、1期2年連続3期までという決まりがあり、私は今年の2月でこの委員長や委員を退任します。引き続き頑張って地域コミュニティをどのように支援していくのか、知恵を絞り汗をかきながら取り組んでいただきたいと思います。
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▪️大津市役所の後は、滋賀県庁の総務部市町振興課のデジタル地域コミュニティ通貨「ビワコ」担当の皆さん、琵琶湖環境部の「MLGs」担当の皆さん、そして「びわぽいんと」の準備を進めている私たち特定非営利活動法人「琵琶故知新」との3者でミーティングを持ちました。長年お世話になっている三和伸彦さんがミーティングをセッティングしてくださいました。おかげさまで、とても良いミーティングになりました。ありがとうございました。ミーティングの後は、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で懇親会。こちらも有意義な場になりました。今朝、三和さんから「会って話し合うこと、呑むこと、とても大切だと改めて思いました」というメッセージを受け取りましたが、本当にその通りだと思います。

目黒寄生虫館

20240121meguro_kiseityukan1.jpg ▪️東京での研究集会と懇親会の翌日(つまり今日)、そのまま滋賀に戻ってもよかったのですが、せっかく東京に来たのだからと目黒にある「目黒寄生虫館」で展示を観覧することにしました。私は、四半世紀前まで博物館に勤務していたのですが、その頃から博物館の世界ではけっこう有名な存在でした。今朝は、朝食をとりながら突然、「そうだ、目黒寄生虫館、行こう」と思いついたのでした。

▪️ホテルは新宿でしたが、副都心線で渋谷駅、山手線で目黒まで。そこから雨の中を目黒寄生虫館まで歩きました。このような天気だから、観覧している人は少ないだろうと思っていたのですが、とんでもない。たくさんの方達が、標本と解説を丁寧に観覧されていました。目黒寄生虫館は、小さなこじんまりとした展示室が1階と2階にあるのですが、そこにはものすごい数の液浸標本が並んでいます。

▪️左の写真は、日本海裂頭条虫=サナダムシ。全長8.8mなんだそうです。この寄生虫館の一番の「ウリ」の標本です(だそうです)。やっと、この有名なサナダムシの標本を拝見することができました。このように解説されていました。40代の男性と館長は、どんなふうに協力して取り出したんでしょう。想像してしまいました。

40代の男性が排便中、白いひも状のものが出てきた。原因は、その3ヶ月前に条虫の幼虫の寄生したマスの刺身を食べたためだった。自覚症状は無かった。当館初代館長の亀谷了は男性に駆虫薬を飲ませて、ほぼ完全な形で8.8メートルの虫体を採取した。1日にどれくらい成長していたことになるのだろう?

▪️サナダムシは、寄生生活に不要な機関は退化して、残っているのは生殖器のみなのだそうです。よく見ると、長いサナダムシですが、数千の体節を持っていて、その体節ごとに精巣と卵巣があり、異なる節同士で生殖を行い、100万個のもの卵を毎日産むのだそうです(『寄生蟲図鑑』P.42より。)。恐ろしい…。

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20240121meguro_kiseityukan4.jpg▪️上段左。懐かしいものも展示してありました。蟯虫検査シート。展示によればもうこの検査は廃止になっているのだそうです。日本人のお腹の中から完全に駆逐されてしまったのかといえば、そうではないようですね。上段右。あの西郷隆盛も、この寄生虫による陰嚢水腫に苦しんでいたということも知りました。だから馬には乗れず、籠に乗っていたらしい…そういう説を読んだことがあります。

▪️解説の右下の絵は、葛飾北斎の「北斎漫画」の中の絵ですが、これは大げさではなく本当にこんなふうになってしまうようです。下段。お土産に、全長8mのサナダムシをデザインしたクリアファイルと、目黒寄生虫館が監修した『増補版 寄生蟲図鑑』を購入しました。この図鑑、なかなかユーモアがきいていて読んでいて「へー!そうなんや」と驚くとともに、ニヤッと笑ってしまいます。

NHKドキュメント72時間「琵琶湖の“あのベンチ”、座る人の思いとは?」


▪️NHKの「ドキュメント72時間」という番組を楽しみにしています。番組の狙いは、「毎回、一つの現場にカメラを据え、そこで起きるさまざまな人間模様を72時間にわたって定点観測するドキュメンタリー番組。偶然出会った人たちの話に耳を傾け、“今”という時代を切り取」るとところにあります。今回の「琵琶湖の“あのベンチ”、座る人の思いとは?」は、このような内容です

誰が呼んだかその名も“あのベンチ”。琵琶湖の東側のほとり。目の前には一面の湖が広がる。数年前からSNSで人気となり、ひっきりなしに人が訪れる。琵琶湖一周中に立ち寄ったサイクリスト。毎週末、ここに集う車好きの仲間たち。この季節、このあたりの天候は変わりやすく、荒れた波がいいという人もいれば、青く穏やかな湖が好きという人も。みんなどんな思いで座るのか。湖畔にたたずむベンチを3日間、見つめる。

▪️このベンチは、彦根市石寺という琵琶湖畔の集落に置かれています。数年前からSNSで人気になっているとのことなのですが、番組ではこのベンチを置いた方も登場されていました。ベンチは琵琶湖を眺めるのとは反対の方向、つまりベンチの裏側の方にあるお宅の方がベンチを自作して置かれたのだそうです。奥様から「あんたの責任や」と責められるのだとか。たくさんの人が集まってくるといろいろあるのでしょうね。

◾️ただ、そのようにここに集まって来られる方たちの中には、悲しみや辛さを抱えた方たちもいらっしゃるようで、大いなる琵琶湖に抱かれているかのような気持ちになり、その悲しみや辛さを癒しておられるようです。この番組では、そのような偶然にインタビューを受けた人たちが自分自身の人生を少しだけですが自ら語ります。不妊治療がうまくいかない女性、夫を病気で亡くした女性、会社が辛くなり早期退職した男性、仕事を辞めてバイクで日本一周をしている途中で立ち寄った男性…。もちろん、番組に登場される方の多くは、そのような方達ではありません。琵琶湖一周を自転車でしている途中だとか、バイクで有名だからやってきたとか、近所に暮らしていて夕方の風景を見にやってくるとか、そういう方達なのです。1本の樹木の元に置かれたベンチとその向こうに広がる琵琶湖、その風景が多くの皆さんの心を捉えているのでしょう。だから「あのベンチ」なのです。

▪️この石寺の「あのベンチ」ですが、何度か訪れたことがあります。調査やドライブの途中で車で立ち寄ったこともありますが、思い出深いのは、過去5回参加した「びわ湖チャリティー100km歩行大会」のコースでこのベンチの前を歩いた時でしょうか。もっとも、その時は歩くことに必死で、ベンチのことなど考えていませんでした。チラリと視界に入っただけだったかと思います。今回の「琵琶湖の“あのベンチ”、座る人の思いとは?」、Blu-rayのディスクに保存しておこうと思います。

「(仮称)淡海ヨシのみらいを考える会議」設立に向けたシンポジウム

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▪️今日は、南草津で開催された「『(仮称)淡海ヨシのみらいを考える会議』設立に向けたシンポジウム」に参加しました。一般公開されるシンポジウムとは違い、ヨシに関係する皆さんのためのシンポジウムでした。「なんで脇田がヨシやねん」という突っ込みが入ると思いますが、滋賀県の「ヨシ群落保全審議会」の会長ということでお呼びいただきました。

▪️京都大学の深町加津枝さんから問題提起をしていただき、琵琶湖ヨシとヨシ葺き屋根の伝統を受け継ぐ真田陽子さん (葭留勤務、一級建築士)と、淡海環境保全財団の瀧口直弘さんから活動発表をしていただいた後、参加者26人で車座になって、ヨシについて熱く語り合いました。ヨシ業者の皆さん、ヨシを原料に使う文房具の企業の皆さん、環境教育の関係者、ヨシを原料に使う繊維会社の方、地域でヨシ群落の保全に取り組む皆さん、多種多様な関係者がお集まりくださいました。

▪️私はその際のコーディネーターを務めました。皆さんから積極的にご発言いただきました。ヨシに関係する様々な「異業種」の皆さんが交流するからこそ、大変楽しく有意義な時間を過ごすことができたのだと思います。ありがとうございました。

【追記】▪️このシンポジウムを企画・運営された「淡海環境保全財団」の職員の方から、メールが届きました。参加者は限られていますが、アンケートをとったところ、「全体構成にストーリー性があって良かった」というご意見や、「コーディネートが非常に良かった」というご意見を複数いただけたようです。ちょっとフランク過ぎたかなと若干の反省もしていますが、堅苦しなくないように、そしてユーモアを伴うことを心がけ、しかも全体のディスカッションがうまく噛み合うことを意識しながらコーディネートを行いました。もちろん、参加者の皆さんのご協力もあってうまくいったのかなと思います。改めて、参加者の皆さんには御礼を申し上げます。ありがとうございました。

深草キャンパスで仕事でした。

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20240111fukakusa.jpg◾️今日は朝から深草キャンパスに建設される「紫光館別館跡地新棟」の起工式でした。ということで、いつものような格好ではなくスーツで出勤しました。昨年の秋にも起工式がありました。私の勤務する社会学部が、滋賀県大津市の瀬田キャンパスから深草キャンパスに移転することを契機に、新しい校舎を建設することになったからです。今回は、課外活動のための施設建設です。「2号館北側新棟」、「10・11号館跡地新棟」、「12号館北側新棟」、そして今回起工式のあった「紫光館別館跡地新棟 」。一度に4つの新しい建物を建設しています

◾️龍谷大学は、浄土真宗本願寺派の宗門校ですから、こういった式典も仏式です。ですから、式次第では、合掌・礼拝、導師焼香、三奉請(さんぶじょう)、讃仏偈と続きます。そして起工式ですから、そこに鎌入れ、鋤取り、鍬入れといった地鎮祭(土地の氏神様に土地を使わせていただく許可を得る神道の儀礼)の作法も入ります。でも仏式ですから、地鎮祭ではなくあくまで起工式。こういうことのようです。ちょっと勉強になりました

◾️深草キャンパスでの新棟起工式は10時で終了。11時半まで時間が空いたので、理事長をしている特定非営利活動法人「琵琶故知新」の用務で深草キャンパス近くの銀行へ。トップの写真はその帰りに撮ったものです。深草キャンパスに戻る途中、琵琶疏水沿いの道を歩いていると塀からモクレンの枝が飛び出していることに気がつきました。たくさんのツボミをつけています。じっと寒さに耐えて、3月になったら花を咲かせるのです。いいですね〜。開花したら、また拝見しにきたいですね。

◾️深草キャンパスに戻ってからは、ずっと仕事でした。研究部課長と意見交換。その後は、研究部関連の用務。その後は学長と立ち話で意見交換をして、その上で研究部事務部長と相談。いろいろ心配して悩んできたことが、何とかなりそうな気がしてきました。どっちを向いても、心配して悩むことばかりですけど、辛抱しながらも頑張っていると、自ずから道は開けてくるのかな。

是永宙さんによるfacebookへの投稿【能登地震・被災地支①②③】

▪️高島市議会議員をされている是永宙さんのFacebookへの投稿です。①から③まであります。勉強になります。皆さんも、ぜひお読みください。今回の震災は、能登半島という特異な地形を持った地域が特有の困難さが伴っているように思います。同じ能登半島とはいっても、土砂崩れのために道路が途絶して孤立してしまっている地域と、人命救助が優先される状況の次の片付けの状況に入っている地域とでは、同じ能登半島とはいっても現地が求めているニーズはかなり違うわけです。

関西学院同窓会滋賀支部の新年会

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▪️昨日は、母校・関西学院大学同窓会滋賀支部の新年会が開催されました。滋賀支部の様々な行事にできる限り参加するようにしています。毎年、総会については草津で開催されますが、新年会は前回からここ近江八幡市で開催されるようになりました。新年会は、朝、長命寺にお参りにしたのち、市内での食事会ということになります。長命寺は、長命寺山の中腹なあるお寺で、西国三十三カ所第31番札所になります。車でも参拝できますが、昨年は808段あるという石段を登ってお参りさせていただきました。

▪️今年も参拝するぞ…と張り切っていたのですが、二度寝をした結果、寝坊をすることになってしまい、参拝を断念せざるを得ませんでした。残念です。ところで、なぜ長命寺に参拝させていただくのかといえば、長命寺の御住職と福住職が共に、私たちと同じ関西学院大学の同窓生だからです。そのようなご縁もあって参拝させて頂いるのです。今年は、福住職が山腹に広がる境内を学術的に、そして非常に丁寧にご説明くださったのだそうです。寝坊をしてしまい参拝できなかったことが悔やまれます。

▪️食事会は、14名の方が参加されました。実際には、私よりももっと年上の先輩たちも会員におられるのですが、卒業年次からいうと、この日の参加者の中では「年寄り」の方になります。一番お若い方とは20年近く卒業年が違います。こういう世代を超えての交流って楽しいですよね。そうそう、こういうこともありました。昨日の参加者のお一人は、私が学生時代に入っていた関西学院交響楽団の後輩であるKくんのことをよくご存知でした。Kくんと学生寮が同じだったのです。学生寮の先輩と後輩の関係になるそうです。私は、よくその寮に泊めてもらっていたので、寮での出来事に関してもいろいろ知っているのです。そのようなことがわかり、とても話が盛り上がりました。それから、昨日、初めて滋賀支部の行事に参加された方のお子さんは、龍谷大学社会学部の学生さんであることもわかりました。ちょっと、焦りました。今後も、同窓会活動にできる限りになりますが、積極的に参加したいと思っています。

▪️以前に書いたことと、また同じことを書きます。龍谷大学の同窓会組織である校友会にも、滋賀支部ができたことを再びお伝えしておこうと思います。もし、このブログをお読みの方の中に、滋賀県出身の龍大生の方がいらっしゃれば、卒業後は、ぜひ龍谷大学校友会滋賀支部の行事にご参加ください。卒業後も、母校と繋がって年代を超えて同窓生の皆さんと交流しつつ、現役の学生の皆さんを応援していくことは大切なことだと思っています。皆さんの人生にとっても同窓会活動は大切な存在になるのではないかと思います。
(トップの写真は、関西学院大学同窓会滋賀支部のfacebookへの投稿からお借りいたしました。ありがとうございました。)

正月の琵琶湖

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▪️子どもの頃は、1月は5日頃までは、どこのお店も閉まっていました。相当食料を買い込んでいたと思います。しかし、現在は、イオンなどは元旦も開店していますし、滋賀の地元のスーパーである平和堂も2日から開店しています。

▪️2日に娘の家族が我が家にやってくるということで、堅田にある平和堂(アルプラザ)へ買い出しに行きました。平和堂に向かう途中、車の中から湖西の比良山系の頂が雪で白くなっていたことがわかったので、平和堂では屋上に車を駐車することにしました。写真は、その屋上の駐車場から撮ったものです。
比良山系のようにははっきり見えませんが、ビルやマンションの隙間から沖島や湖北にある伊吹山もなんとか眺めることができました。南湖も穏やかな雰囲気を漂わせていました。この日、滋賀は快晴でした。

▪️でも、すでにこの時点で、能登地方を大きな地震が襲っていました。そして夕方、羽田空港で日本航空(JAL)機と海保機の衝突事故が起きました。

▪️2日に出た「『令和6年能登半島地震』に関する学長メッセージ」です。龍谷大学では、新潟県、富山県、石川県および福井県に実家のある学生の皆さんに、ご自身やご家族の人的被害および家屋の倒壊等の住居の被害有無について知らせてほしいとの連絡が送られています。この大学全体の動きに先立ち、私が勤務する社会学部の教務課では、ある職員さんが個人的にいろいろ対応してくださいました。私も協力して北陸出身のゼミ生や実習を履修している学生さんの安否の確認をしました。今は、LINEで学生さんたちと連絡を取り合いますので、こういう非常時には大変助かります。大切なインフラになっていると思います。LINEのサービス開始は、2011年6月23日だそうです。ということは、東日本大震災の際には、まだLINEはなかったのですね。

初詣と地震

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▪️1月1日の元旦の16時10分頃、自宅がガタガタ揺れ始めました。地震だということはすぐにわかるわけですが、いつもと違って揺れの時間がく長く、少し血の気が引くような思いでした。気分も少しだけ悪くなってしまいました。テレビを視ると、能登半島で地震が発生し、津波も能登地方には津波警報が発令され、そのうちに大津波警報が発令されることになりました。能登半島やその近くだけでなく、北は北海道から南は九州までの日本海側には津波警報が発令されました。

▪️震度7ということで、地震の被害が甚大であることは予想できましたが、次第に現地からの映像が届くようになり言葉を失いました。道路はうねり割れて避難の移動も困難な場合があることがわかりました。建てられてから時間が経過したと推測される古い家々がひどい被害を受けていました。加えて、火災です。報道では、輪島の市街地が200棟が全焼したとのことです。言葉が出てこないのですが、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。現時点で30人の方達がお亡くなりになっています。被害のひどい能登半島の先端地域まで、救援の手ができるだけ速やかに届くことを願っています。

▪️知人にも北陸地方で暮らしている方達がおられます。そのうちのお1人が、facebookにご自宅の様子を投稿されていました。室内の本棚が倒れ、書籍が散乱し、引き出しも飛び出していました。相当な揺れだったのだと思います。幸いなことに、知人は無事だったようです。もうお一人の方のご実家は、海の近くだそうで、強い揺れと津波警報で家屋の状況等確認する間もなく、皆さんで避難されたようです。ご家族や地元の方達は怪我もなくご無事とのことでした。元々、よく地震の起こる場所だったようですが、ここまで大きく、そして津波が発生するようなことが起こるとは想像しておられなかったようで、ショックを受けておられました。もう1人の研究仲間のご実家も石川県なのですが、こちらはまだ連絡が取れません。大丈夫かなと心配しています。

▪️そのようなことが起こるなどと予想できるはずもなく、天気も良かったので、初詣に出かけました。私が住んでいるのは大津市の新興住宅地なんですが、住宅地になる前は、近くの農村の里山でした。ということで氏神様はこちらかなと思う神社に毎年、初詣でお参りしています。清々しい気持ちになる良い神社です。坂を登ったところに境内があり、反対側には琵琶湖の南湖が見渡せます。社殿は昨年、新しく造り替えられました。神社の社殿を取り囲むように森があります。いつも思うのですが、こちらは何か「気」を感じるんですよね。しかし、新年のそのような清々しい気持ちも、氏神様には大変申し訳ないのですが、地震の発生でどこかに吹き飛んでしまいました。

兵庫高校64陽会の同窓会

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▪️昨日は18時から、神戸で高校時代の同級生が集まるイベントがありました。兵庫県立兵庫高等学「64陽会」の同窓会です。私たちの高校全体の同窓会組織は「武陽会」といいますが、それとは別にそれぞれの学年の同窓会組織を、兵庫高校の前身である戦前の旧制第二中学校の1期生から数えた数字で「◯陽会」と呼んでいます。私たちは、64期生になるので「64陽会」になります。今回は、高3の時のクラスメイトにお声掛けいただき参加することができました。

▪️私は、高1の2学期に試験を受けて、広島県立皆実高校から兵庫高校に編入しました。人生で一番頭脳が冴えていた時代だと思いますが、試験に合格することができました。私個人は自ら進んで編入したいわけではなかったのですが、父親の転勤で仕方なく…。もし、編入試験に合格していなかったら、人生は大きく変わっていたと思います。たぶん。

▪️ということで、私は「転校生」でした。何度も転校してきたので、特に不満はありませんでしたが、中学時代からの仲間がいる同級生の皆さんとは、少し違っている感じがありました。神戸は生まれた土地ではありますが、いたのは5歳になるまでで、16歳で故郷に戻ってきても、どこか知らない土地に来たという感覚がありました。とはいえ、入学時期が半年ほど違うだけですから、同級生には「ウェルカム!」な感じで迎え入れてもらえたように記憶しています。それでも、自分は同級生の皆さんとは異質なところを感じていました。それは、「転校生」の性(さが)のようなものなのかもしれません。

▪️昨日は、わざわざ卒業アルバムを持参して参加しました。記憶にある方たちとはすぐに、記憶にない方とも、アルバムを通してお話ができました。もっとも、多くの皆さんは(自分も含めて)アルバムに写っている高校生当時とは、ずいぶん「変化」しているわけで…。しかし、変化している同級生から、たくさんお声がけをいただきました。また、じっくりお話をすることができました。「転校生」としては、とても嬉しかったです。また、こういう同窓会が企画されるそうなので、ぜひとも参加したいと思います。今日は、いろいろ懐かしい歌を同級生と一緒に歌う企画もありました。山本コータローの「岬めぐり」、懐かしかったです。今日は、団塊の世代の皆さんが経験された「歌声喫茶」の意味がよ〜くわかりました。

▪️写真についても、少し説明をしておきましょう。トップの写真、同級生の炭谷吏一さん(左)のバンドの演奏です。炭谷さんはずっと音楽に取り組んでこられてきました。高校在学中から、お兄様とご一緒のフォークグループでプロデビューされていたからです。フォークといっても、あえていえば、パンクっぽいフォークでしょうか。昨日は、委員長としても、会場を盛り上げるミュージシャンとしても、大活躍されました。ご自身のライブステージの後は、私たちの高校時代に流行した歌を、会場全体で一緒に歌うことができました。少し前に「歌声喫茶」と書いたのはそういうことなんです。

▪️同級生の皆さんとは、いろいろお話をすることができました。同じテーブルの方はもちろんですが、わざわざ私に話をしにきてくれる方もおられました。ありがたいことですね。私たちは今年度で65歳になったか、これからなりまります…かなんですが、このような同窓会では、ここまでいろんな人生があったことを、お互いに知ることになります。もちろん、細かなことはわかりませんが、それぞれのこれまでの人生全体を感じ取るような感じでしょうか。これって大切なことなのかなと思います。また、これは同総会では「あるある」の話ですが、身体の不調とか、親の介護とか、どうしてもそういうことが話に出てきます。私のテーブルでは歯が抜けたのでインプラントしたとか、いろいろそういうのがあります。こういうのも、できればないほう方が、健康な方が良いわけですが、お互いの老いを確かめ合う、つまり「みんな、同級生は同じだね〜」という気持ちになれるのは、良いことなのかなと思っています。65歳を迎えた私たちが、残りの人生を、お互いに支え合うような気持ちになれるからです。
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