教員研究紹介

青木 惠理子 教授

1979年8月に、東部インドネシア、フローレス島山岳部のK村でフィールドワークを始めたことを起点にして考えると、ちょうど30年間、文化人類学の研究をしてきました。文化人類学は、異なる世界に出会い、そこに長期的に参加することを通じて、人間とは何かを考えてゆくという方法を取ります。

フローレス島でのフィールドワークは、まさに異なる世界への参加でした。何がどう異なるのかは、当初まったくと言っていいくらい分かりませんでした。友人関係やらその親戚関係やらをつたって、紹介に紹介が重ねられて、海岸部から4キロ程山道を登ったところにあるK村へと案内されました。海岸近くは、ぱらぱらとロンタール椰子が自生するだけの乾燥地帯。頭上には熱帯の太陽。下からは、石灰質の地面からの照り返し。崩れやすい道を踏みしめながら進むと、焼畑休閑地の二次林の間を縫うほの暗い小道へと続いていきました。

青木 惠理子 教授
青木 惠理子 教授

咽が渇き、息が切れ、足取りや背負っている小さい荷物がとても重く感じられ始めるころ、鶏の鳴き声がまず聴こえ、やがて、赤ちゃんの声やキャッサバを切り刻む軽快な音などが聴こえるころには、ココ椰子の木に囲まれた小さな村の全貌が、明るく伸びやかに視界のなかに広がりました。なぜか、宮沢賢治の描く、隠れ里とイメージが重なりましたが、そんな日本的な感傷をよそに、分からないことだらけの村での生活がはじまりました。焼畑を生業とする村の生活には長い「空腹の季節」があり、それをも生活の一部として体験しました。栄養不足と疲労からマラリアという熱帯病で死にかけもしました。単語一つ知らなかった言語の習得に奮闘し、どういうわけか習得した頃には自明性の崩壊を経験しました。プライバシーのない村の生活は、私を、瞬く間に村の一員とし、村人たちと親身な関係で結びました。フローレスでみっちり暮らした3年の間に、生活の根底にかかわるこのような経験が染み透り、私のフィールドノートは、ありとあらゆる事柄で埋まっていきました。

長期フィールドワークは、文化人類学研究者にとって、尽きせぬ泉のようなものです。私の場合も、そのような泉から論文や著書を結実させてきました。その一つが、拙著『生を織りなすポエティクス――インドネシア・フローレス島における詩的語りの人類学』(2005世界思想社)です。記号性(言分け)は人間固有であり、規約性、恣意性、無根拠性ゆえに閉鎖性という属性をもちますが、それが、実際の使用のなかでは、どのように存在へと突き抜け、閉鎖性をほころばせるかを、フローレスの詩的言語の日常的使用を具体的に追うことによって明らかにしました。最近は、フローレス研究で養った視点を生かして、現代日本の問題も考察しています。

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